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死から目をそむける医師
内科医であり、かつ日本で最初の医学教育の教授であった
順天堂大学の故・吉岡昭正氏は、
死を見取る医療について学生に講義する立場にありながら
自分自身大腸がんにおかされ、
最後の一日まで自らの死を見つめながら
『死の受容』(毎日新聞社刊)という手記を書き残されました。
その一節に、医師が死にゆく患者から足を遠ざける過程が
次のように描写されています。
「患者の死がだんだん近づき、苦痛を訴える回数が増え、
あきらめながらも もの問いたげな患者の眼を避けるために、
次第にベッドから遠ざかって会話を避け、
もっぱら看護婦に鎮痛剤の投与を支持するだけになる」
この傾向は、死を真近にした患者の受持ち医の大部分に
共通した態度といえましょう。
このような患者を喜んで受け持つ医師はごくまれです。
看護婦も同様です。
ある病院で、重症患者がナースコールを鳴らしてから
看護婦がその部屋のドアを開けるまでの時間を計ってみました。
すると、患者が重症で、死に近ければ近いほど、
看護婦がたどり着くまでに時間がかかっていることがわかりました。
彼女らもまた、臨死患者のそばへ行くのつらいのです。
この傾向はさらに、患者に病名を告げない習慣によって増幅されます。
一度ついたウソは最後までつき通さなければなりません。
それどころか、患者自身が病状の悪化から今までの説明に不信感を抱いたとき、
さらにウソの上塗りをしてだまし通さなければならないのです。
疑わしげな本人の眼と眼を合わせないようにして、
「今によくなるからがんばって」など、空々しい言葉を交わすときのつらさ
――これは共謀関係にある家族も同様でしょう。
患者自身も、自分の病状が重いことがうすうすわかっているときに
病室をノックする医師は、脈を取りながら何気ないお天気の話などをして、
「明日は晴れるといいですね」
などとその場を取り繕ってそそくさと立ち去るのです。
死に近い患者を避けるこの態度は、
医師(あるいは看護婦・家族も)自身の死への恐怖の投影ではないでしょうか。
患者の死にあたってセレモニーのように続けられるはかない救命処置も、
医師自身が懸命に死を否定したい願望の表現ではないでしょうか。
(つづく)
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医師自身が、死と向き合うことが、
死に瀕して、一番支えを必要としている患者さんに寄りそうための、
第一歩である気がします。
病理学の授業で、
「自分が知らないことは、
たとえ目の前にそれがあっても、それを見ることはできない」
というようなことを教わりました。
臨床においても、患者さんの心においても、
同じことが言えるのではないかと思いました。



