喜びも悲しみも美しく | ネコ人間のつぶやき

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 4年に1度のサッカーの祭典・ユーロ2016の準々決勝、今朝行われたドイツ対イタリアは延長でも決着がつかず、PK戦の末にドイツが勝利しました。

 

 今回のイタリア代表は、攻撃陣のタレント不足と司令塔のけが等で戦前の下馬評は高くなかったのですが、堅い守備と鋭い攻撃、コンテ監督の名采配で勝ち上がってきただけに惜しかったですね。

 

 たらればなんて考えても意味ないのですが、「もしイタリアの攻撃陣に違いを生み出す選手が1人いたなら・・・」と思ってしまいました。

 

 「ファンタジスタ」という言葉がサッカーの世界にあります。ファンタジスタとは、ピッチの上で巧みなボールさばきで1人で違いを生み出して試合を決定づける選手を言います。

 

 ピッチの上でまさに観る者にファンタジーを魅せてくれる魔法使い・ファンタジスタの姿を形容するには「美しい」という言葉がピッタリなのですよ。

 

 数々のファンタジスタと呼ばれた選手の中で、私が真っ先に心に浮かぶのはロベルト・バッジョ。

 

 イタリアが生んだ稀代のファンタジスタ、バッジョの選手人生はまさに「事実は小説よりも奇なり」でした。

 

ファンタジスタ・バッジョにはやっぱりエースナンバー・10番が一番似合うのです。

"Mondiale 1994: Italia-Bulgaria 2-1" Photo by Nazionale Calcio

Source:https://flic.kr/p/BUmtFy

 

 ときに勝利をもたらす救世主、ときに敗北の全責任を負わされる悲劇の人。トレードマークの髪型から「聖なるポニーテール」と国民から愛され尊敬されました。バッジョが引退して早や11年が経過したのですね。

 

 バッジョの選手人生を象徴しているのが1994年アメリカワールドカップでしょう。この時の代表チームでバッジョはエースとして唯一替えの効かない選手でした。

 

 グループリーグの初戦を落として臨んだ2戦目のノルウェー戦で早々にキーパーのパリュウカが退場処分となり、1人フィールドプレイヤーを減らさざるを得なくなったサッキ監督の決断はなんとバッジョの交代。

 

 この驚きのサッキ監督の決断を契機にバッジョとサッキの関係に亀裂が入りますが、この交代劇が国内で物議を呼び大論争に発展。

 

 そしてバッジョ待望論が巻き起こったために、サッキはその後の試合でバッジョを起用し続けざるを得なくなります。

 

 バッジョは国民の期待に応え、決勝トーナメントに入って真価を発揮、魔法のようなプレーでチームの危機を何度も救います。そして決勝戦に進出。相手は点取り屋・ロマーリオ擁するブラジル代表。

 

 戦いは0-0のまま延長戦にもつれこみますが、それでも決着がつかず、勝負の結果は運命のPK戦に委ねられます。

 

 そして外せばイタリアの負けという場面でキッカーはバッジョ。しかし名手バッジョの蹴ったボールは、まさかのゴールの上を遥か上を高く超えてゆきました。

 

バッジョがPKを外した瞬間。アメリカワールドカップの名場面として語り継がれています。うなだれるバッジョと、対照的に優勝決定の歓喜に沸くブラジルの選手たち。

"17 luglio 1994: A un passo dalla gloria (l'errore di Baggio)" Photo by Nazionale Calcio

Source: https://flic.kr/p/w9mNnU

 

 バッジョの腰に手を当ててうなだれる後ろ姿が印象的でした。美しき敗北者・バッジョ。このワールドカップでのバッジョのドラマが世界中の人たちの胸を熱くしたのです。

 

 その後バッジョはこのPK失敗の場面の悪夢を何度も見たそうです。そしてPK失敗の理由は「自分でもわからない。謎だ」と。

 

 このPK失敗から4年後のフランスワールドカップで緊張のかかる場面でのPKを自ら志願したバッジョは冷静に決めてみせました。

 

 バッジョは4年越しで悪夢を自ら払拭したわけですね。しかし、この大会もチームはPK戦で敗れて姿を消しました。 

 

 代表でもクラブチームでも栄光をもたらし、なぜか運悪く監督に恵まれなかったり、古傷の再発に苦しみ、不完全燃焼で終わるバッジョの運命。

 

 それでも国民はバッジョを望み、バッジョも常に代表入りとワールドカップ出場を視野に入れて不屈の精神で諦めず、引退する日まで何度も何度も復活を果たしました。

 

バッジョが3回参加したワールドカップでイタリア代表はすべてがPK戦で敗戦しました。バッジョはついにワールドカップ優勝には手が届きませんでしたが、永遠に記憶に残る名選手なのです。バッジョの右隣は守備の要で主将のバレージ。

"Mondiale 1994: Brasile-Italia 3-2 dr (0-0)" Photo by Nazionale Calcio

Source: https://flic.kr/p/DfvffC

 

 故郷と家族を愛し、優しい性格のバッジョ。サッカーでは多くを語らず、慢性的な膝の故障と痛みに耐えながら、情熱と不屈の心で運命を受け入れ逆境を這い上がってきました。

 

 人生というものは本当にドラマティックです。例え運命の悪戯に翻弄されたとしても、自分の人生の演出家は自分自身ですね。

 

 多くの喜びと悲しみにあふれたバッジョのサッカー選手人生。でもバッジョはその脚本なき己のサッカー人生を引退まで走り続け、喜びも悲しみも自らの手でファンタジスタらしく美しいフィナーレにして演出して見せたのです。

 

「今夜の試合は私のキャリアの中で最も美しいものでした」

-2004年4月28日、代表引退試合後のロベルト・バッジョの言葉-