私たち霊の説く真理は至って単純であるがゆえに、誰にでも分かり、誰にでも価値を見出すことが出来ます。
神の子としての人間のあるがままの姿を、何の虚飾もなく説いているからです。
つまり神の分霊を宿し、その意味で真実 “神の子” であり、永遠にして不変の霊の絆で結ばれているという意味で真に兄弟姉妹であり、人類全体が一大霊的家族であり、神の前に平等であるということです。
霊の目で見る人は、民族、国家、気候、肌の色、宗教の違いを超えて見つめ、全人類を一つにつなぐ霊の絆を見てとります。
地上世界は今こそ、そうした単純な真理を見直す必要があります。
あまりに長い間、教義とドグマ、祭礼と儀式といった宗教の本質、神とは何の関係もないものに躓(つまず)いてきました。
私たち霊は魂を、より意義ある生活へ導くものでない限り、教義、信条、ドグマといったものには関心がありません。
日常の行い以外のものには関心がないのです。
根本的に重要なのは、日常生活の生き方だからです。
どんな教義もどんなドグマもどんな儀式も、原因と結果の関係を少しも変えることは出来ません。
霊性を少したりとも、増すことも減らすことも出来ません。
それは日常生活でのみ決定づけられるものだからです。
私たちが忠誠を捧げるのは、神とその永遠不変の法則であって、教義でもなく書物でもなく教会でもありません。