シス・カンパニー公演「コペンハーゲン」@シアタートラム | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

作 マイケル・フレイン

翻訳 小田島恒志

演出 小川絵梨子

出演 段田安則/浅野和之/宮沢りえ

 

 ちょっとつらかった。観るんじゃなかったと、すごく後悔。面白くなかったからではなく、作品で語られる内容に、あまりにデリケートな問題が含まれていたから。

 どういう作品か知っていたので、もともと観る気はなかったんだけど、キャストの魅力に抗えなかったー。マイケル・フレインの作品を、段田さん、浅野さん、りえちゃんがどう演じるのか。それをどうしても見たくて、急遽決めたのでした。

 

 ハイゼンベルクとボーアという実在した物理学者(2人ともノーベル物理学賞受賞)が登場する会話劇。ハイゼンベルクはナチス政権下における原爆開発チームの一員だった男。ボーアは原爆開発の根拠とされる論文をアメリカで発表していた男(ボーアはユダヤ系で、早くから連合国側に通じていたとも)。で、1941年のある日、ハイゼンベルクが、ナチス占領下のコペンハーゲンに住むボーア(とその妻)を訪ねたのだけど、そこで何が話されたのか、今もその真実は闇の中だとか。原爆開発に関する何かであったことは確からしい。そこが核です。

 芝居のほうは、すでに死んでいるその3人が当時を回想しながら、1941年のあの日に何を話し、何を話さなかったのか、そもそもハイゼンベルクはなぜボーアを訪ねたのかを検証していく話です。

 不確定性原理や相補性理論などに関する、難解な物理学用語がポンポン飛び出して、コテコテの文科系人間である私の思考回路ではとうてい理解不可能な会話が繰り広げられます。でも、見たくなかった理由はその難しさ故ではなくて、この芝居が、原子爆弾製造とその投下につながる話だから。

 日本人の私は、あの原爆投下を冷静に客観視することは、到底できません。セリフの中に「ゲンシバクダン」「ヒロシマ」「ナガサキ」「ハッシャボタン」なんていう言葉が出るたびに、心に深く爪が食い込み、脳が拒否反応を示し、喉の奥の方で悲鳴を上げたくなる。無数の犠牲者の魂がわらわらと降りてきて、私の身体に重くのしかかるのです。そういう観点で見る芝居ではないのはわかっているけど、鑑賞する気持ちにブレーキがかかるのでした。そうなるかも、と予想はしていたけど。

 

 そんなわけで、作品の解釈に深入りしたくないので、サラッといきます。死者となった彼らはあの日あったことを「今なら話せるはず」と検証していくんだけど、彼らが明らかにしようとしているのは、真実ではなく、その裏にあった真意なのか。何度検証しても、2人の言い分はその度に行き違い、真意は探れず、本人にも何があったのか、何をしたかったのかが曖昧になってくる。だから、この作品自体が、ハイゼンベルクが唱えた不確定性(一方を正確に知ろうとすると、もう一方が不確定になる)や、ボーアが提唱した相補性(すべての物事には相反する2つの側面があり、それぞれの側面は互いに補い合って存在する)を帯びているという構造です。

 ボーアの妻マルグレーテはこの2人を「観察」する人であり、マルグレーテの視点は(物理学の専門家ではない)観客の視点でもあります。2人の学者が唱えた原理の基本は「物事は、測定したとき初めて存在する」ということらしくて、そうすると、あの日に何があったのか決定するのは観察者であるマルグレーテ=私たちということ。でも、マルグレーテの視点も揺れ動くから、結局、真実/真意は何もわからないのね。

 

 段田さんはさすがの存在感でした。段田さんの持っている独特の資質は、喜劇でも心理劇でも悲劇でも、変幻自在。今回のハイゼンベルクには硬質さの中に、科学者としての、愛国者としての、一家の長としての、義務と倫理と探求欲の間で揺れ動く悲哀がありました。緩急あるセリフ回しは、心情の微妙な変化を繊細に表現しながら、時々、人間の魂の闇の部分を覗かせて、ハッとするのでした。

 浅野さんは、いつも思うけど、しわがれた声質のせいなのか発声の問題なのか、セリフが聞き取りにくい時が多いのね。肝心の単語が聞き取れなくて残念に感じることもしばしば。それを別にすれば、悩みを抱えたボーアという人物を丁寧に表していたと思う。彼は、船から落ちた息子を助けられなかったことが、死してもなおトラウマになっているのだけど、それは科学者として人を救えなかった後悔と重なっているのかな。人間味を感じる演技でした。

 りえちゃんはよく通る澄んだ声と、突き放すようなセリフ回しで、ときに鋭く残酷にハイゼンベルクを糾弾します。ボーア/浅野さんの妻にしては、若くて綺麗すぎるし、もっと泥臭い感じでもいいんだけど、傍観者として2人を見つめる役柄と考えれば、その浮き具合はよかったのかもしれません。

 

 この作品は、作者の本国イギリスや、そしてアメリカでは絶賛されたらしく、いろんな賞をもらっている。ハイゼンベルク役は007ダニエル・クレイグやベネさん(カンバーバッチ)なんかも演っているようです。でも私は、最初に書いた理由で、芝居の本質ではない部分で神経が磨耗し、観劇後、心に痛みが強く残りました。