はじめまして小学生の2人兄弟を育てています。日々思ったこと考えたこと、感じた独り言を綴っていきたいです。2025年は、思考を言語化してより自分を理解し自分が望む自分自身になれるように行動していきたいです。
見ている先は同じはずなのに交わらない想い。気持ちが落ち着かなくモヤモヤしんどいのでブログを書くことにした。ASD長男のことで先日担任と話し合った。何回話し合ってんだ・・・今年度は試練の年だった。まだ終わってないけどそう思う。話しても話してもなんで通じない?それが先日じっくり話したことでなぜ通じ合えないのか分かった気がした。それは先生のなかで先生なりに信念がありそれを曲げることはしない。そういうこと。これをされると私はしんどいこどももしんどい。そう伝えた時このやり方は私(先生)がとても大事にしていることなので思うところはあるかもしれないけれど続けます。変えません。どんな提案を我々がしてもそれは違うと思う。それは別の子の真似をしただけ他の子はこれで出来ている他の子と違う違うからこそ特性に合った支援をするのが支援級なのでは?そう思ったけれどこの先生に悪気はない。でも信念を変えてまでなにかを変えることはしない。つまり変わらないってことだ。話の中で先生も去年のやり方の方がこの子には合っていたけれど今年度は自分のやり方でやります。とのこと。これはもう話し合っても変わらない。交わらない。そう思った。それがわかるまで頑張って頑張って疲れたー変わらないことを変えようとするのはもうやめよう。今年度は割り切って自分たちの対応を変えていこう。そう実感できるまで時間はかかったけれど学校外でわかってくれる人もいるんだ。これに気づけて次のステップにつながったからまたひとつ学びになった。そう想おう。でもやっぱり交わらない想いっていうのは悲しいもんだなまぁ…いっか
子供にちゃんと挨拶しなきゃちゃんと大きな声で返事しなきゃちゃんとしたかっこうちゃんとした姿勢ちゃんとした態度ちゃんとさせなきゃそう思うのやめた。親の言い分「挨拶をしよう」「返事を元気よくしよう」その他もろもろ何年も伝えた。できなければ「なんでさっき挨拶返さなかったの?」「つぎは元気に返事しようね」もうできることやれることはやった。でももう終わりにしよう。伝えてそれをするかしないかそれは子供にゆだねよう。ちゃんとできてなくてもまぁいっかちゃんとしてない子の親そんなふうに思われるのが怖かったでももうどう思われてもまぁいっか
専業主婦のわたし上の子が小学生にあがるまでは二人のこどもを保育園に入れて仕事をしていた。夫がまた転勤になり転勤先でこどもが不登校になりそこから専業主婦時代 突入。思い返せばASDがある息子を理解がある保育園で預けパートをしている時代が一番イキイキしていたようにも思う。ただ振り返ってみればいまの専業主婦時代も自分なりに子供と向き合って付き添い登校送迎 遅刻早退の対応学校との面談 こどもの通院付き添い(持病あり)対応をするなかでさまざまなことを学んだように思うし成長したこともあると思っている。こどもが二次障害になり付き添い登校はじめは30分だけの滞在から紆余曲折してやっと学校に通えるまでになった。わたしが専業主婦を選択してもやっていけるくらい夫が稼いでくれていることにも感謝している。いまの夫の仕事の忙しさでわたしもフルで働くことは現実的にもわたしのポテンシャル的にも難しいと思う。ほんとうはまわりみたいに仕事をしてバリバリ稼ぎたいきもちもある。自立したいと思う。けれど必要な時間だったと思う。やっと落ち着いてきた。急には無理だけどそろそろ少しずつ自分らしい働き方を考えて少しずつ行動していきたい。自分で決めたこと。辛いことも多かった。下の子みたいにスムーズに学校に通ってくれたらと思うこともあった。なんでこんなに大変なんだと夫とぶつかり合うこともあった。こどもの学校で泣いたり家でこどもとぶつかって泣いたり迷ってみたり失敗したりそれでもここまできた。今もいろいろあるけれど長い目で見れば前に進んでる。立ち止まったりすこし戻ったりしたけれどすこしずつ進めている。落ち込んだ後は楽しいことを見つけて前向きに明るく進みたいな。
ほんといろいろある。ASD息子学校でまぁまぁ問題児というか扱いにくい子。日々いろいろある。そのたび落ち込んだり周りへの影響で不安になったりする。最近は迷惑かけたら謝って対策を話し合って落ち込んで負の部分を受け入れて前に進んだら今までにない良い面での成長や躍進があり...結構へこむマイナスな部分もあるけどけっこうすごいプラスな部分もあって波乱万丈な息子の生きざまを見て大人になったら自叙伝10冊くらい作れるんじゃないかなと思った今日この頃。
「こころの境界線」を意識すること。それはじぶんの心を大切にすることに繋がっていると感じている。子育てをしていると子どものトラブルで頭を悩まされることが多い。そのたびわたしの心はおおきく浮き沈みする。特に発達障害があり支援級に在籍している長男は、小学校の中学年になってからトラブルや癇癪が増えてきた。毎日の送迎時に先生から聞く報告の割合はネガティブな報告70%ポジティブな報告30%というような感じ。思春期にさしかかったことも影響しているように思う。先生とのあれもちょっとね。。。そう想いたいだけかも・・・報告を受けるたびわたしの感情と、息子の感情を落ち着いて分ける。わたしが感じた感情「そんなこと言ったら悲しい」「椅子や机を倒したら嫌だ」「ネガティブな報告は落ち込む」「前も注意したのに!イライラ」息子が感じた嫌な感情起こした不適切な行動「そんなことをしたらわたしは悲しい。」と伝える。そして息子のその時の感情に寄り添う。具体策を話し合う。少しでも次回に生かせるようにそれを学校とも共有する。その繰り返し。悲しいことも落ち込むこともあるそれも受け取りつつまえに進んでいこう。息子よなんだかんだ成長してるぞ~
じぶんの考えや想いを「さらけ出す」「排出する」「吐き出す」どの言葉がしっくりくるだろう。想いを吐き出すことをよくするようになった。具体的には、・気持ちを紙に書きなぐる(笑・悩みをはなす・パートナーに気持ちを伝える・周りに悩みを共有するめんどうだけど吐き出した後びっくりするくらい頭の中がクリアになる。ぐちゃぐちゃの本棚が整理整頓された感じ。また自分の気持ちに気付くようになった。気付いたからってなんなんだ?と思っていたけれど気づくことが大切なんだと気づけた。アウトプットを習慣化していきたいと思った今日この頃
今まで自分はちゃんとしてないからちゃんとしなきゃコミュ力があの人より低いから人とたくさん関わって頑張って仲良くしなきゃあの人みたいにバランスがとれた性格じゃないからもっといいひとを演じなきゃそんな風に思っていた。けどカウンセリングを受けるようになって自分の感情を頭で考えないで感じるようになってから気づいたら少しずつ少しずつ無理しなくてもいいかちゃんとしてないけどしんどいから無理するのやめるかそんな風に思ったり行動できるようになってきていた。急に変わったんじゃんなくて少しずつ少しずつ変化してきていてカウンセリング中に自分が気づけばそんな無理しない姿になってきていることに話しながら気付いた。ちょっと嫌な人になったかもとかそんな風に思ったこともあったけれど 人からどう思われるのか気にしすぎなくなってきた。今までできるだけ人に好印象に見られるようにそんな行動をしていたけれどその反動で疲れて家で嫌な態度が出ちゃったり自己嫌悪することがなくなってきた。自分が望んだ方向に進んできていてなんだか嬉しいな。
ASDの息子の今学期の担任の先生。とても熱心で発達障害のことも勉強していていろいろと試みてくださっている。その部分にはとても感謝しているしいろいろな工夫も学びになっている。だけど・・・息子と相性が悪い。すべてではないけれどしていることが息子には合わず荒れる・・・・。家でも習い事でもそうならないのに学校では何かと起こる。学校という人が多い場所というのも不安定になる一因でもあるのですべてが先生のせいというわけでもない。ただ相性ってあるんだろうな。それに私自身も先生の発言や行動にひっかかることもありここ何か月かモヤモヤしていた。けれど自分が引っ掛かっていた対応については先生に共有して改善してもらえたし相性ばかりはどうしようもないと割り切って今年度は早退やお休みも入れつつ休憩を入れながら過ごしていこうとやっと思えるようになった。とりあえず家でできるサポートをコツコツ進めていこう。
気づいたら9月・・・あっという間に夏休みが終わったような。夏休みが始まった当初は長い夏休みが始まったなぁとしみじみしていたのに気づけばあっという間に終わった。勉強、プールに帰省や海水浴自然体験もりもりの夏休みがおわったように思う。今学期の途中5月~夏休みまではASD息子と先生との相性が合わずしょっちゅうトラブルの電話がかかってきてこちらも精神的に参ってしまった。夏休みのおかげで自分の心の休息もとれてこの長期休みに私自身も救われた。夏休み明けからは無理しないペースで通わせよう。そうすると下の子がずるい、僕も休むというので(そりゃそうだ)その気持ちも受け止めつつ下の子は褒め褒めでたまに二人時間作って見守っていきたいな。それでも一日も休まず頑張って行ってるんだから不平不満も聞いて受け止めていこう。よく頑張ってるよみんなね👍
久々のブログ。ASD息子・・・ちょいちょいトラブルちょいちょいトラブルに少しずつ自分へのダメージが蓄積。最近こころがザワザワしている。ただ今までと違うのは相談先が複数あること。夫ともしっかり話し合えていること。トラブルを対処するために自分たちから働きかけてること。確実に過去の自分より成長している。それに感情だけじゃなくそのトラブルの本質をとらえられるようになってきたこと。前に進んでる。ただ、やっぱり落ち込むときは落ち込むよね。しっかり落ち込んだら勇気を出して進んでみよう。そんなことを思っている今日この頃。
先週、息子たちが通う小学校で運動会が行われた。下の子は初めての運動会。上の子は3年ぶり?の運動会だった。ASDがある上の子が低学年の時に二次障害になり不登校を経験した。そこから紆余曲折いろいろなことがあった。あのどん底の時から今回の運動会の姿は想像できなかった。別室登校からはじまり毎日付き添い少しずつ学校にいられる時間が増えた。それでもうまくいかなくなって学校以外の場所を探したり通ってみたりしたけれどやっぱり小学校に戻ってきた。時にはお互い泣きながら子供と言い合う時もあった。結局なにが正解なんてわたしにはわからない。だけれどもその時その時で最善を尽くしてきたとおもう。最後は本人の頑張りと周りでサポートしてくれた先生方、支援級のお友達のおかげ。いろんな思いがこみ上げてくるそんな運動会で泣けた運動会だった。息子よく頑張った。下の子もはじめての小学校。はじめは緊張しっぱなしで恥ずかしがり人見知りな部分もあるから心配もしていたけれど一生懸命とりくんで気づけばなんだかんだと楽しめ始めている。本当によかった。きっとまだまだいろいろあるけれどこれはこれで本当に良い運動会だった。
今月も月に一度のカウンセリングに行ってきた。今回は自分自身の幼少期を振り返った。小さい頃のわたしはどんな気持ちで日常を過ごしていたのかいろんな質問を投げかけられた時質問によってはなぜだかわからないけれど涙がこみあげてくることがある。すごくこころが熱くなる時がある。その気持ちこそが過去自分が自分を守るために感じようとしなかった本当の感情なんだろうと思う。その気持ちに気づけてじんわり体が不思議な感覚になった。それを感じたからといってすぐに何かが変わるわけでは無いけれど自分と少しずつ仲良くなれているようなそんな気持ちになった。
新学期はいろいろあるよね。と思った話。息子たち、新しいクラス新しい担任順応するべく日々頑張っているのがよくわかる。上のASDがあるお兄ちゃんもさっそく新学期早々ちょっとしたトラブルがあり先生から連絡があったり。下の子は下の子で新しい学校という環境に慣れるのに精いっぱいという感じ。5月のGW明け多少の行き渋りがあったものの二人とも頑張っている。下の子のストレスサインとしては・体臭が強くなる・イライラしがち・おならが増えるということがあるのでそのストレスサインが出てきたらできるだけ家ではのんびりさせて休みの日は自然の中で思いっきり体を動かすのがストレス解消につながっている感じ。上の子のストレスサインは・イライラしがち・情緒不安定 すぐ泣く・食欲が落ちるなので下の子と同じで平日は家でのんびり過ごし休みの日は自然の中で家の植物のお世話をしたり昆虫観察して過ごしたりゲームをしたりするのがストレス解消かなと同じ男の子兄弟でも性格はちがうのでそれぞれのストレス解消法で乗り切れたら嬉しいな。GWもたくさん動いたので親のほうが筋肉痛になってしまった。でもすこしずつ落ち着いてきているのでやっと一息つけてきた今日この頃。
就学前相談も終わり無事に卒園式を迎えた。その前には1泊2日で年長さんだけのお泊り合宿もあった。事前にいろんな練習をした。そのかいあってか無事にお泊り合宿も終わり卒園式を迎えることができた。卒園式ではもう序盤から号泣。無事に卒園できたことの喜びといろんな出来事が走馬灯のように思い返されて本当に自分を子供が育ててくれた 私自身が息子に成長させてもらえたそんな日々だった。素晴らしい保育者の先生方にも感謝でいっぱいで最後の最後まで愛情がこもった卒園式だった。卒園式が無事に終わり次は学童と入学式。事前に学校とは息子のはなしをしていたので入学式前日に先生と顔合わせをの時間をいただき入学式の流れを実際体育館で練習させてもらった。これは本当にASDの子供たちにとって大切だと思う。学童にも事前に先生たちと顔合わせや少し短時間いさせて場に慣れる練習をしておいた。学童の先生たちにも息子の情報を共有して理解してもらえるように努力した。その成果はあったと思う。そのおかげで無事に入学式も問題なく出席することができた。本当に良かった。小学生になった今も毎年度先生が変わるので年度が始まる前に必ず担任になる先生と顔合わせをする日を設けてもらっている。それは息子にとって安心材料になっているためこれからも続けていきたいと思っている。長くなったけれどこれでいったん我が子は発達障害の幼児期の振り返りは終わろうと思う。当時を振り返って反省もあったり あらためて大切に思っていることを認識できたり今と比較して思うことに発見があったり。自分にとって振り返られて良かったなと思えることがいろいろあってすこしずつ息子の障害受容が進んでいるように感じる。振り返って胸がぎゅっと苦しくなる場面もあるけれどプラスがあればマイナスもある山あり谷ありでだからこそ人生って面白いんだろうなとそう思えるようになってきた...かな
今年になってとくに自分以外の誰かそれは自分が知っている人でも知らない人でも自分以外のだれかのために何かをしてみようと思うことが増えてきた。自分さえ良ければみたいなものが少しずつ薄れてきて自分がした行動が結果だれかのためになるとなんとなく気持ちが良い。そんな感じ。今年からついにアラフォー。そんな行動をとるのがなんとなく遅いような気もするけれど悪くはないことだと思う。逆に今までけっこう自分や自分の見える範囲の人しか見ていなくて広く物事が見えてなかったなと振り返っていた。こういうことが早いうちから出来ていると素晴らしいと思う。自分もいろんな経験を踏まえてやっとここに近づいてきた。思い返せばヨーロッパに留学していたときよくホストファミリーが着なくなった服やものをチャリティーショップに寄付していた。他の誰かのためになれば嬉しい。そう話されていた時のほほえみはとても素敵で印象に残っている。自分もそんな行動が取れ始めていることそれが意識せず自然にできるようになり改めて振り返ると利他的行動が増えていると気づきなんだか自分の成長を感じた。ほんの少しのこと。公共のトイレを出る時にすこしきれいにしてでる。余裕があれば公園のごみを拾う。何かを寄付する。ちょっとしたことが気づかないうちにきっと誰かのためになっている。だれかの笑顔につながっている。そう思うとなんだか心が温かくなると思った。今日この頃。
先日月一回のカウンセリングへカウンセリングへ行くようになって自分を知ること自分の感情を感じること自分を客観的に見ることについて頭であーだこーだ考えていたときよりも格段にスピードが加速しているように思う。少し前までの自分は自分が感じる負の感情を悪者にして感じないように考えないようにしていたけれどそれをするとじぶんのこころの容量がいっぱいいっぱいになってしまっていることにやっと気づけた。今は少しずつ自分が感じた負の感情も頭で深く考えすぎずにゆっくり感じていっている。ほんのすこしだけれど自分が緩んできているとそう思う今日この頃。
年長の後半になると就学相談があった。我が家はというか私は、ほぼほぼ選択は決まっていた。はじめ夫はわたしの選択を夫の親もわたしの選択にはあまりいい顔をしなかった。ただ、私と先生の中では決まっていた。「支援級に在籍する」これに尽きる。夫は多忙で休みは週に1~2回飲み会も出かけることも多かった。もちろん重要なことや困りごとなどは話す事もあった。夫も夫なりに夫の両親も両親なりにいろんなことを心配して息子のことを考えてくれたんだと思う。ただ息子の特性を日々相談したり励まし合ったり工夫したりして築き上げてきたのはわたしと保育園の信頼している先生方。そして一番息子のことを見ている私自分の選択に迷いはなかった。幼稚園時代保育園時代特性で苦しんでいる息子やそんな息子を育てる自分つらいことくるしいこと本当にたくさんあった。こどもが公園で癇癪をおこして周りの目が痛くて車の中で泣きながら帰ったこともあった。自分もつらかったけれど特性があるがゆえに苦しんでいる息子を見るのも苦しかった。(あの頃のことを思い出して文字を綴っているだけで胸に熱い何かがこみあげてきて涙腺がゆるむ・・・)そんな息子が環境を整えたり伝え方を工夫したりして対応すると今までと違った姿が見えはじめた。息子の行動には意味があってそれを理解したうえで対応すると別の姿を見せてくれるようになった。先生方のお陰だ。わたしに息子の素敵なところをたくさん気づかせてくれた。それでも時には失敗したりまわりにたくさん迷惑かけたりうまくいかないこともあった。ただもっともっと息子を深く知る必要がある。そのために支援級を選んだ。息子は息子のペースで進んでいった方が良い。そう思った。本当にそれでよかったと思う。ただ発達障害の特性は本当に一人一人違って最初から支援級を選ばなくて良い子も必ずいるだろうと思う。結局どっちを選んでもいろいろある。最終的には私の強い意思が伝わり夫も夫の両親もわたしの選択を尊重してくれた。みんなが真剣に息子のことを思ってたくさん考えた時期だった。
先日下の子の入学式があった「肩の荷がおりた」この表現が一番適切かなとそんな気持ちになった。春休みは下の子ものんびり遊べた春休みだっただろうけれどとても元気な子なのではやく学校に行きたいそんなことも話していて少し物足りなさのある春休みだったのかなと内心思ってしまったけれどそれもそれでありかなと思った。待望の入学式を迎え帰宅したら本当にほっとした。さらに今年度から上の息子と一緒に朝学校に通うようになり少し気が抜けてしまった。下の子が入学するころにやっと上の子が自分で帰宅できる日が増えたのもほっとした要因だと思う。下の子の幼稚園の送迎+上のお兄ちゃんの送迎がありドタバタと一日が過ぎていた日々がなんだか信じられない。上の子に限っては短時間登校の時期などわたしが駐車場で待機だったため今ある現実が本当に現実なのかこんな日が来ることがあるんだよとあの時の自分に教えてあげたいくらいだ。でもあの上の子が大変な時期に自分が働くことと息子の学校への付き添いを毎日することを天秤にかけてどっちも器用にこなせる自信がなかったわたしは働かずに息子のサポートをすることを自分で決めた。いろんな思いがあるけれどあの時息子と苦しいながらもぶつかり泣いた日々は間違いじゃなかった。そう思う。この選択を選べるくらい働いてくれている夫にも感謝したい。いろいろ思うところはあるけれど(笑よし!とりあえず髪を切りに行こう!
専業主婦の春休み日々のことに追われてあっという間だけれどなんだか気が楽。なぜなら毎朝学校に行くのにエンジンがかかる息子を起こさなくてもいいし日々の学校への連絡もなしこれがないだけでどれだけ楽か。つかの間の春休み。ありがたい。だけど気が楽な反面日々の食事だったり下の子とたくさん遊んだり体力的にも大変なこともありあっという間に時間が過ぎる。意識して自分の時間を作らないと日々が通り過ぎてしまう。だから5分でも自分の時間を持てるように意識している。その5分を作るだけでだいぶ気持ちの持ちようが違う。専業主婦でいる春休みも今年が最後かなと思う。夫の仕事が多忙で子供たちも大変な時期があったため自分のキャパ的に途中から仕事をやめて専業主婦になった。下の子もついに小学生になる。落ち着いたら少しずつ仕事を再開しようと思ってる。バランスを考えてでも自分がやりたいと思えるこころが動く仕事に就きたいな。
年長児息子が癇癪をおこすと言葉の他害がでることがあった。今でもゼロではないかな。どんな時にでるかといえば子供たちで遊んでいる時ゲームで息子が負けるとよく癇癪を起こしていたまたはコマ回しができなくて癇癪できるお友達に言葉の他害をしてしまったこともあった。親と先生で対策を話してうまく癇癪につながらない時もあればやっぱり癇癪になって言葉の他害が出てしまうことも・・・癇癪が起きると息子のことも息子を見ている自分も息子が言葉の他害をしてしまった友達のこともどの立場のことも考えて胸がズキンズキンと痛んだ。本当に親としては申し訳ない気持ちになって息子以上によくほかの保護者の方に頭を下げていたような気がする。でもいつも保育士の先生が他の保護者の方や保育園のお友達にフォローを入れてくださったりわたしも出来るだけ他の親御さんに会った時はあの時はごめんなさいと謝った。親御さんも園児も保育士さんも優しい方たちだったのでもちろんこころのうちはわからないけれど・・・いつもいろんな方に優しい目で見ていただけたおかげでなんとか乗り切れたというか日々を過ごすことに一生懸命になっていたら日々が過ぎ去っていたという感覚が一番かな。あの時期は本当に育児以外に仕事をしていてなんとかメンタルが保たれていた。そんな風におもう。保育園では息子の母親だけれど仕事では個人として見られていて育児から少し離れる時間がもてたことはとても貴重だった。それが仕事でなくても趣味の集まりや育児とまた違ったフィールドで楽しめる集まりなどひとつでも持っていると違うのかなと思ったりする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーあの頃も今も息子はとてもプライドが高いと思う。それがいい方向に転ぶこともあるしマイナスに転ぶこともある。できるだけ良い方に向くようにサポートしていけたら良いなと思う。