ロンドン観劇遠征④ 演劇「民衆の敵」@Duke of York’s Theatre | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

引き続きロンドンで観た演劇「民衆の敵」の感想です。ロンドン観劇遠征の記事はこれで終わります。

 

作 ヘンリック・イプセン

演出/脚色 トーマス・オスターマイアー

イギリス版演出 ダンカン・マクミラン

 

 トーマス・オスターマイアー演出によるイギリス版です。演出家オスターマイアーは1962年にベルリンに創設されたシャウビューネ劇場&劇団の芸術監督。ここは社会主義的・進歩的な演劇の上演を掲げているらしい。今回のイギリス版の主演はTVドラマ「ドクター・フー」のタイトルロールなども演じたマット・スミス。いかにもオスターマイアーらしい脚色がされた刺激的な舞台でした。

 

 原作の概要→19世紀後半(原作は1882年に書かれた)ノルウェーのとある町で温泉が発見され、人々はスパ施設による町おこしを!と期待に胸を膨らませる。医師トマスはその温泉が工場の廃液で汚染されていることを突き止め、町長の兄や新聞社にそれを伝えて、スパ施設建設中止を提案する。しかし街の利益を優先する彼らはそれを無視。トマスは民衆に真実を伝えるため集会を開くが、そこでのスピーチで、権威者の愚かさや大衆の狭量さを非難する。侮辱されたと感じた聴衆はトマスを “民衆の敵だ” と糾弾。彼とその家族は孤立するが、トマスは正義と倫理のために1人で戦う決意をする。終わり。

 

 今回の公演は舞台を現代のイギリスに置き換え現実的政治色を濃くしてありました。トマス医師は最初は大義を貫こうとする理想主義者風だけど次第にラディカルな革命家みたいになる。彼が何度も口ずさむデイヴィッド・ボウイの「Changes」は、街には変化が必要であること、でも民衆はそれを好んでいないこと、だからなかなか変わっていかないことを仄めかしている。トマスは変化のための行動を起こすことが大事だと繰り返します。

 

 なんといっても後半の、トマスが集会でスピーチするシーンが圧巻。ここで彼は客席の照明を点けさせ、私たち観客に向かって、イギリスの現政権批判、社会批判を繰り広げるのです。今のイギリスの選挙制度、議員不正、経済不況、郵便局スキャンダルなどについて問題を批判的に突きつけ、私たちに真実を見つめ正しい行動をとるべきだと訴える。彼のスピーチが終わると、劇中の集会で司会者を演じる役者が出てきて「トマスの主張に賛成の人は?」と挙手させます。もちろん大半が手を挙げる。「では、あなたちの意見を聞かせて」と呼びかけると何人もの観客が挙手し、その一人一人にマイクが向けられます。そして彼らは政府の、企業の、大衆の、ここがおかしい、こうあるべきだといった自分の意見を述べるのです。

 ヤラセではなく完全に即興だった😳 舞台がいきなり現代と地続きになり、私たち観客は芝居の中の “民衆” になる。いわゆるimmersive theatre(観客参加型演劇)です。意見を述べる人は男女半々くらいで十代の男の子もいたな。そして、発言者の意見に賛同する人たちから拍手が上がったり、反対意見が出たりする。みんな自分の考えを率直に発言していて、政治社会問題に対してしっかりした考えを持っているなあと痛感しました。10人ほどに聞いた後、マット・スミスが観客の意見をまとめるような発言をして、また芝居に戻る。その芝居の最後は原作とは違い、とても曖昧で不穏な終わり方でした。オスターマイアーはこの脚色で「声を上げることの大切さ、声を上げる勇気が必要であること」を提示したいと言っています。

 

 マット・スミスは、前半はあまり医師には見えない飄々とした、どこかボヘミアンな雰囲気で、セリフ術もどちらかというと映像向きに思えたんだけど、後半になって俄然パワーが出てきて、役柄と本人とが混じり合った、他を圧倒する演技でした👏 対抗するトマスの兄(体制側に立つ独善的かつ欺瞞に満ちた偽善者)を演じたポール・ヒルトンも硬質で威圧的な演技を見せ、存在感があり非常に良かった。

 

 議論好きなイギリス人が好みそうな、感性を触発する斬新な舞台でした。こういうのは日本では絶対に上演できないよなーと思っていたら、このオスターマイヤー版は何年か前に「ふじのくに⇄世界演劇祭」でもやったそうで全然知らなかった。どういう感じだったのだろう。ちなみに中国ツアーは討論シーンで観客から政府批判がなされたことで、のちに監視態勢がとられ、一部の公演は中止になったらしい😑

 

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