NOAの話
こんばんわー!!
(こんばんわー!!)
はい、どうも326-9ですよ。
突然ですが...。
「NOAと俺」
これは昨日深夜3時過ぎの写真です。
明日のNOAラストライブに自分のライブで立ち会えない俺を、最後のリハーサルに招待してくれました。
世界中の誰より贅沢で本当に幸せな時間でした。
NOAというバンドと出会ったのは2010年の終わりの方。
たしかT.C SPEAKERの1stシングルのツアーファイナルのマッシブとかやったと思う。
正確に言えばこの2ヶ月ほど前にHOKAGEの階段でアキに「今度対バン決まりました。よろしくお願いします。」と挨拶されたのが始まりです。
でもなんでかよくわからんねんけど、この時アキは一切名乗らずこの一言だけ言い放ってどこかへ行ってしまったので、周りに「いまのコは誰!?(笑)」って。
よっぽどの馬鹿か、よっぽどの根暗か、そんな印象でした。
初対バンの日、初めて見たNOAの完成度の高さにとにかくびっくりしました。
そりゃもちろん荒かったけど、もうNOAは「NOA」というジャンルを確立できてた。
すごいバンドやなぁ、と素直に思いました。
打ち上げはアキと2人でずっと話してた記憶があります。
なんの話をしたかは全然覚えてないけど、隣同士でずっと飲みながら色々話した。
結果、そんなに馬鹿でもなかったし、そんなに根暗でもなかった。
この日、アキが音源をくれた。
「2nd.demo」
いまだに聞くほど本当にこの音源はすごいクオリティーやと思います。
俺はどんどんNOAというバンドと音楽に魅了されていきました。
そんなに対バンは重ねてないけど、アキは後輩の中でも「友達」に限りなく近い存在になっていきました。
ハーベストの丘に行ったり、六甲山に行ったり。
クリスマスに映画を見に行ったこともあったなぁ。
ビカビカ光るイルミネーションの中、車を走らせてMy Hair is Badを聞いて、「男同士でなにやっとんねん。」ゆーて我に返って即解散した夜。
ほどなくウチからメンバーが全員抜けて半年くらいライブをできない期間の間、俺は狂ったようにNOAのライブばっかり見に行きました。
なにを求めてたのか覚えてないけど、「NOA」という音楽が当時の俺の支えになっていたんやと思います。
そんな俺にアキは顔を合わす度に「ダウラビどうですか?」と気にしてくれました。
メンバーが決まってDown the Rabbit-Holeを再始動することを発表したときもTwitter越しに激励をくれた。
この時は嬉しかったなぁ。
ただしとたかやと初めて作った音源、5th.DEMO「run after two rabbits!!」のジャケットはアキに書いてもらいました。
この3面ジャケットはLevi'sのパロディーであると共に、「どんなに引っ張ったって俺たちの楽器(=音楽)は壊れない」って意味と「2匹のウサギ(=メンバー)が自分を支えてくれてる」という意味があります。
色んな気持ちを込めて、このジャケットはアキに書いて欲しかった。
いまだにこの絵はお気に入りです。
活動を再開してほどなくNOAと対バンしました。
2013年5月の八王子RIPS。
THE NINTH APOLLOアキラさんに誘ってもらったイベントでした。
いまだに覚えてます。
圧倒的なまでの敗戦。
俺が止まってた半年の間だけでも、NOAというバンドがどれだけ前に進んでいたのか。
対バンという形でまざまざとそれを見せつけられました。
ちなみにこの日以降、NOAに「勝てた」と実感があった日は1日もないです。
この時点でNOAというバンドに持っていた感情は、色んなモノを飛び越えて最早「憧れ」でした。
楽曲、ライブ、空気、なにもかもが完璧であって、なにより気づけば俺はただのNOAの大ファンになってました。
「年下のバンドに憧れる」
この感覚を持ったのは間違いなくNOAが初めてです。
もはや無理ゲー感まで当時のNOAには感じてました。
1年後、2014年の夏前くらい、Day tripper石田くんに誘われてポッキーと3人で飲みに行くことになりました。
「ポッキーとプライベートで飲むなんて初めてやなぁ」って思いつつ向かったら、この日「NOAを続けれないかもしれない」と相談を受けました。
なんとなく外から見てて歯車がちょっとだけズレ出してるのはわかってました。
たくさん色んな話を聞いて、石田くんと「これは仕方ないなぁ」って話したのを覚えてます。
最後の対バンはこの年の11月。
NOAのラストHOKAGEでした。
正直自分のライブはそこまで覚えてません。
でも「ぺったん、田中くん、あとは任した」って言ったのだけ覚えてる。
きっとこれを言えたってことはやり切れたんやろなぁ。
活休ラストのキングコブラ。
NOAは最後の1音までやっぱりNOAでとてつもなくかっこいいままでした。
アンコールでギターの弦を切ったアキがダブルアンコールで出てきたときに「弦が切れてしまったので...」とMCをした瞬間、無我夢中で自分のカバンの中にある弦をキングコブラの最後方から投げ込んだ。
綺麗な放物線を描いて弦はステージまで飛んで行った。
よくあの距離を投げてステージまで届いたな、と自分でも不思議に思います。
1年以上後にWESNと初めて対バンした日、「あの日の弦をお返しします」とアキが新品の弦を渡してきたときは笑ったなぁ。
その後Danabluが始まって、WESNが始まって、アキともポッキーともユウとも今までと変わらず顔を合わすことが当たり前の日常でした。
でもNOAの音源はずっと聞いてました。
メンバーが機材車でふいに流すこともよくありました。
2016年の大晦日。
マッシブカウントダウンライブで俺らはNOAをコピーしました。
毎年何バンドがピックアップしていって、なんかメンバー全員一致で「それや!」ってなるグルーヴがあるんですけど、この年はなぜかNOAでした。
でも「やろうぜ!」ってなってからちょっと冷静に色々考えてみました。
やりたいけど...。
なによりあの3人が嫌がったらどうしよう、って。
事前にポッキーとユウにだけ相談してみました。
この時、想像してないくらい2人とも喜んでくれました。
「むっちゃ嬉しいです!普通に見たい!」
全然思ってたリアクションじゃなかったから逆にこっちがポカーンとしてもーたなぁ。
アキだけは照れくさくて言えませんでした。
でもこれをやろうと思ったのはアキに届けたかったのが強かったんですよ。
メンバーがなかなか決まらなかったり、ちょっと燻ってるアイツは当時の俺と一緒で、あの時に支えてくれたのはアキやったから。
人伝いにでも「ダウラビがNOAやったよ!」って聞いたら、って。
お前が作った音楽をいまもこんなにたくさんの人が愛してくれてるんやで、って。
そんな不器用なりのエールのつもりでした。
当日の昼過ぎ、アキから「今日遊びに行っていいですか?」と連絡が来ました。
いままでカウントダウンなんて来たことがないアイツがこのタイミングで来るなんて。
もうこれは運命やな、と思いました。
「Under the starry night」
初めからコピーする曲はこれしかない、と決まってました。
「ハンパにやったらほんまに嫌がるヤツがいるのをわかってるから腹括ってやります。俺の親友の曲です。」
曲が始まってすぐにダイブしてるやつがいました。
他でもないアキでした。
出会ったあの日以来、本物の馬鹿やと思いました。
後半ステージに上がってきたアキと一緒に歌いました。
むちゃくちゃ嬉しそうでした。
ポッキーもユウも、アキも、NOAを消したい過去やなんて思ってないんやな、って。
ってゆーかこいつら3人ともNOAのことむっちゃ好きやんけ、って。
それが知れて心底嬉しかったなぁ。
ラストライブをする経緯は俺が語るのは当然不相応やし伏せるけど、アキからその報告をされた時は涙がでるかと思いました。
でも同時に俺は自分のライブが決まってたのでその場にいれないことも伝えました。
スケジュール的に覚悟はしてたから「やっぱりかぁ」みたいな感じでした。
もう俺はNOAを見れない。
これも運命なのだと。
でもそれ以上にNOAがケリをつけてくれることが嬉しかった。
「弦切れたら大変やからこれ持っていきな」ってアキにギター弦をワンセットは託して、この事実をしっかり受け止めました。
今月の頭。
アキから「最後のリハーサル見に来ませんか?」と誘われました。
「えっ!?!?!?!?」って声が出ました。
リハとはいえ、俺はNOAを見れるかもしれない。
なにがなんでもスケジュールを調整して向かうに決まってる。
そして昨夜。
最後のライブハウスリハ。
観客5人の真夜中のライブハウスリハ。
裏方チームと俺とBuddyBuddyまゆちんが見守る中、深夜1時に始まりました。
軽く2曲合わせて音を調整したあと、「じゃあセットリスト通そか」と。
いつものアキのあの台詞から始まったそれは、リハーサルでもなんでもなく「ライブ」でした。
手を抜かず本域でやってることは一目瞭然でした。
当たり前の話、別に俺のためのモノでは全然ない。
でもNOAが最後に「ライブ」を俺に見せてくれました。
NOAにとって俺は、俺にとってNOAは、いったいどういう存在やったんやろうか。
こいつらのためにしてやれたことなんて1つでもあったんやろうか。
そんなことを考えながら目に焼き付けました。
NOAというバンドに、アキとポッキーとユウの3人に、「先輩」としてしてやれたことなんてほんまに1ミリもないんですよ。
背中を見せるどころか、俺はずっとNOAを追いかけてた。
かといって、Dizzy Sunfist、SPARK!!SOUND!!SHOW!!、DAM、Day tripper、BiSKET、My Hair is Bad、39degreesとかその他色々、NOAを横から支えたバンドにもたぶん俺はなれてなかったと思います。
追いつきたかった、勝ちたかった、一緒に叶えたい夢もたくさんあった。
でもきっと俺はそれ以上にNOAの「大ファン」なのである。
こんな俺を慕ってくれて本当にありがとう。
みんなより1足早く、俺はNOAを見納めてきました。
クスダくん、最高の音を出してくれてありがとう。
マミちゃん、本番通りビカビカに照明を当ててくれてありがとう。
あれは全然リハーサルじゃなかった。
「ライブ」を見せてくれてありがとう。
何度も言う。
俺は明日見れない。
でも俺と同じ「NOAを大好きなみんな」に囲まれて、なによりあいつら3人が心の底からクッソ楽しんで欲しいな、と本当に思います。
NOAを愛する全員がどうか幸せでありますように。
NOAが俺を支えてくれたように、WESNとDanabluを支えれるようなバンドマンになれるように頑張ります。
良い夜にしてくれな。
本当にいままでありがとう。
これからもずっとよろしく。
俺は永遠にNOAの大ファンであり続けます。
アキ、ポッキー、ユウ、ぶちかませ!!!
ゆーてますわ!
ほなの!
Sick Sound Tracksの話
こんばんわー!!
(こんばんわー!!)
はい、どうも326-9ですよ。
いよいよ...。
世に放たれます...。
どーん!!!
Down the Rabbit-Hole
3rd.mini album
「Sick Sound Tracks」
2019/4/10(wed.) on sale!!
皆様お待たせしました。
1年半ぶりに新譜が出ますわ。
長かった...。
とにかく今回の作品は期待を裏切らない、というか明らかにそれ以上のモノができたと自画自賛です。
すんごいの作っちゃいました。
というわけでせっかくやし今作の製作に挑んだ我々3人のことを書いてみようと思ったワケでやんす!
振り返れば昨年1月末。
前作「kill the classic」のリリースツアーが終わりました。
このツアーは正直結構自分たち的に手応えがあって。
なんかいままで地道に蒔いてきた種が芽吹き出したというか、単純にライブに遊びに来てくれる人が増えたり、なによりライブを見てくれてる人たちの熱量が変わったというか、「あれ?なんかみんなむっちゃガチやん!」って感じでした。
「見てくれてる」が「遊んでくれてる」になって、流す涙が本気になって、なんか自分が目指してきた事がようやく始まりだしたって思う事が多かったです。
そんな光景に負けじと自分たちも毎ライブのリハ終わりにメンバー全員でミーティングしたり、本数を重ねるたびに少しづつでも前に進んでいけてる感触を感じる日々でした。
良いツアーやったなぁ。
そんなツアーも昨年の1月27日(日)に心斎橋BRONZEでファイナルを迎えました。
その打ち上げ中、「やっと終わった。」って気持ち以上に「このままなにもしないでいると100%みんなに忘れられる」って気持ちがふつふつと湧いてきました。
ようやく始まりだしたこの現状が、当たり前ずっとは続かないって焦燥感。
なんか誰かとそんな話をしたワケでもなにのに、ツアーの思い出話をしてる内にすごいリアルにそれが自分にやってきました。
kill the classicツアーでライブを重ねる内に「この人たちの自慢になるようなバンドであり続けたい」とか「出会ったよかったって一生思えるような音楽を作りたい」とか、そんな気持ちがすごく強くなりました。
「おれの人生から勝手に消えるな」
毎ライブ言い続けてきたこのこの言葉が、ツアーを終えた瞬間そのまま自分にブーメランで飛んできてる気がしました。
「このままやと勝手に消えていくのはおれ自身かもしれへんな」
って。
1週間経たない内にメンバー全員でミーティングしました。
そこで「次の作品は1ミリも妥協せず、自分たちの限界値を目指す」と2人に伝えました。
数合わせの楽曲はいらないし、納得がいかない曲はガンガン捨ててく。
3曲書いて、1曲残る。
もうなんとなく作曲者としての自分の打率はわかってました。
とよく考えます。
毎年フルアルバムを出すっていう化け物みたいなペースで活動しても10年で100曲ちょい。
1曲作るたびに人生の1パーセントくらいは終えてるのかもせーへんな、と思ったりすることがあります。
そうか、ボケーっとしてる暇なんてないのか。
いまやらな絶対に後悔するぞ。
そんな感じで自らを奮い立たせました。
実際ただしもたかやもこの状況でモチベーションが上がってるのは目に見えてわかりました。
ただしから「子どもおろうができるってことは証明しますよ。」って言葉も聞けて、完全に腹は括れました。
それから半年間くらい、大体の平日は20時に仕事を終えて、21時までにスタジオに行き、閉店時間まで3、4時間くらいは1人で作曲をし続けました。
毎日毎日作っては捨てて、使えそうなネタや曲が出来たらメンバーに持っていって、3人で合わせてはやっぱり捨てて、の繰り返しの日々。
そのルーティーンをこなしてる内になんとなく「8曲」って数字は見えてきました。
9月の頭くらいに自分的に「キテる」感覚のある8曲は揃いました。
でもいま見返したらそっから結局半分捨ててるわ。(笑)
もったいないから誰か拾って!
それからもずっと書き続けて、個人的に書いた曲は30曲以上、メンバーでざっくり完成させた曲がその半分くらい、その内からベスト8を選抜して「Sick Sound Tracks」の収録曲になりました。
まさに「病気」みたいな毎日でしたが、意外とそんなにしんどくなかったし、メンバーと入るスタジオの空気はびっくりするくらいずっと良かったです。
いままでも相当「バンドマン」として生きてきたつもりやったけど、自分自身の向こう側っていうか、おれの限界値って余裕でまだまだあるんやな、って嬉しくなったくらい。
で曲が決まったら作詞作業。
マジでこっからが地獄の始まりでした。
曲自体に血が通いすぎて、絶対にハンパな詞は載せたくない。
正直いままでの楽曲の中で、「曲は良いけど詞が殺してしまった」って感覚の曲が数曲あるんですよ。
絶対にそれは今回したくなかった。
作詞に関しては1から10まで完全におれの個人プレイなので、毎日毎日孤独なレース。
なにかしら感受性が欲しくて、いろんなところへ行ってみました。
HIP-HOPの現場に1人で足を運んでみたり、昔よく行ってた思い出の場所とかにもフラっと立ち寄ってみました。
書いては消し、書いては消し、書き切ったらネクスト。
「人生でほんまに伝えたいこととか普通8つもある??(笑)」
って愚痴もこぼしながら、ウチのスタジオの店長に「毎日のように悲壮な顔してる」と心配されながらも、必死で書き切りました。
結果的に言うと、全曲ワンワードの無駄もないくらいのモノができました。
特に「City Lights」という曲の歌詞を書き終えたときは、読み返したらほんまに涙出そうになった。
そしてすべてを携えていざレコーディング。
ウチの全作品を担当してくれてるRecording Studio do-doの福山先生にも事前に作品への想いと具体的な録り音についてのミーティングを何度も交わして、順調かつハードルの高いことにも挑戦しつつ、良いレコーディングでした。
なにもかも録り終えて、細かいミックスや音調整も頭が痛くなるくらいやって、何周も確認を終えて。
最後の最後、もう書き出すだけやってときに直矢さん(社長)が「せっかくやしゲストコーラスしに来てくれたみんなに1回聞いてもらいや」って言ってスタジオのスピーカーで聞くことになりました。
ポンっと再生ボタンを押して流れ出した瞬間、この1年間すべての情熱を注ぎ続けた楽曲たちを初めてリスナーとして聞いてることに気づきました。
作り出したときから何百回と聞いても「ココはこのほうがええかもな」とか「この英語ちょっと変えよかな」とかそういう聞き方しかでけへんかったので。
いまおれはなにも気にせず、この楽曲たちを聞けてる。
「良い曲やなぁ」ってやっとなにも考えず素直に思えて死ぬほど感動した。
そんな8曲で構成されてる「Sick Sound Tracks」です。
どうや!楽しみやろ!
おれら3人が誰より楽しみやけどな!
このトレイラーはただしが作りました。
自分たちでやってこなかったことも今回いろいろやってみてます。
本当に胸張れる作品ができたからこそ、「自分たちのできることを全部してこれを世に広めたい」といままで以上に感じてます。
インディーズですから、やるもやらんも自分ら次第ですわ。
ちなみに実はまさかのおれが撮影編集したMVも1本あるので楽しみにしててください。(死ぬほどしんどかったのでこれはできたら2度とやりたくない!笑)
いよいよ1ヶ月後!
震えて待っててください!
これがDown the Rabbit-Holeの本気だ!
ゆーてますわ!
ほなの!
MELLOWSHiP/$ENKINという親友の話
こんばんわー!!
(こんばんわー!!)
はい、どうも326-9ですよ。
久しぶりのブログですねー。
ちょっと頑張って書いてたセルフライナーノーツシリーズもぶっちゃけ完全に「the cast of my life」を書き終えたことで燃え尽きてしまった感は否めない今日この頃。
正直ね、「POP STAR」と「MAD TEA PARTY」に関しては書くこと全然ないので薄々自分でも続かないと思ってたよ。
まあ他の曲は知ってほしいことたくさんあるからまた書きます!
気が向いたら!
そんな我々DtRHは相変わらずせこせこライブに明け暮れる日々を過ごしてますがそちらは如何でしょうか?
でもただライブだけしてたワケじゃないんだぜ。
この夏から秋にかけてそれはそれは膨大な量の曲を書きました。
書いたということはなにかしらで世に出ると思うので楽しみにしててください。
たぶん半分くらいは世に出ないけど。
どんな曲でもそんな曲たちがいたから成り立っているのでアール。
無駄なんてまったくないのでアール。
で、一旦作曲が落ち着いたので次は作詞作業に移行してるのですが、この期間中はできるだけいろんな経験に触れて自分に刺激を取り込んでいたい感じなのでアール。
作曲はインドア、作詞はアウトドア。
お、なんか名言っぽくない?(笑)
でも大体みんなそんな感じやと思う!
普段行かないジャンルのイベントに行ってみたり、普段飲みに行かない人と飲みに行ってみたり、とか普段やらないことをしてみてます。
でも結局1番刺激をくれるのはライブハウスなので戻ってくるのでアール。
そろそろこの「アール」のやつ使い方わからんくなってきてるからやめるわな。
で昨日はThe Chorizo Vibesのサーキットイベント「爆音ハイスクール」に行きつつ、MELLOWSHiPの活動休止ワンマンに行ってまいりました。
そしてあまりにも感じたこと、思ったことが溢れ出てきたので久しぶりにポチポチしてるのでアー、.............ある。(堪えたYO!)
MELLOWSHiPというバンドには$ENKINという男がいます。
326-9のフルオープンで心を許しまくってる親友の1人です。
彼との出会いは19歳の夏。(たぶん)
あたくしはよく当時つるんでた皆と堺Tick-Tuckというライブハウス&スタジオによく入り浸ってました。
この頃はエモ/スクリーモの超全盛期やったので
「どれだけピチっとTシャツを着れるか」
「どれだけ細いジーパンを履けるか」
「どんだけ髪型をアシンメトリーにできるか」
を競い合ってる時代に、彗星のごとくその我々のグループにダボダボで入ってきた男が$ENKINなのである。
当時彼は「LA」と書いたTシャツに「NY」と書いたキャップを合わせてました。
ウエストサイドとイーストサイドの融合。
326-9は「1人アメリカ大陸」と彼を裏でいじってました。(ネーミングセンス)
知り合うきっかけは向こうから。
後にも先にもたぶんあいつだけやと思う。
「ブログむっちゃ読んでます」
と1言目で話しかけてくれたのは。
この頃326-9は毎日ブログ書くのが日課でした。
たぶん全然文章力も乏しかったし面白くなかったと思うけど。
彼はそのブログをちゃんと毎日見てくれてたのである。
そんなこと言われたらこちとらもう作家気分やで。
「おお、そうなのかい。キミ、もっと近くに来たまえ。」
といわんばかりの態度で偉そうにバンド論を語る嫌なヤツ、それが当時のおれだ。
彼は当時SPIKE26というバンドをしていて、326-9はDown the Rabbit-Holeを組んで初ライブする直前くらいやったと思う。
同い年やし、ってことですぐに仲良くなってなんやらかんやら切磋琢磨してたワケですな。
T.C SPEAKERも含めて3バンドでやってた「Rock!Scissors!Paper!」というたった3回だけの田舎の小さなお祭りはおれの青春のすべてです。
詳しくはこちらのブログで↓
https://ameblo.jp/the-dialy-of-326-9/entry-11331580405.html
このイベントでおれらみたいなモンのちっちゃい背中を見て、いまになればウチのメンバーの2人もLeftもDYINGDAYもYOUR LAST DIARYゆうかも育ってくれたみたい。
ありがたいお話ですわ。
何年も経ってから、「やっぱりあのイベントやってて良かったなぁ」って思えるってだいぶ素敵ですからね。
ありがたいお話ですわ。
で、その後色々あってSPIKE26は解散します。
解散ライブにウチは出演しませんでした。
この日出れなかったことはいまも少し後悔してます。
で、当時のウチのメンバーが全員脱退して、いまの2人が加入するのと同じタイミングくらいで「MELLOWSHiP」というバンドが結成されました。
どこまでいっても同期なんやなー、とか当時は思ってました。
ちなみに全然いまやから話せることですがMELLOWSHiPが始まってすぐにTatsuyaとおれが大喧嘩して結構長い間疎遠やったんすよ。(笑)
むちゃくちゃ周りに気を使わせてた闇の時期。
お互いまだまだ若かったしイキりたってたからなー、若気の至りですわ。
そんな疎遠期間も経て、和解もして、「Re:revolution」のツアー初日に我々はお呼ばれされました。
嬉しかったなー、久しぶりにバンドとバンドとして関われる感じがしてすっごい嬉しかった。
打ち上げ終わってんのに$ENKINと2人で朝10時まで遊んだなー。
あのね、えーと。
正直な話するとね、MELLOWSHiPってバンドとそこまで対バンしてないんすよ、おれら。
一緒にやった日で思い出すエピソードってこの日くらいやもん。
「326狩り」(あたくしの個人企画)とか色々あったけどやっぱりこのツアー初日かなー。
でもおれはずーっと仲間やと思ってたし、親友やと思ってました。
ツアーも一緒に回ったことないから「思い出ポイント」で言ったら薄いんかもしれへんけどね。
でもその穴を埋めるためにおれはMELLOWSHiPの大事な日には結構立ち会えたと思う。
ツアーの初日、ファイナル、自主企画、ワンマン、ビッグキャット。
いっぱい足を運んで$ENKINのいろんな姿を見れました。
たぶん$ENKINもおれにそう思ってくれてたと思います。
どんなスケジュールでも大晦日だけは1人で堺に来て出演してくれました。
おれとSIMAC/ex.T.Cかずきにしか見せへんあいつが確かにおるんでね。(勘違いやったら恥ずかしいから言わんといてな)
去年の大晦日、いつものMC YOGA-FIREであいつが出演してくれたときに、たまたま2人きりになるタイミングであいつが話しかけてきました。
「同い年のみんなさ、このイベントにも誰も来なくなったなぁ」って。
マッシブでやってる大晦日カウントダウン企画を中心になってやり始めたのはおれらの同い年のみんなとなんですね。
ウチ、SPIKE26、T.C SPEAKER、NaturalManとか。
「あー、そんなん全然気にしてなかったけどたしかにそうやな。バンド辞めてみんな仕事あったり家庭持ったりそもそも大阪から離れたヤツもおるしそんなもんやって。」
「いや、ちゃうねん。後輩のコらがみんなおってくれるからってのが大きいけど、みつるが1人だけでこの空気を守り続けてきたんやなって。感動してる。すごいわ。おれもなんかせななって。」
「いまさら〜?(笑)」
こんな会話やったと思う。
すっごい嬉しかった。
こいつはこいつで堺のことを他人事って捉えてるワケじゃなく考えてくれてるんやなって。
$ENKINにとって堺は別に「過去」じゃないんやな、ってすごい嬉しかった。
「メンバー脱退するわ。」って連絡が来たときもそんなに理由は聞きませんでした。
「大体わかるからいいよ。大丈夫やで。」って。
でもいざ発表されてしまったら結構エモモード入ってしまって、実はウチのメンバーで話し合って向こうのスケジュールに隙間があるんなら堺で2マンしたいな、ってノリになってました。
ぜんっぜん$ENKINが電話でーへんからやめたけど!(笑)
まあでもおれの電話もでーへんって色々悩んでるんやなぁ、って感じでしたわ。
昨日の活動休止ライブ、行くか行かんか結構ギリギリまで悩みました。
自分の気持ちもよく整理できてなかったしなぁ。
おれこのライブ見たいんかなぁ、って何回も自問自答しました。
でもさすがに顔は出すかって。
冷やかし程度でもういいや。
ちょっとだけ見て、「お疲れ様ー。」って楽屋で一声かけたら帰ろうって。
で後半ブロックから行ったらさ、びっくりしたわ。
見たことないくらい$ENKINがええ顔しとんの。
笑ってもーたわ。
泣きそうなったわ。
出会ってからいままでで1番ええ顔しとった。
途中からフラっと来た身分のくせに「もっとやってほしい」とか1番思ったらあかんことまで思ってた。
本編終わって楽屋にハケてきたあいつに「おお!!来てくれてありがとう!!」って言われて、なんか照れ臭いから笑いに変えなって必死こいてたけど目頭はスーパー熱かった。
ダブルアンコール。
本編でセキュリティーおらんかったからダイバーのコらの安全に気を取られたからセキュリティー入れてもう一回万全の状態で「OVERKILL」やりたい、って言ったtomoki
その後に決まってたセットリストを崩して「The Wayや!The Wayしかないやろ!いこう!」って強行突破でThe Wayやった$ENKIN
感情のままギター放り投げてダイブしていったToshiki
満身創痍、最高の笑顔でドラムを叩くTatsuya
最っ高にロックやった。
マジで。
感動したわ。
最後に$ENKINと話しました。
「センちゃんがどんな選択をしてもおれは否定しないし肯定するよ。友達やから。でも今日見てたコらはみんな信じてるもんな。ほな続けて欲しいな。」
って。
「Toshikiが飛んでったときに急遽セキュリティーやったギャラは復活してから2マンしたときのギャラに上乗せでいいよ。」
って。
笑ってごまかしてたけどおれは約束やと思ってるから。
おれはあいつと親友でよかったです。
やっぱりかっこええ男でしたわ。
おれからも言わせてください。
MELLOWSHiPと$ENKINを愛してくれてありがとうございます。
やるもやらんも本人次第。
でもそれを勝手に信じて待つかも君たち次第だ。
じゃあおれは信じて気長に待ってみようかな。
ほな先行ってるで、マイメン。
4人全員が音楽を好きでい続けてくれるなら、それ以上なんてないのだよ。
ゆーてますわ!
ほなの。