生命が機能するための機関を提供することは出来ます。
その機関を破壊することも出来ます。
しかし生命は神からの贈り物であり、人間のものではありません。
生命は神が人間に託した責務です。
物的尺度だけで判断を下さないように注意しないといけません。
霊的な問題は物的尺度では計れないのです。
植物同然となってしまった一人の人間をご覧になれば、自然の情として哀れみ、同情、慈悲、憐憫(れんびん)をさそわれるのも無理はありません。
しかし植物にも生命があり、地上で果たすべき役目があります。
そうでなければ存在しないはずです。
一人の人間が事故で負傷する。
機能の損傷がひどくて、魂が意識を表現できなくなった。
この問題をあなたは身体上の問題と見ますか?
それとも霊的な問題と見ますか?
霊的には、そこに果たすべき目的があり、学ぶべき教訓があり、忍ぶべき体験があるのです。
確かに見たところ、身体的には全く動きが止まっています。
しかし、霊的な目で見ることが出来るようになるまでは、つまり永遠の価値基準を理解できるようにならない限り、あなたの判断はどうしても誤りに基づいたものとなります。
私は、いわゆる植物人間を安楽死させることには全面的に、そして文句なしに反対です。
ただし、そこにやむを得ない動機があり得ることは認めます。
しかし、それは問題を解決したことにはなりません。
あなたが、もし安楽死の決断を誰かに任せたら、それは本来その人が持つことの出来ない権利を与えたことになります。
その人には、そういう決断を下す義務を与えるべきではないのです。
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