今回は実話をダニー・ボイル監督が映画化した「127時間」(2010年)です。
2003年。アーロン・ラルスロン(ジェームズ・フランコ)は、ブルー・ジョン・キャニオンでキャニオニング中、滑落して右腕が岩に挟まれて身動きできなくなってしまう。・・・
"127 hours" Photo by Ana d'Almeida
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アーロンは技師で週末は単独でキャニオニング(トレッキングやカヌー、飛込などアウトドアスポーツの要素を駆使して渓谷を下ること)に出かけることを楽しんでいる青年。
今回出かける時に母親からの電話が鳴りますが、無視したアーロンは、結局、誰にも行き先を言わずに現地入りします。
滑落した場所は岩の裂け目のかなり下。こんな場所を誰も通ることはないのです。
身動き取れなくなったアーロンは、脱出のために使えるか、と自分の装備を出してチェックしますが結構心もとない。
アーロンは向こう見ずなのか、根拠のない自信家なのか。
それでも何とか生きようと工夫しますが、状況は変わらず。
コンタクトを外して着け直すと「出かける朝、母親の電話を無視したのはコンタクトを入れていたからだっけ」と思い出しては悔やむアーロン。
「もし電話に出ていたなら、行き先を告げただろうに」。
日が経つにつれて憔悴し、弱ってゆくアーロン。
「気を確かに」と自らを叱咤するのですが、取り乱してゆく。
生命の危機に面して、アーロンは走馬灯のごとく幻覚を見るんです。
別れた恋人のこと、距離を置いてしまった家族のこと。・・・
5日が過ぎ、ついにアーロンはある決断を実行します。
Untitled Photo by bswise
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ある決断の場面は直視できなかったくらいでしたが、これは実話なんですよね。
これはカルマか、と悟るアーロンですが、後悔してても生き残れません。
孤独と絶望の中、生き延びるために行動する姿がすごい。
このモチベーションがどこから来るのか?
「~のため」という論理じゃなく、ただ生きるため、としか言いようがありません。
「なぜ人は生きるのか?」という疑問を抱くのが人間ですけども、生きることにあれこれ理由など必要ないんですね。
人間が生きる理由とは、まさに「生きること」そのものだ、と教えてくれているように思います。
アーロンからはそういう生命の力を感じさせます。
設定自体は穴に落ちて脱出するというシンプルなものですから、映画としてはすごく難しい題材だと思います。
それでも1つの映画として成立させたのは、ダニー・ボイル監督の映像感覚。
アーロンの心理状態を描く映像表現が凄い。
ほぼ独り舞台を演じたジェームズ・フランコの熱演も素晴らしかったですね。