こんばんは。
後藤 眞由美です。
本気で自分とじっくり向き合う事を決意し、振り返りを綴っています。
時々出てくる、まゆこ とはこの人のことです。
登場上人物は、仮名の場合もあります。
前回の、話はコチラ㊽箱入り娘⁉︎
母の過保護っぷりを、優しさと勘違いをしていたことに、気づいた私。
さらに子供の頃を振り返ってみると、母の小言は、私に厳しくしているようで、母自身が自分を守るためにしてたことにも、気づいてしまった。
母にとって、子供を自分の思い通りにするのが、しつけと勘違いしてしまったのでしょう。
冷え性の母は、私に寒い思いをさせては大変と、ズボンを履かせ、厚着をさせてました。
そういうわけで、子供の頃、真夏を除いて、ほぼズボンを履かされていた私。
ある日、スカートを履いた私は、バレリーナのようにくるくる回ってスカートのひだを広げ、
『こういうのが、履きたかったの。』
と、大喜びしたそうで!
よっぽどスカート、履きたかったんだろうね。
また神経質な母は、
エスカレーターの手すりに触れないこと、
スーパーのビニール袋の下にある、濡れ布巾で指を湿らさない事、
温泉場に行ったら、湯桶は使わない、椅子には座らない、
と教えられました。
母は、黄色が大嫌いで、
私の服や持ち物には、黄色がなく、通学帽子と傘の黄色以外、身につける事はありませんでした。
環境とは恐ろしい者で、次第に私も、服も持ち物も、黄色を選択しなくなりました。
母が寒けりゃ、私も寒い。
母が汚いと思うものは、私も汚いと思う。
母の嫌いは、私も嫌い。
そんな風に、育っていったのです。
もしかしたら、母は、過保護にすることでしか、愛情を表せなくなってしまったのかもしれません。
そして、いつしかその愛情が、支配に変わっていったのかも・・・。
母を攻めるつもりでもなく、一般的にこんなもんだと思う。
それが、ある種の守りでもあるのでしょう。
母は、こうするしか、自分を守れなかったんだよね。
母も、同じように育ったのかもしれない。
体の弱かった母が、子育てと、住み込み見習い職人の世話、家事をして、本当に毎日頑張っていたのです。
叱る役目をする父が、怒らない人だったので、母は、父の役目も果たしてた。
母は、小言を言うことで、きちんとしたしつけをしてると、勘違いしてしまってた。
優しさと勘違いして、怒ることが愛情になり、
しつけを勘違いして、思い通りにする支配に、化けてしまった。
自分も子供達に、同じようなことを、してるな・・・。
だから、母の気持ちがわかるんだね。
我が子が大好き故に、愛情が支配に・・・。
紙一重だね・・・。
つづく㊿母から物理的に離れる時
。・゜・・゜・。。・゜・・゜・。
まだお読みでない方、覗いてみてね。
後藤 眞由美ってどんな人?
本気で自分とじっくり向き合う事を決意し、
振り返りを綴っています。
幼少期から結婚までの
25年間を向き合った全50話
【向き合う旅〜まとめ〜】
振り返りの中で、一人の時間が好きなことに、気づき、更に掘り下げていった10話
『一人の時間が好き 〜まとめ記事〜』
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