劇団俳優座「野がも」@俳優座スタジオ | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

作 ヘンリック・イプセン

演出 眞鍋卓嗣

志村史人/斉藤淳/清水直子/釜木美緒/加藤佳男/安藤みどり/塩山誠司/八柳豪

 

 今年、創立80周年を迎えた俳優座が取り組むイプセン、1884年に書かれた戯曲ですが、ここでは時代は特に限定していません。今まで観た「野鴨/野がも」とはちょっと違う印象を受けました。まず、演出家が強調しているように悲 “喜” 劇で、この作品でこんなに笑うなんて今までなかった。また、イプセンというと社会的・政治的な問題を批判的に扱った作品が多い中、これは家族という狭いコミュニティーを扱ったドラマとして観ていたけど、今回の演出では社会的問題も浮き彫りにしていました。

 

 知ってる人も多いと思うけど、ネタバレあらすじを簡単に→(過去の出来事として、ヴェルレ氏老エクダルはかつて森林伐採および製材事業の共同経営者だったが、老エクダルは国有林不法伐採の罪を被って投獄され家は没落し困窮。うまく逃げ延びたヴェルレ氏は成功し豪商となっている)。老エクダルの息子ヤルマールは、かつてヴェルレ家の家政婦だったギーナと結婚し、14歳になる娘ヘドヴィクと共にささやかながら幸せな家庭生活を送っている。家では野がもを飼っていて、ヘドヴィクはそれを可愛がっている。ヴェルレ氏の息子グレーゲルスは、そんなヤルマールと十数年ぶりに再会する。

 グレーゲルスは、父ヴェルレの偽善、すなわちギーナをレイプし妊娠させたため(何も知らない)ヤルマールとの結婚をお膳立てしたこと、ヘドヴィクは父の娘であること、罪滅ぼしにヤルマールとその父(かつての共同経営者=老エクダル)を仕事や金銭面で援助していることなどを知る。グレーゲルスはヤルマールにその事実を話し、虚偽から解放された真の家庭生活を築くべきだと言う。しかしヤルマールは、ギーナに欺かれていたことや、ヘドヴィクがヴェルレ氏の娘であることに怒りを覚え、家を出ていくと言い出す。悲嘆にくれるヘドヴィクにグレーゲルスは「自分が一番大切なもの(=野がも)を犠牲にすればお父さんは君の愛を理解して戻ってくる」と言う。しかしヘドヴィクは野がもではなく自分の心臓を銃で撃って死ぬ😱 おわり。

 

 野がもとは→かつてヴェルレ氏は水辺で野がもを撃ち損なった。傷を負った野がもは水底に潜って死にかけるが、ヴェルレ氏の猟犬が飛び込み野がもを咥え上げてきた。それを老エクダルがもらって傷を癒し、家で飼うようになった。

 野がもは象徴的に、ヴェルレ氏にとっては自分が “餌を与えて飼っている” ヤルマール家族であり、グレーゲルスにとっては “海底に沈んでもがいているところを救い出してあげようとしている” ヤルマール家族なのね。一方、ヘドヴィクにとって野がもは、狭いけど居心地のいい場所で皆に愛され生きている “か弱き生き物=自分” てことですね。大好きな野がもに自分を重ねたヘドヴィクは、家族の真実を知った父が「ヴェルレ氏からもらった野がもなどもう見たくない」と言ったことで、自分がいなくなれば父は喜ぶと思ったのでしょう😢

 

 グレーゲルは “真実の追求” を掲げる理想家で独善的。ヤルマールの家庭に潜む嘘を暴くことで彼らを救おうとするのだけど、結局、彼らを不幸に落とし入れる。余計なお世話とはこのことですね😑 ヤルマールも状況に左右されやすい意志の弱さをイビツな自尊心でガードしている男。でもって、この2人の言動がどんどん滑稽なものになっていくのです。終盤の2人のやり取りは聞いてるとほとんど漫才でした😅 一方、ヤルマールの妻ギーナと、ヴェルレ氏の玉の輿になるセルビー夫人は足が地についた現実的な女性だけど、ある意味、諦観しすぎとも思えるその生き方にも思わずニガ笑いしてしまう。ヘドヴィクにのみリアルに泣けるのでした。

 

 社会的批判は、ヴェルレ氏の(戯曲にはない)見せ方でクローズアップされていた。自分の取り巻きたちに札束を切り、食べ物を乗せた皿をヤルマールの鼻先に突きつけるとヤルマールがそれに引き寄せられる。ヤルマールの家に影のように現れ、家族を見つめながら部屋を去っていくシーンは不気味でした。中盤、彼はヤルマール家の床に藁クズをバサバサと撒き敷いていくのだけど、それは鳥の巣箱に敷く藁クズなわけで、まさしく彼はヤルマール一家を飼っているのです(とまあ、いろいろと分かりやすい演出ではありました💦)。

 最後、ヘドヴィクが銃を手にフラフラと登場し(他の登場人物には見えていない)、床の藁クズをテーブルに敷き詰め、その上に立って自分を撃つと暗転。再び照明が点くと、藁クズの上にヘドヴィクが死体となって横たわっていました、死んだ野がものように😭 

 

 グレーゲルスの志村史人さんが相変わらず暑苦しい(褒めてます😅)演技で、その善意の押し付けのうざったいこと。必死になればなるほど戯画化していくところ笑いました。ヤルマールの斉藤淳さんは見え隠れするいい加減さや不寛容さの塩梅が良く、「俺は一刻も早くこの家から出てくんだ!」って言いながら妻が出したコーヒーを飲んで一息入れちゃうとか妙に可笑しい。加藤佳男さんのドンっぷりは、金と権力と女を手玉に取り嘘と偽善で包み込む豪商ヴェルレ氏そのもので、こういう男、今の日本の政財界にも普通にいるよなと思いましたね。

 

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