当日、面接会場である三鷹病院に若菜は開始10分前に到着していた。携帯の占いサイトだと『今日は思わぬ逆転があるかも!』ってなっていた。逆転とは、きっと就職活動が終わることを意味しているはずだ。今日はきっといい日になる、いい日にするぞ!決意を胸に、若菜は病院内に入っていった。
院内は明るく清潔感があり、落ち着いた雰囲気であった。三鷹病院は3年前に耐震工事を行う際、合わせて改装工事を行っていたのだ。その時、少し離れたところから子どもの泣き声が聞こえた。泣いているのは女の子のようだ。気になって声のするほうに言ってみると、女の子がなにやら男の子にねだっていた。
「お兄ちゃんお菓子買って!買いたい、買いたい!! 」
「だめだよ、今日は我慢するって約束じゃないか。」
「欲しいー、欲しい、欲しい、欲しい!!」
どうやら妹がお菓子を兄にねだっているようだ、外ではよくある光景だ。若菜は2人に近づいて話しかけた。
「どうしたの、僕たち?」
「あ、妹が自販機のお菓子が買いたいって…。今日は我慢してお腹に子どもがいる母さんのお見舞いだけって、おじいちゃんとおばあちゃんと約束しているのに。」
若菜の問いかけに上の子がこう答えた。おじいちゃんおばあちゃんとの約束か…。約束は守らなきゃいけないっていうのは、小学校中学年くらいの上の子はきちんと理解しているんだな。けど、まだまだ意識が自分中心の幼稚園くらいの妹さんには、それじゃ買いたい衝動は抑えられないんだな。そんなことを考えながら、若菜はこう続けた。
「お腹に子どもがいるって、お母さんもうすぐ赤ちゃん産むの?」
「はい、来月の3日に弟が出来るんです!」
上の子がそう言ったとき、ある考えが浮かんだ。若菜は女の子の方に体を向け、にっこり微笑んで話しかけた。
「そっか、お嬢ちゃんお姉ちゃんになるんだね。お姉ちゃんになるなら、約束守れるお姉ちゃんになれるよね。お嬢ちゃんはいい子に出来る子だもんね。」
すると、さっきまでぐずっていた女の子が泣き止み、
「うん、私お姉ちゃんになるからいい子にする!」
と答え、すくっと立ち上がった。良かった、ちゃんと気持ちが届いたようだ。ちょうど一口サイズのお菓子を持っていた若菜は、ご褒美にそれを2人にあげた。2人は若菜にお礼を言うと、出口に向かって一目散に走った。若菜も集合時間の5分前であることになっていたことに気付き、少し急いで集合場所に向かった。
14時、面接が始まった。苦手なグループ形式ではなく、得意な個別面談だ。面接は比較的和やかな雰囲気で進行した。なぜ三鷹病院の恋愛相談医として働きたいのか、大学では何を学んでいるのか、アルバイトではどんなことを任されているのかといった、オーソドックスな質問を中心に答えていった。
面接開始から20分くらいたったと思われた頃、一人の面接官から
「質問は以上で終了です、1週間後くらいに結果はお知らせしますね」
と面接終了が伝えられた。
「はい、本日はありがとうございました!失礼します。」
確かな手ごたえとともに、そういって若菜が帰ろうとしたときであった
「あ、ゴメン!まだ1つ質問が残っていたよ。」
別の面接官が叫んだ。椅子に戻った若菜は嫌な予感がした。というのも、他の面接先で必ず聞かれていた質問がまだあったからだ。そしてそれは、若菜が最も聞かれたくない質問であった。やがて、若菜を呼び止めた面接官が口を開いた。
「何か資格は持っていますか?ほら、心理カウンセラーとか教員免状とか」
予感は的中した。今までも簿記の資格は持っているのかとか、パソコン関係の資格は持っているのかとか、嫌と言うほど聞いてきた。そういった資格を持っていない若菜は、その度に苦汁を飲まされてきた。
嘘で答えても仕方が無い…。若菜は
「すみません…、心理関係の資格はちょっと…。」
こう答えると、たずねた面接官がその場を取り繕うように答えた。
「あ、いや、資格の有無が必須って訳じゃなくて、それは勉強すればいいんだけど、あったらもっといいかなって思ってね、ハハハ。」
愛想笑いで若菜も返したが、心の中は冷静ではいられなかった。ここに来てまた資格の有無の壁か、と…。面接終了後、面接会場の最上階から出口の1階まで直通のエレベーターが自分しか乗っていないことが底なしに落ち込んでいるこの時は救いであった。
エレベーターから降り、まっすぐ出口に向かっていたとき、車椅子に座っている1人の老人が目に留まった。ニコニコとしてはいるが、どこか寂しげであった。
その時、老人は手を滑らせてアルバムを落としてしまった。車椅子からでは上手く拾えないため、若菜が拾って渡した。
「ありがとう、お嬢さん。ここの病院の人かい?」
「いえ、ちょっと用事があってここに。アルバムの写真はお孫さんですか?」
笑顔で話しかける若菜に、老人もさっきとは違った、やさしい太陽のような笑顔を返しながら話しだした。
「ああ、さっきまで家内と一緒に息子夫婦が見舞いに来てくれてね。孫は塾と習い事でなかなか来てくれんが、電話でやり取りしたり、こうやって少年野球の写真を見せてくれたりするんだよ。しかし、またしばらく会えないなぁ。報道局で働いているせがれと嫁はなかなか休みが取れないし、自転車しか使えん妻は、息子夫婦が車出してくれないと、そう遠くには行けないからのう。わしは運転が出来るから、早く退院して、また妻と温泉にでも出かけたいなあ。若い頃は良く伊豆の方へ行ったものだよ。妻は若い頃はそりゃあ美人で、気立ても良くてな。ふらふらしていた僕を支えてくれて感謝している。今でも自慢の家内だよ。」
そう若菜に話しかける老人に、若菜は少し穏やかな気分になった。奥様を本当に愛していて、素敵だな。そして、自分も将来、こんなパートナーに巡りあいたいなと。
翌日、面接を終えた医師たちは、選考結果を理事長に提出した。
「佐藤、鈴木、岡田…この3名を採用するのね」
「はい、面接した40名中、5名が臨床心理士の資格を持っており、その中から3名選びました。」
そう答える副院長に対して、理事はいつものように淡々と書類を確認していた。その時であった、1枚の選考結果が床に落ち、それを拾い上げながら思わず選考過程をじっくり見た。その選考結果を不思議に感じた理事長は、副院長に問いかけた。
「あら、この子、印象もコミュニケーション能力も高い結果なのに、どうして採用しないの?別に3人きっかりじゃなくてもいいのよ。」
副院長はおなじみのせりふを言うかのように答えた。
「あぁ、その者は業務で役に立つ資格を特に持っておりませんでしたので。まぁ、確かに印象はむしろ良い方で、コミュニケーション能力も高いのですが、病院ですので、資格面は譲れないと思いまして。」
「分かったわ、それじゃ手続きを進めてちょうだい。」
面接から数週間後、現実は残酷であった。
『面接の結果、残念ながら、貴意に添うことは出来ませんでした。末筆ではございますが今後のご活躍をお祈りいたします』
「あー、もう!何で私ばっかりこうなるのよ!!」
二言目には資格だのインターンシップだのと、面接で落とされ続けてきた若菜にとって、いい加減この手のものが原因で内定を取れないことにうんざりしてきていた。その日の昼は学校もバイトも休みだったため、そのままふて寝することにした。
夕方、なにやら下から呼んでいる母親の声で若菜は目を覚ました。
「若菜、もう一通、三鷹病院からきているわよ!」
何なんだろうと思い、若菜は下に降りて手紙を受け取った。手紙の差出人は三鷹病院からであった。ただ、封筒のタイプが午前に届いたものと違い、少し格式高そうな封筒であった。手違いでもう一通余計なものがきていたら怒鳴り込んでやろうくらいの気持ちで、封を開けると、その中身はキョトンとするものであった。
『9月20日21時から個別面談を実施いたしたく、ここに通知いたします。正門前までお越しください。』
一方は不合格の通知であったのに、もう一通は再面接の案内だったのだ。しかも、面接時間が21時からなんて不自然すぎる。しかし、同封されている地図は確かに三鷹病院の地図であり、通知に書かれている面接番号も確かにこの前の面接のときのものであった。何よりも、封筒も文書も若菜に宛てられたものであった。