アーカイヴス その13 NHK-FM「リクエスト・コーナー」の思い出 | やせっぽちのヒロシのブログ

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趣味は国際交流?(笑)。

今回は懐かしいラジオ番組についての回想です。

 

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6:00P.M.の時報が鳴る。
ビリー・ヴォーン楽団の「真珠貝の歌」のメロディがゆるやかに流れ、

「あの歌、この曲、新しいリズムに、懐かしいしらべの数々....」という淡々とした口調で始まる「リクエスト・コーナー」という番組が昔あった。
NHK-FMで毎週日曜日夕方6時~7時までの1時間、1970年代から80年代前半まで、家にいるときは(と言うか、なるべく外出しないようにして、あるいは早く帰宅して)ほぼ毎週聴いていた。

とにかく、ただひたすら曲名とリクエストした人の名前を告げ、添えられたメッセージやその曲の最低限の資料を紹介する。
そして後はできるだけ多くの曲を(それもノー・カットで)かけることに時間を費やす。そんな番組だった。
その語り口があまりにも無感情で温かみが無いかといえば、決してそんなことはなく、短く淡々としたしゃべりの中にも、リクエストハガキの主や聴取者への気配りも垣間見えたし、何よりも一つ一つの曲のデータをきちんと紹介してくれたので、それらは僕の頭の中にインプットされていった。

大まかに分けて、企画物の週と、「ポピュラー・ヒット・パレード」の週とが、交互にあった。
企画物の方は、その都度テーマがあって、1ヶ月くらい前から予告し、リクエストを募っていた。大体季節に合わせたものが多かったと思う。
こうしたプログラムでは、自分にとっては原体験のない、過去の名曲を随分教えられたものだった。
梅雨の頃には必ず「オール水物大会」という特集があり、「雨」の歌は勿論、「涙」「川」「水」などがタイトルにつく歌をかけまくったものだ。
僕の「Songs For A Rainy Day」という雨の歌ばかり集めたカセット(現在はSpotifyでのPlaylistに引き継いでいます)も、この時のプログラムからの影響が大きい。

 

一方で、ポピュラー・ヒット・パレードの週は、主にアメリカのヒット・チャートから、急上昇している曲や、勿論リクエスト・ハガキの多い曲などを紹介していた。
日本で発売前の曲や、発売されない曲も、輸入盤のシングルを取り寄せたりして、次々にかけてくれたものだった。
多分それがクチコミで伝わり、多くのチャート・ファンがマニアックなリクエストを寄せていたように思う。
それも嬉しいところは、曲を紹介し、かける迄に必ず1秒くらいの間をあけてくれたこと。そしてフル・コーラスでかける。
当時放送はモノラルだったが、僕達エア・チェック派(死語ですねぇ)にとっては大助かりの配慮だった。
実際、普段はFENでしか聴けなかったような珍しい曲、具体的に言えば1974年のPaper Laceの"The Night Chicago Died"のように当時日本盤が出なかった曲も、しっかりカセットに収めることができて、ヒット・チャート・オタクとしては大満足だった。

番組自体は、途中でステレオ化され、またNHKの局アナであった石田氏は定年退職し、NHK専属として担当を続けながら、1984~5年くらいまで続いたように思う。
その後は何年かヒット・チャートを中心とした同局の番組を平日夜に担当されていた時期もあったが、ぼく自身があまりヒット・チャートに熱心でなくなってしまったため、ほとんど聴くことはなかった。

また石田氏は局アナ時代、平日の夕方、NHK-FMの東京ローカルでも週1で番組を担当。そちらは映画音楽中心のリクエスト番組だったが、「リクエスト・コーナー」よりはややしゃべりが多かったものの、やはり「はじめに曲ありき」という姿勢を貫かれており、聴いていていつも心地良かった。

昨年友人と何かのライヴを見た帰りに、何故か「リクエスト・コーナー」の話になり、そういえば石田さんはどうしただろうと気になりはじめ、実際某SNSのコミュの中でトピックをたててしまったことがあったが、結局判らず終い。
それが、先日ふとしたことから、ある方の記事の中に「リクエスト・コーナー」にまつわる話が書かれていたのを見て、そこで氏がすでに故人となっていたことを初めて知った。
地味な人だったので、亡くなった時も新聞には載ったりはしなかったのかもしれない。
でも、僕や洋楽好きの友人たちのように、沢山の音楽的恩恵を受けた人たちにとっては、石田豊という名前と「リクエスト・コーナー」という番組は、いつまでも感謝とともに記憶の中に残り続けるに違いない。

ところで、石田氏と共に思い出すのは、当時のリクエストの常連さんたちの名前。中でも「サンシャイン・スーパーマン」さんとか「のっぽのサリー」さん「朝焼けの仮面ライダー」さんのように曲名やアルバム名をそのままペンネームにしておられた人達は忘れられない。僕も一時期「悲しみのセバスチャン」なんてペンネームでハガキを送っていたことがあったっけ(爆)。
たしか「のっぽのサリー」さんという方は、当時千葉県安房郡の療養施設にずっと入院しておられたことを、別のリクエスト番組で偶然知ったことがあったけれど、今もお元気でどこかにリクエストを出しておられることを願いたい。

 

2006年9月21日 記

 

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今回改めて検索してみたら、当時の番組から石田さんの語りを中心にYouTubeに上げている人がいました。懐かしいです。

 

また横浜の放送ライブラリにはこんな3回にわたる番組が残されているようですが、

石田豊さんが自身を語るトーク、是非とも聴いてみたいものです。