ナショナル・シアター・ライヴ「イェルマ」@Young Vic | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

原作 フェデリコ・ガルシア・ロルカ

脚本/演出 サイモン・ストーン

出演 ビリー・パイパー/ブレンダン・コウェル/ジョン・マクミラン/モーリーン・ビーティ

 

 全く好みではなかったので、ネガティヴな感想ですニコ 1934年初演のロルカの戯曲を、舞台を現代ロンドンに設定し、物語の骨子だけ残して大幅に翻案した作品。イェルマ(yerma)とはスペイン語で「不毛の」という意味だそうです。子供が欲しいのに何年たっても授からない女性が、次第に精神的に追い詰められ究極の行動に至るまでの、とてもシビアな話。主人公の女性にだけ名前がなく「彼女」という設定で、普遍性をもたせている感じです。

 

 舞台の四方が透明のアクリル板で囲まれていて、客席はその両側に設けられています。客席と舞台とが空間を共有しない状態。隔離された中での出来事を観ているので、観客は彼らの言動を客観的に観察・分析している気分になるのかな。彼らにしてみれば自分たちの私生活の一部始終が知らぬ間に第三者に晒されている形になり、二重に残酷です。もっとも、NTLiveの映像で観ている私たちは、そこは分かりにくいけどQueenly

 セットはミニマルで「不毛」を象徴しているかのよう。彼女が姉の赤ちゃんを預かっているシーンがあって、そのときだけ、幸せな家庭を想像させるカラフルな家具に囲まれるんですね。

 彼女33歳、(彼氏のち夫)ジョン40代から始まり、4カ月後、その晩、1年後……という風に時間がポンポン飛んでいく展開です。これも「観察記録」を思わせる演出。シーンが変わるたびに暗転してセットチェンジ。その間に心理や情景を暗示させる音楽が流れて、暗闇の中に状況を説明する文字が映されます。面白い工夫だけど、転換が頻繁すぎるのと、音が大きくなったり神経を逆なでする効果音になったりするのとで、不安を煽る効果はあるものの、あまり好きな演出ではなかったな汗

 

 仕事や家など欲しいものは手にしているリベラルなカップル。でも彼女は、完璧な人生に必要な「子供」という最後のピースが埋まらないことに焦ります。排卵期に海外出張に出てしまうジョンを非難し、ジョンの精子に問題があるのだと思い込んで検査を受けさせ、そうではないと分かったら体外受精を何度も試み、いつしか30代後半。諦めきれない彼女(-゛-)(不妊の原因は彼女の着床障害だった)、疲れ果てるジョンがーん

 

 彼女がそれほどまでして子供を欲しがる理由は語っていないので、観客が想像することになるんだけど、ひとつは自分の存在の跡を残したいと思っていて(それに近いセリフは言っていた)、自分が産んだ子はその生きた証だからでしょう。だから養子を取るのは問題外だけど、相手はジョンじゃなくてもよくなる。実際、焦った彼女は元彼と関係を持ちたいと迫るし(新しい恋人がいる元彼は、当然お断り)、挙句には“出会いの場”に通って相手構わず関係を持とうとする苦笑 彼女は仕事(ジャーナリスト兼ブロガー)の一環として自分の妊活をブログに赤裸々に掲載しているんだけど、それも、自分を記録に残したいというのと重なる感じです。

 もうひとつは、無意識の中で母と子のつながりを渇望しているのだと思う。彼女の母親はとても愛情が薄い感じで、彼女が母親にハグを求めるシーンがあるんだけど、恐る恐る娘を抱く母親の目が死んでいたね白猫 げんなり そういう育てられ方をしたことがトラウマになっているのかなと。

 

 十数回にわたる体外受精の費用で借金がかさみ、失業までしてしまう生活に消耗したジョンは彼女のもとを去ります。ジョンが自分と同じ目的を持ってないと分かって絶望した彼女は、包丁で自分の下腹部(子宮)を切り裂き自殺します叫び 生まれてきて欲しかった息子/娘に別れを告げながら号泣 まぁこれは納得のいく結末だし、彼女は子宮から解放されて良かったね、と私は思った青ざめ顔

 

 という訳で、この作品、全く受け付けなかったーQueenly 自分の感性には合わなかったですがーん 2017年オリヴィエ賞で最優秀リヴァイヴァル賞と最優秀主演女優賞を取るなど、名だたる演劇賞を総なめにしたらしいけどね。とにかく、どうしても主人公に共感できなかった暑い 神経をザラザラと逆撫でされるような会話や行動が頻繁にあり、それが痛い大泣き 主役の女性の演技は確かにすごいけど、自滅型の主人公が感情を熱いまま爆発させ、歯をむき出していくような演技が苦手というのもある凹 観た人の多くは絶賛みたいですけどね〜ショック

 

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