teddy
teddy pendergrass
harold melvin&blue notesのメンバー
close the door
love tko
ひげダンス
テディペン
鬼籍に載った
バリトンは好きじゃない
でも聴けた
でも好きじゃない
人として ていうか
別に会ってなんかされたとか
そんなんじゃない
全盛期
ショーを終え
帰路に着く途中
彼は交通事故を起こした
なんかに衝突して
同乗者が一人助手席にいた
確か死んだと思う
テディペンは半身不随になり
車椅子暮らし
で、引退
普通なら
車の事故って怖い
ついてないテディペン
かわいそう
こんな感じ
実際
ショーを終えて
タギッたテディペン
いつも?のように
観客から
お持ち帰り
しかし彼は
残念な過ぎる
共食い
バティ
帰りの車中
運転しながら
試し食いさせてた
テディペン
そしたらその男
よほどスキルフルだったらしく?
”テディ行きますっ!!と同時に
ハンドルを誤り
ドガーン!!
みたいな
最悪です
2000年代になって
復帰してたみたい
たまたま向こうにいた時
モーテルで見てたtvショー
午前の下世話なヤツ
テディペンは車椅子
で
”あん時の私はどうかしてた、~
なんて涙ながらに語り
その後なんか歌ってた
気持ち良いからって
目つぶったら
その瞬間
人生が変わった?終わった?
てか
共食いのバチがあたった
よく知らないけど
腸のガンってのも
関係ないけど
R.I.P
LA .LA
pico blvd
ロスに行った事ある人なら走ったことあるかと
日本のレコ屋御用達のmartin’sがあった
うまいカリビアン、魚屋があって
o.g大好きRoscoe’sもある
防弾プラスチックに囲まれ一切接触の無いファストフードも
オレがはじめて見たのはココの通り沿いのkFCだった
他にも行き付けの場所が数ヶ所あり
L.A滞在中もっとも使った通りのひとつだった
空港の方から行くと
コリアン、メキシカンの整備工場が目立つエリアがある
この辺は元々はディストリビューター、ワンストップが多い場所で
音楽系の卸売り業の集まったエリアだった
今でも数店それっぽい店はあると思う
いまではすっかり
サビとホコリと犯罪にまみれた
結構ろくでもないエリア
ココにスゴイ店があった
オレの買い付け史上指折りにヤバく
かなり残念な店
ナカナカ中に入れない
基本、平日営業で
6-11
朝6じから11じまで、
5時間営業
しかも店は何時もカギがかかってる
中には入れるようになるまでに
3年以上、何百回も電話し、何度も直で行った
何でかと言うと
ここの変態オヤジ、話では
30年以上前に仕入れはしてたが
ココ10年は仕入れも止めてて
さらに不思議なことに
殆んど売った事が無いという
訳の分からない商売?で
なんかの病気と変態のハイブリット
見るからに病みやみ
結果2回 店に入れた
一回目は見るだけ
クラッた
でかい箱が積んである
上に小箱が1つ
基本店内はこの感じ
90%、7inch
motown, polydor, king, people,,
jb's, lyn colyns, kool & the gang,,
少し見ただけでスゲータイトルのデッドストックの山
下のでかい箱は”在庫”
ハンパ無い
モチロン全部”粉ふき状態できらきら
リアルな さらピン状態
20数年時間が止まってる
でも
やっぱり
見るだけ
くそ
そんなこんなで
やく一年
そういえば、どうなの?あれって
”ああ、残念だな、タイミングも突然だったしな、って
マイメンの g
なにそれ 知らない
”ほとんどイギリスのヤツが買ってった
オレらのトリプルプライスだ、って
ヤツらも数年越しだったらしい
なんかのタイミングで
そのオヤジの”霧が晴れるらしい
その時、偶然店に行けた、ということだ
落胆するオレに、gが
”あいつらは、分からないからって見なかったしな、
タイミングがな~、
え、あいつらって誰の話?
”mとm、
会社がバブってた時代
ご褒美で買い付けにバイトを連れて行くっていう
クソなめた、どあほうな失策があった
そのイカレた取り組みの内の一回が
mとmの回に重なっていた
レコードも言葉もロクに分からないようなヤツを
行かした会社もアホだが
宝さがしに行って 宝の山を目にして
” 12”が欲しいんだよ、古いのは分からない、なんていって
その場を去ってバンの中で待ってたらしい
しかも本人達からは一言も聞いてなかった
その場で電話も出来ただろうに
どうしようもない半端腰掛水*搾取野郎
この話を聞いた時点で半年は過ぎてた
”今、残りは店で売ってるぞ
薬が効いてて霧が晴れてる日が増えてる、って
結果は分かっていたが
寂し過ぎる店内
それとは対照的に
爽やかに迎える”効いてるオヤジ
さすがにトリプルプライスだっただけあって
多少の残し物はあった
かなりマニアックなモノ中心に
数百枚買って
本当にもうこれ以外に無いかの念押しを数度して
”まあ、よかったじゃん少しは買えて、
g は全くチェックしてなかった
聞けばその前回の晴れのとき
”アホ共待たして車に詰めるだけ買ったぞ
だって
譲ってよっていったら
”no~insulance
コイツの口癖
財産価値が有るから
すぐにカネにしなくてもキープしとくぜってコト
ホントのクラシックスでハードなモン
レアなモンじゃなくても もう見ないね~、などは
立派な財産
ゆっくりでも自分的に適正な価格でってのは分かる
安く売り切る新譜と同じ考えの”商売道具としてはあまりにも性質が違う
今じゃどうだか知らないけど
”宝探しスキルと骨董品屋的な目利き、独自の色、センス タイムレスな、ってのが、
”訳の分からない括り方をした気色の悪い文章表現に騙され生まれる流行により
左右されるタイトルの品揃えをメインとする、持つことの自慢
ブランド好き的なベクトルを助長するような”商品、ではない
結果
世界中から掘ったり、買い叩いたりで来日してきた名盤たちはここ数年で
おもにヨーロッパの賢人達の手により多くが帰国の途に着いている
アメリカのレコードの値段は上がり続き
イギリスは値崩れなんて皆無
ヨーロッパはユーロ以降値段が安定しスタンダードな価格へ
( 前は リラ、ギルダー、クローネとか、レコード安かった )
なぜか日本だけが極端に上下する
上がるのは分かるけど
下げるってコトは抜きすぎだったってコト?
よく分かんないけど
今とかは買い時でしょ日本は 最高の買い物スポット
でも、再発、ブート相当おおい 悪くない?けど
知らないでオリジナルだと思って持ってるのはサビシイ
02~03年位に西から出てた”Impeach~や
usサイズの小さい穴の”touch me~
赤が入ってない”propositions などなど
安物買いの銭失い
ブートに中途半端に高い金払った人達
世の中そんなにいい話なんて、、ね
ちなみに昔マンの壁で1800円くらいで売った
さらピンの”last night change~は本物
たまに訊かれるコトあるんで
無くなってしまった
martin’s records
ココは数年にわたり日本にプロモを供給してきた窓口のひとつ
店にはほぼ何も無い
いつも近所のガキが溜まってた
全盛期には女子高校生3人をレジに置き
隣の店舗で床屋もやってた
おまけに
CALI入りしたアーティストがこぞって来店する
コイツらも少量では有るがレコードを置いてく
プロモのやり取りは全部裏でやってたから
みんなオマエ何で稼いでる?って
コイツ2言目には
”オレはN.Y出身だからオマエラと違う、って
適当に言ってた
あるとき
十代前半のガキに店がロブられた
閉店前 バイトを帰してオヤジ一人
ガンを持ったガキ2人が襲撃
ミドリの汗の元と言われたローリーくらいで
たいした額の被害はなかった
が、ギャラリーは多かったらしい
周りが心配してたのは、一度ガキにやられると
次から次にやられるという事
しかしヤツは流石のN.Y出身?
翌日には再び腕にはローリー?!
店には某メジャーレーベルでa&rをやってたo.gが
いかついなりにエプロンでフル装備
この事件からのぴりぴり加減がフッドにも伝わり
人が集まらなくなり
結果 床屋はつぶれ
同じような時期に
一番の上客Pの社長は国外退去命令から
不法入国で見つかり取引もアウト
趣味の二軒目の店も閉店し
1年くらいで何も無くなった
すごい勢いだったのに
恐るべしベイビーギャングスタス
フッドでのハードな生き方
口は災いの元
it's hard knock life
new york new york
90年代半ば
初代N.Yオフィスは
あの”D&D"と同じビルにあった
バスケのフルコートくらいの
リビングに
プラス、1部屋とキッチン
風呂はジャクージー
部屋の3面が3m位の天井までガラス張りで
クソ明るい
その窓の下では毎晩同じビルの角Pで
同じヤツが押してる
”25c”のエリアの超近所
ジュリアーニに浄化される前
そんな 3ゼン台のバブッた事務所
で、何やるかって事で
一応ボスだったので
一発目は
レコードレーベル In N.Y だねっで
ソースマグに広告打ったり、
”アンサインドハイプ、のコーナーの奴から
デモ貰いまくったり
いろいろ全部聴きまくって
二か月でダンボール2箱くらい
しかも当時はdatがメインで時間が掛かる
カセットも多かった
で、さすが当時のソース、イケてる曲が集まってくるくる
それと同時に
聴いた先から他所と契約していくので
兎に角いそいで聴きまくった
バジェットに合うラインで
最終的に2グループに
まあ、オチとして
結果リリースする事無く終わってしまうコトになる
片方のグループは”N.Yの問題児、が担当
(コイツの話は、、)
オレの方はD&Dでrecしたり
ultramagnetic mc's の cedーg を呼んで
リミックス作って貰ったりで
楽しすぎた
ちなみに、ヤツは
sp じゃなく mpc だった
なんで?って訊いたら
”だって新しいし、良いじゃん?でしょ?、みたいな
おい、60Ⅱじゃん、って
ツッコんで欲しかったのかは知らないが
人柄同様に軟らかめで独自のピントの答えだった
どうでもいいが
そんなヤツも、”やっぱコレだな、だった
この頃のN.Yは ダッチ、一色だった
スタジオ内外はモチロン
町中の電話ボックス、郵便ポスト、ATMなど
少し隠れて台になる物の上は
作業台兼、中身の墓場と化していた
ココのビルの出入りはエレべーターのみで
扉を開けるカギと、階数のボタンを押すためのカギ
コレが無きゃ入れない
故に、各クルーの取り巻きが
一晩中溜まってカギ待ちしてる
そのときよく居たのが
lost boys, onyx の取り巻き
で、ガラが悪い
多いときは入り口の狭い通路に50人オーバー
夜中のコレは、初めてじゃなくても
リアル肝だめし
酒にウイード、ダイスにガン
何時間も待ってるヤツも大勢で
ピンピンなヤツも多い
ま、違うピンピンかもしんないけど
そんでエレベーターに乗ると
満員電車状態
その時々いろんな方向から当たる、硬い物が
痴漢電車じゃなく
冷たいゴツゴツが
滞在中ほぼ毎晩
で、そんなスタジオ
エレベーター開いて直ぐにある自販機で
ダッチが売ってて
入って直ぐ左にあるビリヤード部屋で
みんなチルっている
ありえない様なメンツが揃ってて
” あっ!、が10回じゃ足りないくらい
あの人、この人がいつでもゾロぞろ
凄過ぎるスタジオ
Hiphopの名産地
でもボロい
ボーカルブースも扉じゃなくて
まるでフラワーカーテン
それでもそれなりの値段
バイブス代込みだね
ってコトで
結果ココの事務所を作った事によって
とんでもない事件が多々起きて
最終的に、警察沙汰、裁判沙汰など
多数の事件を巻き起こす事になった
この先の話はやばいか
Happy days
o.g
vortex
sks-500
湯島
満月
無縁坂
紫の半纏
レトロマンション
4 : 1
シャンペン
謎で幻?米焼酎
備長炭
鮒寿し
ハタハタ飯寿し
合鴨&真鴨ナベ
tops チョコレートケーキ
じゃがりこ
浅草寺
じゃがバター
月食
24会館 ( burn shit out ! )
ageha
DJ sarasa
コバ
千住新橋 初日の出
角煮丼
数の子(お魚マフィア フレーバード)
田中そば店
焼きたらば
あわびバター焼き
ノドクロ塩焼き
モンブラン ( big-a )
クエしゃぶ
かに爪
ふぐ白子昆布焼き
年末年始
愛され上手なすごし方
最高です
I'm happy
I was born this way
一生続きます様に