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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

大山崎を歩いたのは、一つは石清水八幡宮についての理解を深めるためだったと思います。山崎だけではまだ足りないと感じたので、大安寺と元石清水八幡宮に最初に行きました。結論だけ言えば、私は元石清水八幡神社や離宮八幡宮は、石清水八幡宮の元宮であるとは考えておらず、行教さんは宇佐八幡宮から勧請し直しただろうと考えています。今日は、私が現地を歩き、その後、調べて整理したことをまとめていこうと思います。

 

この日は、大安寺と元石清水八幡宮(八幡神社)に行ってから、桃山御陵前駅での乗り換えのタイミングで、御香宮神社に立ち寄ってから、神應寺・石清水八幡宮を歩きました。私はいつもデイバックに石上神宮の鈴をつけているので、最近はそれだけのときも多いのですが、この日はなぜか空海さんと一緒に歩いた方がよい気がして、いったん家を出たんですが、金剛杖を取りに戻りました。なんとなくこの日は、仏様がカギになるなと思ったのです。

 

最初は御霊神社からお参りしました。少しエネルギーがこもっているというか、重い感じがしましたが、まずはここでお参りしました。ここも行教さんが勧請したんですね。もともとは禊場というか、そういう役割があったのかなと思います。身滌大祓を唱えました。

 

御霊神社の森。少し重い感じでした。

 

御霊神社

 

御霊神社の井戸(石清水)

 

推古天皇社にお詣りしました。こちらは明るかったです。

 

大安寺の前から、直接、目の前に出るのではなく、元石清水八幡神社の一の鳥居の方から回り込んで、元石清水八幡宮をお参りしました。出雲系のパワーはまったく感じないですし、これが八幡系なのかなとも思いました。この摂社が並んでいる感じも意味があるだろうなとは思いました。現在、とても心地が良い、森閑とした感じの中で柔らかいお社で、安産の御利益があるというのもうなづけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安産の御利益があるのはこの木のおかげじゃないですかね。

 

大安寺。ここは観音様の力が強かったです。私は御堂の外からしか拝観しないことも多いのですが、拝観料をお納めして、参拝しました。よかったです。というか、たぶん、ここで観音様の力を与えられるために、お参りしたんだなとあとで気が付きました。

 

 

 

 

桃山御陵前駅と伏見桃山駅で乗り換えるので、御香宮神社に立ち寄りました。ここはこんなことでもなければ立ち寄ることもない神社なのですが、結構、パワーがあり、重要な神社でした。摂社の配置も面白くて、東照宮があり、伊勢系の大神宮があり、熊野系があり、住吉系があり、つまり系と呼べるほどまとまっている感じなんですね。これは明らかに複数の系統をちゃんと祀る意図があってのことだと思います。御祭神は神功皇后なんですね。八幡系とも深い関係がありますね。なんか摂津・河内は山という山、海という海、神功皇后と関係がある感じですが、京都にはそんな印象がなかったので、意外でした。調べると、やはりここが京都で神功皇后といえば、筆頭に上がってくる感じなので、たまたま行ったわけではないんだろうなとは感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美味しそうなラーメン屋さん(大中さん)があったので、入ってみました。この前は走り抜けましたが、少し反省して、もう少し自分に優しくても良いだろうということで、頑張って昼休憩を取ったんです。13時半頃でしたが、私が入ったときは一人二人で、でも、今名前を調べるために見たら、いつもは行列が出来ているみたいですね。ラッキー。京都ラーメンっぽいなと思いました。おいしかったです。

 

伏見桃山から石清水八幡宮は近いんですね。石清水八幡宮はやはり神仏習合の歴史が深いですね。というか、そもそも神仏習合が8世紀に本格的に始まったのは宇佐神宮なんですよね。その流れの中で作られた大安寺の八幡神社(元石清水八幡宮)とか、石清水八幡宮がそのように設計されるのは当然といえば、当然です。石清水八幡宮の創建は、どう考えても平安京の守護、鎮護国家と切り離すことが出来ないと思います。そして、長い歴史の中では数多くの戦勝祈願もされています。どうやら、今回の私の役割はそれを手放して、観音様の柔和なエネルギーを下ろす、ということだったようです。ちょうど長谷寺の勤行式をもっていたので、護国寺跡で観音経も唱えました。このために私は大安寺を歩いたんですね。長谷寺とか朝護孫子寺は今も鎮護国家というエネルギーが強いのですが、石清水八幡宮はもっと人々に寄り添う、そういう神社としての役割をこれからは担っていくというイメージが私にはありました。石清水寺を護国寺と改めたこと自体、鎮護国家の意味が強いですが、今はこれがなくなり、石清水八幡宮という元の「石清水」の名前が残ったのは感慨深いですね。

 

私は表参道から順に歩き、特に寺院の跡のエネルギーを注意深く見ていきましたが、もうそういうことは必要ないと思います。今の私のお勧めルートは、中参道で「石清水社」を経て本殿に至る道です。特に石清水社は男山のコアなエネルギーが持っているのはここだと感じました。そこから少し上がったところに護国寺跡があります。たぶん、厄除けとか安産とかの現世利益を与かる神社として向き合えば、今はよい気がします。ただ私は今生はもう行かない気がしますね。石清水八幡宮自体はすごいパワフルな神社ですし、現世利益を授けてくれるという点では、多くの人にもお勧めできるようなところなんですが、私があんまり神仏から自分の御利益をいただくことに関心がないので、そういう意味で今のところ、行かなさそうという感じです。関連するところで、もちろん、歴史的に興味深いけれども、回れていないところはいくつもあるんですが、なんというか私にとっての優先順位は低そうです。

 

 

 

行教さんの思いを知るために、神應寺にも来たのですが、不発?でした。

 

 

 

 

 

 

 

通りながら、エネルギーが仏教過ぎると思ったら、元は極楽寺だったようです。

 

高見神社のところもエネルギーが強かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内に残る数少ない仏教の足跡。

 

 

 

狩尾神社に最後にたどり着きました。男山の地主神にご挨拶するにはここだと思います。ちょっと工事していましたが、素晴らしいエネルギーでした。

 

 

 

 

 

 

男山側から天王山を見ました。二日前は向こうから見ていたわけです。

 

勾配が急すぎて怖い。ちなみに、私はここを登らず、横から坂を上がってきました。無理せず、それでよいと思います。特に私の場合、石清水八幡宮の裏から来たので、山から下りてくる形だったので、いったん降りて上がるのは体力的にきつかったです。

 

 

 
この後、橋本駅に着いたら、一秒も待たず電車がホームに入ってきました。ラッキー。
 

 

以前はよく使っていたSNSアプリなんですが、最近、このブログも小出しにするのが面倒なほど、一日で動くようになってしまったので、少しずつフェイドアウトしようかと思っています。ただ、それを使いだした初めの頃にいろいろと神社を教えてくださったほぼ同世代の男性がいて、同じ関西にいるので、仲良くなりたいなと思って、会うことにしました。彼もメチャクチャ、歩く人なので、私たちが初めて会うときに、カフェでお話ししてというよりは、神社に行こうと思って、今回は企画しました。とはいえ、最初に決めたのは水無瀬神宮に行く、ということだけでした。いつものように、Googleマップでいくつかのところをピックアップしていきました。

 

結果的に、歩いたルートは以下の通りです。

水無瀬神宮、水無瀬の滝、春日神社、椎尾神社、関大明神社、離宮八幡宮、観音寺、自玉手祭来酒解神社、宝積寺

 

待ち合わせ時間を8時から7時30分に早めて、山の上も行くことにしました。これが後から考えたら大正解でした。

 

この日のテーマは「大山崎」を知るということでした。その前に、私には伏線が二つありました。一つは「石清水八幡宮」にいつか行こうと昨年くらいから考えていました。その石清水八幡の対岸の山崎も重要そうというのが一つありました。もう一つは「水無瀬神宮」です。

 

水無瀬の滝を選んだのは、ここが「水無瀬神宮」の奥宮的な意味があるからかなと思ったからですが、結果的には水無瀬神宮というよりは、天王山の祓戸社的な感じかなとも思いました。続いて、椎尾神社に行きました。ここも森閑としてとても素晴らしかったです。椎尾神社の目の前はサントリーの山崎の工場なんですが、神社も大事にされているし、この工場のあたりが元は西観音寺だったようです。西観音寺は明治に廃寺になっているのですが、その建物は観音寺に移築されています。というのも観音寺が幕末に焼けてしまったからです。サントリーの工場がここでウィスキーの最高峰である「山崎」を生産していることも意味があるなと思いました。でもな、お酒をほぼ飲まない私からすると、簡単に「山崎」飲もうとはならない、値段からしても。。。天王山にはJRの山崎駅のすぐ横から宝積寺を経て登山する道があるのですが、私たちは観音寺に向かいました。結果的に、これも大正解。観音寺から登っていく道の方がスピリチュアル的にはエネルギーが良かったです。結局、西観音寺・宝積寺・観音寺と囲まれるように、天王山を守っていたんだなというのもよく分かりました。

 

山崎の地でもっとも古いのが宝積寺で、聖武天皇の勅願で行基が建てています。そして、この山崎の地を開発したのが行基なんです。私は行基という人は、今でいう土建屋の大会社の社長という感覚でとらえていて、その後の山崎の地の発展の基盤は彼が作ったと考えています。離宮八幡宮がもとは嵯峨天皇の離宮で、その後に離宮八幡宮が建てられたということで、自玉手祭来酒解神社(以下、単に酒解神社)はもとはここにあったものが中世に移動したと言われています。嵯峨天皇のすぐ次の時代に石清水八幡宮を作られます。当然、石清水八幡宮が勧請されたときには、山中にお寺はあったらしいのですが、まだ町として栄えていたわけではないでしょうから、まずは山崎の地の人たちが利権に絡んでもまったくおかしくないと考えています。

 

この日はとにかくこの天王山(旧名は山崎山)を中心に歩いたのだということが分かりました。ちなみに、天王山は秀吉と光秀が戦ったところでもあり、大阪城が出来るまで秀吉がここを本拠にしたんですね。ちょっと、どれで読んだか忘れたんですが、平安京を作る上で、この山崎が整備されていたことが大きかったということが書かれていました。正確に言うと、平安京の前の長岡京も同じですね。長岡京は結果的に平安京を作る前段になりました(長岡天神も以前から名前は気になるので、そのうち、長岡天神と小倉神社は行くかもしれません)。

 

水無瀬神宮

 

神仏習合時代の名残がありましたね。

 

 

 

 

 

ここの傘がとてもきれいでした。

 

 

 

 

水無瀬の滝の横にある祠、石切さんもあったのですが、江戸時代くらいのものだと思います。ここ自体は古代からあったと思います。

 

水無瀬の滝。

 

友人が気が付いた白蛇さん。

 

意外と丁寧に祀られていた春日神社。

 

春日神社の前からの風景。

 

サントリー山崎工場のエントランス、奥に見えるのが椎尾神社。

 

 

 

椎尾神社入り口。

 

私は拝殿の後ろの山のエネルギーが結構気になりました。ただ熊注意の張り紙が出てました。

 

関大明神社。ここは古い山崎の巷の神ですね。

 

離宮八幡。

 

 

 

 

 

勝手神社が祀られているのは珍しいですねと話していました。吉野の勝手神社が再建されるのは教えてくれたのもその友人の投稿でした。

 

 

 

観音寺聖天堂

 

観音寺本堂

 

 

 

石清水八幡宮のある男山を臨む。

 

 

 

 

 

 

 

酒解神社の本殿の正面に割拝殿があって、その後ろにあるご神木です。ここにこの山のエネルギーが集中している気がしました。

 

 

 

宝積寺境内にある稲荷社。

 

役行者像

 

 

 

宝積寺本堂。

 

宝積寺小槌宮。

 

宝積寺寺門

 

海神社から始まった結界張り直しの旅、終着点は淡路島でした。というかですね、私にメッセージを最初にくれた友人じゃない方のもう一人の友達が淡路島に行きたい!っていうし、なんとなく最初から、特に友ヶ島をまわっているところあたりからは、これは淡路島に直接、行くしかないなと覚悟を決めました。とはいえ、いくら私がしょっちゅう、神社仏閣を歩いているからといって、この負荷のご神事を3日連続で行くのは初めてだし、さすがに「やれる?」って躊躇しました。でも、これは一気にやるしかないと思いました。

 

レンタカーを名谷駅で借りたので、スタートは乗換のある三ノ宮駅の近くにある生田神社からです。今から思えば、なんでこんなに大変なところについでに行ったのか、別の日にすべきだったと反省しています。。。生田神社はエネルギーがあるところなので。写真には載せていないのですが、私は生田の森が結構禍々しい感じがしています。もともと何かを封印していたものが解け始めてるのかもしれません。今日は写真が多いので、簡単に。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の淡路島のご神事は、海神社関連のものもあるんですが、大きく言うと、伊弉諾様に出会う旅であり、伊弉冊様に出会う旅でもあった、と思っています。

 

今回のルートは、結果的にこんな感じになりました。

 

生田神社、岩神寺、岩上神社、伊弉諾神宮、西濱神社、おのころ島神社、沼島(自凝神社、上立神岩)、諭鶴羽神社、由良湊神社、安乎岩戸信龍神社、岩屋神社、絵島、恵比須神社、岩樟神社、松帆恵比寿神社

 

最初は岩屋関連から東の海岸沿いを南下しようと考えていましたが、これでは時間的に間に合わないと考え、途中まで高速で行ける岩神寺・岩上神社、伊弉諾神宮の奥宮ともいわれているところからスタートしました。そこから西側の海岸線を走ることにしました。大幅な変更や細かいコース変更も伴いましたが、結果を見ると、行くべき順番で歩きました。

 

岩上神社の磐座は交信地というか、この一帯に伊弉諾様がいらっしゃる感じはしました。岩神寺の前はたしかに仏教っぽい雰囲気、あるいは修験っぽい感じがしないこともなかったですし、岩上神社は神社なのですが、なんというか、全体的にはここはもっと古いエネルギーの雰囲気が残っていました。私のイメージでは、伊弉諾様はこのあたりの海域や平野、山を自由に動いていらっしゃる感じで、そういう意味でミシェルさんの動画だったかな伊弉諾神宮に伊弉諾様を感じられなかったというのもそうだよなと思いました。誤解を恐れずに言うと、伊弉諾神宮は巨大な御旅所っぽいんですよね。古代だったら、明神岬あたりから尾崎海岸あたりから見える海域や、岩上神社の磐座から10~20㎞四方くらいであれば、どこからでも伊弉諾様に繋がれた気がします。ただ、時代が経ってエネルギーが代わり、今はアクセスしやすいのが岩上神社の磐座や伊弉諾神宮(声は必ず届きます)なのかなという感じです。

 

岩神寺

 

お稲荷さん?岩神寺なのか、岩上神社なのかよく分かりません。というか、江戸時代までは間違いなく一体だったでしょうから、どちらでもよいかもです。

 

岩上神社の御本殿ごしの磐座。

 

岩上神社の磐座

 

名前は忘れてしまいました。水神社かな。

 

とはいえ、伊弉諾神宮は伊弉諾神宮ですごい神社でした。伊弉諾様がすごすぎるので、収まりきらないというだけで、ここはここで、普通の神社とは比較にならないエネルギースポットでした。一番私が力を感じたのは伊勢神宮遥拝所かな。

 

伊弉諾神宮

 

 

 

 

 

伊勢神宮の遥拝所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊奘諾神宮を後にして、西濱神社、明神岬を目指しました。ここはミシェルさんたちが御神事をしている動画があり、気になっていたところでした。その御神事は、隠れクリスチャンを上げるという話だったので、慈しみ深きを歌ったりしました。というか、今思い返すと、この辺りは龍神が泳いでる感じかしますね。

 

 西濱神社

 

 

 

 

 

子宮くぐり、生まれ直しとも言われるスポットです。なんというか、ミーハーに来ました。

 

次に西の海岸沿いを走りながら、自凝島神社(おのころ島神社)に向かいました。といってもですね、この後、沼島に行こうと思っていて、そのフェリーの時間がギリギリなので、ややタイムアタックという感があって、集中しきれなかったかもしれません。実際、拝殿、人の流れで後で撮ろうと思ったのに、写真を撮り忘れていますしね。ただ、沼島行きに乗る土生港にはギリギリ5分前に到着しました。

 

 

 

 

 

八百萬神社

 

 

 

何とか間に合った。

 

沼島は、時間がない時間がないと思い込みすぎてたせいか、最初の弁天様をスルーして、後で挨拶します、ということで行きました。これが良くなかった(のは分かっていたのにやってしまった)。自凝神社に入る道を間違えて、5分近くロスしてしまいました。。。何か間違えた感はありました。自凝神社の後ろから下立神岩を見ようと歩いて行きましたが、ここは近くには行けないので、おそらくは沼島自体をまた歩かせられたんでしょう。残念ながら、上立神岩の近くまで行く時間はなかったです。残りの体力と時間を考えて、途中で引き返しました。まあ、今、思えば5分のロスがなかったら、知っていながら、次のフェリーになってしまったでしょう。沼島を歩いている途中で、諭鶴羽神社に行こうかどうしようか迷っていました。ただ、そこにいくにはどうあっても、次のフェリーで帰るしかなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上から見た上立神岩。

 

沼島八幡神社。ここも良いエネルギーでした。

 

 

 

入り口の弁天様。島に降り立ったら、ここで禊をしてから回った方が良いようです。

 

沼島から戻って、諭鶴羽神社に向かいます。事前に調べていた通り、なかなか狭い山道でした。正直、友ヶ島で軽トラに乗せてもらわなかったので、運転の仕方が分かっていたという感じがあります。ちゃんと軽自動車にしてよかったです。

 

諭鶴羽神社は思いのほか素晴らしかったです。着いた瞬間はもう二度と来ない、というほどの道でしたが、改めて行こうかなと今は思えます。ここに来なければならなかったという感じです。自凝島神社から沼島(自凝神社、上立神岩)を経て諭鶴羽神社に至る道は、伊弉冊様に出会う旅であったと思いました。天之浮橋遥拝所というのは沼島を見下ろせるんですよね。ここでまさに伊弉冊様の偉大さを感じました。そして、諭鶴羽神社には戦後、一人で修験を守り続けた方がいたらしく、それはすごいことだなと思いました。私は必ずしも修行が必要だとは思っていないのですが、人と違う道を一人でやり抜くというのは、自然と人を尊敬させる何かがありますよね。奥之院のまわりはまさにジブリの世界だなと思いました。時間があったら山頂までもう少しなので、行きたかったのですが、今回はあきらめました。ちなみに、沼島では走っているので、体力的にもきつかったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥之院。

 

このあたりはジブリの世界という感じでした。

 

戻って来て拝殿の横。この広場が気になりました。

 

 

 

 

 

諭鶴羽神社の後は東側の海岸を北上していきます。まずは友ヶ島の対岸の由良湊神社です。ここには、淡嶋神社、友ヶ島という紀州(本州)と淡路島を結ぶ結界を張り直しに来た感じです。ちなみに、ここは心蓮寺と隣り合っているのですが、このお寺の山門の前にお堂があり、そこの仏様がすごく強力です。たしか、観音様だったと思います。

 

由良湊神社の前のお堂。

 

由良湊神社。

 

 

 

そして、上にあがってきて、最近、出来た安乎岩戸信龍神社にお参りに来ました。SNS「映え」するなあというのが第一印象でした。ただ、たしかに龍の力を感じるところではあります。私が来る必要があったかと考えると、別になかったですが、なんというかミーハー的に来てみたというところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の岩屋スポットに戻ります。明石の岩屋神社と対になると私は思っていた岩屋神社です。ただ、元宮といってよいかどうか分かりませんが、もともとの「岩屋」伝説は岩樟神社の方にある気がしました。といっても、別に、どちらと特定する必要はなく、このあたりの地域全体が岩屋と考えれば問題ありません。本来、私が淡路島に来た目標はここだったんですよね。でも、順番的には最後でよかったとは思います。

 

岩屋神社

 

 

 

絵島。

 

恵比須神社。

 

岩樟神社。おそらくここが「岩屋」の発祥の地だと思います。

 

 

 

もう一度、絵島。

 

本当の最後は、松帆恵比寿神社でした。ここは拝原水産さんの奥でもあり、望楼青海波さんの奥でもある、というか、どちらとも繋がっていますが、入り口が私有地っぽいので、入りにくかったです。望楼青海波さんの側の方がメインの道路には接しているので入りやすいかもしれません。神社の近くまで車で行けます。ここは古事記の伝説の地でもあるんですが、小さいお社だし、行きづらいし、行くのどうしようかなと何度も心が折れかかっていました(というか、沼島以降の行程はほぼ心が折れかかっていました)。でも、結果的には、すごくよかったです。というか、ここが位置的には淡路島の子午線の入り口ですね。この神社は大事な神社で、結界をお願いするためにも、ここに行く必要がありました。

 

 

 

 

 

 

この日はお昼はコンビニで朝一で買ってあったパンを車中で運転しながら食べただけで、フラフラだったので、最後、どうしても海鮮のものを食べたいと粘りました。道の駅あわじはちょうどしまっていたんですが、近くの漁師めし友明丸がやっていました。一見、とっつきにくい感じの若いアルバイトのお兄ちゃん、ちょっと話をしてみると、結構良い子でした。和歌山のときも、加太駅で電車に乗り過ごして目の前のカフェでしらす丼を10分くらいで食べましたが、私的に海鮮を食べたという感じではなかったので、最後の最後にご褒美をもらえた、という感じです。


当日も思っていましたし、このエントリを書きながら、改めて1日で回るようなメニューじゃない。細かいことは全然書けてないんです。そして、ここから一週間くらい体調が戻ってないです。