前回、下鴨神社や上賀茂神社を回れなかったので、今回は再チャレンジです。下鴨神社に行こうと思ったのは、教え子の女の子たちに神社仏閣に行きたいと相談されていて、そのことをチャネリングしてもらったときに、下鴨神社とか二条城がよいと教わったからでした。彼女たちとは2月に行く予定だったのですが、一人の体調不良で延期になったので、今回は下見に来たのです(どうせ誰かを連れてきたら、ご神事に集中するのは難しいと思うので)。
下鴨神社ははるか昔に行ったことはあったと思うのですが、その頃は知識もなく、関東に住んでいたので、遠い京都の有名な神社の一つという印象で、あまり記憶にもなかったです。今回、下鴨神社を歩いた第一の印象は、瀬織津姫と玉依姫の神社ということでした。
瀬織津姫は唐崎社紅葉橋遥拝所に祀られていました。要は昔、存在していた唐崎社には瀬織津姫を御祭神としていたけれども、今はなくなってしまったので、紅葉橋から遥拝することにしている、ということなんです。実は私、この立て看板を読んだときにまったく、頭に入って来なかったんです。そして、この橋がどこかもよく分かっていませんでした(帰りに河合神社の帰りに渡りましたが)。ただ、この紅葉橋の目の前が川に降り立つことが出来て、そこら辺の水がとにかく澄んでいたのが印象に残りました。あとで拝殿・本殿を回ったあとに、井上社にたどり着きました。ああ、ここが瀬織津姫をお祀りしているところなんだなと思いました。ただ、私は入り口付近の紅葉橋のところの方が瀬織津姫を感じました。そして、ここで禊を済ませたので、手水をスルーしてしまった。。。帰りに気が付きましたが。
玉依姫については昔、まさよさんの女神カードをよく引いていたことがあって、そのときによく出てくる女神様だったんですよね。その後、高取山(神戸の長田の奥にある、六甲山の端っこです)にいったときに、境内にお稲荷さんとか、江戸時代から昭和にかけて、信仰が熱心だったころに建てられたのだろうなという祠がたくさんあって、その中に玉依姫を祀っているものもたくさんあるのですが、どれも荒廃していて力が落ちていたんです。それをいくつかのところで見ていたので「ああ、玉依姫様はここでこんなに大事にされていたんだ、良かったなあ」と安心しました。安心して、教え子たちのために挨拶に来たことを帰りの参道まで忘れていました。気が付いたときに「あ、これ本殿まで戻らなきゃいけないかな」と思ったら、笑いながら「大丈夫、分かってますよ」と「(いろいろなところで祈りを捧げ、エネルギーを送っていたことに対して)ありがとう」というメッセージ(声じゃなくて、エネルギーで来た感じです)が届きました。私にとっては神様も人間も同じなので、伝わってよかったなあという感じでした。
私が下鴨神社でもっとも印象が残ったのは出雲井於神社でした。下鴨神社が出雲系の神様をよく祀っていることは標記を見たらわかるのですが、ここの素戔嗚様も、他の大国主様も私はここでは感じませんでした。それどころか玉依姫と並ぶ御祭神、賀茂建角身命ともうまく繋がりませんでした。ただ、私が印象に残ったのは「出雲井於神社」という名前でした。そして、この名前は後で別の神社で再び見ることになります。
紅葉橋の下のところから撮った池。
この後ろに出雲井於神社があります。
出雲井於神社
横から見た出雲井於神社
御手洗池
井上社
下鴨神社を後にして、御蔭神社に向かおうと叡山電鉄に乗ります。八瀬叡山口駅に着いて、道を歩いていると、「九頭竜大社」の名前が何度か出てきました。神奈川出身の私には九頭竜と聞くと箱根なんですが、へえこっちにもあるんだと思いつつ、ここは行かなきゃという気持ちと、その後の歩く距離を考えると片道1キロはまあまあ躊躇する気持ちを持ち合わせて、向かいました。
九頭竜大社はものすごく御神気のあるエネルギーが良い場所でした。今思うと私の感覚が少しズレているんですが、こんなに気の良いところだったら、私が来る必要なくない?って思ってしまいました。とはいえ、九回まわるお千度参りとかのイベント的なものがあるとやりたくなってしまうので、やってみました。あとで調べたら、ここはいろいろな御利益を与えてくれる霊験あらたかなところみたいなのですが、私はそもそも自分が御利益に与かることに興味がほぼないので、正直に言うと途中で「これ、なんの意味があるのかな」と思いながら、回っていました。ただ、今思えば、あの場所に一定時間滞在することに意味があったのだと思います。要は神様からエネルギー・チャージしていただく必要があったんだと思います。
本殿の周りというか、私がすごいなと思ったのは御神苑。池のところが龍神様がお休みになるところなんですが、その先の立ち入り禁止の庭のようになっているところ(禁足地を維持)がとにかく清浄で、パワフルなエネルギーでした。また、帝釈天社の後ろの少し登れるところや旧本殿の小さな祠的なお社もすごく力がありました。ただ、どちらもこの後ろの山の方からエネルギーが流れてきているという感じだったので(そして写真を撮っていません)、今、地図で確認すると、奥は貴船や鞍馬なんですね。そちらの方からエネルギーがずっと流れている龍脈みたいなところなのかもしれません。ということは、ひょっとすると、貴船神社の龍神の御旅所みたいな機能を果たしているのかもしれません。混んでなければ、そりゃ貴船神社を推したいんですけどね。
奥に見えるのが本殿。
御蔭神社に向かいます。ここは本当にすごかったですね。私は裏手から入っていったので、途中から御神気が漏れている感じでした。さらに、鳥居をくぐると、そこで一つ空気が変わり、本殿の前に立ったら、また一段変わりました。身滌大祓を唱え始めたんですが、さらに大祓詞が必要と思われたので、大祓詞を唱えました。ここの御神気は本当にすごかったです。しばらく背中がゾクゾクする感覚が続いていました。
上の方から入り口
この鳥居をくぐると空気が変わります。
拝殿と本殿
そして、崇導神社に向かいました。どこだか分からなかったのですが、里堂も通っていました。Googleマップが紛らわしいんだよな。崇導神社は崇道天皇=早良親王の怨霊を鎮めるために祀られている神社ということになっています。ただし、私の中に来たメッセージは、長岡京ではなく、平安京、つまり今の京都の中心に都を持ってくるという高次の目的があって、いろいろな怪異を起こしていた、ということのようです。その意味は、平安京は神なる山々に囲まれている、というのが一つだろうと思います。とはいえ、私はまだ、平城京と平安京を深く知る、という段階にはいないようです。ただ、長岡京はなぜかダメだったんだな、とは思います。いずれ、長岡にも行ってみたいですが。
崇導神社の社務所で『崇導神社誌』を求めました。50年近く前に編纂されたものですが、重版は令和6年になっていました。これが古老の証言や学者の研究、あるいは学者の力も借りて、ちょっとしたアカデミックな資料になっています。ちょっとしたパンフレットみたいなもんですが、名著といってよいでしょう。
崇導神社には、早良親王が祀られる以前に、明らかに7世紀以前の出雲系、7世紀前後の小野氏の祖霊信仰の二つの系統が重なっているようです。そして、今は崇導神社の境内に再建された小野神社がもとは御蔭神社の場所にあったのではないか、ということも示唆されていました。私も実は、エネルギー的には下鴨神社と御蔭神社は違い過ぎていて、それは和魂と荒魂と言われれば、そうとも言えるんだけど、そうでもない気もするんですね。
ただ、この『崇導神社誌』だと、賀茂氏が徐々に力を伸ばしてきて、下鴨神社に取り込まれていくというような話ではあるんですが、賀茂氏ってもともと出雲族じゃないの?というのが私の率直な感想なんですよね。出雲族といっても、おそらく、津軽から下って来て、出雲にたどり着く前にこの山城地域に根付いた人たちもいるのではないかと思います。亀岡の出雲大神宮なんかもその関係かもしれません。他方で、賀茂氏はいったん、葛城に入ってから山城に来ているので、その意味では、出雲王国が出来てから奈良の御所に移動して、そこから京都に移って来たということでしょう。そうであれば、同じ出雲系とはいえ、そこには数百年のタイムラグが生じているわけで、そうであれば、昔、親戚でしたみたいに言われても、、、みたいなことはあったかもしれません。
『崇導神社誌』を読んでいると、出雲井於神社も大事ですね。外から入って来た人が、地主神を消さないで一緒に祀るというパターンで内藤湖南説が紹介されているんだけど、入ってくるタイミングが異なった同族だったとすると、ちょっと意味合いが変わってくる気もします。まあ、でも、今、一回では全部を解き明かすことは出来ないですよね。とはいえ、私の中では貴船・鞍馬から八瀬(昔の出雲郷・愛宕郷)は、大いなる龍脈であり、出雲王国と深い関係があったであろうと思っています。

























