朝起きる。
窓を開け深呼吸(サザエさんは呼ばない。恥ずかしいから)。
日が昇るのがはやくなったと実感する。


クロッキー帳を広げてスケッチ。
Rayという雑誌のバックナンバー。
「スパンコールつきうすピンクスエードニーハイブーツ」なんて反則だと思う。


自主製作のイメージスケッチと、その世界観でコミックを描く。
内容はヒミツ(笑)
そうこうしている間にバイトに行く時間になる。


途中の電車の中で。
遺伝子についての本を読んでみる。
製薬の実験などに使われる、「ホルモン分泌の悪い性質」や「ガンに抵抗できない性質」を意図的に遺伝子操作で仕込まれたマウスをノックアウトマウスという。実験動物として「ものすごい人気」で、同マウスの受託製造サービスを行う会社もあるそうだ。「生命の尊厳」ってなんだろう。


よく晴れた日曜日だから、動物園はとても混んでいた。
フライドチキンやポテトのストックを、どれだけ作るかという判断の早さ
と、
出来上がったポテトを、上手に直径10センチほどのカップに入れる器用さを
求められる。
「超」がつくほど難しい。


少し沈んでバイトを終える。
ケータイに友達からのメール。
「今日新宿でご飯たべようよ」


GPSで調べたら、上野から新宿までは8キロちょっとらしい。
集合時間は19:00で、今は17:30くらい。
気分転換に、新宿まで歩いていくことにする。


道すがらたくさんのBMWを見る。
あの会社の車、独特の重さ(見た目的に)があって好きだ。
シボレーやminiの自転車も見つける。そのウチ欲しい。


産まれて初めて東京ドームを見た。
へえー!ってなった。
夕焼けが綺麗だった。


自転車に乗った子供が水たまりにハマって叫んだ。「うっわー!」
お父さんが高らかに声をあげて、カレの横を通り過ぎて行く。「うわっはっはー」
平和を感じた。うれしくなった。


結局待ち合わせ時間に遅れた。8キロは遠かった。
友達も遅れた。
ちょうど良かった。


バーガーキングでご飯を食べた。
ついつい話こんでしまって、気づいたら店のシャッターが降りかかっていた。
やっぱり真剣に話を聞いてもらえるって幸せだと思った。


帰り道、遺伝子の本の続きを読む。
生物は、細胞生物→魚類→両生類→は虫類→ほ乳類という進化をしてきた訳だけど、人間も受精卵が赤ちゃんになるまでに同じような過程をたどるらしい。
現に、発生の途中、えらが現れる。
なんだかスゴくロマンを感じ、ジブンもそういう過程で産まれてきたのか、とびっくりする。


駅に着いてアイスを買う。
今日はガリガリ君のコーラ味。
胸のあたりからキンキンに冷えてくる冷たさ。
ジャンキーなコーラ味が結構うまかった。


月夜。
まだ少し肌寒い春の夜風。
通り過ぎる車のエンジン音。


ヨノナカって、こういうモノなんだ、と、漠然と感じる。
良い悪いでなくて、漠然と「こういうモノ」なんだ。
チキュウは人間のカテゴライズでは岩石のカタマリなのかもしれないが、「世界」というこの空間は、脈をうっている生き物みたいな気がする。
ゆっくりゆっくり、時を刻みながら、とっくりとっくり、ジブンと一緒に、生きている気がする。


そんな日。
「才能」ってコトバを聞いたら、どういうイメージを持ちますか!?

人それぞれの解釈があると思うのですが、ジブンとしては、

「生まれながらに持った、あるいは幼少期に獲得した特別なチカラ」
「歳をとると非情に入手困難、あるいは入手不可」
「才能がなきゃ、いいものは作れない」

みたいなイメージが浮かびます。
でー、割とこのイメージは、世の中一般のそれと違わないと思うのです。

大学卒業間近になった時期、この「才能」っていうコトバを沢山耳にした気がします。
それもネガティブな意味で。

「才能ないから、別の道に行くことにしたよ」
「あの人は才能があっていいね、ジブンには全くだよ」

とかとか。
ジブンも含め、多くの人達がこの「才能」っていうモノに苦しみ、迷っていた気がします。




でも、先日、『トイ・ストーリー2』を観て、真っ昼間から号泣した時以来、どうも、この「才能」っていうモノにギモンを感じていたんです。

果たして、作品を作るのに、「才能」は必要なのか??
オモシロいモノを作るためには、「才能」がなきゃいけないのか??





『トイ・ストーリー2』。
見事に「もう1つの世界」を描ききった作品。
登場人物(=向こうの世界の人)達、空気感、楽しさが、完璧に伝わってきました。

うわー!これだよこれ!(涙涙涙)


どばどば泣いた数日後に至った結論。

それは、

つまるところ、(ジブンのイメージしてたような)「才能」はいらない!



だって、観賞中、その必要性を感じなかったんだから。直感的にだけども。

確かに、Pixarの「技術」には舌を巻きます!口が開いたままになります!帽子だって脱いじゃいます!

なんて上手く向こうの世界のドラマを語るんだろう!
人物の動きを魅力的に切り取るんだろう!
こっちをココロの底から楽しませてくれるんだろう!

でも、そういうモノ、つまり「もう1つの世界」を魅力的に見せる「技術」は後からでも獲得できるようです。
それには相応の練習(たくさんのスケッチ、ストーリーの練り込み、経験etc...)が必要なのでしょうが、「もうこの先絶対に得ることができない」モノではないのです。


ある友達が言っていました。

「モノを作るのに必要なのはなんでしょう??才能?いえいえ!「作りたい」という気持ちです!」


激しく同感!!!!

まだまだぺーぺーではありますが、

「作る」ということは、「才能」なんていう漢字2文字に左右される単純な行為ではないと思う。
でも、大事なのは、「気持ち」っていうシンプルなモノな気がする。

直感的になんだけど。


でも、この直感は間違ってないって確信。


*今は「才能」よりもオカネが欲しい!アイスも映画もお預け状態!欲しい本だってあるのになー
随分と久しぶりの投稿となります…!
(あ、アニメーションは無事完成して、卒業しましたー)

さて、これはmixiにも書いたコトなのですが。

 2010年4月13日火曜日午前9時18分ころ。
 「それ」は突然起こりました。
 その時、目の前のパソコンの画面では『トイ・ストーリー2』が流れていて、開始50分くらいの地点。
 カウガール人形ジェシーが、身の上話を語る、とても切なく感動的なシーン。
 そのシーンの最中に、ジェシーが一瞬、とても悲しそうな表情をするのですが、その時にヤラレてしまった!

 体の中で何かが”ぼんっ!”となって、目頭がじーんとなって、あったかい涙がじょぼじょぼ溢れてきたんです。鼻水はじゅるじゅるで、声も少しもれたくらい。
 いやー、恥ずかしながら、久しぶりにホンキで泣いてしまった(笑)


 とてもステキなシーンなので、いつも危うくなるのですが、でも今回。
 目から汗が出たのは、ジェシーの眉毛がハの字になったからでも、ウッディの口がへの字になったからでもないんです。



 なんだか、目の前ですごいコトが展開されてるぞ!?って、ぶっとんだんです。
 目の前のジンブツ達は、結局のトコロ、最新技術がうみだしたデジタルのキャラクター達なんだけど、彼らの演技は繊細で、魅力的で、活き活きしていて。
 そして、彼らを語るストーリーや、包む音楽は強烈なうねりになっていて。それらがこっちの心臓にものすごい一撃をカマしてきた!


 でも、涙が出たのは、Pixarっていう、CGアニメーション界の大御所のウルトラ級の技術を目の当たりにして、「自分は全然足りてないな」とか、「もうおれどうしたらいいの!?」ってなって落込んだからでも無い訳で。


 なんだか、「もう1つ」の世界を作り出すって、とんでもないコトだと思ったんです。
 とんでもなく、すばらしく、かっこいいコトだと思ったんです。
 強烈で、激しくて、楽しいコトだと思ったんです。
 そういうモノ(果たして「モノ」っていう表現がイイのかどうか…もっと、大きくて、強い感じのコトバだと思うんだけど…)が、世の中に存在してるのが、たまらなく嬉しくなっちゃった。

 そう、これは、真っ昼間のうれし泣き。
 
 そして、そういうので泣ける自分がちょっとうれしかった(笑)

 神様なんて信じてないけど(忘れ得ぬ中学2年の2月14日 爆笑)、もし神様がいたとしたら、今日はホンキで感謝する。
 たまには粋なコトをしてくれるんだ。



















 これで終わったらめでたしめでたしなのだけど。
 この3時間後に、部屋の本棚が崩壊する。
 おまけに自転車の後輪がイカレて、走行不能となる。
 小春日和のお散歩は急遽中止され、真夜中まで、ホコリとあせにまみれることになる。
 ほんとに。
 神様はホントに粋なコトをしてくださる。