
いよいよ70歳の大台にのる!と浮かぬ気の日が続いた。車好きの私は、何回、車を乗り代えてきたか?と記憶を辿ってみた。そして、最初の車の所有には、現在に通じるストーリーがあることに気付いた。
1970年代、9年間もの長い間、大学に在籍し、何とか学位を頂くことができた。学位を取得したというより頂いた感が強かった。同僚は、順調に教授への道を進んでいる。それに引き換え、私は学生の身分。教授への道は狭く険しい。

ドクターコースの最終年2月、指導教授の三井先生から突如、海外留学の打診があった。東大の助手の先生が留学先と折り合いが悪く帰国する故、その後任を探している。その方の指導教授、田村先生から代役をそちらで考えて欲しいとの要請があったと知った。「小林君、すぐに、論文を纏めて、来春渡米しなさい!」とのこと。「考えさせて下さい! 英語も話せないし、航空券代金も高く、小生の学費を稼いでくれている家内に相談しなければ、、、?」と何とかかわそうとした。実は、その留学予定先の教授は、ひときは厳しいことで国際的に知られていた。今の言葉では、パワハラ・アカハラ教授の代表的な御仁。正直、行きたくなかった。、こもごも理屈を捏ねてお断りしようと教授室に向かった。しかし、先生の言葉は、重かった。「人生は苦労の連続。昔から“苦労は金のワラジを履いても手に入れよ!”と言われていると。今回の話は正にその好個な事例だね!」とのお言葉?であった。決まった、4月渡米。学位は、まだ、手中にないのに、渡米後、先生に保証して頂き、Dr. Kobayashi として単身で米国ミシガン州立大学に行くこととなった。27歳の4月19日であった。
最初の車
米国生活では、何が無くても車だけは!と車は靴に例えられていた。その頃のアメ車は、ほとんどが8気筒以上でガソリンを湯水のごとく使うマッスル車であり、キャデラックはあこがれの車であった。6月に入り米国暮らしに少し慣れてきたころ、日本人会の会合があった。車を探していると言ったところ、「私たち帰国するので車、手放します」との情報を竹中さんの奥様、麗子さんから頂いた。奥様は美人で活発な方。しばしば、日本人の留学生を家に招いてパーティーを催しておられた。そんな情報交換の場で、小生が車を探していることを知っての申し出であった。ご主人は、竹中工務店の御曹司、竹中統一様であることを知って、驚いたが、当時はどんな車かが関心事で、果たして、私の給料で購入できるのかと不安であった。7月、車を譲って下さることとなったが、キャデラックでもムスタングでもなく、日本車、カリーナであった。米国でしか乗れない車をお持ちかと思っていたが、大衆車のカリーナ。話では、日本の製品を米国で売り出すとの経済界の動きの一環として、竹中さんは日本車にしたとのことであった。日本を背負うリーダーはやはり、思いが違うナとその心構えに大いに感心した。
代金のお支払いに際しトラブルがあった。日本から送ってきた小切手を現金に換えることに一か月以上かかることを知らず、すぐ様、現金をお渡しできると思っていた。「いいよ!いつでも。弟がまだ、こちらにいるから、彼に渡してくれたら結構」と申されて、統一さんは帰国された。車代が用意できた一か月後、弟さんにお渡しした。弟さんは、実は、現在コクヨの会長をお勤めの黒田章裕さんである。この数か月で、日本の経済界を牽引する竹中統一氏と黒田章裕氏とにミシガン州立大学(イーストランシング)で知り合いになったことは、現在の私にとって大きな意味をもっており、そのきっかけは車の縁で、カリーナは小生が最初に所有した車である。全く故障もせず、数千キロに及ぶナイアガラ、オタワ、ケベック等の旅を可能としてくれた。名車であった。

1970年代トヨタカリーナ
車遍歴
米国に三年間滞在したが、その間、ミシガン州立大学から東部ロードアイランド州立大学に移動し、カローラからGM シボレーImpalaへと乗り換えた。排気量は5000cc以上で8気筒。こどもを載せての引っ越しに際し大いに役立った。
日本に帰り、トヨタ、カローラの中古を大学時代の友人、吉川君に譲ってもらい、その後、スバルの軽、カローラⅡ、カムリ、パジェロ二台 (同時に、アルト、後にコペン)ミニCooper S, Cooper JCW とほぼ5年周期で買い替えてきた。パジェロは頑丈でMini JCW マニュアル6速は、確かに速かった。

PAJERO Short 3000

MINI Cooper JCW
最後の選択か?
平成10年以降、高齢者の事故がやかましく騒がれ、老人が車を運転することが疎まれる社会風潮ができ上りつつあった中、小生、定年を迎え、人生がなんとなく見通すことができる60歳半ばとなった。 「現有のCooper JCWを飛ばす場所がない。手放してもいいか? だとすると、今回の御車選びは、ひょっとしたら、最後になるかもしれない」と思った。Mini Cooper JCWのような200馬力を超える車も御した。このミニはBMW社製なので、欧州車にものったことになる。では、最後は、メルセデスで終わるか? 学生や同僚に意見を求めた。今までの車遍歴を語ったところ、皆さん一致でレクサスを押した。クラウンとあまり変わらず、値段がブランド代で高いだけと聞いていたが、峯平さんがレクサス商法と言うのを聞いたことがあり、私共がビジネス展開をする中で生かせるのではないかと進言してくれた。レクサスがこの10年間でブランド化できた理由は、レクサス商法に潜んでいるのではないかと思った。レクサスディーラーを訪ねてみよう。
レクサス訪問
Mini Cooper JCWにのり、千里レクサスを訪ねた。アンケートに答えて、車の説明を聞いた。ハイブリッドが良いように思えた。レギュラーガソリンでよく、燃費も優れている。
二回目の訪問時、コンシェルジュの女史が「小林様お越し頂きありがとうございます!」と着くや否や出迎えてくれた。え! なぜ、私の名前を憶えておられるのか?驚いた。30分間ほど、CT200hの説明を聞き帰宅した。その後のレクサスからの連絡を期待して待った。1週間、2週間、待てど暮らせど、無しのつぶてであった。こちらが業を切らしてしまった。お客として期待されていないのではないだろうか? 訪問をせざるを得ない心境に陥った。
結局、この車を買うことにした。高い買い物であったが、納車の日は、創意を凝らしたセレモニーをしてくれた。純白のベールですっぽりと車を覆い、それを外すや上品な黒塗りのCTが表れた。気の利いたセレモニーであった。

LEXUS CT200h
一連の扱い、これがレクサス商法かと思い、レクサス流儀はその後のサービスにも受け継がれている。結局、最後の車はレクサスと決めたが、早くも6年間が過ぎ、次の車検が視野に入った。
今度こそ、最後の車ではないか。三回車検を通すと9年間乗ることになる。免許証返納すべき歳に達する。
その頃は、ガソリン車は無くなり、EVやPHV車となり、GPS誘導で走行するようになるであろうと思われる。その歳を超えて車を使うことはないだろう。正に、最後の車だ?
運命の車選び
私どもが進めている、みどりの環境創出活動の中で、道頓堀をみどりの風を感じられるゾーンに!を掲げ、企業さんにご支援を頂きたく計画しており、その話を阪大出身の辻本さんにお話したところ、大阪トヨタの社長を歴任された鎌野さんを紹介して下さった。そして、大阪トヨタさんから道頓堀戎橋周辺の鉄製枠にバナー広告を頂くことができた。
前述の車遍歴をお話しする中で、鎌野さんから「是非、次の車は私に任せて下さい」とおっしゃって頂いた。クラウンかな!いつかはクラウンとの言葉を耳に40代、50代を生きてきた我々の世代は、集大成は、やはりクラウンか!と、「レクサスは卒業しよう!」と思った。「いや!やはりレクサスでしょう」との意見が返ってきた。
「みどりでおもてなし」納車セレモニー
鎌野さんの調整で、大阪トヨペット役員の山田さんから新型レクサスの話をお聞きするのと同時に、私どもが企業とみどりのSDGs活動を進めている話の中で、「みどりでおもてなし!」キャンペーンについてお話する機会を得た。社会の趨勢となりつつあるSDGs活動を社内教育と連携させ如何に進めていったら良いのか? 車の世界も電気自動車が主流となる中、製造・販売メーカーも多業態化が避けられず、車が電化商品の一つとして、ヨドバシやヤマダ電機などでも売られるようになり、現販売店が現有の顧客との接点をどのように維持し強化するかが最大の関心事となると思われ、まさに、優先的に考えるべき企業課題であることを知った。購入して下さる方々とどのような形で連携を保ち強化して行ったらよいのか?意見を求められたが、その一つの方策として、「みどりはコミュニケーションツールとして有効」であるとの考えを提示させて頂いた。
今回、小生が購入するレクサスUXの納車セレモニーを従業員さんが密に関わる形で演出できること、すなわち、従業員が育て上げた草花やみどりの芝生を添えて祝ってあげ、喜びを共有してあげる形でセレモニーができることを提案させて頂いた。
小生の車の納車日が5月20日と差し迫っていたこともあり、差し当たっての試みとしてレクサス大阪福島店で実践させて頂いた。

みどりの芝生に駐車したレクサスUXの雄姿はことのほか美しく高級感が醸し出されていた。ワダチ部分は、ヒノキのシート、側面は芝生。周辺には、花の鉢植えが並び、車の前には、バラの花で作ったハート形のブーケが置かれた。これらを従業員が仕事の傍ら、納車セレモニーに使って頂くための作業努力は新オーナーに喜んで頂けるのではないだろうか?
花鉢や芝生の養生は、ほんの少しの余暇で可能である。
今回の試みは、「みどりでおもてなし」「Green Hospitality OSAKA」なるキャンペーンの一貫として、また、みどり豊かな暮らしを尊ぶ日本の文化の神髄にも通じる啓発事業の一事例として、今後、レクサス納車時のセレモニーとして定着することを願っている。