「どうして…私なんかを助けてくれたの?」
そう助けた理由を尋ねた綾に対し、牧人は答えた。
「綾、君が大切な人だから、理由なんてそれだけで十分だ。さぁ、脱出するぞ!君が無実だっていう証明も用意できている!!」
牧人の指示で身を潜めていた若菜も現れた。少し離れた場所に止めた車を目指し、3人は翔の部下たちの巡回の目をかいくぐった、あと少しで耕輔の車にたどり着くところまできた。隠れている建物の影から若干距離はあるものの、この通りを出れば大通りに出て、警備の目から抜け出せる、逃げ切った…。そう思い、周囲を確認して、最後の脱出を図った時であった、乾いた音が辺りに響いた。綾をかばった牧人が腹部に2発、若菜と綾が両脚に銃撃を受けてしまった。翔が銃を隠し持っていたのだ。若菜はかすり傷だが、精神的ダメージが大きかった。綾は牧人を置いて逃げ出すことなどできず、3人の動きを止めるには十分な効果であった。
「ご苦労だったな、綾。依頼の品はちゃんと渡してくれたか?」
薄ら笑いを浮かべて近づく翔に、ありったけの憎しみを綾は向けた。
「あんたは私を利用した、自分の欲望や保身のためだけに…。そして、牧人さんを傷つけた。許せない…あんただけは絶対に許さないわ!」
綾の言葉など意に介せず、翔は命令を下すように綾に話し出した。
「どけ、綾。お前たちに、特に、その男に逃げられると不都合なんだよ。いらんこと、色々しゃべられても困るしな。」
「どかない、絶対にどかないわ!」
翔の忠告に対して、綾は鋭い眼光を向けたまま、牧人を守るように立ちはだかった。翔が再び引き金を引いたとき、牧人を守るため、綾はとっさに自らの身を盾にした。銃声が鳴り止むと、傷は浅いものの、何発か当たったらしく、全身に痛みが走った。弾を込めなおすと、気持ちだけでは抗うことができない綾の状況をあざ笑うように、翔は銃口を牧人に向けた。
「安心しな、綾。お前らは、俺の大事な女としてかわいがってやるからよ!」
翔の卑劣な高笑いとともに、辺りに銃声が響いた。牧人を守ろうとかばったものの、体の一部分を守るだけで精一杯であった。数秒後、銃声が鳴り止んだ。意識が戻ってくると同時に、男性のうめき声が聞こえてきた。声の主は翔であった。
「残念だったな、翔。おっと、動くな!警視庁捜査一課、大沢勇次だ。お前はもうここまでだ!」
勇次は別件から3ヶ月前に都内各地で起きていた密売事件を指揮することとなり、内偵を進めていた。その捜査の過程で、翔の一連の犯罪に感付いた。そして、友人である和輝から連絡を受け、駆けつけたのだ。
しかし、勇次がすでに銃を構えているこの状況において、翔に焦りは感じられなかった。右手に先ほどまでの銃を持ち、激しい憎悪を隠すかのような奇妙な笑いを叫ぶと、勇次の方を見て話し出した。
「はっ!あんた1つ忘れているぜ…。勝負はまだ…着いていないっていうことをな!」
翔は両利きであったのだ。そう言うと、先ほど若菜たちに向けられたものとは別に、長袖のコートの下に隠していた銃を勇次に向けて放とうとした。しかし、次の瞬間、勇次が翔よりもすばやく連射し、翔の銃口・左肩を打ち抜いた。逃げる翔を追いかけ、組み技もあっさりはねのけると、壁際に追い詰めた勇次は、不敵な笑みを浮かべて銃口を向けた。
「あーあ、またやっちまったよ。銃使うなっていつも言ってくる上司にまたドヤされちまうじゃん。怒られたくねえなぁ。今日は夜に合コン控えているんだしさ、チョーかわいい女子アナたちとのさぁ。怒られたら完全に行けないじゃん。もしそうなかったら…おまえのせいだからな!!」
そう言うと、銃声が当たり一面に響き渡り、最後の2発で両足を打ち抜かれた翔は勇次の前で完膚なきまでに粉砕され、跪かされた。
数分後、勇次からの無線を受け、応援の警察が駆けつけてきた。その中には、勇次の上司である佐藤警視総監もいた。
「よくやった勇次、麻薬密売組織と人身売買の中核グループを一網打尽にできたのは都内の犯罪をなくす上で大きな成果だ。またやったな。」
勇次がわざとらしく警視総監に話しかけた。
「ええ、歴代担当者が5年間見逃していましたが、俺は3ヶ月で決着つけました!ところで、今日はちょっと用事があるので、これの調書書いて、サクッと揚がらせていただこうかと…」
そこまで勇次が話していたとき、警視総監の怒号が辺り一面に響いた。
「ばっかもーん!!それよりも反省会だ、お前また銃を犯人に向けて乱射しただろ!」
「いやー、犯人が抵抗したもので。被害者救出と身の安全の確保のためのやむをえない措置ですよ。」
そう適当な言い訳をする勇次に、警視総監があきれながら怒り続けた。
「最初の数発はいいだろう、犯人の銃を打ち落とすのと動きを封じさせた分だ。だが、壁際に銃痕の跡があった分は手柄とチャラになる始末書分だ!あれは明らかにお前がいつもの腕試しで放った分だ!大体、この前の案件もそうだったが、お前はすぐに銃を使いたがる!あれはあくまで日本警察たる者には最後の手段だ!本来ならばすでに警視になっていてもおかしくない君の解決能力の高さを買っている、私の立場も考えてくれ!!」
「いいじゃないですか、たまには実践で使わないと鈍ってしまいますよ。結果として被疑者を生け捕りにできたんですし。」
コメディーみたいな掛け合いをしている2人をよそに、牧人の状態は予想以上に深刻であった。輸血が必要で、応援が来るまでの間に、勇次が適切な止血等の最低限可能な応急処置はしておいたが、救急車にある血液量だけでは搬送までもたせられるか、微妙な状態であった。
「誰か、O型の方で輸血に協力していただけませんか!」
救命士の1人が必死で呼びかけた。だが、不運にもここにいて動ける人間はみんな違う血液型であった。勇次はAB型で、佐藤警視総監はA型、若菜も、自身の血液型はB型であった。
この際、下手に時間をロスするよりも、早目に処置可能な病院へ搬送しよう…。そう判断が下された時であった。
「私、牧人さんと同じO型です。私の血液を使ってください!」
別の救急車に載せられていた綾が、ありったけの声で叫んだ。その声に気付き、呼びかけた救命士が綾に尋ねた。
「本当ですか!しかし…あなたも精神的動揺が大きい。あなたからの輸血は、そういった意味ではリスクが伴います。せっかくの申し出ですが…」
そこまで救命士が話すと、それを遮るかのように綾が切り返した。
「牧人さんは命をかけて私を助けてくれた。私も、命を賭してでも牧人さんを助けたいんです!」
そう懇願した綾の真剣な眼差しに、救命士も決断を下した。
「分かりました。体調に違和感を感じられましたら、すぐに申し出てください。ご協力感謝いたします。」
そして、2人を乗せた救急車は走り出した。
数日後、綾から若菜宛てに手紙が届けられていた。手紙には、意識が戻るまでの間、一命を取り留めた牧人の看病をしながら、牧人がどれだけ綾のことを愛していたか考え直したこと、そのことに気付くきっかけを与えてくれた若菜に感謝したいといったことが書かれていた。そして、『本当にあたしを大切にしてくれる人を、やっと取り戻せました』と、牧人とヨリを取り戻すことが綴られていた。
若菜は、和輝に今回の集中治療に関しての最終報告をした。
「まったく、無茶しやがって。」
報告書を受け取ると、和輝は若菜にそう言った。そして、そのまま続けて
「まずは一山超えたな、よくやった。」
とも労をねぎらった。こうして、若菜は最初の大仕事を乗り切った。恋愛相談医・双葉若菜が大きな1歩を踏み出した数日間となった。