
🎧️岡崎公園前駅ですっ!

🎧️岡崎城ですっ!
岡崎城の築城は室町時代中期の享徳元年(1452)ごろ。三河国守護代の西郷家によって築城されました。大永4年(1524)、徳川家康の祖父松平清康(1511〜35)は岡崎城主で同族関係にあたる岡崎松平家(清康は安城松平家)を攻撃し城から追放(のちに家康に仕え領地名から大草松平家と称した)。本拠地を安城から岡崎に移しました。その際清康はこの「岡崎城」を使わず新たに城を築きました。これが現在の「岡崎城」の原型となりました。
天文11年(1542)、岡崎城で竹千代、のちの徳川家康が産まれたが竹千代は織田、今川家の人質となっており管理は今川家が行なっていたが永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると元服し今川軍に従軍していた松平元康が岡崎城を奪還し独立。信長と同盟を結びました。松平元康改め徳川家康は今川領を蚕食し本拠地を浜松に移し岡崎は長男の信康(1559〜79)に任されました。しかし信康は武田家と通じ謀反の疑い(信康率いる岡崎衆と家康率いる浜松衆との対立とも父子対立が原因ともいわれる)をかけられ自害に追い込まれ以後城代のみ置かれました。
天正18年(1590)家康は関東に転封となると岡崎城は秀吉家臣の田中吉政(1548〜1609)に与えられ(5万石)、関ヶ原合戦後、吉政は筑後柳川に加増移封され上野白井から本多康重(1554〜1611)が5万石で入りました。以後岡崎城は神君誕生の地として重視され譜代大名が藩主を務めました


岡崎城下とかのん


御城印
上→徳川家家紋「丸に三つ葉葵」
右→本多家家紋「丸に立ち葵」
下→松井松平家家紋「蔦」
左→水野家家紋「丸に水野沢瀉」