「ウーマン・イン・ブラック〜黒い服の女〜」@PARCO劇場 | 明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

原作 スーザン・ヒル

脚色 スティーヴン・マラトレット

演出 ロビン・ハーフォード/アントニー・イーデン

向井理/勝村政信

 

 原作小説は1983年初版、舞台版の初演は1987年@イギリス。日本での初演は1992年で、今回が日本で8度目の上演だそうです。私は、小説は読んだけど舞台を観たのは大昔のこと。もはや断片的にしか覚えてないので、今回改めて観てみようかなーっとなりました。

 

 ネタバレあらすじ→キップス(勝村政信)は青年時代のゴースト体験の記憶に悩まされ続けており、それを家族に告白すれば呪縛から解放されるのでは?と思う。長い話を上手く語るにはどうすればいいか、“俳優”(向井理)に相談する。“俳優” は、劇の形でその体験を再現することを提案。“俳優” が当時の若キップスを、老キップスが当時自分が出会った人たちを演じることにして、以下の劇中劇が始まる。

 弁護士の若キップスは、亡くなった顧客ドラブロウ婦人の遺産整理のために田舎町へ赴く。そこで彼は黒衣の女の亡霊を見たり、底なし沼に落ちて悲鳴を上げる子どもの声を聞いたり、婦人の館の子ども部屋で無人のロッキングチェアが揺れているのを見たりと、次々とホラー体験をする。町の地主は彼に、ある出来事を話す→ドラブロウ婦人の妹が私生児を産んだこと、婦人はその子を養子として引き取ったが妹は子どもへの愛情が強かったこと、その子が乗った馬車が底なし沼に落ちて死んだこと、そのショックで母(婦人の妹)も病死、やがて町に彼女の亡霊が現れるようになり、そのあと必ず町の誰かの子どもが死ぬこと。恐怖を覚えた若キップスは仕事を中断してロンドンに帰る。

 キップスの体験の再現劇が終わる。“俳優” は演技が上手くいったことを褒め「それにしても、あの黒衣の女の演技は真に迫っていましたね、あの役者はどこから連れてきたんですか?」と老キップスに訪ねる。老キップスは「そのような女は舞台には居なかった、見ていない」と否定😱 家族(子ども)がいる “俳優” は突然恐怖に襲われる。舞台が暗転し、上方にほのかな明かりが射すと、そこに黒衣の女がボーッと立っている🥶 終わり。

 

 “俳優” が演技中に見た黒衣の女は実際の役者ではなく亡霊だった。それが分かった瞬間に、さっきまでの劇中劇と現実とのボーダーが消え、“俳優” の子どもに何かが起こるのか😰……と思わせる。過去の出来事を劇中劇で再現するという二重構造にすることで、お話の怖さが効果的に増長します。さらに最後の最後、舞台上に現れる黒衣の女を私たち観客が目撃することで舞台と客席とのボーダーも消え、観客を巻き込んだ三重構造になる。演劇だから見せられる面白さですね。黒衣の女を見た私たちにも何か起こるかも🙄……小さい子どもがいる人は気をつけてー💦

 

 芝居の大半を占める劇中劇は、視覚と聴覚に働きかける演出が際立っています。突然現れてフッと消える黒衣の女の姿は恐怖心を煽るし、馬車の音や叫び声などの効果音は、舞台上からではなく、客席エリアのどこか(左右壁あたりや、上方や、通路あたり)から聞こえてくるので、客席を含む劇場全体が、若キップスが訪れている田舎町であり、私たち観客は町の住人になったような錯覚を覚えます。観客巻き込み型演劇で、実際、突然響き渡る物音にはビクッとなる💀 そういうのってテーマパークのお化け屋敷に入り込んだっぽい体験でもあり、その意味では割とオーソドックスなホラー劇かな。

 

 2人の役者は膨大なセリフをよくこなしていて良かったです。本来の役(“俳優” 、老キップス)と、劇中劇で演じる役(若キップス、そのほかの人物)との演じ分けが分かりやすく、勝村政信さんは何役も演じ分ける際に、各人物の身体的造形や声色などを巧みに変えて違いをクリアに見せていた。向井理さんは “俳優” の役のときに老キップスに演技指南するところなどでの明快な演技が良かったです。

 

 ただ、戯曲スタイルとして引っかかったことが。それは、小説の地の文を読んでいるようなセリフが多いこと。行動や心理や状況を表現するとき、それを会話や独り言や舞台効果によってではなく “ト書きを読んでいるみたいに” 説明することが結構あるんです。

 “俳優” (向井理)が若キップスを演じているとき、他役で出ていない老キップス(勝村政信)が舞台の端で「彼は書類をひとつひとつ解いて仕分けしていく」「外が薄暗くなっていく」などと説明する。若キップスが子ども部屋にあるオモチャを目にしているとき、老キップスが「オルゴール、トランプ、童話の本……」などと列挙したり、若キップスが「それを見て私は~と思った」と自分の気持ちを解説したりする。あるいは「私は1日も早くロンドンへ帰りたかった」とかね😑

 そういうのをセリフや動きや演出で展開させるのが芝居じゃないの? まぁ、劇中劇は老キップスが綴った体験記を2人で読み合っているもの、と理解すればいいのかもだけど、小説を音読しているような部分は演劇としての面白さを削ぐような気がしました。

 

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