My Sensei
六本木交差点に程近い
外苑東道り沿い
東京タワーに向かって左側
とある薬局の横の階段を上って行くと
Winnersってレコ屋が有った
場所と時節柄
派手なおっさんや
お水丸出しのおねえちゃん
テレビで見た様な人から
外人さんまで
多種多様な客層
一度、両脇にワンレンボディコンの化け物みたいのを連れた
何となくクリスタル時代の田中康夫なんかにも遭遇したり
たいそうな賑わいだった
この店は他所の店とは違い
独自の仕入れルートを持っていたらしく
(後でその事を教えてもらった)
他所の店には無い12”やアルバムが結構有った
定かでは無いがshowbiz & a.g /party grooveは
リアルタイムではこの店にしか入荷していないらしい
しかもたしか2~3時迄営業してた
と同時に難点有りな店で
とにかく値段が高い
12”が1900円アップ
アルバムが2500円くらいだった
当時東京の輸入盤屋の中ではダントツで
さらに US$ なんてコーナーがあり
ちょっと美味しい12”なんかがそこに入ったりしていた
ある時
そのエサ箱で当時かなり探してた
cameo / candy
の12”を発見した
ゲートフォールドのジャケ付き
たしかuk盤
でもそこはus$コーナー
幾らだかは直ぐには分からない
恐る恐るレジへ
幾らですかね?
”ん、ちょっと待って担当呼ぶから、って
奥から出て来た
ワイシャツにネクタイという制服が
似合わない(店員全員に当てはまっていたが)
winnersにしては若いやさぐれた店員が出て来た
メモかなんかを見て電卓叩いて
たしか2千円ちょっとだったと思う
しかし背に腹は代えられない
どうしても欲しかったから買った、けど
なんでuk盤がドル換算なんだよ、って
ずっと腑に落ちなかった
ようするにこの店は通う店では無く
六本木に飲み行ったついでに覗いて
酔った勢いで買えて無かったレコードを買う店だった
余談だが何年か経ってから新宿のWinnersにたまたま行った時
既に中古屋では値段が最高潮に達していた
esg/ufo がシールドで他の新譜と同じ値段で売っていた
もう一枚有るか訪ねると
”倉庫に多分有るはず、連絡します、と言われ
それっきりだった
コレも後から聞いた話だが
なんでも都内マンション数カ所を倉庫代わりに使っていて
従業員さえも限られた時にしか入れなかったらしい
そんな謎の多い店だ
話は変わって
渋警の裏にあったマンハッタンが宇田川に移る数年前から
disco,garageの凄い12”が
鬼のよう揃っていたの知ってる人なら分かると思うが
驚く様なモノが所狭しと並んでいた
オレが18の時まで地方でどんなに探しても
一枚しか発見出来なかったsalsoulの12”が
嘘みたいな品揃えで有ったのがオレとマンハッタンの出会いだが
行く度に12”の量が増え、棚も増え
とんでもない事になっていた
もちろん色々試聴させて貰ったり
オススメして貰って色々買っていた
暫くしてからマンの社長に
”近くこの12”を担当している男が店に立つから、って言われた
聞けばwinnersで働きつつマンでリストを書いたり
買い付けに行ってたらしい
それから数日後
ふらっとマンに寄ってみると
いつもメンツに混ざって知らない人がいた
”あっ、イタガキくん、彼が小林くんだよ、って
オレが、はじめまして、なんて挨拶したら
”ああ、
で終わり、で
その瞬間思い出した
winnersにいた やさぐれた若い店員だ!って
その後も愛想は良く無いが
とにかく良い曲いっぱい知っいて
オススメされたモノは何時も間違い無いし
それまでマンにはターンテーブル一台しか無かったが
小林さんが働きだしてから二台になり
(棚の上下に一台ずつ)
ミキサーも置かれた
時間がある限り何時もミックスしていて
その時くらいからDJのお客もかなり多くなり
客が皆そこでかかる曲を欲しがっていた
まさにかけりゃ売れるって感じで
オレもイントロが長いとか
インストとかアカペラが12”に入っている意味も
小林さんのプレ-で理解が出来た
当時のオレには小林さんのプレーは衝撃だった
この時代は第一次コネとファッション重視の
音楽的にイケてないdjが
雨後のタケノコ状態で
それには何の魅力も感じなかったが
はじめて日本人のDJでプレイに憧れたのはこの人だった
徐々に小林さんと仲良くもなり
マンに行くのもより一層楽しくなった
その後店の人から
”うちはsoul,funk,discoは強い人間がいるけど
hip hopが分かる人間がいない
イタガキくん詳しいでしょ?
今度 hip hopガッチリやるから
一回リスト書きやらない?、って誘われた
リスト書きと言えば小林さんやってた事だし
憧れてた人と同じ事が出来るって事で快諾した
当たり前のモノからマニアックなモノ
自分が持って無いけど欲しいモノ
もちろん国内の色んな雑誌から洋書迄
参考にして書きまくった
今現在誰に見られても
恥ずかしさの欠片も無いなかなかなリストだったと思う
それから数ヶ月した買い付け後
”君のリスト結構買えたよ
なんて言われてから暫くして
覚えのある12”がボチボチ並んでた
嬉しい反面、結構高くて食らってた
そんな時小林さんが
”オマエのリストのこれいいな
何でこんなの知ってんの?って
sandy kerr の Thug Rockのだった
george kerrが好きで、なんて答えてると
”二枚しか買えなかったから一枚オレでいいだろ?って言われた
自分の世代のhip hop以外は
教えて貰ってばかりだったから
その台詞を聞いて
初めて少しだけ認めて貰えた気がした
その後本格的に働くようになってからは
とにかく毎日色んな意味で楽しかった
青や赤なんかに店が分かれる前迄は
毎日6時位迄に取り敢えずの仕事を終わらせ
終わった順に便所経由で
各々1時間づつ売りモノの新譜と旧譜を混ぜつつの
DJタイムが何より楽しかった
互いに色々な発見が有るし
なにより
”その売り方”で
オレもレコードが売れるようになった事が
最高だった
実際この時間に合わせて来てくれるお客も少なく無かった
ただ、ミックスがバタついたり展開でビートが裏にいったりすると
照明消されてブースだけピンスポットにされなどの仕打ちが待っていた
買い付けでは
飛行機が嫌いで余り一緒に買い付けは行けなかったが
買い付け先で見せるそのレコードに関する執着っぷりと
それ以外の時間のポンコツな雄ライオンっぷりは
良くも悪くも自分の為にはなった
かなり色々なエピソードも有るが中でも
どうしても忘れられない事がある
ロスのとある場所からホーム I.Eへの戻り
大雨で雨に弱い土地柄、通行止めなんかが起き
大渋滞に、このままハマっていても意味が無いから
飯でも食うかと、近くに見えたインチキ臭い日本食屋へ
案の定お隣の国の人が営む謎のメニュー満載の店で
取り敢えずみんなで定食みたいの頼んだ
お約束のまずはのミソスープでスタートして
おかずが来て、米が来た
すると何故か気分を害してる
どうしたんですか?ってオレ
すると
”ゆるせねえなコレ、と米を指さす
まあ、不味そうな米ですよね、
”違う!米って言うのはこんな装い方するもんじゃねえだろ!
コレは我慢出来ない、って
いきなり
”おい、おまえ、何だこの米の装い方わ!
日本語で怒りだした
怪訝な顔をするお隣の国の女ウエートレス
一緒にいた連れの黒人も
”どうした、何事だ、って
オレも ”小林さん、日本語で言っても分からないし
しょうが無いんじゃないですか、って言うと
”なんでだ、日本食屋やってるなら
日本語が通じて当然だろ!
だいたい米の装い方も知らないで~、、、”
結果、何のかんのでお変わりまでして食事は終了
とにかく色んな意味で全てに一過言有る
尊敬すべきこだわり男
前回に続き長い前振りですが
この数少ないオレのアイドルと
イベントやります!
4.21 (sun)
Ecstasy Garage Production Presents
" Sunday Afternoon Lounge " @ EN-SOF TOKYO

色んな意味でマニアックなおっさん達が
あなたの心と体を揺さぶります!
是非買い物の後にでも遊びに来て下さい!
おまけ
渋谷の内線電話で注文して、で一世を風靡した
アンカレッジが入ってたビル
そこの上の方の階にあった
rootsってレコ屋が有ったの知ってます?
このレコ屋実は先に語っていた
winnes の倉庫に眠っていた在庫を売っていた
隠れwinnersだった、って事を
働いていた人も昔からの店員だった人
看板も出してたが最初の頃は
痛いアイドルもんのアナログのアピールばっかりで
皆スルーしていたが
実はかなり凄い品揃えだった
オレがBambuやっていた時
オープンして直ぐのrootsに
小林さんに誘われていった
”池野さんが働いてる、って誘われて
挨拶程度の顔出しのつもりだったが
食らった
結構レアなアルバムがあり
更に国内盤のドーナッツ(全部見本盤!)コーナーなんかも有って
危ない品揃え過ぎて
挨拶もそこそこに掘り倒した
アルバムは有名なsoulのレア盤は正直高すぎてシカトだったが
その間あいだにあり得ない安値で
かなり美味しい物が眠っていた
それに殆どなかったが12”も間にちょっと混ざっていて
それも美味しすぎた
あと国産ドーナッツ
今なら買い取り屋が何千円で買い〼!みたいなのが
数百円で数十枚ゲット出来た
モチロン全部見本盤で新品!
その後もまめに連絡貰って
us盤の、king、peopleなんかの
結構見ない45をあり得ない安さで買えた
”コレで全部だよ、もう無い
って言われてから行かなくなったが
直後から看板は
”国内盤のレアなドーナッツあります!、みたいなノリに変わり
一時期皆チェックしに行ってたみたいだが
口開けはオレが頂いてました
悪しからず
*前回のブログ
"big man"の訂正
”永井さんが M のマークを作った”は
オレの記憶違いでした
外苑東道り沿い
東京タワーに向かって左側
とある薬局の横の階段を上って行くと
Winnersってレコ屋が有った
場所と時節柄
派手なおっさんや
お水丸出しのおねえちゃん
テレビで見た様な人から
外人さんまで
多種多様な客層
一度、両脇にワンレンボディコンの化け物みたいのを連れた
何となくクリスタル時代の田中康夫なんかにも遭遇したり
たいそうな賑わいだった
この店は他所の店とは違い
独自の仕入れルートを持っていたらしく
(後でその事を教えてもらった)
他所の店には無い12”やアルバムが結構有った
定かでは無いがshowbiz & a.g /party grooveは
リアルタイムではこの店にしか入荷していないらしい
しかもたしか2~3時迄営業してた
と同時に難点有りな店で
とにかく値段が高い
12”が1900円アップ
アルバムが2500円くらいだった
当時東京の輸入盤屋の中ではダントツで
さらに US$ なんてコーナーがあり
ちょっと美味しい12”なんかがそこに入ったりしていた
ある時
そのエサ箱で当時かなり探してた
cameo / candy
の12”を発見した
ゲートフォールドのジャケ付き
たしかuk盤
でもそこはus$コーナー
幾らだかは直ぐには分からない
恐る恐るレジへ
幾らですかね?
”ん、ちょっと待って担当呼ぶから、って
奥から出て来た
ワイシャツにネクタイという制服が
似合わない(店員全員に当てはまっていたが)
winnersにしては若いやさぐれた店員が出て来た
メモかなんかを見て電卓叩いて
たしか2千円ちょっとだったと思う
しかし背に腹は代えられない
どうしても欲しかったから買った、けど
なんでuk盤がドル換算なんだよ、って
ずっと腑に落ちなかった
ようするにこの店は通う店では無く
六本木に飲み行ったついでに覗いて
酔った勢いで買えて無かったレコードを買う店だった
余談だが何年か経ってから新宿のWinnersにたまたま行った時
既に中古屋では値段が最高潮に達していた
esg/ufo がシールドで他の新譜と同じ値段で売っていた
もう一枚有るか訪ねると
”倉庫に多分有るはず、連絡します、と言われ
それっきりだった
コレも後から聞いた話だが
なんでも都内マンション数カ所を倉庫代わりに使っていて
従業員さえも限られた時にしか入れなかったらしい
そんな謎の多い店だ
話は変わって
渋警の裏にあったマンハッタンが宇田川に移る数年前から
disco,garageの凄い12”が
鬼のよう揃っていたの知ってる人なら分かると思うが
驚く様なモノが所狭しと並んでいた
オレが18の時まで地方でどんなに探しても
一枚しか発見出来なかったsalsoulの12”が
嘘みたいな品揃えで有ったのがオレとマンハッタンの出会いだが
行く度に12”の量が増え、棚も増え
とんでもない事になっていた
もちろん色々試聴させて貰ったり
オススメして貰って色々買っていた
暫くしてからマンの社長に
”近くこの12”を担当している男が店に立つから、って言われた
聞けばwinnersで働きつつマンでリストを書いたり
買い付けに行ってたらしい
それから数日後
ふらっとマンに寄ってみると
いつもメンツに混ざって知らない人がいた
”あっ、イタガキくん、彼が小林くんだよ、って
オレが、はじめまして、なんて挨拶したら
”ああ、
で終わり、で
その瞬間思い出した
winnersにいた やさぐれた若い店員だ!って
その後も愛想は良く無いが
とにかく良い曲いっぱい知っいて
オススメされたモノは何時も間違い無いし
それまでマンにはターンテーブル一台しか無かったが
小林さんが働きだしてから二台になり
(棚の上下に一台ずつ)
ミキサーも置かれた
時間がある限り何時もミックスしていて
その時くらいからDJのお客もかなり多くなり
客が皆そこでかかる曲を欲しがっていた
まさにかけりゃ売れるって感じで
オレもイントロが長いとか
インストとかアカペラが12”に入っている意味も
小林さんのプレ-で理解が出来た
当時のオレには小林さんのプレーは衝撃だった
この時代は第一次コネとファッション重視の
音楽的にイケてないdjが
雨後のタケノコ状態で
それには何の魅力も感じなかったが
はじめて日本人のDJでプレイに憧れたのはこの人だった
徐々に小林さんと仲良くもなり
マンに行くのもより一層楽しくなった
その後店の人から
”うちはsoul,funk,discoは強い人間がいるけど
hip hopが分かる人間がいない
イタガキくん詳しいでしょ?
今度 hip hopガッチリやるから
一回リスト書きやらない?、って誘われた
リスト書きと言えば小林さんやってた事だし
憧れてた人と同じ事が出来るって事で快諾した
当たり前のモノからマニアックなモノ
自分が持って無いけど欲しいモノ
もちろん国内の色んな雑誌から洋書迄
参考にして書きまくった
今現在誰に見られても
恥ずかしさの欠片も無いなかなかなリストだったと思う
それから数ヶ月した買い付け後
”君のリスト結構買えたよ
なんて言われてから暫くして
覚えのある12”がボチボチ並んでた
嬉しい反面、結構高くて食らってた
そんな時小林さんが
”オマエのリストのこれいいな
何でこんなの知ってんの?って
sandy kerr の Thug Rockのだった
george kerrが好きで、なんて答えてると
”二枚しか買えなかったから一枚オレでいいだろ?って言われた
自分の世代のhip hop以外は
教えて貰ってばかりだったから
その台詞を聞いて
初めて少しだけ認めて貰えた気がした
その後本格的に働くようになってからは
とにかく毎日色んな意味で楽しかった
青や赤なんかに店が分かれる前迄は
毎日6時位迄に取り敢えずの仕事を終わらせ
終わった順に便所経由で
各々1時間づつ売りモノの新譜と旧譜を混ぜつつの
DJタイムが何より楽しかった
互いに色々な発見が有るし
なにより
”その売り方”で
オレもレコードが売れるようになった事が
最高だった
実際この時間に合わせて来てくれるお客も少なく無かった
ただ、ミックスがバタついたり展開でビートが裏にいったりすると
照明消されてブースだけピンスポットにされなどの仕打ちが待っていた
買い付けでは
飛行機が嫌いで余り一緒に買い付けは行けなかったが
買い付け先で見せるそのレコードに関する執着っぷりと
それ以外の時間のポンコツな雄ライオンっぷりは
良くも悪くも自分の為にはなった
かなり色々なエピソードも有るが中でも
どうしても忘れられない事がある
ロスのとある場所からホーム I.Eへの戻り
大雨で雨に弱い土地柄、通行止めなんかが起き
大渋滞に、このままハマっていても意味が無いから
飯でも食うかと、近くに見えたインチキ臭い日本食屋へ
案の定お隣の国の人が営む謎のメニュー満載の店で
取り敢えずみんなで定食みたいの頼んだ
お約束のまずはのミソスープでスタートして
おかずが来て、米が来た
すると何故か気分を害してる
どうしたんですか?ってオレ
すると
”ゆるせねえなコレ、と米を指さす
まあ、不味そうな米ですよね、
”違う!米って言うのはこんな装い方するもんじゃねえだろ!
コレは我慢出来ない、って
いきなり
”おい、おまえ、何だこの米の装い方わ!
日本語で怒りだした
怪訝な顔をするお隣の国の女ウエートレス
一緒にいた連れの黒人も
”どうした、何事だ、って
オレも ”小林さん、日本語で言っても分からないし
しょうが無いんじゃないですか、って言うと
”なんでだ、日本食屋やってるなら
日本語が通じて当然だろ!
だいたい米の装い方も知らないで~、、、”
結果、何のかんのでお変わりまでして食事は終了
とにかく色んな意味で全てに一過言有る
尊敬すべきこだわり男
前回に続き長い前振りですが
この数少ないオレのアイドルと
イベントやります!
4.21 (sun)
Ecstasy Garage Production Presents
" Sunday Afternoon Lounge " @ EN-SOF TOKYO

色んな意味でマニアックなおっさん達が
あなたの心と体を揺さぶります!
是非買い物の後にでも遊びに来て下さい!
おまけ
渋谷の内線電話で注文して、で一世を風靡した
アンカレッジが入ってたビル
そこの上の方の階にあった
rootsってレコ屋が有ったの知ってます?
このレコ屋実は先に語っていた
winnes の倉庫に眠っていた在庫を売っていた
隠れwinnersだった、って事を
働いていた人も昔からの店員だった人
看板も出してたが最初の頃は
痛いアイドルもんのアナログのアピールばっかりで
皆スルーしていたが
実はかなり凄い品揃えだった
オレがBambuやっていた時
オープンして直ぐのrootsに
小林さんに誘われていった
”池野さんが働いてる、って誘われて
挨拶程度の顔出しのつもりだったが
食らった
結構レアなアルバムがあり
更に国内盤のドーナッツ(全部見本盤!)コーナーなんかも有って
危ない品揃え過ぎて
挨拶もそこそこに掘り倒した
アルバムは有名なsoulのレア盤は正直高すぎてシカトだったが
その間あいだにあり得ない安値で
かなり美味しい物が眠っていた
それに殆どなかったが12”も間にちょっと混ざっていて
それも美味しすぎた
あと国産ドーナッツ
今なら買い取り屋が何千円で買い〼!みたいなのが
数百円で数十枚ゲット出来た
モチロン全部見本盤で新品!
その後もまめに連絡貰って
us盤の、king、peopleなんかの
結構見ない45をあり得ない安さで買えた
”コレで全部だよ、もう無い
って言われてから行かなくなったが
直後から看板は
”国内盤のレアなドーナッツあります!、みたいなノリに変わり
一時期皆チェックしに行ってたみたいだが
口開けはオレが頂いてました
悪しからず
*前回のブログ
"big man"の訂正
”永井さんが M のマークを作った”は
オレの記憶違いでした
Big Man
皆さんは
永井博さん
知ってますか?
”大滝詠一”

”HIROSHI II HIROSHI”(藤原ヒロシ 川辺ヒロシ)

”AOR BREEZE”

独自の世界観を持った
爽やかさ溢れる作風が特徴で
幅広い世代に認知されている
イラストレーターです
その永井さんとひょんな事で
若い頃に知り合いになりました
当時東京中のレコ屋に通いまくり必死になって
Hip Hopを掘りまくっていたオレに
どうにも解決出来ないストレスが有った
確かblack music reviewと言う音楽雑誌の1コーナー
真ん中よりも後ろ寄りの白黒ページの見開きで
ペンギン永井の名前で毎月20枚くらいの
Hip Hopの新譜を主に紹介するコーナーがあった
興味深いコメントと聴いた事の無いアーティスト、レーベルの物が並ぶ
そのレヴューがストレスの原因だった
その辺の輸入盤屋に足繁く通っているのに
殆ど見つけられない
店員に聞いても知らぬ存ぜぬで
この人は何処でレコード屋で買ってるのか不思議でならなかった
その時の気になる物は全てメモして
中古屋でもよく聞いていた
そんなある日、仕事終わりに
当時テッペン過ぎてもオープンしていた
祐天寺のONEWAYに行き
いつものようにエサ箱を掘り進め
その後店長の中村さんにメモを見せ
こんなの無いですかね?って聞いてみたら
”これ、どこで見たの?ってなって
black music ~のって説明したら
”あ~永井さんか、知ってるから紹介するよ、
話し好きの良い人だから電話してみたら、って
メモに電話番号書いて渡された
紹介って、いきなり電話掛けんの、て思ったけど
これでストレスから解放される、と
どんな凄い人なんだろう、の気持ちには勝てず
2~3日後のある日思い切って電話した
あの中村さんに番号聞きました、みたいな感じで始まり
”そう で君何聞きたいの?から
結果会話は一時間以上続いた
何所の店に行くとか、何曜日が狙いめとか、
一枚しか取らなかったサンプル盤も全部見せて貰うとか、
出来る事、出来ない事含め
最高に有意義な時間だった
そのおかげでストレスは大分軽減された
それから3年後くらいでオレはイタメシ屋を辞め
とあるくだらない専門学校に通いつつ
ひたすらレコ屋通いを続けてた
そしていつも終着地点はマンハッタンだった
いつしか学校はフェードアウトしてマンハッタンの事務所で
用のある時のみバイトしつつリストを書いたりしてた
それからすぐに渋警裏から今の宇田川町に引っ越す、で
”新譜もやるから働いて、って言われた
店を移転した一月後くらいに
店の人から
”君が前に話してた 永井さん今日来よ、って
Hip Hop soul house reggae何でもチェックしてる人だし
どんな尖った人が来るかと色々と勘ぐってたら
名前の通りペンギン体系の おっさん、だった
で、その節は的な挨拶を済ませ
そこからオレがマンハッタンを辞め自分の店を出し
それも辞めるくらいまでは頻繁に連絡取っていた
ダブっていた7INCHなんかも格安で譲って貰ったりして
良い時を過ごしていた
ちなみにマンハッタンの M のマークは永井さん作のはずだ
オレの店の扉にあったblunt入ったBambuマークも永井さんに作ってもらった
それから自分の携帯が何度も変わり
いろいろな人達の番号を無くして行き
永井さんの連絡先も無くしてしまった
そしてすっかり音信不通になっていた
そんなこんなで時は流れ
つい最近マンの元社長の赤いお祝いで
色々な人たちとの再会を果たした結果
色々端折って
新しくイベントをやってみよう、って話になり
その話をした人(後日語らせて貰います)も
音楽人なんでどうせなら
マニアックなメンツでって事に賛同してもらい
是非を永井さん誘いたいって
ただ周りで連絡先知ってる人間が居なかったので
過去の記憶を頼りに
昔譲ってもらった7INCHの中に
スタンプの押してあるスリーブが有ったのを思い出した
流行ったか流行ってないかは知らないけど
一時期自分のスタンプ作ってジャケの内側や
スリーブにぺたぺた押してた人達がいた
何となくそのレコードのタイトルは憶えていたので
思い立ってから4日後に無事発見し連絡がついた
イベントの事も快諾してもらい
マニアックなオトナの集いが実行出来る運びとなった
かなり長い前振りだったが
4/21(日)夕方にイベントやります!
Ecstasy Garage Production Present
”Sunday Afternoon Lounge”@ EN-SOF TOKYO
DJ'S
: Hiroshi Nagai 永井 博
: Hiromichi Kobayashi 小林 弘道
: Mr.Itagaki a.k.a. Ita-cho
: Da Stimpy
OPEN 16:00--23:00
CHARGE ¥1000--

次のブログでは二人目の男について
語らせて貰います(予定)
永井博さん
知ってますか?
”大滝詠一”

”HIROSHI II HIROSHI”(藤原ヒロシ 川辺ヒロシ)

”AOR BREEZE”

独自の世界観を持った
爽やかさ溢れる作風が特徴で
幅広い世代に認知されている
イラストレーターです
その永井さんとひょんな事で
若い頃に知り合いになりました
当時東京中のレコ屋に通いまくり必死になって
Hip Hopを掘りまくっていたオレに
どうにも解決出来ないストレスが有った
確かblack music reviewと言う音楽雑誌の1コーナー
真ん中よりも後ろ寄りの白黒ページの見開きで
ペンギン永井の名前で毎月20枚くらいの
Hip Hopの新譜を主に紹介するコーナーがあった
興味深いコメントと聴いた事の無いアーティスト、レーベルの物が並ぶ
そのレヴューがストレスの原因だった
その辺の輸入盤屋に足繁く通っているのに
殆ど見つけられない
店員に聞いても知らぬ存ぜぬで
この人は何処でレコード屋で買ってるのか不思議でならなかった
その時の気になる物は全てメモして
中古屋でもよく聞いていた
そんなある日、仕事終わりに
当時テッペン過ぎてもオープンしていた
祐天寺のONEWAYに行き
いつものようにエサ箱を掘り進め
その後店長の中村さんにメモを見せ
こんなの無いですかね?って聞いてみたら
”これ、どこで見たの?ってなって
black music ~のって説明したら
”あ~永井さんか、知ってるから紹介するよ、
話し好きの良い人だから電話してみたら、って
メモに電話番号書いて渡された
紹介って、いきなり電話掛けんの、て思ったけど
これでストレスから解放される、と
どんな凄い人なんだろう、の気持ちには勝てず
2~3日後のある日思い切って電話した
あの中村さんに番号聞きました、みたいな感じで始まり
”そう で君何聞きたいの?から
結果会話は一時間以上続いた
何所の店に行くとか、何曜日が狙いめとか、
一枚しか取らなかったサンプル盤も全部見せて貰うとか、
出来る事、出来ない事含め
最高に有意義な時間だった
そのおかげでストレスは大分軽減された
それから3年後くらいでオレはイタメシ屋を辞め
とあるくだらない専門学校に通いつつ
ひたすらレコ屋通いを続けてた
そしていつも終着地点はマンハッタンだった
いつしか学校はフェードアウトしてマンハッタンの事務所で
用のある時のみバイトしつつリストを書いたりしてた
それからすぐに渋警裏から今の宇田川町に引っ越す、で
”新譜もやるから働いて、って言われた
店を移転した一月後くらいに
店の人から
”君が前に話してた 永井さん今日来よ、って
Hip Hop soul house reggae何でもチェックしてる人だし
どんな尖った人が来るかと色々と勘ぐってたら
名前の通りペンギン体系の おっさん、だった
で、その節は的な挨拶を済ませ
そこからオレがマンハッタンを辞め自分の店を出し
それも辞めるくらいまでは頻繁に連絡取っていた
ダブっていた7INCHなんかも格安で譲って貰ったりして
良い時を過ごしていた
ちなみにマンハッタンの M のマークは永井さん作のはずだ
オレの店の扉にあったblunt入ったBambuマークも永井さんに作ってもらった
それから自分の携帯が何度も変わり
いろいろな人達の番号を無くして行き
永井さんの連絡先も無くしてしまった
そしてすっかり音信不通になっていた
そんなこんなで時は流れ
つい最近マンの元社長の赤いお祝いで
色々な人たちとの再会を果たした結果
色々端折って
新しくイベントをやってみよう、って話になり
その話をした人(後日語らせて貰います)も
音楽人なんでどうせなら
マニアックなメンツでって事に賛同してもらい
是非を永井さん誘いたいって
ただ周りで連絡先知ってる人間が居なかったので
過去の記憶を頼りに
昔譲ってもらった7INCHの中に
スタンプの押してあるスリーブが有ったのを思い出した
流行ったか流行ってないかは知らないけど
一時期自分のスタンプ作ってジャケの内側や
スリーブにぺたぺた押してた人達がいた
何となくそのレコードのタイトルは憶えていたので
思い立ってから4日後に無事発見し連絡がついた
イベントの事も快諾してもらい
マニアックなオトナの集いが実行出来る運びとなった
かなり長い前振りだったが
4/21(日)夕方にイベントやります!
Ecstasy Garage Production Present
”Sunday Afternoon Lounge”@ EN-SOF TOKYO
DJ'S
: Hiroshi Nagai 永井 博
: Hiromichi Kobayashi 小林 弘道
: Mr.Itagaki a.k.a. Ita-cho
: Da Stimpy
OPEN 16:00--23:00
CHARGE ¥1000--

次のブログでは二人目の男について
語らせて貰います(予定)
Brand New Thing
久しぶりにある Big manと話した
知らない人にとってみれば只のジジイかも知れないが
知ってる人にしてみれば正に神みたいな御方
その人を含めオレが尊敬出来る人達とちょっとした事を始めるつもりだ
来月前半には詳細をお知らせしようと思っているので
楽しみにして下さい
楽しみして、と言えば
以前このブログでも触れていた
Production Breakdown "the best of Bob James"
(皆さんチェックして頂けてますでしょうか?)
に付随したマテリアルとして
アナログ 12'出す予定です
オレ的には準備出来ています
あとはレコード会社の権利的な問題をクリアするのみです
ココまで来たので気長にもう少しお待ち下さい
期待を裏切らない物がリリース出来るはずです
期待を裏切らない、と言えば
新しいmixも完成しました
今回はElectricな Mastermix的な物です
まだ動かし方を決めていないのですが
これも近々リリース予定なので
好色家の方を筆頭に
全ての音楽好きの皆さん
リリースされた際には
宜しくお願いします
知らない人にとってみれば只のジジイかも知れないが
知ってる人にしてみれば正に神みたいな御方
その人を含めオレが尊敬出来る人達とちょっとした事を始めるつもりだ
来月前半には詳細をお知らせしようと思っているので
楽しみにして下さい
楽しみして、と言えば
以前このブログでも触れていた
Production Breakdown "the best of Bob James"
(皆さんチェックして頂けてますでしょうか?)
に付随したマテリアルとして
アナログ 12'出す予定です
オレ的には準備出来ています
あとはレコード会社の権利的な問題をクリアするのみです
ココまで来たので気長にもう少しお待ち下さい
期待を裏切らない物がリリース出来るはずです
期待を裏切らない、と言えば
新しいmixも完成しました
今回はElectricな Mastermix的な物です
まだ動かし方を決めていないのですが
これも近々リリース予定なので
好色家の方を筆頭に
全ての音楽好きの皆さん
リリースされた際には
宜しくお願いします
U DA MAN
いつも興味深いこのシリーズに
DJ Rhettmatic's Vinyl Collection - Crate Diggers
過去にもwax poetics なんかでも
取り上げてくれてたし
本当、rhettに渡せて良かったと思う
あの時 rhett達が日本に来ていたタイミング
それ以前にDJ cashが up aboveのクルーを紹介してくれた事も
detroitで DJ House shoesとリンクした事が何よりだし
STUSSY J DILLA 日本語字幕付版 1/3 前編 documentary
色んなタイミング
巧くいく瞬間
常にRhettは凄く熱心でいてくれた
もちろんピーナッツも
その結果jayはDを離れLAに
そして望むも望まなくも
今がある

Rhettmatic: J Dilla Whatupdoe Mix Vol. 3
詳細はコチラで オレの過去Blog " in memory of
DJ Rhettmatic's Vinyl Collection - Crate Diggers
過去にもwax poetics なんかでも
取り上げてくれてたし
本当、rhettに渡せて良かったと思う
あの時 rhett達が日本に来ていたタイミング
それ以前にDJ cashが up aboveのクルーを紹介してくれた事も
detroitで DJ House shoesとリンクした事が何よりだし
STUSSY J DILLA 日本語字幕付版 1/3 前編 documentary
色んなタイミング
巧くいく瞬間
常にRhettは凄く熱心でいてくれた
もちろんピーナッツも
その結果jayはDを離れLAに
そして望むも望まなくも
今がある

Rhettmatic: J Dilla Whatupdoe Mix Vol. 3
詳細はコチラで オレの過去Blog " in memory of

















