人のいのちはそれぞれ1つしかありません。
しかし、誰もが必ず1つ持っています。
そのいのちの使い方は、それぞれ個人の自由です。
例え他人から見ればその使い方は?と思えたとしても、その人が満足がいく選択であれば、基本的には尊重すべきだと想っています。
昨夜1つの出来事がありました。
進行乳がんの治療に携わる一人の医療者としては、忸怩たる思いがあります。
患者さんやご家族は、その大切な命を失わない為に大変な苦労や努力を強いられる事が多いですし、その大切な命を託される医師だけでなく、その医療に携わる看護師やクラークさん方の努力や負担も並大抵ではありません。
「1人の命を救う事は本当に大変だなぁ。」
と感じますし、逆に
「人は本当に力強いなぁ。もし自分ならこんなに強くいられるかなぁ」
と感じさせていただく事もしばしばです。
語弊があるやもしれませんが、
「人の命1つを救うのは本当に大変な事だけど、失うのはあっけない。」
もちろん、命を終わらせる行動に出るまでには、誰にも分からない様々な葛藤があるのかもしれません。
それでも自殺や事故の報道が流れるたびに私が感じる事でもあります。
夜のある駅で、電車のドアが長らく開いたままで停車していた時にこの事がまたふと心に浮かんだのです。
30分以上経て、日を跨いでから電車のドアが静かに閉まり動き始めました。
この方はその1つの命を終えられたとき、本当に満足だったのかなぁ、生きてると辛い事は沢山あるけど、楽しい事もきっとあると思うし、いつか幸せを感じる瞬間も必ずあると思うけど、本当にその選択で満足だったのかなぁ。
1つしかない命はその人のもの、その使い方はその人が決めるもの、と基本的には想っていますが、何とかならなかったのかなぁ、と思いました。
やがて駅に着き、また30分以上動かないとのアナウンスを耳にして電車を降りました。
今日も多くの「生きたい」と願われる方々と真正面から向き合って、その方々の未来を開くための医療に携わらせていただきます。
全ての方が幸せに生きられる世が来てほしいと心より願っています。
どんなに辛い事があっても、たとえ身も心も打ちひしがれても、朝になれば、きっとまた東の空に太陽は昇ってきます。