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『虎に翼』の原爆裁判 -今も放射能デマをバラ撒く輩-

『虎に翼』はその時点でのメインテーマ以外の部分は雑で、
先週、今週でいえば、原爆裁判とは別のテーマを数多く平行させているのに、
説明台詞だけで終わらせていたこともしばしば。

おそらく、裁判前の準備手続などの描写は退屈でドラマ向きではなく、
ただ、脚本家をはじめとするスタッフは、
どうしても、原爆裁判の現実を描きたかった。
だから、主人公の更年期症状や姑の認知症、その他諸々の描写を
原爆裁判にだぶらせるようにしたかったかのでしょう。
それでも、できもしない風呂敷の広げ方など作劇の雑さは目に余りますが。

あらためて、原爆裁判について勉強する機会になったかと思います。
そもそも、判決文以外、
この歴史的公判に関する記録というものが残っていません。

相次ぐ報道を記憶されている方もいらっしゃるかと思いますが、
ここ数年、最高裁を含む全国の裁判所で、
訴訟記録が大量に廃棄されていたことが判明しました。
どうやら、原爆裁判の記録もそこに含まれていたようです。
ドラマでは、民間団体の記録を参考にしていたようです。
一次資料がないというのは、残念であり、
裁判所はもっと批判されるべきかと思います。

主人公のモデルである三淵嘉子氏は、
1955年から8年に及ぶ原爆裁判で、
第1回から担当し続けてきた唯一の判事でした。

彼女はこの裁判について、息子にすら何も語っておらず、
それは、彼女が職責として、秘密を守ったということなのでしょう。
裁判長・古関敏正氏、裁判官・高桑昭氏、三淵嘉子氏が
判決文を作製するにおいて、どう協議したかについては完全に秘密です。
劇中のような会話があったかどうかはわかりません。

 

 

 


ただ、あの判決文は実際の原文をなぞっていて、
当時から主文を後回しにして読み上げた要旨に、
司法府としての立法府と行政府への要請を織り込んだ
三氏の判断は見事だったと思います。
今でこそ、主文を後回しにする判決も時々見られますが、
この頃が始まりだったのでしょうか。

 

竹久夢二「童話」

 

ところで、原告本人の尋問のために原告の一人が上京するという部分がありました。
これも創作だったようで、実際は原告代理人が尋問の請求を行っていたものの、
実現しなかったというところが事実のようです。
理由は不明です。

仮に出廷していたとしても、たいへんなことだったろうと思います。
ドラマでは手紙を代理人が代読するという形になっていましたが、
当時には被爆者に対する差別意識が根強かったのでしょうから。

「ピカちゃん」「ピカがうつる」
原爆被爆者はこう言われて差別されてきました。
放射線障害は遺伝しない、感染症のように伝染しないことは明らかで、
それは、広島と長崎の被爆者の尊い貴重な医学データで確認されたことです。
しかし、今もまだ、非科学的な主張をする輩もいるようです。

デマ屋で活動家の鴨下全生のアカウントですが、

 

 

レジ袋で鼻血を受けながら歩く子ども
避難所でよくある光景


被曝は遺伝しない(遺伝的影響は起こらない)とか、素人が何の責任もなく言い切り、メディアが載せる
こんな断言は当然科学的ではない


などと言っています。
これは、広島と長崎の被爆者や二世、三世を侮辱する主張で、
デマ屋の中でもかなり悪質です。

こういう使い古されたデマを今さら出してくるあたり、
こいつの裏には、相当年配のデマ屋がいるのではないでしょうか。

鴨下親子は事故後、放射性物質が拡散される前に避難しており、
しかも、放射性物質の影響がなかったいわき市から逃げています。
避難当時は仕方ないにしても、1年もすればわかったことを、
今も被害者面して加害者であり続けています。

 

どこの避難所にそんな子どもたちがいたのかなど、

求められた説明には答えません。

そもそも、彼らはどこの避難所にもいなかったのですし。

父の祐也は、福島原発被害東京訴訟原告団の団長らしいのですが、
この息子をデマで矢面に立たせ続け、
炎上による袋だたきにさせているあたり、
親としての神経を疑うのですが、いかがでしょうか。

母の美和は伊方原発運転差止め広島裁判の原告ですね。

親として、息子が炎上しているのはどうお考えでしょうか。

政治家にも科学を無視した輩がいて、

 


日本共産党は放射能デマの発信源にもなっているのでした。