「神仏の山吉野・大峯展」を後にして、私たちは東大寺に向かいました。この日のもう一つのテーマは平城京で、平城京を囲むようにして守護している東大寺と西大寺の両方に行くことにしました。
東大寺は、修学旅行の中学生がたくさんいて、人・人・人でした。外国人が多くて、と何度か言われましたが、いや、全然、日本人の修学旅行生の方がたくさんで、おっちゃん・おばちゃんたちが奈良といわれてイメージする姿でした。まあ、でも、修学旅行で、友達と騒ぐの楽しいもんね。
東大寺南大門を入ってすぐ左側に東大寺宝物ミュージアムがあります。ここで共通券を買うと、大仏のところで並ばなくてすみます。今、企画ものは『八宗兼学の寺』第4弾「鑑真和上と律・天台」をやっていました。私たちは、学校で天台宗を開いたのが最澄、真言宗を開いたのが空海と教わったように思いますが、実は最澄以前に鑑真和上によって天台の教えがもたらされていたということが分かる文書が展示されていました。
八宗兼学の学問寺というのは、日本の仏教の一つのあり方を方向づけている気がします。日本の仏教は少なくとも公式に輸入されたときから、権力に近いところにあったわけですから、当然のこと、派閥争いもメチャクチャあったわけです。そのことを私は否定も肯定もしません。そのような争いに勝つために相手方の中身を学ぶこともあるわけですが、それとは別に、自己研鑽のために、様々な宗派を学ぶということも、同時によく見られる現象でもありました。今回の企画はそれを感じさせるものでした。
五百立神社。東大寺を建設した職人たちを祀っています。羅漢だったという伝説があります。今は手向山八幡宮の末社になっているんですね。この神社の横を上がって行ったところに、鉄道職員殉職者の供養塔がありました。人がほぼ来ない静寂に包まれた空間でした。
東大寺の大仏というと、盧舎那仏をみんな想像すると思うのですが、実はその横には虚空蔵菩薩と如意輪観音がいて、その他にも廣目天と多聞天がいるんですよね。これもなかなか巨大でした。ただ、本当にベルトコンベヤーみたいに、人が流れていく、そんな感じです(笑)。
大仏殿を出たら、そのまま手向山八幡神社に向かいました。実は春日大社から帰り道にここに行こうと言われたのですが、東大寺を先に行ったら、自然とここも通ると話して、この順番にしたのです。ここは東大寺の鎮守社として、宇佐八幡宮から勧請されたようですね。私は拝殿・本殿のところはきれいなのですが、そこから左に降りて行った若宮殿、神楽所の建物、その隣の摂社群はやや寂れている印象でした。東大寺が観光、観光しているのに対して、ここはそれにあやかろうという感じもなく、のんびりとした時間が流れていました。
手向山八幡宮を出ると、法華堂に向かいました。ここから建物の写真がしばらくないです。というのも、どうしても仏像をメインに見ているので、そちらは撮影禁止で、迷いながら歩いていると、写真のことを忘れてしまいがちなのです。
法華堂は、東大寺の前身のお寺から続くいわば東大寺の原点ともいえるお堂です。そして、奈良時代から存続する兵火から逃れた仏堂ではここが唯一でした。不空羂索観音をご本尊として数体の仏像が護っています。ただ、Wikipediaの記事を見ると、ミュージアムが出来たことで、多くの仏像が移動しているんですね。千年を超える歴史の中で移動することは別にあることだとは思うのですが、やはり大事なものが失われた感はあります。私がここで感じた違和感は今、調べてみて分かりました。私は、日光菩薩と月光菩薩が隣にいると思っていたので、梵天像と帝釈天像をその二つと勘違いしたんです。見たら、梵天像と帝釈天像で驚きました。ただ、以前は一緒にいたんですね。ここの記事が参考になったので、記録代わりにリンクしておきます。日光菩薩と月光菩薩が薬師如来以外の脇侍を務めることもあるんですね。
不空羂索観音という仏様はあまり見たことがないなと思って検索したら、興福寺南円堂(これは通常公開されていません)と広隆寺にあるそうです。広隆寺は、つい3月に行ったばかりで、そのときは十一面千手観音に気を取られていましたが、たしかにそこに並ぶようにいらっしゃいました。広隆寺も国宝がゴロゴロしすぎていて、一つずつをゆっくり味わいきれてないですね。
二月堂は混んでいたので、スルーしました。そして、次の写真は行基堂と鐘楼、その裏には念仏堂です。念仏堂の地蔵菩薩は少しだけ覗けますが、パワーのあるお地蔵様でした。
降りていくところで、辛國神社。ここも東大寺を作った方たちを忘れないように祀られた社でしょうか。詳細は分かりません。
大仏殿の西側に移動していきます。目指していたのは戒壇堂なんですが、その前に指図堂に行きました。正直、一番印象に残ったのはここでした。というのも、お寺の方が親切に解説もしてくださったんです。なんかゆっくり時間が流れていますね。法然上人の御影が祀られているのですが、なぜ浄土宗が関わっているのかということで、宗派を超えた信仰の話を聞くことが出来ました。上で書いた八宗兼学についての内容は、ここで伺ったお話からインスピレーションを与えられているところが大きいです。
次に、戒壇堂に行きました。戒壇堂はそんなに広くないのですが、多宝塔のなかに釈迦如来と多宝如来が祀られ、四方を四天王が護るという形になっています。この四天王が国宝であり、天平仏像の最高峰の評価を受けています。私がここで学んだのは、東寺の五重塔で学んだ曼荼羅とは別の形での多宝塔があり得るということです。考えてみれば、お寺だってそもそもいろんな仏様がいて、いろんなお祀りの仕方をしているのだから、多宝塔や五重塔だって、いろんな方法があるよな、というのは当たり前ですよね。でも、そのリアルを学べたのがここでした。ちなみに、釈迦如来と多宝如来のペアは、たしか国立博物館の仏像館の方でも見ることが出来ました。
その後、時間がなくなって来たので、西大寺に行こうと思いました。ですが、興福寺の北円堂の公開がこの日までだったことに触れて(忘れていました)、急遽、行きました。そして、最初、国宝館に間違えて入ってしまいました。こんな感じで慌てていたので、興福寺は写真が一枚もない笑。そもそも興福寺は五重塔が修復中で2034年まではあの美しい姿を見せることはないんですよね。それにしても、興福寺ともなると「国宝」館なんですね。国宝でミュージアムを作れるとは。国宝館では、有名な阿修羅像と、私の中では木造千手観音菩薩立像が印象に残りました。ただ、ここも修学旅行生と一緒になってしまったので、ゆっくりと拝観というわけにはいきませんでした。
迷いながら、北円堂にたどり着きます。北円堂は割とゆったり観ることが出来ました。北円堂の内陣もやはり素晴らしく、弥勒菩薩を中心に、四天王が四方を守護し、四体の菩薩が脇を固めていました。国宝館と北円堂は、公式ホームページで仏像の写真が紹介されているので、リンクを貼っておきますね。そういえば、四天王寺の六時堂の工事はいつまでかなと調べたら終わったみたいなので、近々行ってみたいですね。
西大寺に移動しました。まずは石落神社。
東門
四王堂
本堂。
西大寺に奈良から移動してくると、観光の地から信仰の地へ移って来たという感じがしました。友人も私もこちらの方が居心地が良いように感じました(お互い過去生のどこかで修行してきた経験もあるんだと思います)。いろいろ検索してみると、拝観料を取ったり、通行を停めたりしたのも、最近のことで、そこには境内を改めて信仰の空間とする意図があったようです。振り返ると、現在の西大寺の信仰を作り上げたのは中興の祖である叡尊上人の影響が大きいことがよく分かります。
まずは四王堂からスタートです。四王堂は「西大寺はじまりのお堂」で、本堂よりも前に四天王を祀る四王堂が建てられたそうです。十一面観音菩薩像と香の匂いがとても落ち着く空間でした。時間が許せば一時間くらいはこのお堂に居そうなくらいでした。お堂自体は江戸時代のものだそうですが、四天王像は中世後期に再造されたものだそうで、邪鬼は創建された当初のもののようです。ここにはさらに称徳天皇の御影や行基菩薩像、道鏡禅師像もありました。道鏡像は2020年に奉納されたもののようです。道鏡は、教科書では悪者のように扱われているのですが、再評価を求める声もあるんですよね。
次に、本堂に向かいます。この本堂では5月10日まで特別公開の仏像画(タペストリー)を見ることが出来ました。圧倒的な迫力でしたね。この日にこだわって参拝したのはこれを見るためが第一でした。全然、知らなかったのですが、クラファンで資金を集められたんですね。また、釈迦如来、弥勒菩薩がいらっしゃり、さらに、私が驚いたのは、文殊菩薩騎獅像でした。安倍文珠院以外で初めて見ました。
三つめは、愛染堂です。愛染堂は叡尊上人の像があって、これが国宝になっているんですね。どういう基準で国宝が選ばれるか分からないのですが、たしかにお堂の中にあった他の仏様と比べても(秘仏の本尊はこの日は参拝できていません)、明らかに叡尊上人像のところのエネルギーが強いのは分かりました。
最後に残り10分くらいのところで、聚宝館に行きました。ここもこの日を逃すと、春の公開はおしまいなので、秋までまた待たなければなりません。ギリギリながら、なんとか見せていただき、いくつかある愛染明王像のうちのいくつかは実は伊勢神宮と石清水八幡宮(じゃなかったかも。伊勢神宮と有名などこかの神社だったんです)の神様の本地仏で神・仏両方を重んじていたという説明もお伺いました。
あとで、叡尊上人を調べてみると、本当に今につながる信仰を作ったのはこの方だったことが分かります。それは真言律宗を作ったこともそうですが、真言密教(光明真言)化や文殊菩薩信仰、聖徳太子信仰もそうです。私にとってはこんなに自分にピッタリな運動がかつてあって、その法灯が護られ続けていることに、不思議な感覚でした。驚いた、と書こうと思ったんですが、驚くというよりは、自然に受け入れられた感覚もあったので、言葉にするのは難しいですね。
最後に向かったのが平城京跡でした。今、ここは建物を復元しているんですよね。実は、友人が近畿五芒星めぐりを5月の最初に終了させたことを聞いていたので、ぜひこれは平城京に連れてこなければ、と思っていたのです。私自身は、元伊勢、熊野、伊弉諾神宮、内宮に加えて、飛鳥京はいったので、伊吹山と平安京もいずれ訪れて、その後、また平城京に来たいなと考えています。そして、この日は、朝から夕方まで雲が一つもありませんでした。そんなことってあるんですね。不思議な一日でした。
遠くに見える朱雀門。






















