退職願い、生命保険請求、終末期の緩和ケア探し
悩んだ末にやはり経済的にはやや苦しくなるけれども退職して、余生で元気な内は終活をしたり家族や友達との時間や趣味を楽しむ事にした。47才でリタイアか。会計兼総務兼人事部長のCさんに退職したい意向をメールにして送信した。義理の父は65才の定年年齢の後も家族を支える為に働いていた。義理の母や専業主婦で夫と別居中の義理の姉と姪も同居していたからだ。2011年に血液の病気に罹り退職を余儀なくされ、元々予定されていた心臓の手術を受けた後、1度は回復したものの病状が悪化して発病から1年余りで亡くなってしまった。病状が安定して元気に退職生活を楽しめたのは半年位のものだった。なんて気の毒なと思っていたら自分も同じ運命を辿りそうだ。
この日はしばらく前に電話で声明保険金支払いを請求の手続きを開始した保険会社から、郵便で公式の請求書が送られて来たので記入してポストに投函した。生命保険金が支払われる位だから、私、本当に公的にもうすぐ死ぬって認められているんだ。更にやはり少し前に電話をかけたがん患者を支援するチャリティーから電話が来たのでがん終末期の緩和ケアについて質問した。自宅療養をするつもりであっても強い薬が必要だったり、物理的に家族が支え切れなくなったら為緩和ケアの病棟に移る必要があるかも知れない。そんな時に施設を吟味している暇は無いから今から良い所を探して見学して、入所の可能性や手続きについて調べておいた方が良いとのアドバイスだった。
それぞれの手続きで思わず涙が込み上げた。
私の職場からのお見舞いの花束
5月3日を最後に体力的にも精神的にも辛くて病欠している私の職場からお見舞いの花束が届いた。居間に飾って1週間楽しませてもらった。どういう訳か確かに写真を撮ったのにデータが見つからない。操作を誤って消してしまったのかな。残念。
私が胃がんと診断されたのを知っていて心配しててメッセージを送ってくれる親しい同僚達には、すぐにでも末期と判明して延命治療をしても余命12ヶ月と言われた事を話してしまいたい。も私からの返信には抗がん剤治療を始めるという事以外は予後についてはあえて書いていない。職場で予後について知っているのは1番親しい皐月さんだけで、彼女には他の人に話さないように口止めしてある。同僚は当然彼女の所に行って予後について質問するので矢面に立たされて気の毒だ。悪いね。
私が親しい同僚達に予後について言えないのは、抗がん剤治療中のサイクル中には働ける元気のある人もいるそうなのでその可能性もまだ模索中だから。そしてもちろん退職してしまう選択肢もある。結論を出して会計兼総務兼人事部長のCさんに連絡するまでは他の人には言えない。
NHS(イギリスの国民保健サービス)の医療(費)免除証書
NHS(イギリスの国民保健サービス)の医療(費)免除証書が届いた。NHSでは診察や検査や治療費を払う必要がないが、薬代だけは元々16才以下の子どもや60才以上の大人、生活保護などの援助を受けているという理由がなければ1回8.80ポンド(約1280円)請求される。
特定疾患の患者も薬代を免除される決まりで、がんはその特定疾患のリストに入っている。私ががんの告知をされたのは2018年4月30日でその当日に看護師さんを通して申請した。NHSの記録上では「4月21日にがんが見つかった。」となっているのだろうか。申請日より開始日が早い!
抗がん剤治療サイクル1の始まり
これは予約時間より早く到着して階段の脇の待合い椅子からの眺め。病院があるのはレンガ造りの100年は経っているだろう古い建物で内装も昔風のまま。階段手すりの高さも低い。現在の建築基準法では新たにこの低さで作るのは違法になってしまうだろう。手すりの柵の幅も広いのでアクリル板で塞いである。うん、幼児の頭が通る幅で下を覗いたらすり抜けて落ちてしまう。古い内装に新しいコーヒー・マシーンとコピー機やゴミ箱が対照的で面白い。
これは脱毛を防ぐ助けになるというコールドキャップ。見えているのは外カバーでこれには強力なアゴバンドがついていて、この内側にある冷水の通った内帽子を頭皮に押し付ける役目をする。脱毛する抗がん剤の注射の30分前にコールドキャップを着用して頭皮の血管を収縮させる。注射の後も更に1時間かぶり続けなくてはいけない。
コールドキャップ冷たいのは体に毛布をかけて本に熱中したりしていれば我慢できるレベルだけれども、しゃべるのも大変でしかもこの1時間半の着用時間中に昼食が来てしまうのが辛い。臓器に負担をかけないようにと水もガンガン点滴されるのでトイレに行きたくなる。その時は一時的に冷えを止めなければならなず、結局3回も一時停止して貰う事になってしまった。
付き添いで来た透の分も含めて2人分の昼食がこれ。銀のナプキンリングがイギリスっぽい。私はスモークサーモンのサンドイッチを食べた。敷地内のキッチンで作っているようでフレッシュで美味しい。でもこの後に看護師さんの経験からすると「まだ気持ち悪くなるには早い。」段階でなぜか私は吐いてしまった。午後は30秒に1回ゲップが出て気持ち悪いし疲れた。
インナー・テンプル(Inner Temple)
インナー・テンプル(Inner Temple)に勤務する友人に、「この週末はオープン・デーだから来ないか?」と誘われていた。まだ居るかなと午後3時頃に到着したらちょっともう遅すぎて帰った所だった。
引き返して来るというので庭や構内を散歩して待った。戻って来た友人はやはり夫婦だけ。上の子は自宅を離れて大学に通っているし、下の子ももう16才だからお友達と遊ぶ方が楽しい。
写真に撮ってないテムズ河寄りの芝生のある公園部分は、普段から昼休みの時間には一般にも公開されているそう。
コベント・ガーデンまで歩いてカフェに入ってしばしおしゃべりした。私の抗がん剤治療に入る前の最後の食事。ホットドック。おいしくなかった〜。オレンジジュースを飲むと半分食べるのがやっとだったし。
私がしばらく動けなくなる事を予想して、もっと準備してから抗がん剤治療に入るべきだったんだろう。だけど診断から5日目に開始で、その間余命宣告を消化するのにやっとであまり動けずにいた。
ママの病気と余命の話を子どもにする
2018年4月30日に胃がんの診断が出てから17才の香蓮にはすぐに話した。家の中にがんや病院、保険関連の書類があるのを目にするだろうし、それから各種検査を受ける時に留守番して弟をみていて貰う必要もある。あの時点ではまだ治療可能かも知れないという希望があった。香蓮は驚いていたけれども翌日からも表面上はいつも通りカレッジやアルバイトや遊びに行っている。
香蓮が通っているカレッジに母親である私のがんの事を話したら、コースでもいろいろ配慮をしてくれる事になった。例えば精神的に辛かったり家の手伝いで物理的に忙しかったりしたら課題の提出期限の延長も可能。更にカレッジ内に常在する心理カウンセラーに紹介して貰った。カレッジの配慮もありがたいけれども、自分でカレッジに掛け合って行ける香蓮の自立心に感心した。
これからの闘病、それよりも前に胃がんの根治治療が可能か未確定で不安な中で、何も知らない11才の響だけがまだ家の中に残っていた平和な日常の姿だった。もう小学6年生なのにどうかと思うけれど、毎日何曜日なのかもしっかり自覚していない。テーブルの上にがんのチャリティーのブックレットを置きっ放しにしても彼が気がつく可能性は限りなく低いという状態だった。
そんなのん気な子ども時代を壊したくなかった。透と響にどのタイミングで話そうかと、相談しては先延ばしにしていた。話さない、という選択もあるがさすがにもう幼児ではないので死ぬまで隠し通すのは無理だ。残念ながらこれから響にも我慢やお手伝いを頼む場面も増えるだろう。約1年の私の余生の間、他の家族と一緒に響も事情を知って過ごすのが後々彼の為になると思う。
夕食の片付けが終わった後に響を居間に呼んだ。ソファーで私と透の間に座らせて私の病気と余命の話をした。響は驚いて泣き出し私も響を抱き寄せながら泣いた。日本の両親や妹に知らせるのも辛かったけれど、子どもに知らせるのもまた辛い。翌日はハリー王子とメーガンさんのロイヤル・ウェディング。祝福ムードの世の中でも関係なく人生の悲喜こもごもは訪れる。
キンタン(Kintan)
がんの延命治療を優先する為に今年の5月の日本と8月のギリシャ旅行をキャンセルせざるを得なかった。日本旅行は往復の飛行機、ジャパンレールパス、ホテルなどを自分達で手配していた。出発の1週間ちょっと前だったので殆どのホテルがキャンセル料無しでキャンセルできた。飛行機会社にも事情を話したら時間は3ヶ月とか半年かかるらしいが払い戻してくれるそう。ジャパンレールパスも事務手数料を除いて返金された。
結局旅行保険会社に請求したのは日本のホテル代1軒分と、ギリシャパッケージ旅行のデポジットだけ。手続きは順調に進み1ヶ月半後には保険会社からの支払金が振り込まれて来た。なんだかんだ理由をつけて支払いを渋られると思っていたのにすんなり行って逆に驚いたよ。
この日は香蓮のカレッジがお休みだったので私達が旅行会社でジャパンレールパスのキャンセルをする手続きについて来た。私は結構フラフラだったけれど夫と娘が付いているので安心だった。せっかく親子3人で外出なのでキンタンで焼肉ランチ!昼食用のセットで私は肉2種類の、透と香蓮は3種類のを選んだ。肉の他にサラダとスープとご飯がついて来る。おいしかったよ〜。
外壁が造花で埋め尽くされている店。
香蓮に「勝手に私のウエストポーチを使っている!」って言ったら「前から使ってるよ。」だって。え〜。ま、使ってもいいよ、ボロボロにしなければ。なんでオレンジのウエストポーチかと言うと、暑くなって脱ぐ前はこんなコーディネートだったから。そう、半纏。香蓮の叔母(私の妹)が日本から送ってくれたもの。私も以前1回だけ半纏をおしゃれなジャケットとして着ている女性を見た事がある。あの方はきっとファッション関係のお仕事の人。全身黒づくめで黒っぽい半纏を羽織り上から赤いエナメルのベルトでウエストをマークしていた。帽子も赤だったと思う。



















