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天の声(25) 散歩(25)  ザ・シークレット

先日、 “アミティ舞州”で、 独特な治療法である「経絡治療」を目の不自由な方々と共に学びました。 その際感じた“啓示”のような閃きをお伝えしたく存じます。


1)素問
勉強後、 ホテルの一室の歓談の中で「政治の話をしていたとき」、 友人のOさんが「Tさん、 『素問』の中に、 “人の病を治す者は、 国の病も治せ”とあります。」と言った。 彼は、 いつも、 “啓示”のような言葉を投げかけてくれる。 弱視で大学までは、 普通の学校に行ったが、 現在は全盲である。 しかし、 その勉強量たるや凄い。 今も、 4冊の本を並行読みしているという。(勿論、 読むと言っても、 彼の場合は、 音声で。 視覚障害者は普通「点字」読みであるが、 彼は大学の頃まで見えていたため、 点字は読めない。) その中の一冊に「素問」がある。  元々“素問”は、 理論的な医学書であるが、 医学にかぎらず、 易学、 天候学、 星座学、 気学、 薬学、 運命学と広くさまざまな分野に及び、 医学書というより科学書と呼ぶべきであるという意見もあり、 道教にとっても原典の一つとされている。


私は、 鍼灸師でありながら、 「国作り」に情熱的に思いを傾けている。 そのような中、 上述の友人の一言が意を強くした。 そういった観点からも「素問」を読み直すことにした。


2)神技
実技の時間のこと。 白髪の治療家が模擬患者の身体をそっと触り、 脈を診、 言葉少なに患者とやり取りを行い、 施術を進めていく。 時折検脈のため、 学習者たちが患者の脈を輪になって診る。 つまり、 第一番目の学習者が患者の脈を左手で診、 第二番目の者が第一番目の者の右手の脈を左手で診る。 また、 第三番目の者が第二番目の者の脈を診るといった具合に、 何人もの学習者(例えば5人)が一度に一人の患者の脈を診ることができる。(連脈: 左から入り右に出る) つまり、 一人の患者の脈が各学習者の身体を通って、 次々と第二、 第三の学習者の身体に伝わっていくのである。  治療家が切経を行い、 取穴し、 刺鍼を軽く始めると、 脈の変化が学習者の指に伝わってくる。 「脈が浮く、 締まる」云々の説明が為され、 学習者は「自分の指でその脈の変化を感じ、 納得する」のである。 勿論、 各証(脾虚腎虚、 肝実肺虚などなど)により、 取穴部位も、 補瀉も違い、 脈の状態も違ってくる。 この施術により、 「当初がさがさしていた皮膚に潤いが出て来たり、 凝っていた部位が柔らかく滑らかになったり」するのである。 つまり、 気血の調整が為され、 身体の調子がよくなる


3)白髪の治療家との語らい
“氣の呼吸法”の話題を出したとき、 私達はそれを“鍼”を通してやっていると言われた。 そのとき、 “鍼一本”で生きて来られた人生の重みを感じた。 この治療家は視力がない分、 物凄い“心力”がある。 「経絡治療」は、 睛眼者も勿論やるのだが、 「視覚障害者の感性」は、 睛眼者を凌ぐものがある。 また、 睛眼者を凌ぐ読書量もある。(彼の場合は、 点字読み) 勉強会で交流する度に、 “視覚障害者”からは教えられることが多い。 


4)「氣と経絡」癒しの指圧法
本日は、 図書館で、 「氣と経絡」という本を借りて来た。 その中に面白い説明があった。 著者の遠藤喨及氏は、 「氣の経絡指圧」の国際的指導者としても有名な方で、 「『氣』というものの受け止め方が西洋人と日本人では違う。 日本人は『氣』という概念を日常生活の中である程度知っているが、 西洋人は言葉(知識)と技術という観点から『氣』を捉えようとする。 実は、 『氣』は「道=自然」の中で体得できるものであり、 知識或いは技術として身につけられるものではない。」とあった。 そこで、 思ったことがある。 つまり、 上述の「経絡治療」は『氣』を脈を通して、 感じることができるので、 西洋人に対しても説得力があるのではないかと。 その証拠として、 「経絡治療」の海外支部が、 アメリカ:ボストン支部、 ワシントンD.C.支部、 フロリダ支部、 シアトル支部、 テキサス支部、 オーストラリア:ブリスベン支部、 シドニー支部、 メルボルン支部、 ニュージランド支部、 オランダ支部、 ドイツ支部、   イギリス支部、 スイス支部、 スペイン支部、 ヨーロッパ支部(直属支部員)に存在し、 広く西洋人にも受け入れられている。


5)まとめ
『氣』は一般的には目に見えない神秘的なものであるが、 「経絡治療」を通して、    「指先」で感じることができる。 また、 その結果は、 睛眼者は目でも確かめることができる。 この世の中には、 「氣血」を調節して、 治癒へと導く施術法があることを広く伝えていきたく思う。 
※遠藤喨及氏の『氣の流れ』を感じる法: 四本の指で、 拇指をふさぐように握ってみる。 なんとなく、 呼吸しづらい感じがするはず。 拇指には、 肺経のスジ(経絡)が通っているので、 拇指をふさいでしまうと肺経の氣の流れが停滞するからである。



本日のメッセージ


使命道 天より受ける 啓示なり
周りの人へ 尽くす喜び 


与えられた使命に忠実に行動しましょう。 与えられた道を謙虚に受け入れ、 前向きに進んでください。 今日のあなたに依頼される事を喜んで受け入れてください。 周りの人の望むこと・必要とされることを優先して、 与えられた内容に真剣に取り組んでください。 期待に応えてください。 能力を発揮できるチャンスです。 周りの人への有意義な活動を通じ、 あなた自身も成長させていただけます。 与えられる使命に真面目に取り組めば、 充実感に満たされる道が拓かれていきます。


Thackery

天の声(24) 散歩(24) “氣の呼吸法”

2010年11月10日に、 図書館の書棚に目を向け、 適当な本を探していたとき、 “氣の呼吸法”という背表紙が目に留まった。 手に取りページをめくっている中で、  1950年代に“世界の王貞治選手の一本足打法(フラミンゴ打法)”確立に貢献、    “長嶋茂雄監督の下の巨人軍”強化に貢献、 1970年代に“外国人高見山関”の幕内優勝に貢献、 “与那嶺監督の下の中日ドラゴンズ”の優勝に貢献、 1980年代に“千代の富士の五十三連勝”の偉業達成に貢献、 “西武ライオンズ・広岡達郎監督による黄金時代”構築に貢献と、 読み進むに足るメッセージが飛び込んで来た。 何とそこには、 私自身も違ったアプローチで到達した“氣の世界”が展開されていた。


“氣の呼吸法”について、 東洋医学の観点から説明したい。


1)藤平光一氏の“氣の呼吸法”の最大のポイントは、 「全ての氣を臍下丹田に納める」というところにある。 この“臍下丹田”は、 臍下三寸に位置する経穴の“関元”(任脈)に相当する。 鍼灸治療に於いても、 最後にこの“関元”に施術して終る。


2)東洋医学の理論に基づくと、 氣血栄衛の津液の流れは次のようになり、 藤平光一氏の言う“氣”がこの流れの中で調整されていく。


手太陰肺経 → 手陽明大腸経 → 足陽明胃経 → 足太陰脾経 → 手少陰心経 → 手太陽小腸経 → 足太陽膀胱経 → 足少陰腎経 → 手厥陰心包経 → 手少陽三焦経 → 足少陽胆経 → 足厥陰肝経 → 督脈 → 任脈(臍下丹田“関元”) → 手太陰肺経に戻る。


次に、 藤平光一氏の表現に基づき、 “氣の呼吸法”について説明したい。


1)心を静める場所、 臍下の一点


この無限小の一点に心を静めると、 肉体的な力が入ることなく強く安定した下腹ができる。 臍下の一点に心を静めることを、 「心を統一する」とか、 「心を集中する」という。 臍下の一点に心を静め、 下腹が充実することで、 心に落ち着きが生まれる。


2)臍下の一点の意味


天地自然は無限の半径で描いた無限の円周であり、 球体であると言える。 そして、 我々自身、 その天地自然の中心であると言える。 ただし我々だけが天地自然の中心であるという考えは間違っている。 森羅万象、 天地自然の中心である。 これを釈迦は「天上天下唯我独尊」と言い、 「万物に仏性あり」と説いている。 この無限の円周を集約したものが自分であり、 更に集約したものが“臍下の一点”である。


3)常に臍下の一点を保持する


最初に臍下の一点に心を静めたら、 そのあと意識をせずとも心身統一の状態になっている。 何かを行う前に、 まず臍下の一点に心が静まっているかを確認して始めることが大切である。 立ち上がる動作、 座る動作、 歩く動作など、 日常生活での動きで、 まずは臍下の一点に心を静めることを実践する必要がある。 腹を立てたり、 ビックリしたりするときは、 「臍下の一点が抜けた」状態である。 大事に臨んでも、 この一点を保持しておれば慌てることはない。


4)リラックスこそが最強の状態である


上体の重みの落ち着く所が臍下の一点である。 臍下の一点という力の入らない一点を見つけて初めて、 全身の力を安心して抜き、 身体の各部の重みがそれぞれ落ち着くべき所に落ち着くことができ、 リラックスできるのである。 臍下の一点に心を静めることは、 正しくリラックスすることと同じである。


5)最後に「氣を出す」


臍下の一点に心身を統一させることができた後は、 「氣を出す」ということになる。 氣が出ている状態とは、 天地自然の氣と交流しているということであり、 心を積極的に用いることが大切である。 周囲の氣を自分に対して引くのではなく、 自分から周囲に向けて氣を向ける。 自分に何かをしてもらうことを考える前に、 自分が何をできるかを考える。 氣は出すことで新たな氣が入ってくる。 「氣を出す」には、 まず自分の心の中で「氣が出ている」と決めて、 何事にも自分から氣を向けて行動を起こすことである。


6)生命力が高まる


氣の呼吸法を行えば、 全身に生命力がみなぎり、 プラスの心と身体となる。 また、 氣の呼吸法は全身の息を入れ替えるばかりでなく、 氣の修練のうえで、 大きな意義がある。 「出ずる息は天地よろず世に及び、 入る息は腹内の寸分のうちにおさまる。」 自分の吐く息が、 目前で消えるのではなく、 天地自然の果てまで及ぶのだと思って吐く。 すなわち、 氣を出して吐くのである。 そして、 体内の氣を悉く吐き清めるのである。 吸うときは、 天地自然の氣を悉く体内に取り入れ、 臍下の一点におさめる。 このとき、 全身に、 清新の氣が充満する。 自分が呼吸しているというよりも、 天地自然の氣と交流している感覚を持つ。 「我が天地か天地が我か、 即ち、 天地と一体となる至妙境に至る」呼吸法なのである。


7)氣の呼吸法の五原則


一、 息が洩れるのではなく吐く。
二、 出来るだけ静かな音で吐く。
三、 頭部の氣より吐き始め爪先の氣まで吐く。
四、 鼻端より吸い始め爪先から始まり頭部に充満するまで吸い入れる。
五、 吸い終わったら無限小の臍下の一点に鎮める。


8)争わざるの理


健全な人間関係を保つことも、 心身の健康を保つうえでとても重要なことである。 天地自然は一つであり、 絶対的天地に争いがあるはずもない。 相対的な世界にのみ、 争いは生じる。 真に世界の平和を願うのであるならば、 一人一人が天地自然の根本精神に立ち返って「争わざるの理」を理解する必要がある。 争わざるの理というのは、 常に天地自然の氣を充満し、 また天地自然に向って発している状態、 すなわち天地自然の氣と完全に交流している状態のときにできることであり、 一番強い心なのである。 どんな逆境にあっても、 心を痛めずしてこれを乗り切り、 どんな悪口を言われても心に受けつけず、 どんな相手が襲ってきてもその力を受けず、 笑ってこれを導くのが争わざるの理なのである。


9)心身統一の四大原則


一、 臍下の一点に心を静め統一する。
二、 全身の力を完全に抜く。
三、 身体の総ての部分の重みを、 その最下部におく。
四、 氣を出す。


10)古の兵法


一、 争って勝つは、 勝の下なり。
二、 勝って争うは、 勝の中なり。
三、 争わずして勝つは、 勝の上なり。 


●本日のメッセージ


身を清め 心を清め 清らかに
森の国へと 平和創造


清らかさに応じて集まるものが変化します。 あなたの心身の浄化を実践しましょう。 お水を大切にして、 身の周りを清めましょう。 祓いの言葉を唱えて、 空間を清らかなものにしましょう。 あなたの想念は環境の影響を受けます。 まずは清らかな環境を心してください。 身を清め、 周囲を清め、 清める範囲を少しでも広げてください。 あなたの周りには、 清浄なる波動のみが引き寄せられるはずです。


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天の声(23) 散歩(23) 神嘗祭に参加して

ブログをお休みしてから、 相当な時間が経過した。 それでも、 訪問頂ける読者がいらっしゃることを知った。 涙するほど、 嬉しい。 勿論、 休むには、 それなりの理由はあった。 人生の流れの中で、 色々な道草をしながら、 人は生きている。 心躍らせることもあれば、 沈むこともある。 時は休むことを知らない。 人間を生かしつづける心臓のように。


それでは、 最近の私の人生をご覧願いたい。


1)2010年10月15日に鶴橋から宇治山田行き近鉄急行に乗り、 伊勢神宮へと向った。 朝早かったため、 車中では多くの高校生を目にし、 日常的な時間の流れの中にいた。 私は今正に“神嘗祭”という、 一般人が触れることのない神域に入ろうとしているのだ、 という高揚感の中にいた。


2)この急行は、 宇治山田駅の次の五十鈴川駅にも停車することを知り、 気持ちは安らかになり、 事は順調に進行していると喜ばしく思った。 駅前の洋館を思わせるこの地に相応しい品格を備えた喫茶店に入ろうとしたが、 開門は9時からで、 まだ30分近くあるので、 そのまま神宮(内宮)へと向った。


3)途中、 いつ参拝しても静寂に包まれている月読宮(向かって右(東)から月讀荒御魂宮、 月讀宮、 伊佐奈岐宮、 伊佐奈弥宮と並んでいるが、 参拝は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順が正しいとされる)にさしかかったが、 立ち寄る心の余裕がなく、 鳥居と参道をカメラに納め、 そのまま進んでいった。


4)まだ、 神嘗祭特別講習会受付までには相当時間があるため、 おかげ横丁でお茶を飲もうと歩を進めた。 途中、 手前に“おはらい町通り”があることを知った。 おかげ横丁に入り、 喫茶店を探していると、 五十鈴川カフェの小看板を目にした。 内心ほっとして、 店内にはいると、 まだ客は少なく、 歴史を感じさせる風情が漂っていた。 下に五十鈴川が望めるコーナーに靴を脱いで座り、 モーニングセットを注文した。


5)今、 報告書を書いていて気づいたのだが、 この場所に、 このコーナーに、 以前今回の神嘗祭参加へと導いて頂いた松下政経塾第七期生の友人とその先輩の第一期生の方と、 お茶を共にしていたことを思い出した。 やはり、 縁は、 運命はつながっているのである。 人は時空間を自由に飛べる。 五十鈴川も望め、 そのせせらぎさえ耳に入って来る静寂の中で、 神嘗祭の体験と、 その後の体験談を書くことをイメージしていた。


6)五十鈴川カフェで有意義なひとときを過ごした後、 財団法人修養団 伊勢道場・伊勢青少年研修センターへと向って行った。 位置関係は、 内宮正門に向い右側で、 角にあるお土産屋兼旅館の建物のひとつ手前の坂を登って行ったところにこの研修センターはあった。


7)その坂の先には、 また急な石段があり、 研修センター正面玄関へとつづいていた。 1906年(明治39年)に創立された風格のある建物である。 受付時間の1時にはまだ時間あり、 恐る恐る玄関を入ると、 温かく迎えられ、 部屋番号207とベッド番号8が伝えられた。 靴入れに靴を入れていたときのことである。 少し離れたところから、 「Hさんですか。」という張りのある声が聞こえてきた。 後にご紹介することになる修養団講師・Tさんである。 篤い握手に迎えられた。 これほど強く、 長い握手で迎えられたことはない。 本当に感動した。 これも、 ここに導いて頂いた友人のおかげである。


8)更に、 まだ待ち時間があるので、 今度は昼食におかげ横丁に出かけた。 さらっと、 ラーメンを食べたくなったので探していると、 市丸ラーメンという暖簾が目についた。 入るとまだ客は誰もいない。 メニューにある“市丸ラーメン”を注文し、 待っていると、 トレイにラーメンどんぶりとお茶の色をした飲み物が運ばれてきた。 これを途中で入れると味が濃くなります、 という説明があった。 この“お茶の色をした飲み物”が魚から取った出汁で、 腰のあるラーメンと一緒に今までに経験したことのない美味を醸し出してくれるのである。 “驚嘆”という表現がピッタリのラーメンであった。 そこで、 その素晴らしい味を店主に伝え、 名刺交換をした。 お名前は「N」、 「意外性の味作り、 それが私のモットーです。」と言っておられた。 店の奥には、 “カフェ光”もあるとのことだった。 今度また是非訪れたい店との出合いもあった。


9)さて、 これからいよいよ「神嘗祭特別講習会プログラム」に入っていくこととなる。 


(1)10月15日(金)
14:00 ~ 大講堂で開講式
        ・研修センター所長 T氏のご挨拶
        ・修養団講師・K.T氏から具体的な作法の説明及び実習
15;00 ~ 特別参拝(御垣内参拝)・神域見学(外宮)
17:30 ~ 夕食
19:00 ~ 初穂曳きについての説明
20:00   入浴・懇親会・消灯


● 1日目の感想


特別参拝(御垣内参拝)・神域見学(外宮)は、 正装して行い、 厳かなものであった。 お祓いを受け、 神職に先導され、 玉石の上をしづしづと歩みながら、 神域のパワー(気)を感じていた。

夕食後の懇親会、 これが凄かった。 北海道から、 九州から、 日本全国からやって来られていた。 報告者としては、 不適格かも知れないが、 “神嘗祭”の意義は、 専門家に聞いて頂くこととし、 参加前段階から自分自身の内から湧き上がってくるものを重要視していた。 そして、 実際に参加して、 自分の考えでいいと思った。 そこで、 神嘗祭参加体験報告第一・第二・第三弾を書き上げた。 本当はまだまだ書き足らない。 現実社会に渦巻いている虚偽を伝えたかった。 この“神嘗祭”は国を思う人の集まりと感じた。 そこで、 私の国作りに対する思いを綴った。 これほどまでに気持ちよく自分の思いを吐露できたのは初めてである。 また、 “神嘗祭参加体験” = “自分自身の新しい発見体験”と思う。 研修センター所長・T氏も言っておられた。 「悪い人に会ったときも、 自分の中にも“悪いところ”があると教えられていると思えばいい。」と。 このようなお言葉を頂戴できるのも、 “神嘗祭”のおかげであり、 日本全国の方々にお会いできるのも、 “神嘗祭”のおかげである。 また、 これが“神嘗祭”なのである。 更に、 言及すると、 “神嘗祭”は自分で体験しないと分かり様がないのである。


(2)10月16日(土)
6:30 ~  起床・洗面・寝具の整理
7:00 ~  朝の行事(静座行)
        ・私自身は、 正座が長くできないことを知った。 訓練が必要のようである。 しかし、 精神統一には大変効用がある。
7:30 ~  朝食
9:00 ~  初穂曳き(川曳き)参加・昼食
        ・これが大変だった。 前弾の報告でも、 述べたが、 初参加者に対する説明不足(主催者側)の

         極みである。 理由: 靴では川の砂及び石が入ってしまい、 川中で痛みに耐えることから始ま

         る。 これは修行ではないと思う。 従い、 注意書きに“長地下足袋着用のこと”と追記願いたい。

         (膝下までの長さ必要)
        ・しかし、 上記問題はあったものの、 “五十鈴川”に身を浸し、 清めるという体験は貴重である。

         神聖な“五十鈴川”に身を置く、 これだけで、 何物にも換えられない光輝くもの(宝物)がある。
13:00 ~ 入浴・休憩(神嘗祭コースの方々と14時から合流)
14:00 ~ 開講式・童心行
        ・この“童心行”が素晴らしかった。 じゃんけん、 はないちもんめ、 同じ血液型のグループ作り、

         同じ誕生月のグループ作りなどなど、 童心に還って、 無邪気な遊びを通して、 参加者の皆様

         と交流するのである。 “童心行”という素晴らしいコミュニケーション方法を学んだ。
16:30 ~ 講話(Y講師)
        ・神宮と皇居の説明があった。 
        ・神話について。 (日本書紀)天孫降臨の条。 (古事記)国譲りの条。 神宮の祭典。 清涼殿(石

         炭壇)の祈り。 建国の精神(日本書紀 巻三)、 などなど、 専門的な説明があった。 Y講師が

         おっしゃりたかったひとつに、 自然の法則、 万物の共生ということがあった。 これは特に共感

         できた。 また、 人間は生きるために自然を壊し過ぎると前々から思っていた。 地中からエネル

         ギー資源を掘り出す、 森を伐採し、 宅地化するなどなど、 自然を傷つけ過ぎると思う。 神道

         は森の中に育つものであって、 コンクリートジャングルでは育ち得ないと考える。 そいう中で“神

         嘗祭”をどうとらえるかということになると思う。
18:00 ~ 夕食
19:00 ~ ビデオ上映(伊勢の神宮)
19:30 ~ 講話(N講師)
        ・ご病気で身体がままならぬ中、 車椅子で、 また殆ど視力が失われている中で、 ご講話を頂い

         た。 鬼気迫るものがあった。 日本の心を受け継いでいって欲しい。 神秘なるものは詮索しない

         で、 逢ってみれば心の奥底でわかるものである、 と。 このことは、 前弾でも述べたが、 深

         夜の“神嘗祭”を目の当たりにして体感できた。
20:30 ~ 神嘗祭(内宮)祭儀奉拝
        ・N講師がご講話されたように、 「神秘なるもの(神嘗祭)は、 見れば(逢えば)、 心の奥底でわ

         かる。」ということを実感できた。
        入浴・懇親会・消灯
        ・明日に備えて早く就寝した。(昨日は、 短い睡眠時間だったため)

● 2日目の感想


本日は、 深夜の神嘗祭の話題に尽きるが、 その前に、 早朝の神宮参拝の話をしておきたい。 午前4時に開門するかも知れないと思い、 3時台に起床し、 4時前に宇治橋前の鳥居のところに出かけた。 開門の時間を守衛さんに聞くと、 夏場は午前4時開門だったが、 今は午前5時とのことであった。 まだ、 相当時間がある。 そこで、 鳥居の前で、 抜長功と太極拳をやった。 早朝の気は最高である。 しかも、 私一人。 途中で、 参拝者が現れてきたが。 今まで耳にしたことがない鳥の鳴き声も聴いた。  しかも、 ひと鳴きだけ。 その声は表現不可能である。 記憶に残りにくい声であることだけは確か。 午前5時になり、 開門され、 宇治橋を一人静かに渡っていった。 橋の中央で、 左右に目をやり、 五十鈴川から立ち昇る霊気を身に受けた。 至福の瞬間である。 橋を渡り切ったところで、 女性に出会った。 神宮の神域内でのみ可能な交流を行った。 共に五十鈴川の御手洗場で清流に手を浸し、 身を清め、 天を仰ぎ、 また、 森に向い、 気功を行った。 気が体に満ちていくのを感じた。 徐にその御手洗場を離れ、 正宮へと向った。 道中色々なことを語りあった。 魂が感応していた。 正宮への石段を登るとまだ正門は閉じられていたので、 荒祭宮を先に参拝することにした。 途中大きな木の幹に耳をつけ、 シューっと地下から水が上がる音を聞いた。 全てが神秘的である。 荒祭宮での参拝を終え、 また、 正宮へ戻り、 正宮参拝を行った。 そして、 帰りの道へと歩を進めた。 途中池の鯉を眺め、 池の縁に佇むと大きな白い(薄緑色がかった)鯉が私たちを目がけてやって来た。 親愛の情を感じるような趣で。 そして、 彼女は鯉の頭に手をやり、 優しく撫でた。 鯉も嬉しそうだった。 神の世界での一齣のようでもあった。 垂仁天皇陵で出会った女性とも通じる何かがあった。 神宮の神域外でも今回出会った青年と共に交流できれば幸甚である。


いよいよ、 本命の“神嘗祭”の話。 最初は、 漆黒の中、 参道を団体で進んで行った。 勿論、 障害物は何もないので、 安心して歩むことができる。 しばらくすると、 全体の行進が止まった。 参道の向い側に松明の明かりが見えてきた。 奥のほうから、 白衣を纏った神職の方々もたて一列でぞろぞろと出て来られた。 前に人垣があるので、 具体的に何がなされているのかはわからない。 只、 無言の内に何かが、 つまり神嘗祭が行われているのである。 しばらくして(数十分位)、 場所を移動して、 段々と正宮に近づいていくことだけは確か。 正宮に至るまでに大きく2箇所に留まり、 神事が行われた。 残念ながら、 具体的内容はわからない。 そこで私は思った。 漆黒の中で、 黙々と行われる神事、 その雰囲気を感じ取るだけでいいのだと。 相当疲れていることもあり、 近くの石に腰掛けて、 じいっと、 その神事を感じ取っていた。 そして、 集団とともに移動した。 正宮前での神事が終わり、 荒祭宮に移動するとき、 私は帰りの方に歩を向けた。 体が芯から疲れ切っていた。 背広のまま横になりたかった。 “神嘗祭”も一度の体験では全てを知ることはできない。 それだけ奥の深いものだと思った。 これが、 私の“神嘗祭”体験である。


(3)10月17日(日)
6:00  ~ 起床・洗面・寝具の整理
6:30  ~ 朝の行事(静座行)
7:00  ~ 朝食
8:00  ~ 内宮特別参拝((御垣内参拝)・御神楽奉納
        ・内宮特別参拝((御垣内参拝): お祓いを受け、 神職に先導され、 玉石の上をしづしづと歩みな

         がらの参拝であるが、 玉石の上に跪いての参拝で、 ズボンの膝頭に付くゴミは、 外に出てか

         ら払うことになる。 
        ・御神楽奉納: これは見ものであった。 両側に神官(3人)・巫女(2人)が正座し、 つぎつぎと他

         の巫女が現れ、 或いは仮面を被った神官が現れ、 色々な御神楽を奉納していく。 背後に流れ

         る篠笛、 琴、 笙などで奏でられる音楽は、 古の世界へと誘ってくれる。 恍惚のひとときであ

         った。
11:30 ~ 閉講式
        ・ここで嬉しいサプライズがあった。 何と、 5枚セットの神宮、 宇治橋などのビッグサイズのポス

         ター、 更には、 参加者の画家の手による絵葉書がプレゼントされたのである。 主催者に感謝

         してやまない。 非常感謝。
12:00 ~ 昼食・懇親会
        ・25歳と27歳の青年と知り合いになった。 今後の交流が楽しみである。 その他、 多くの方々と

         知り合いになった。 このご縁を大切にし、 交流を深めていきたく思っている。


10)最終まとめ


“神嘗祭”の余韻にいつまでも浸り、 色々思いを巡らしていたい。 しかし、 現実には、 日常生活に戻らなければならない。 他の参加者もふるさとに戻り、 “神嘗祭”での体験を噛みしめ、 生きておられることだろう。 私のお役に立てられることは、 東洋医学にある。 特に「癌」について、 研究を進め、 漢方薬も含め、 適切なアドバイスを差し上げられるレベルになっている。 また、 再会できる機会があれば、 おかげ横丁の喫茶店でお茶でも飲みながら、 語り合いたいものだ。


以上が、 私の近況である。 



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●本日のメッセージ


麗しの 君の迷いを 取り除く
一途の思い 解決の道


今日の時間はとても貴重です。 今日できることは少しでも完了に近づけましょう。 すぐに始めてください。 今がチャンスです。 ひとつ完了すれば次も進みだします。 本当に小さな一歩が大事です。 少しの時間で問題は解決します。 周りの対応を恐れず取りかかることです。 見事に進みだします。 安心してください。 援助のご縁と友人を大切にして、 貴重な時を進んでください。


Thackery