スティーブ・マックイーンがプロデュースした「栄光のル・マン」(1971年)は、レースに生きる男の姿をセミドキュメンタリー・タッチで描いた一作です。
"Steve McQueen" Photo by kitchener.lord
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冒頭、ポルシェ911が街を走っています。
男がポルシェを停める。男の視線の先は花屋で花を買う美女。
再びポルシェが走り出し、郊外のガードレールの前で男はポルシェを降りて佇む。
男はレーサーのマイケル・ディレイニー(スティーブ・マックイーン)。
そして花を買っていた女性はリサ(エルガ・アンデルセン)。
1年前のル・マン24時間耐久レースでマイケルはクラッシュ、この時命を落とした相手のドライバーの未亡人がリサなのです。
静かで台詞なしの冒頭シーン。そしてこの後はル・マンのレース会場になります。
マイケルがル・マンに復帰します。
マイケルの同僚レーサーのリッターがレース前に妻にこのレースを最後に引退すると話すんです。
妻は「あなたがいいなら」と言うんですが、ホッとしているのが伝わります。
レースの度に夫が無事かどうか心配しながら待つという日々が終わるんですからね。
リサを会場で見かけたマイケルは「なぜ戻ってきた?」と尋ねる。
彼女は「自分自身のためよ」と答えます。
その後、リサをガラガラの食堂で見かけたマイケルが「席座ってもいい?満席なもんで」とベタな言い方で声をかける。
リサはマイケルに「命を懸けるなら大切なことにするべきじゃない?だけどそんなに大切なの?速く走ることが」と尋ねます。
マイケルは「・・・世の中苦手なことばかり。運転が得意な者にとってはレースは人生なんだ。レースの後や先のことはどうでもいい」と答える。
不器用な男なんですね。
レースに命を懸けるのも「これしかない」という切実な想いからなんです。
"Steve McQueen" Pghoto by littlepixer
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「レースもの」ってレーサーをしている男たちとそれを見つめる女性たちの物語です。
本作もその点は同様です。
マイケル達レーサーの生き方をリサをはじめ、女性達には全く理解できない。
レースものはこういう「闘う孤独な男をひたすら耐えて待つ女性」という物語にどうしてもなりますね。
レースの世界自体がそういう性質を帯びているのでしょう。
ただ、相手の生き方を理解できなくても好きになってしまう、ということはあるわけです。
その時に「この人と生きて行こう」、あるいはあるタイミングで「もう一緒には居られない」となる。
これは恋愛関係・結婚生活においてはレースに限らないことですね。
そういうものなんですが、「栄光のル・マン」はここが不消化なんです。
その事情はマックイーンの強い意向で人間ドラマのパートを抑えているから。
マックイーンのこだわり-リアリズム志向とストイックさ-なんですけども、評価が分かれるところでしょうね。
"x Steve McQueen billboardIMG_6936" Pghoto by Royal Broil
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本作と比較されるのがジョン・フランケンハイマー監督の「グラン・プリ」(1966年)。
こちらは本格的レース映画の金字塔ですが、スター俳優を複数起用してメロドラマのパートをかなり盛り込むことでレース好き以外の観客を取り込みました。
その分3時間越えの長尺なんですね。
「栄光のル・マン」はマックイーン以外は名が知られていない俳優を起用、1時間50分に収めています。
マックイーンからしたら「グラン・プリ」は「色恋沙汰が多すぎで甘すぎる!」という感じでしょう、その分、彼はル・マン24時間耐久レースの1日を淡々と描いています。
諸説ありますが、マックイーンが「グラン・プリ」を相当意識して本作を制作したことは間違いないようです。
レース映像も本物のル・マンの映像に映画用に撮影した映像を編集することで大迫力なんですね。
でも、先述の事情で世界的には興行的に失敗に終わります(※日本ではヒット)。
私はレースに詳しくないのですが、マックイーンが好きなものだから観れたのかな?
「やっぱりマックイーンはカッコいいな」と思いました。拗ねたような視線とか、仕草一つとってもカッコいい、と。
それにしても、メロドラマをイメージ的に入れる程度にして、大方リアルなレース映像というのはかなり武骨ですね。
当時ハリウッドの頂点に昇り詰めていたマックイーン。
彼に限らずそうなった時に自分の念願の好きな世界を体現したくなるものなんでしょう。
そういう意味ではマックイーンの執念の一作であり、彼らしい作品なのかもしれません。好きな人は相当好きなはず。