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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

スピリチュアル朝活があるというので、京都に行くことにしました。朝活の時間が10時から2時間ということだったので、午前中に伏見稲荷に行って、午後は上賀茂神社と下鴨神社を回れるなと考えていました。自分でも分かっていますが、やや正気の沙汰を逸脱しているスケジュールです。最近の私の過去記事を読んでくださっている方は気づかれるかもしれませんが、やや限界に挑戦するのにハマってる感もあります(あまり良くないですね)。ただ、結論から言うと、話が終わらなかったのと、そういう役割だったのかな、夕方までご一緒して、晴明神社、上賀茂神社、下鴨神社は後日、準備していくことにしました(一回で済ませられるわけがなかった)。

 

伏見稲荷は一度は行ってみようと前々から思っていました。わりと気軽に行ける距離でもあり、なかなか行こうとならなかったのですが、行ってみて良かったです。伏見稲荷は、あの楼門とか、千本鳥居が有名ですが、実際に行ってみると、私には稲荷山が本体だというのはすぐに感じられました。今回、私が伏見に着いたのは6時40分。移動を考えると、3時間ほどです。そして、ギリギリでした。

 

たぶん、私が回ったルートというのは、比較的ポピュラーなものだと思います。表参道から東丸神社や外拝殿、お山遥拝所、権殿などを回って、奥宮ほか摂社を通って、奥社に行きました。そこからは伏見神宝神社(その後ろの遥拝所)に立ち寄りましたが、神塚とかの前を通って、熊鷹社までたどり着きます。池の反対方向に行ってみると、お不動さんにロウソクをともしている方がいて、そこはお参りしました。随分、強力なお不動さんだなと思っていたら、難切不動堂って有名なんですね。そこからは三ツ辻を経て、四つ辻へ。田中社神蹟(荒神峰)をお参りしてから、反時計参りで回ってきました。

 

白菊大神の少し前で、外国人女性がこちらを振り返られるタイミングがありました。白菊大神は、私には女神様に感じられたのですが、とても喜んでいるというか、明るい雰囲気でした。その外国人女性は女神様に呼ばれたんだなと思ったんですが、話しかけられず。。。ただ、彼女はしばらくお社の方を眺めていらっしゃいました。そこでコミュニケーションを取られているなと思ったので、話しかけなかったのもあります。そういえば、以前、私が友人に頼まれてサポートした女の子がいて、彼女を助けてくれたのがここの女神様だったようで、お礼に来たというのもありました。ただ、その女の子を親代わりのように見守っていた夫婦の二人には、神様の守護よりも、そこに一緒に行った思い出の方が大事だよという話はしたのですが、本当のことを言えば、女神様も力を貸してくださっていたのは分かっています。今、これを書きながら感じているのは、私が方便としてそういう話をしたことに対して、女神様はどちらかというと喜んでいらっしゃるなということです。

 

全体を通じて、私が感じたのは、稲荷山は何層にも信仰が重ねられている、ということでした。今のような千本鳥居を含めた現世利益が強いのは江戸時代からなんですよね。それ以前で言うと、どうやら弘法大師(およびそのゆかりのある東寺)とも縁が深い(ちなみに、この日は金剛杖を持参しました)。山を歩きながら、神仏分離をしたとはいえ、仏教の息吹はいたるところで感じました。この日は、その役目だなと思っていました。

 

私がここが本体と思ったのは御劔社でした。あの磐座はすごい。とはいえ、何重にもいろんなレイヤーの信仰が重なっているので、オリジナルが何かまでは読み取れなかったです。ただ、それでも今回は十分だったのでしょう。その他に、ここはすごいと思ったのは天龍社です。薬力亭の横から歩いて降りていきます。ちなみに、薬力亭では『伏見稲荷大社大祓御神徳記』を手にしました。これはとても良かったです。天龍社は強大な龍の力が宿っているなと思います。


あと、神宝神社の奥の遥拝所はすごかったです。以前は遥拝所というのは、単に実際に山に登れない人がそこから参拝するためのものだと思っていたのですが、実はもっと深い理由があると最近思っています。それは特に神奈備山の場合、遠くから山の全景を見ることで、エネルギー的に繋がれる、そういう役割があると考えるようになりました。具体的に、元伊勢内宮皇大神社と天岩戸神社の間にある日室ヶ岳遥拝所と、大神神社の摂社である神御前神社がイメージとしてはあります。稲荷山でそういうことができる遥拝所はここだな、と。


伏見稲荷には他にも奥社のところや本殿の後ろにも遥拝所がありますが、そこは別の役割ですね。奈良の春日大社の御蓋山浮雲峰遥拝所と似ていますね。こちらの方は祝詞とかお経とか祈りを捧げる場所という感じです。

 

その後、朝活が終わってお昼ご飯もご一緒してその後八坂神社と吉水弁財天をお参りしたんですが、どうやら吉水弁財天に稲荷山から何かを連れて行くのが私のこの日のお役目だったらしく、何がどうなったかは分かりませんが、うまく行ったなら良かったです。吉水弁財天は、何回か前に八坂神社周辺を調べたときに気になっていたんですが、そのタイミングで行かなかったら、その後、すっかり忘れていたので、有難かったです。行き慣れちゃうと、かえって改めて調べないですからね。

 

そう言えば、帰って来ていつものカレー屋さんに寄ったら、金剛杖を見つけた他のお客さんが、お遍路さんをやってると話してくれて、へえ今は意外と気軽に回れるんだという気持ちと、いやいや回らないぞフラグになってくれるなよという気持ちの間で聞いてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらが祈りを捧げるタイプの遥拝所。というか、拝殿って基本的にそういう役割ですよね。

 

 

 

 ここも拝殿的な遥拝所。

 

 

 

 神宝神社手前。エネルギーがすごかったので。朝日のタイミングもあると思います。

 

 写真では見えないんですが、肉眼では稲荷山の全景が遥拝できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界人類が平和でありますように」

 

神社、仏閣、公園などあらゆる場所で見かける立札です。

 

宗教家の五井昌久さんが唱えたマントラで、さらに「日本が平和でありますように。私達の天命が完うされますように。守護霊様ありがとうございます。守護神様ありがとうございます」と続きます。個人的には、この五つの文で構成されるマントラは、よくできていると思います。

 

五井さんは白光真宏会の創設者でもあったわけですが、この宗教団体は「五井先生鑽仰会」としてスタートを切っています。今、SNSを通じて多くのスピリチュアルなことを発信して、グループを作っている方たちはたくさんいますが、後に宗教法人化した点を除けば、結構似ていると思います。五井さんとお弟子さんたちも、今の世の中だったら、法人化しなかったかもしれません。

 

Wikipedia情報ですが、五井先生鑽仰会に至る前は生長の家の谷口雅春さんに師事するところから、今でいうヒーリングなどを中心として活動をスタートさせていますね。谷口さんは初期大本(教)の幹部で、第一次弾圧(1922年)で脱退し、そこから心霊科学(これが日本語のスピリチュアリズムの訳語です)の啓蒙活動から生長の家を興していきます。谷口さんの『生命の実相』というのは昔はよくブックオフとかでも見ていましたが、要は自己啓発本のベストセラーです。戦後は渡部昇一さんがマーフィーの成功哲学を輸入したりしましたが、1920年代にアメリカのそういう自己啓発ブームを一番早く取り入れた人でもあったわけです。この経歴を怪しいとみるかどうかは、人によって分かれると思いますが、まあ、怪しいかどうかの価値基準だったら、怪しいかな(笑)。ただ、この分野では正統派の老舗だよねということではあります。ちなみに、Wikipediaの「心霊主義」の項目は、普通の商用の百科事典でも通用するような、信頼に足るレベルのものになっています。

 

そして、冒頭のマントラに戻りますが、世界全体の平和、自分たちの国(我々の日本)の平和、自分たちの平和=平穏(自分や身近な人のイメージを作りやすいですが、広くとらえて人類全体としても通じます)の完成、そして、人間を守護する守護霊や守護神(英語だとおそらくどちらもガイドスピリット、英語圏だとイメージは亡くなった家族(先祖)と天使という感じかな)への感謝という構成になっています。特に、このマントラが作られた時代は、第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)の記憶を日本の大多数の人々が持っている時代でした(戦争の名前をあえていろいろ書いているのは、いかに後世で呼び方を禁止しても、過ぎ去った時代の人の認識は変わるものではないからです。個人的には「第二次世界大戦」がしっくりきます)。

 

守護霊・守護神、ガイドスピリットの存在を否定する人たちからすれば、ここで宗教的ということになると思います。やや面倒くさい議論ですが、宗教のアカデミックな研究で言えば、研究対象になり得るという意味では「宗教」に包含されるでしょう。ただ、同時に宗派・組織という点での帰属性みたいなことから言えば、そんなに強力な縛りでもなく、割と宗派・宗教(団体)を超えて、この程度なら共有できる人たちも少なくはなさそう、という感じかなと思います。立て札は、宗派を超えて、世界平和の理念に共感する人たちが立てています。ちなみに、私はどの宗教団体にも所属していません。

 

一部の日蓮宗のように排他的な人たちは別にして(これは教義上、そうなるよねということでそれに対して私が批判的な意図を持っているわけではありません)、「世界人類が平和でありますように」までであれば、私は比較的、多くの人が共有できるのではないかと考えています。あと、シンプルに長いのは覚えきれないよね。

 

指導者への批判や戦争反対を訴えたい方たちの気持ち、特に今戦争で苦しんでいる人たちに何も出来ない無力感は共感してしまいそうな部分もありますが、こんなときだからこそあえてシンプルな「世界人類が平和でありますように」を多くの方とともにと祈りを捧げたいと思います。そして今、戦火にあって苦しんでいる人たちが安寧を得られるようにただ心からお祈りします。


世界人類が平和でありますように。

人々の魂が安寧のうちにありますように。




 

ここのところ、ずっと調子が悪くて、友人二人に「過去一まずいかもしれない状態」って送ってました。そこからやり取りをして、二人から滝行に行ってみてください、無理なら滝を見るだけでも良いです、とのメッセージをもらっていました。最初、桃尾の滝に行く前に、旭瀧を考えていたんですが、どうもここかな?という感じがしたので、変更して桃尾の滝に行きました。その前日、実は、神戸の布引の滝を見てきました。

 

本当は2月28日土曜日は京都に行く予定だったのですが、教え子の一人が高熱で難しくなったので、リスケをすることにしました(女子一人だけを連れて行くわけには行かないからね)。一瞬、京都に一人でも行こうかなと思ったのですが、先週既に石清水八幡宮にも行っているので、布引の滝を見に行くことにしたのです。

 

布引の滝は、瀬織津姫とゆかりが深いとも聞いていたのですが、私が行った感じでは彼女は封じられていて、修験の雰囲気がありました。布引の滝は雌滝、鼓滝、夫婦滝、雄滝の4つの総称なんですが、鼓滝は目の前の少し横の岩のところに立ったら、さぞお経が反響するだろうなと思いました。夫婦滝、雄滝の前には狭ご路も橋(さごろもばし)があって、ベンチになっているんですが、ここに座っているとエネルギーが集まってくるのがよく分かります。私がベンチに座っていると、後方の木々の方から御神気が立ち現れていきました(すぐに去っていくというか、消えていきました)。

 

雌滝

 

鼓滝

 

雄滝

 

 

 

天理の駅から桃尾の滝まで5キロくらいあるので、石上神宮はスルーしようかと思ったんですが、さすがにここにきてスルーはないだろうと思って、最初に立ち寄りました。ちなみに、私がディバックにつけている鈴は「布留部の御鈴守」といって、石上神宮のものです。なんというか、ご報告という意味もあったように思います。石上神宮の本当の神様は、隠されているというか、封じられているという感じがします。

 

神田神社

 

 

 

 

 

手水

 

 

 

出雲建雄神社

 

猿田彦神社

 

七座社

 

天神社

 

楼門

 

石上神宮社叢

 

石上神宮を後にして桃尾の滝まで向かうのですが、その途中の集落の神社に立ち寄りました。下滝本神社というのですが、ネット上でもほとんど何の情報もありません。民家の間を通っていくので、よほどの人でないとここまで来ることはないでしょう。ただ、ここはエネルギーが良かったですね。結構、感動しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桃尾の滝の入り口のところにある石上神社。石上神宮の元宮とも言われています。ここも強力でしたね。八つ岩で出会った男性がいて、とてもきれいな柏手を打たれたので、連絡先を交換して友達になりました(私の主観ですが)。その彼は私と反対側から上がって来たのですが、帰りに桃尾の滝まで来てくれていて再会、石上神社に参拝していました(私が勧めた)。ここで別れました。何か意味があったかもしれません。ちなみに、この方は神社仏閣を回られているらしいのですが、知り合いに聞かれたときに西国三十三所めぐりをやったらと勧めたら、その方が熱心に回られるようになったので、自分も回るようになったとおっしゃっていました。何とか巡りに興味がなさすぎて、知らなかったんですが、これは観音様をめくる旅なんですね。素晴らしい。

 

石上神社。

 

 

 

 

 

結構、神社を回っていると思うのですが、今まであまり体感したことがないエネルギーでした。

 

 

 

 

付近には石仏もたくさん。数えたわけではないのですが、不動明王もそれなりにあるものの、全体的にはお地蔵さんが多かったのではないかと感じました。

 

桃尾の滝は人が何人かいたんですが、着替えて滝行を数分間、行いました。着替えで戸惑ったりしていたのですが、慣れてくれば、もう少し違ってくるだろうなということは分かりました。この後、少し山の方に歩いて行っているときに、クラウンチャクラとハートチャクラが(物理的に)開いたなという感覚がありました。桃尾の滝に帰りに立ち寄ったときには、修験の行法の先導師が一般の方数人と滝行をなさっていました。あの気合の入った声を聞きながら、改めて違うんだよなあと私は思っていました(感覚です)。

 

おそらく、私も過去生ではそういった修行をやって来たと思います。ただ、今は厳しく律するというのが感覚的に合わないと感じています。そして、今は女性にも開かれているとはいえ(この日も女性もいらっしゃいました)、修験・密教系はもともとは男性が中心ですし、とても男性的です。修験の守護仏が不動明王ということは、私にも深く納得できるところではありますし、その功徳を否定するわけではありません。でも、同時にそうした厳しい滝行が、他方で瀬織津姫のような豊かな女神の力を(結果的に)封じて来たのではないかとそんな風にも思います。そういう魂レベルでの疑問を持っていたがゆえに、滝行に親近感を持っていながら、実は今生、滝行を本格的に経験して来なかったんです。

 

今回、女性の友人二人からの「滝」のキーワードだったので、すんなり受け入れられ、また行法も自分の思うままで、と言ってくれたので、修験・密教系の修行に参加しませんでした。それは間違っていなかったと思います。修験を開いた役行者が人々を救いたいと祈って現れたのが釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の柔和な三仏で、荒んでいる状況を救うのは難しいと考え、さらに祈念し、蔵王権現を感得したと伝えられています。そして、長い間、そういう蔵王権現や不動明王のような力が本当に必要だったと私も思います。しかし、これからは最初に現れた柔和な仏様のようなエネルギーが必要になって来る、と思っています。

 

桃尾の滝。

 

 

 

 

 

 

 

大国見山を目指し、さらに八つ岩まで目指します。大国見山の頂上のことはあとで書きます。大国見山から八つ岩へのルートは、山に慣れていない人は避けた方が良いです。普通に遭難します。少なくとも複数人で行った方が良いと思います(そして、眺望もそんなに良くないので、無理して降りて行かなくてよいと思います)。頂上から途中までは枯れ葉もそうなんですが、そんなに踏み跡がないところもあり、道として整備されている感じでもないので、容易に方向感覚を失います。木にテープが巻いてあるので(そして、有難いことにこれは結構短いスパンで出現します)、それを丁寧に見て行けば、道に迷うことはないのですが、途中でテープが巻いてあった木が倒れたりしていることもあるので、油断は禁物です。

 

大親寺

 

 

 

 

 

この標識からすぐ上だと思っていた私が甘かった。ここから意外とハードな登りです。

 

八つ岩の上。

 

八つ岩の上。

 

八つ岩は、私にはいまだに何かを封印しているように見えました。天理市が紹介している伝承によると、八つ岩と若宮が建てられたのは天武天皇の時代なので白鳳期ですね。八岐大蛇が何を象徴しているのかは分かりません。原田さんが動画の中でこの八つ岩の封印を解きに行った、ということで、結界を張ったので、あまり入らない方が良いと言われていたので、遠慮をしていたのですが、実はその動画が公開される直前にずっとここを調べて行こうかどうしようか計画を立てていたのです。ただ、動画の影響でいったんは行くのを中止していました。今回は桃尾の滝で浄めてからだし、私が行っても問題ないだろうと考えて、やって来たのです。というか、石上神宮が一向に明るくならないんですよね。ちなみに、ブログには書いていないですが、石上神宮には2025年10月26日に訪れています。

 

八つ岩。

 

ここからは大国見山の山頂についてです。山頂には祠と磐座がありました。祠の近くの岩には盃状穴がありました。それについては20年以上前ですが、この方たちの記録が詳しいです。森ノ宮神社の宮司さん、面白い方で、私も数年前、参拝したときにいろんな話を聞きましたが、こんなこともなさっていたんですね。

 

ただ、私が最初にここに来たときの第一印象は、ここの磐座は意図的に壊されているということでした。もう少し正確に言うと、ちょっと岩をズラして、マックスのパワーが出ないように、軽減しているという感じです。悪意的な意図ではないと思います。もともとは山頂付近全体が大きな磐座だったと思います。以前、星田妙見宮に上がったときにも感じましたが、ここは宇宙と繋がるようなスポットであった、というのが私の印象でした。でも、今は宇宙と繋がる場所にはなっていないと思います。何かの本で読んだんですが、力が強力過ぎて、悪用されないように、それを作った人たちが自らの力で壊したこともあったそうなんですが、ここはまさにそんなところかなと感じました。もしそうなら、余計なお世話ではあるんですが、ちょっと中腹のところで、エネルギー調整をしておきました。

 

ここまで書いた時点で気が付いたんですが、石上神社が(奥宮ともいわれる)八つ岩を遥拝する、今の石上神宮との中継地点にあるとするならば、下滝本神社は大国見山を遥拝する遥拝所だったのではないかと思いました。ここの起源や本当の名前さえ失われているようなんです。でも、それなら、あの神社が強力な力を持っていたことも納得できます。

 

岩の写真はランダムです(往きに撮ったやつと、帰りに撮ったやつが混じってます)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りに、大親寺を過ぎたあたりで、ふと横道にずれてみようと思いました。そうすると、その一帯はおそらく真言宗の龍福寺時代の僧侶たちの墓所のようでした。他のものは失われているんですが、墓所だけはそのまま残っているんですね。懐かしいかなと思って般若心経をあげましたが、プロの前であげるのはよく考えたら、恥ずかしい。。。ただ、名前は忘れてしまったんですが、この中の誰か一人が明確に私を呼んだんだなと思いました(柔和な笑顔で語り掛けてくるという感じでした)。どうやら、この付近を守ってくれるようです。ただ、どちらかというと、山頂付近ではない山の中腹より下のあたりというイメージでした。修行されていたからだと思うんですが、力のあるお坊さんたちもたくさんいらっしゃって、どうも彼らもこの地を守るのに力を貸してくれるみたいです。この相談?は私の役目だったなと思います。おそらく、どこかで他生の縁があったのでしょう。