小津安二郎監督の代表作「東京物語」(1953年)をご紹介します。国内外で評価の高い名作ですね。
"東京物語" Photo by bswise
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尾道に住む周吉(笠智衆)・とみ(東山千栄子)の老夫婦が次女・京子(香川京子)に留守を頼んで東京に行くところから物語が始まります。
東京には町医者の長男・幸一(山村聡)、美容室を営む長女・志げ(杉村春子)が住んでいるのです。
老夫婦は遠路はるばる彼らに会いに行くんです。
到着まではよかったのですが、東京案内は幸一、志げが多忙を理由になくなってしまいます。
志げは電話で戦死した次男の妻・紀子(原節子)に両親の相手を頼みます。
会社を休んで紀子が周吉ととみを東京案内をし、自分の小さなアパートでささやかに義理の両親をもてなします。
実の子ども達に邪険にされているのを感じ、居場所のない周吉ととみ。
行き場を失って泥酔した周吉は、結局戻るまいと思っていた志げの家に夜中に舞い戻らざるをえない。
"vlcsnap-2019-08-11-15h28m02s589" Photo by c_cinq
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一方、その晩とみは紀子のアパートに泊めてもらいます。
このときのとみの語りが心動かします。
紀子は血が繋がっていないし、夫(とみの息子)は戦死しているから、客観的には身内で一番縁遠い存在。ほぼ他人です。
でも身内の誰よりも周吉ととみに優しくしてくれたのが紀子でした。
"Tokyo Story" Photo by drmvm1
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「東京物語」には、まず老いた者の孤独があります。
そして期待する子ども達には邪魔者扱いされる。
幸一と志げからお金を渡されて熱海へ体よく追いやられる周吉ととみ。
熱海は当時新婚旅行先として栄えていました。
どんちゃん騒ぎの騒音で2人は眠ることさえ出来ません。
東野英治郎演じる周吉の旧友が飲み屋の女将さんに甘えるも邪険にされる。
「東京物語」の根底にはそういう寂しさいうものが横たわっているんですね。
とみの葬儀が終わると幸一、志げ、三男の敬三(大阪志郎)は父親を置いて多忙を理由にさっさと帰ってゆく。
残ったのは紀子。
"tokyo-story" Photo by tutincommon
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親は子に期待するけどもそうはいかない。
子が期待通りにならないことについて愚痴る沼田に周吉は「欲張ってはいかんです」と言いますが、この時周吉も自身に言い聞かせるように語っていたように感じました。
山田洋次監督曰く、この映画のテーマは子はいつか親を裏切るということ。
そういうシビアな現実がある。
京子が志げをはじめきょうだいの身勝手さに怒るんですが、紀子はこう言います。
「誰だってみんな自分の生活が一番大事になってくるのよ。私もなりたかないけどそうなるのよって。それが子の成長、親離れなんだから」と。
"Sem título #7" Photo by Universo Produção
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「人は無から生まれて無に帰る」とは小津安二郎の人生観・人間観です。
「東京物語」には、小津安二郎の無常観が悲哀のムードとして全編に醸し出されています。
「東京物語」の無常感はその投影なんですけども、じゃ、救いがないか?と言えばそうでもない。
本作では紀子という存在が救いです。
周吉ととみは紀子に救われる思いを抱くんですね。
「東京物語」はある家庭の茶の間のシンプルなストーリーを距離感を保ちながら淡々と描く、小津らしい作品です。
それでもググっと惹きこむ不思議な魅力がある。
寂寥感と諦念。
そしてそんな当たり前の日常に灯るあたたかさ。
"setsuko cries" Photo by gnosis / john r
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小津安二郎と「東京物語」を初めて僕が知ったのは、確かわたせせいぞうの「ハートカクテル」だったように記憶しています。 違ったかな?
大体、音楽、ファッション、アートといったライフスタイルの基本的で大切なことは皆「ハートカクテル」から学んだところがあります。
しかし、小津作品は若い頃の僕にはちょっと観るのに苦痛でした。
あの日常を淡々と映す手法が退屈に感じてたんです。
でも年齢を重ねて小津作品が刺さりまくるようになりました。
「もし『東京物語』を観てしまったら、一番最高の映画だからもう他の映画を観る必要がなくなる。だからずっと避けてきた」と何方かがどこかで書いてみえました。
ユーモラスな表現の中にも真髄を捉えたコメントだ、と納得した記憶があります。
人間存在と人生の悲喜劇を淡々と描いた 「東京物語」。
でも、小津安二郎は決して何かや誰かを批判していないと思います。
「そういうものだよ」とだけ。
小津安二郎は「東京物語」でそういう哀愁が心に染み入るように、ごく普通の人々の日常を通じて描いています。