彩の国シェイクスピア・シリーズ「ハムレット」@彩の国さいたま芸術劇場 | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

作 ウィリアム・シェイクスピア

演出/上演台本 吉田鋼太郎

柿澤勇人/北香那/吉田鋼太郎/正名僕蔵/高橋ひとみ/白洲迅/渡部豪太/豊田裕大

 

 カッキー柿澤勇人の演技(セリフ術と身体表現)を観る&聴く舞台だったなという第一感想。そして彼のセリフの力に圧倒されました🎊 演出としては、凝った解釈や大上段に構えたテーマや変化球は付けてないので、なおさら言葉が直球で迫ってくる

 演出した鋼太郎さんはプログラム内で「役者の台詞と肉体だけで勝負するシンプルな芝居もやっていきたい」「言葉のみの会話劇で成立させるシェイクスピアに挑戦したい」と言っている。それにしても、その第一弾に「ハムレット」を持ってくるとは何と大胆な。

 

 セットはミニマル。舞台の左右に円柱が数本ずつ立っており、屋外シーンではそれが取り払われる。舞台上にあるのはほぼそれのみで、役者は立つか歩くか床を這いずるかという姿で演じます。言葉と動きがむき出しになり、演技に誤魔化しが効きません。シーン転換もシームレスで、ひとつのシーンが終わり登場人物たちが捌けると同時に、後方や左右から別の人物たちが喋りながら現れて次のシーンになる、これが全く不自然に感じない。ロンドンのグローブ座を思わせる舞台使いでした。

 

 カッキーのハムレットはエキセントリックとかメランコリックとかではなく、いくつもの矛盾や苦悩を抱えていて、そこから抜け出そうと葛藤している青年だったな。膨大なセリフに込められた、相手や自分に対するさまざまな思いや意味……愛情、憐憫、悲嘆、嫌悪、憎悪、焦燥、絶望……そうした感情を吐き出すとき、その言葉の一粒一粒に彼の生々しい熱がこもっている。緩急、強弱の付け方などセリフ術が巧みで、感情を爆発させるかと思えばそっと囁く声になり、場面や心理に応じて調子が見事に変わる。それでいて自然なセリフ、完全に普通の会話になってるんですよね。

 独白が素晴らしい👏 よくある “謳い上げる” 口調ではなく、やはり心の動きがこもっていて生々しい、だから彼の内なる叫びとしてこちらの胸に突き刺さってきます。それに伴う身体表現は痛々しく、床を這い転げ回ったり……。特にフォーティンブラス率いる兵士たちを見送った後の独白はとても説得力があり、そこでの自問自答やフォーティンブラスへの敬意と憧憬が後半~ラストにつながるのが納得できました。

 

 北香那さんのオフィーリアは、よくありがちな無垢で弱々しい乙女ではなく、芯のある女性という作り。なので、心が壊れてからの狂気の姿も激しいんだけど、そのシーンではダンス風振付がちょっと入っていた。香那さんは幼少期にバレエを習ってたそうで、回転とか四肢の動きが綺麗だったな。

 渡部豪太さんのレアティーズも印象に残りました。精悍かつ颯爽とした佇まいで、ハムレットと対峙しても負けない存在感がありました。正名僕蔵さんのポローニアスはコメディー色は封印し、完全に王ベッタリの重臣という役作り。正名さんは墓掘り役も演じていて、どちらもセリフがとても達者で大変よかったです。

 ただ、これは複数の登場人物に言えることだけど、感情がたかぶると声を張り上げて “がなり立てる” 言い方になることが多々あり、個人的にはとても耳障りだった😖 感情の穏と激のメリハリは付くけど、こういうところは多分に演出家の好みが出たような……。

 

 ミモザの花がキーアイテムになっていました。ハムレットが狂気を装うところからそれが登場する。黄色いミモザとオフィーリアが重ねられ、ハムレットは黄色いソックスを片脚に覗かせる。ミモザの花言葉「密やかな愛」とか、黄色が意味する「裏切り」「狂気」とか、演出家はそれをどのくらい意識したのだろうか。

 最後、誰もいなくなった舞台にハムレットの遺体が横たわり、天からミモザの花束がボタボタと落ちてきて、ハムレットがその花に囲まれていくところで幕となります。ミモザがオフィーリアのハムレットに対する愛の象徴だとしたら、ハムレットは最後には彼女の愛に包まれた、死ぬことで2人は一緒になれた、ということなのか?

 でも思い返すと、カッキー・ハムレットは香那オフィーリアを愛していたのかどうか、よく分からなかったな。狂気を装う前にそういうのを見せるシーンがないせいもあるけど、彼の心にあるのは母と義父だったような。だからこれは、ハムレットが家族の関係をこじらせたドラマであり、周りの人はそれに巻き込まれ無為に殺されていっただけ……?😢

 

 鋼太郎さんは蜷川さんの遺志を継承する形でこのシリーズを演出することになったけど、今までの作品は、さいたまの大きな舞台を持て余している感があり、ヴィジュアル的に意味なく派手な演出をしているように思えました。一方、彼が主催する劇団AUNのシェイクスピア劇は小規模ゆえに凝ったことはせず(できず)そのため言葉がまっすぐ伝わってきていた。なので今回の、奇をてらった演出はせず、役者の力、言葉の力でお話を進めていく舞台は、鋼太郎さんの原点に回帰した感じでした。

 でもって、ここまで書いてきて最後にこう言うのもアレですが🙇‍♀️ 今回の「ハムレット」好きかどうかと聞かれれば微妙だなー💦 以前にどなたかの記事で「テキスト通りにやるというのは……云々……。日本の演劇に足りないのは新解釈を打ち出すこと」というのを読んだけど、個人的には同意で、その部分に物足りなさを覚えました。

 

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