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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

淡嶋神社、友ヶ島に行った翌日、満を辞して、海神社の再訪をすることにしました。そして、その次の日に淡路島に行くためにレンタカーも予約しました。


ただ、いきなり何もせずに海神社に再訪しても仕方ないので、結界の張り直しと、近くの神様に力を貸していただくお願いの二つをテーマにしました。

 

たどったルートは、こんな感じです。

 

大姫大明神・玉姫大明神、伊弉諾神社(+地蔵尊)、蛭子神社・白由大明神・白武大明神、蛭児神社、伊弉冊神社(拝殿、猿田彦神社、福徳三宝荒神社)、岩屋神社(拝殿、八幡社・稲荷社、猿田彦神社、出雲大国社、)、杉之本神社、トンボの子午線標柱(レプリカ)、東経135度子午線モニュメント、大日本中央標準時子午線通過地識標、子午線通過標(1933年完成)、亀の水、子午線標示柱 (トンボの標識)、柿本神社、月照寺、妙見宮、明石神社、舞子六神社(拝殿、戎社・大黒社、大歳社・白髭社・稲荷五社・菅原社)、五色塚古墳、岩本稲荷、瑞丘八幡神社(本殿、猿田彦神社、吉高稲荷大明神)、白龍黒龍神社・皇大神社・猿田彦大神倉稲魂神社、海神社

 
明石は淡路島と直接的に縁が深いなあというのが感想です。最初に当たりをつけたのは、伊奘諾神社と伊弉冊神社でした。ただ、その前に気が付いたのは町の辻ごとに蛭子社が祀られてるなということです。この地域で見ると、淡路島と深い関係があるのは岩屋神社でした。そして、ここにも出雲の神様がいらっしゃいました。

伊弉諾神社は拝殿よりもお地蔵さんが印象的で、これは観音様の力をもっていらっしゃると思いました。伊弉冊神社も奥にあった福徳三宝神社が気になりました。この地域で特に淡路島と深い関係にあると感じたのは岩屋神社でした。御祭神が伊奘諾、伊弉冊、大日霎、月読、素戔嗚、蛭子の六柱なんですね。そして、境内には大国社もあります。淡路島だけでなく、出雲との関係も感じられました。次はそのまま次の子午線に向かいます。
 
子午線関係は全部で6つあったかなと思います。その中でもすごいなというのはトンボの子午線標柱ですね。海側のレプリカなんですが、こちらが一番すごかった気がします。ここに軸を決めました。ここで集中して大祓詞をあげました。そして、山側にたどって行きました。

柿本神社と月照寺は元は一緒だったものが、明治の神仏分離令で分離させられ、今は別々になっています。月照寺は観音様の力を感じるお寺でした。特に後ろの写真にも撮った観音様は独特の力をもっていらっしゃいました。柿本神社の鳥居、入り口のところに亀の水があるのですが、ここは強力なご神水だと思います。

柿本人麻呂はもちろん歌人として有名なことは私も教科書で習ったくらいは覚えていますが、今の時点ではよく分からないので、今後、関係が出てくるかもしれません。(和)歌はキーワードになってくるかもしれません。そのうち、奈良の柿本寺に行ってみようかなと思いますが、タイミングはもう少し後でしょう。備忘で書いておきます。
 
舞子六神社はよい神社だったのですが、相談関係の電話がこのタイミングで入ってしまったので、集中できませんでした。海の神社としてはとても気持ちが良かったです。
 
五色塚古墳にいらっしゃると私が感じたのは、やはり古代の王だったんですが、何というか神様というか、パワフルなボスと表現した方が良いのかな。神様になれるけど、なることに興味がないという感じです。岡山の温羅さんも近い存在ですが、温羅さんのことはブログで書いてなかったんだ。。。お願いして、分かった、となるような感じの方ではないのですが、向こうが必要だと思ったことをやってくださるという感触でした。結界とかは面倒という感じですね。第二次世界大戦の後、食糧事情が厳しい中、この古墳も部分的には畑になっていたらしく、そのときはどうもそれを嫌がるのではなく、積極的に力を貸していたイメージが来ました。その上で、後に古墳を立て直したことにも感謝をされている感じです。というか、生前はかなり偉大なリーダーだったようで、それで形式的に自由が制限される形で責任を負うのを嫌っている感じもあり、そのエネルギーの大きさからすると、ひょっとしたら、大王だったかもしれませんね。
 
次に歩いたのは、瑞丘八幡神社です。ここは強力でした。本殿だけでなく、猿田彦神社、吉高稲荷大明神も強力です。多くの神社と同じく合祀も繰り返しているんですが、上手に力を折り重ねて、パワーアップしている感じです。少なくとも今は海神社よりも、力があるなと感じました。言葉でやり取りをしたわけではないのですが、どうも海神社の神様の方が格上なのに助けるというのはおこがましいと考えていらっしゃるようなので、海神社の神様は説得するから力を貸してほしい、という説得をしました。なんか人間に対しても、神様に対しても、私はずっと同じことしてるよなと思いました。だから、感覚としては、大阪の坐摩神社とか、明日香の飛鳥坐神社とかで、大国主様や事代主様が議長(?)になって話し合いをされているのはよく分かるんですよね。いったんきっかけになれれば、当人同士、もう千年以上のお隣さんですから、話は早いです。
 
海神社に戻ったら、七五三がやられたり、休日だということもあって駐車も少ないことも相まってか、12日に受けた感じはなく、ひと呼吸入れられるかなという感じでした。

もしご縁があって、私のこの長いエントリをここまで読んでくださって、しかも垂水が近かったり、あるいは近くまで行く予定があるというお方はぜひ、海神社と瑞丘八幡神社に足をお運びください。そして、実際に足を運ぶのは難しいという方も(そういう方の方が圧倒的に多いと思います)、神様たちにお心を寄せていただけたら、幸いです。本当にその気持ちが神様の力になります。どうぞよろしくお願いします。

 

 

伊弉諾神社

 

 

 

明石の港

 

伊弉冊神社

 

福徳三宝神社

 

岩屋神社

 

岩屋神社境内社大国社

 

岩屋神社本殿、後ろから

 

 

 

岩屋神社正面。最初に撮らなかったのは参拝されている方がいらしたから。

 

 

 

 レプリカだけど力はある

 

 

 

 

 

 

 

柿本神社・月照寺入り口。横の井戸が亀の水です。

 

ここは昔の階段を使っていました。

 

トンボの子午線標柱オリジナル。

 

旧月照寺の門。元柿本神社の門。

 

 

 

 

 

 

 

子午線標柱正面から

 

月照寺の観音様。

 

明石神社の方に登った帰り、下りてくる途中で撮りました。

 

舞子六神社。

 

 

 

 

 

明石大橋の真下。

 

五色塚古墳。

 

 

 

瑞丘八幡神社

 

瑞丘八幡神社 なんか不思議な力で木が捻じれていますよね。

 

瑞丘八幡神社 本殿

 

 

 

海神社の隣。白龍黒龍神社・皇大神社・猿田彦大神倉稲魂神社が祀られていました。

 

海神社。

 

海神社に行った翌日は仕事だったので、その翌日から動くことにしました。私が考えたのは、本州と淡路島の間に多様な結界を張り直すということでした。勝手なイメージでは、もともとは海神社の神様がこの海域では大きな役割を果たしていましたが、その役割を代わってもらうのではなく、新たに結界を張り直して、何重にも結界を張る状況にすればよいと考えたのです。そのときに少し前に調べていた淡嶋神社が思い浮かびました。

 

淡嶋神社は和歌山県でも加太という少し離れたところにポツンとあるので、ここだけを回るなら、ゆっくりでいいやと思って、お昼くらいに着くスケジュール感で家を出ました。ただ、大阪から電車の中で時間はあるので検索していたりするうちに、ん?これはGoogleマップで気になったけど離れている島だからという理由で、あきらめていたけれども、淡嶋神社のわりと近くから船が出ていて、しかもこの日は乗れそうということが分かりました!

 

淡嶋神社に着く前に加太春日神社をお参りします。意外と強力な、海の神社だったので、驚きました。あとで調べたら、神武東征のときに紀国造氏の祖である天道根命が(日前神宮・國懸神宮の御神体でもある)神鏡・日矛をもって、頓宮(御旅所)を造営して天照大神を祀ったのが最初というので、和歌山の一之宮の御旅所的な位置づけですね。また、役行者がこの神社を友ヶ島に勧請したことから、葛城修験とも深い関係があるようです。

 

フェリーの予約だけして、淡嶋神社に向かいます。人形で有名だったので、仰々しい感じなのかなと思っていましたが、普通に古社というずっしりとしたイメージでした。境内はほとんど撮影禁止なのですが、出雲の力を感じました。というか、もともと淡嶋神社は友ヶ島の神島に元宮があったものを、仁徳天皇が不便だろうということで、こちらに社殿を造営されたということになっているようです。少彦名命と大己貴命が祀られていました。大己貴命の社はちょっと変わっていて、神水が汲めるようになっていました。この他、少彦名の姿社に神像があります。これは撮影禁止なので、写真はありません。末社のところに、男根の木がたくさん放り投げられていたのは、安産祈願とはいえ、やや異様な感じがしました。。。

 

友ヶ島に渡ったのは12時30分くらいだったので、さすがに島全体を回るのは難しそう、閼伽井の碑のところまで少し無理して頑張ろうと思いました。その途中に神島の遥拝所もあります。ただ、この閼伽井の碑に行くには最初に許可証をもらっておく必要があります。そのときに念のために島の中を歩くのはどのくらいかかるのか聞いて、やはり島の左半分、閼伽井の碑まで往復で終わりだなと思いました。それでも、私は歩くだけで意味があると思えているので、仕方ないと思いました(本当はもう少し早く来ればよかったとも思いましたが)。

 

島の真ん中のところに大龍不動明王の鳥居と祠がありました。これは葛城修験、それも犬鳴山七宝瀧寺グループの尽力で建立されたようでした。ちなみに、ここは先に見ておいて正解でした。閼伽井の碑まで行くと道が崩壊していて、今は虎島の方までは入れないようになっています(修験の修行者だけが入れるようです)。これは道が危険になっているからですが、それでよいと思います。閼伽井の碑の手前の少し上のところで軽トラで地元の方が掃き掃除をされていました。素敵なご縁で、帰りに乗せていただきました。おかげで大幅に時間短縮できたので、急げば、回ることが出来ます。そして、閼伽井の碑のところで会ったカップルとおしゃべりしていたときに、道に迷ったこと、島の右半分がむしろメインできれいだったという情報も聞きました。条件が整いました。

 

友ヶ島の残り半分を歩いた大きな使命は二つです。一つは、子午線広場で大祓詞を唱えることでした。というか、無知なので、ここが135度線の日本最南端であるとは知らず、近くの案内板で教わりました。そこで身滌大祓を唱えようかなと思ったのですが、あ、これでは足りないと思って、内務省版とそれ以前の中臣版と二つを唱えました。天と地と海とを結ぶ不思議な感覚でした。子午線なんて近代以降に国際的な取り決めで定めたものだし、そこに霊的な意味があるかもなんて想像したこともなかったです。あまり見たことないんですが、私はメチャクチャ大事だと確信しています。ここに行ったことで次の日に行った明石で歩くところが固まりました。


もう一つは、旧海軍の施設、いかに日本を守ろうとしたか、ということを私の目で見る必要があったということです。大前提として、とにかく島全体を歩かされたんだろうなとは思います。


最終のフェリーには余裕を持って乗ることが出来ました。しかし、こんなに歩き回るとはこの時は想像してなかったです。

 

この日のルート:加太春日神社、淡嶋神社、友ヶ島(大龍不動明王、神島遥拝、閼伽井の碑、第三砲台跡、蛇ヶ池、友ヶ島灯台、子午線広場、第一砲台跡、第二砲台跡、天照神社)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虎島。御神気を感じたので、最初はこれが神島かと思いましたが、虎島でした。でも、こここそが島の中でも葛城修験の本拠地でした。

 

 

 

 

 

 

 

神島 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 虎島。昔は渡れたようです。下川友子さんの昔の記事では彼女は渡っていますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子午線広場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、私は神戸の三石神社・和田神社か水無瀬神宮に行こうか迷いながら、梅田駅に向かっていました。その途中、友人二人とやっているグループLINEにメッセージがあり、「水」「豊」「海」の感じが入っている神社か、土地か、神様かということだったので、いくつかラリーをした後で、前日に検索していた海神社をあげたら、そこ!!ってなって、急遽、垂水に向かうことにしました。

 

ただ正直、関東から帰って来て一週間、あまり調子が良くなかったんですよね。それは一見、重めの相談に乗ってしまったからということと、普通に仕事のいくつかの整理のせいだったかもしれません。そのメッセージをくれた友人の相方である龍と鳳凰が私の支援に向かってくれたということでした。ここでは書いていませんが、実はその龍は岡山のある地域の出身で、私は彼の依頼で(というか以心伝心で勝手に私が行っただけですが)、2025年の夏にその地方を歩いたことがあります。そして、その龍のメッセージによると、私が歩くだけで浄化されるので、歩いてくれということでした。ただ、その後、私とはしばらく連携とかは行っていませんでした。

 

垂水までたどり着いて、寳ノ海神社を参拝してから、正面から海神社にお参りしたのですが、とにかく名神大社(明治以降は官幣中社)であったとは思えないほどでした。まず何より神社の境内がほとんど駐車場になっています。肝心の信仰が失われているという風に私には感じられました。いや、私が境内にいるときも、何人もお参りする方はいらっしゃるし、その方たちがほかの神社に参拝される方より信仰がないわけではないんですが、そういう方たちの信仰を足しても足りない、何かが失われているという感じでした。私は神社では、基本的に身滌大祓を唱えるのですが、周りに人がいるときには、聞こえないくらいの声でつぶやく感じなんです。ただ、このときは普通の声で唱え、後ろに人が待っていて驚きました。通常であれば、その周辺を見てから帰るんですが、もう這う這うの体で、電車に乗っていました。とにかく離れようと思ったのです。

 

海神社は電車から、垂水駅からも見えるのですが、須磨から垂水にかけての間くらいのところで、女性の神様(?)が悲しんでいるイメージがふと飛び込んできました。後からオオヒルメというイメージが出て来ました。海神社は天照大神信仰が近世にあって、相殿に配祀されていますが、私のイメージでは、女性の神様がオオヒルメ(天照大神)ではなく、彼女は古代の姫巫女だったと思います。古来須磨から垂水にかけては美しい地域だったようで、その頃は土地の力も強かったのでしょう。

 

新長田で乗り換えるつもりが、経緯を連絡していたら、気が付いたら神戸についていたので、そこから兵庫津(神戸の港)を歩きました。途中の稲荷神社や七宮神社を経由しつつ、三石神社・和田神社にたどり着きました。三石は摂津の一つの始まりなんですね。生田神社・長田神社・廣田神社・住吉神社(この住吉神社は元住吉神社の方だと思います)の大元という感じですね。隣接している和田神社も強力で、拝殿に大祓詞が貼ってあるのは初めて見ました。お稲荷さんのところに不動明王がいて、その力が強力でした。そこに有名な龍神の彫り物もあって、それもパワフルでした。そのお稲荷さんの隣が蛇神様で、私が良かったら、垂水の海神社の神様に力を貸してほしいとお願いして帰りました。

 

ちなみに、この日歩いたコースです。寳ノ海神社、海神社、ここから神戸→西出鎮守稲荷神社(日向神社も)、七宮神社、玉吉稲荷大神、三石神社、和田神社、御崎八幡神社、兵庫住吉神社、兵庫大佛(能福寺)、神明神社、柳原蛭子神社

 

 

 

 

 

西出鎮守稲荷神社境内にある日向神社。ここが強力でした。ただ、神社全体は工事中でした。

 

七宮神社。

 

和田神社遠景。

 

三石神社拝殿。

 

三石。

 

和田神社拝殿。

 

左側が猿田彦社です、たぶん。

 

磐座。あまり見ないタイプですね。

 

高倉稲荷の龍神像。

 

 

 

強力なお不動さん。

 

御崎八幡神社

 

住吉神社

 

兵庫大仏。このあたりは平清盛に縁があるお寺がたくさんあって、それも一つのテーマかなとも思うのですが、とりあえず、今回はそのことはおいときます。

 

神明神社。意外と強力でした。

 

柳原蛭子神社。

 

ここはこの本殿裏が強力でしたね。