ダイヤと学ぶ日本史~小笠原一族~ | あき@旅するトリコニコ会

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『逃げ上手の若君』4話から登場した小笠原貞宗。貞宗の祖先は源頼朝と同じ清和源氏の流れをくむ一族(甲斐源氏)です。大河ドラマでも登場した甲斐武田氏とは同族関係です(後述しますが戦国時代になると抗争関係となる)。小笠原姓は所領である甲斐国巨摩郡小笠原(現在の山梨県南アルプス市小笠原)にちなみます。承久の乱後、小笠原長経の次男(長男とも)長房が阿波国守護に任じ鎌倉幕府滅亡まで務めており彼の子孫には戦国三大梟雄の1人で京を支配した「最初の天下人」三好長慶がいます。貞宗は長経の長男・長忠の系譜で諱の貞は得宗北条貞時から偏諱をうけています。
当初鎌倉幕府に仕えて後醍醐天皇に呼応した悪党・楠木正成討伐に参加していましたが新田義貞挙兵に呼応し鎌倉を攻撃。その功により信濃国守護に任命されました。支配拠点として船山守護所を設けました(現在の長野県千曲市・5話で風間玄蕃(風間家は諏訪家の一族。詳しくは「諏訪一族」を参照)が忍び込んだであろう場所)。
北条時行が挙兵した中先代の乱では時行軍は守護所を襲撃。貞宗は時行軍を食い止めきれず鎌倉進軍阻止に失敗。反乱鎮圧後後醍醐天皇と足利尊氏が対立すると貞宗は尊氏に味方し南朝勢力と戦い暦応元年(1340)10月、南朝に味方した北条時行及び諏訪頼継(頼重の孫、頼重及び父の時継は5年前に死亡)と大徳王寺(現在の長野県伊那市)で再び戦い勝利しました。

貞宗は正平2年(1347)に死去。以後小笠原氏は信濃守護を継承していきますが室町時代中期に松尾・府中・鈴岡の3家に分裂したことで衰退。明応2年(1493)に鈴岡小笠原家は滅亡。松尾小笠原家は府中小笠原家の攻撃をうけ居城松尾城(現在の長野県飯田市にあった城)が陥落したことで当主貞忠は甲斐に亡命し武田家に仕えました。武田家滅亡後は徳川家に仕え複数の藩主を経て越前勝山2.2万石の藩主で明治維新を迎えました。
府中小笠原家は武田晴信の信濃侵攻(松尾小笠原家の者が先手を務めた)に敗れ当主・長時は京に亡命。その子貞慶は徳川家康に仕え居城深志城(松本城の前身)を奪還。彼の子孫は豊前小倉藩主や肥前唐津藩主などの藩主を務めました