相談者は朝一に訪れた。爽やかで礼儀正しい青年だ。和輝からもらった参考資料によると、相談者は青木耕輔、都内の銀行に勤務し、法務担当であるとのことだ。相談内容はお姉さんのことについてであるらしい。細かい内容については良く分からない若菜は、簡単な雑談の後、何があったのかを尋ねた。すると、先ほどまで笑顔でいた耕輔の表情が一気に険しくなった。

 

「先輩の三杉牧人と姉の仲の修復に、力を貸していただきたいんです。」

 

「半年前まで、姉と先輩の交際は順調そのものでした。しかし、『先輩が姉を重たく思っている』という噂が原因で、別れてしまったんです。別れたばかりの頃は、先輩も意地になって姉とコンタクトを取ろうとしませんでした。しかし、3ヶ月前、僕のところに来て、やり直した言っていってきたんです。最初はもちろん、先輩の言葉も噂がデマだって言うことも信じられませんでした。でも、調べていくうちに、噂が本当にデマだったということが分かり、先輩も本当にやり直したいっていうことも分かったんです。」

 

「それに、あの男が本当に姉を愛しているかって考えると、どうもそうは思えないんです。自分が困っているときは姉を頼ってくるのに、姉が寂しいって言って電話しても、簡単に突き放されたりもするんです。僕は、調子がいいあんなヤツよりも、先輩のほうが姉のパートナーにふさわしいって思っているんです。あんなヤツ、僕は姉の恋人として認めたくない!」

 

いきりたつ耕輔に落ち着くように若菜は促した。そして、お姉さんがどちらを選ぶかまでは干渉できないものの、2人の仲の修復には最大限の力添えをすることを約束した。

 

「ありがとうございます。姉には、僕から会うように話しておきます。よろしくお願いします、先生。」

 

耕輔からはその日の昼にメールが入り、翌週の同じ時間帯に姉自身が相談室を訪ねるということであった。若菜は通常業務の合間を縫って、過去のデータからアドバイスの作成を始めた。

 

翌週、相談者の姉が病院を訪れた。院内の男性たちは、気品に満ちたその女神のような姿に、目を奪われなかったものはいなかった。やがて、彼女が若菜の相談室に入る順番になった。

 

「はじめまして、青木綾と言います。耕輔から話は聞いていますわ。」

 

その姿に、若菜も一瞬心を奪われそうになった。女性として憧れるような美貌を持っており、立ち居振る舞いは、恋も仕事も出来るキャリアウーマンといった感じであった。しかし、ここは相談医として言うべきことは言わねばと考え、気持ちをすぐに切り替えた。

 

「はじめまして、三鷹病院の恋愛相談医、双葉若菜です。今日はよろしくお願いします。実は、今日はお話したいことがありまして…」

 

そこまでいうと、綾は退屈そうな表情をしながら話し出した。

 

「私と翔さんのことね。あの子ったら全く、まだそのことを気にしているなんて…。」

 

若菜が牧人と関係のやり直しを切り出す前に、綾が話を進め始めた。

 

「彼は私を必要としてくれている。私も彼を必要としている。裏切られた私のためかのように、彼は私の前に現れた。他の人に何と言われようと、私は彼を愛し続ける、ただそれだけだわ!」

 

さらに、続いて出た綾の言葉が、牧人と綾の関係のこじれが、若菜の想像以上であることを思い知らせた。

 

「それに、あの人は私を棄てたのよ、そんな人を許すなんて私はできない!」

 

そう言って、綾は若菜の言葉をそれ以上聞こうとはしなかった。牧人との別れから翔との出会いの過程の中で、奇妙な違和感を感じつつ、その日の集中対応はそこまでとし、時間をかけて問題の解決を図ることにした。

 

その頃、耕輔は牧人と営業に廻っていた。新規の顧客との取引があったからだ。移動の車の中で、耕輔は姉のことを三鷹病院で相談に乗ってもらっていることを話した。そして、

 

「これで姉さんが考えを変えてくれたら、きっと牧人先輩のところに戻ってきますよ!」

 

そう意気込む耕輔に対して、牧人はどちらかといえば冷静であった。

 

「そうだな、そうなってくれれば、一番嬉しいよ。でも、現実は厳しいんだろうな。」

 

そんな牧人に、耕輔は思わず切り返した。

 

「何ネガティブなこと言っているんですか、先輩!あんなヤツより、先輩の方が絶対に姉の恋人としてふさわしいですよ、俺が保証します!!あのデマ騒動には、きっと何か裏があったに違いないですよ!もしかしたら、あいつが絡んでいたりとか…」

 

興奮気味にそう話す耕輔を落ち着かせるかのように、牧人は淡々と話した。

 

「確かに、あの騒動には裏があるに違いないと思う。それが分かれば、俺も知りたいけどな。でも、結果的に綾を傷つけた俺に、最終的な責任はあるよ。守りきれなかったんだからな…。さて、そろそろ取引先に着くから、準備しておけよ。」

 

その日の帰り、耕輔はその足で三鷹病院に向かった。姉のカウンセリング結果を聞くためだ。プロが対応してくれたから、何か成果が期待できる。そう思い、若菜のもとを訪れたのだ。だが、現実は厳しかった。

 

「お姉さん、完全に翔っていう人に心が傾いているわね。それと同じくらい、牧人に心を閉ざしている。解決には何かもっと決定的なものが必要ね。」

 

若菜は今の状況を耕輔に説明した。

そして、それと同時に、1つ耕輔に調査を依頼した。

 

それからの対応も、主に関係の修復に重点が置かれた。ヨリを取り戻すかどうかまでの結論は踏み込まないものの、せめてかつての良好な関係にまでは戻るようにと、若菜は言葉を尽くしていった。

 

しかし、綾にとって、突然横から入ってきたような若菜は不愉快な存在であった。ある日突然、見ず知らずの人間からあれこれ言われれば、それは当然の流れであった。それでもなお、若菜のもとを訪ねるのは、弟の耕輔の強い希望があったからであり、そんな耕輔に説得を諦めさせるためでもあった。

 

ある日、若菜はいつものように何気ない日常会話から牧人との関係の話まで持ち込んだ。いつもならば、その話を始めた途端、綾は不機嫌に話をさえぎっていた。

 

しかし、その日の綾は、表情を変えずに黙り込んでいた。何を考えているのだろう、ひょっとして、弟さんの願いをようやく理解して、考えが変わってきてくれているのかもしれない…。

 

しばらくして再び、綾は若菜に話し始めた。しかし、その目はどこか醒めていて、なおかつ、哀れみのこもったようにも感じる視線であった。

 

「あなた…ひょっとして、妬いているの?」

 

「えっ!?」

 

意外な反応であった。依頼人とそのお姉さんのためにと思って対応してきたのに、何でそんな風に受け取られるのか、そう困惑する若菜の存在など無視するかのように綾は話を続けた。

 

「あの時、ズタズタに傷ついた私に、まるで白馬の王子のように彼が現れたことに、あなた、彼氏が出来なくて妬いているのね。良かったら、あなたにも素敵な方、紹介しましょうか?」

 

若菜を蔑むような綾の物言いと視線に、怒りを抑えるので若菜は必死であった。昼休みになってミーティングルームに戻ると、それが一気に爆発した。

 

「むかつく!超・むかつくあの女!!!

 

こっちは誠意をもって対応しているというのに、この仕打ちは何なんだ!そんな活火山のような状態の若菜に対して、能天気な和輝はうっかり口を滑らせた。

 

「まぁ、あのめっちゃ色っぽい綾って人から見れば、そう思われても仕方ないかもな。若菜ちゃん、パッと見だと幼児体型だもんなぁ。」

 

火に油を注ぐような発言である。思わず若菜は、パソコンの熱帯魚に餌をやっている和輝を後ろから締め上げた。

 

「先輩…セクハラですよ!!

 

若菜のきつい締めに、しまったと思った和輝が、反射的に答えた。

 

「悪い悪い!!頼むからそうカリカリすんなって!!!

 

まったく、一体どうすればいいんだろう…。八方塞がりで集中相談も怒りもやり場が無い状態で途方にくれていた。

 

「しかし…妙だな。」

 

そう切り出すと、和輝は独り言のようにつぶやいた。

 

「なんせ、大失恋の後に間髪入れずに、だろ?半年後にとかならばともかく、話が上手すぎやしないか?」

 

若菜の中での引っ掛かりが、具体的な形となって現れた。若菜は耕輔にすかさず連絡を入れた。作戦を実行に移す時が来たのだ。