一見無謀とさえ見える作戦ですが、これには合理的な理由があります。
<イギリスの事情>
◯対EU交渉
EUから離脱した以上、EUとの貿易交渉は何があっても避けられません。また、当然ではありますがイギリスにとってEUは貿易総額の約6割を占める最大の貿易相手であり、地理的にも政治的にも最重要交渉相手となりますので、EUに対して不利な条件を押し付けられないことがイギリス通商政策にとっての最大の課題と言えます。
イギリスにとって最大の市場はEUですが、EUにとって最大の市場はイギリスではありませんから、英欧FTAの重要性はどうしてもイギリスの方が重くなり、EUの方が交渉で強気に出やすくなります。そこでイギリスとしてはEU以外の市場を開拓し、EU市場の比重を下げることで対等な交渉に臨もうとしているのです。
◯サプライチェーンの拡大
今回のコロナショックにより、特定国(特定市場)に商品の供給を依存しすぎるとそこからの供給が止まった際に深刻な影響が出ることがハッキリと示されました。日本も国内生産の増加を図るべく政策を進めようとしていますが、全ての商品を100%国産にするというのは現実的ではありませんので、国産化を進めつつ、輸入先の分散化を図ることが重要になってきます。
イメージとしては下記の通りです。
・コロナショック前
国産 30
中国産60
その他10
・目指す姿
国産 50
中国産 20
マレーシア10
インド 10
その他 10
(国は適当です)
こうして有事のリスクを下げるために商品の供給先を分散するには、特定国(特定地域)のみと関係を深めるのではなく『広く浅く』付き合いを進めていかなければなりません。また、『浅く』とはいえ供給国側も付き合い(FTA/EPA)がある国と無い国では、世界的に供給が途絶えそうな際には付き合いのある国との取引を優先するでしょうから、『どこともFTAやEPAを締結しない』というのもまた現実的ではありません。
日本とのFTAはTPP11へ繋がるとイギリスの国際貿易相が声明を出していますから、広域の貿易圏とFTAを締結することを意識していることは間違いないでしょう。
<日本の対応>
◯イギリスの声明
イギリスとしては日欧EPAを基軸にしつつ、繊維や衣料品の製造業者、専門家や金融サービスのプロバイダーの規制緩和を求めるようです。さらにTPP11への加入も睨んでいることから、TPP11も日欧EPAの内容に近づけるよう動くことも視野に入れているかもしれません。
プロバイダー(電気通信の分野)においては日欧EPAはTPPより踏み込んだ内容になっており、金融分野においては日欧EPAでは『日欧合同金融規制フォーラム』の設置が決められました。
イギリスが日本との通商交渉で具体的に何を要求してくるかは不明ですが、プロバイダーはともかく金融立国であるイギリスと金融分野において合同フォーラムを設置するというのはやや不安に思うところはあります。
なおTPPでも日欧EPAでも社会保障制度全般や公的年金制度、中央銀行による為替介入は対象外となっておりますので、そこについては心配は無用です。
◯日本のメリット
過去記事[イギリスがTPPに加入した場合の日本への影響]にも書きましたが、イギリスの自動車市場はEU域内(かつ非自国)が圧倒的シェアを占めており、10%の関税がかかっている日本車は10%程度のシェアとなっていますので、関税撤廃による輸出拡大が期待できます。
イギリスの事情を鑑みても日英FTAの重要性が高いのはイギリス側ですので、そうそう日本に不利な内容での妥結にはならないと期待したいところです。
<多正面交渉>
実は日本も今多正面交渉を行おうとしています。過去記事[南米4カ国(メルコスール)とのEPAを政府が検討]にも書きましたが、日米貿易交渉において「アメリカが無茶を言うようならブラジルから牛肉を輸入する(ことでアメリカからの牛肉輸入を減らす)ぞ」とアメリカの牽制のために他のEPAを利用するわけです。
逆にアメリカが米韓FTA署名後にTPPへの参加を表明したように「立場の強い側」は多正面作戦を取らず、順々に取り組む傾向が強いです。(TPP亡国論の著者が「韓国は米韓FTAとTPPを天秤にかけて前者を選んだ」とデマを流していましたが、米韓FTAの署名は2007年でアメリカのTPP参加表明は2008年なので韓国に選択肢はありませんでした)
イギリスはEUを離脱し、移行期間があるとはいえ経済的に孤立することになりますので、既存の経済圏への「後発参加」を強いられる立場にあります。日本にも関係のあることですので、注視していきたいと思います。