thackeryのブログ -15ページ目

天の声(511=1年+146)AI二年(108)日本国の再生(485)光(478)

令和三年 2021年6月16日 One Team 二年

閃き!!!

震災復興 啓示四百六十八【1年+103日】(平成28年熊本地震復興第百八十五/平成30年7月豪雨復興第百二十三)/平成30年北海道胆振東部地震第百十八/令和元年長野新潟千葉福島宮城関東東北地域豪雨復興第百八)/COVID-19(第九十)/令和二年熊本球磨川・九州北部筑後川・岐阜飛騨川・長野木曽川7月豪雨洪水復興(第七十二)/令和二年山形最上川豪雨洪水復興(第五十九)/令和二年史上最大台風10号災害復興(第四十)』(2021年第二十三信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。 


真実を核に置き、 「この世界の矛盾」を解いていきたい。 第百五十四弾 One Team 二年


Change nonsense Democracy to Super Great one (One Team) XCVⅠⅠ

ナンセンスな民主主義を進化させ、 崇高なものに変えよう XCVⅠⅠ

AI(Artificial Intelligence)人間の夢物語(世界平和主義)VⅠⅠⅠ

 

 


 

1)作家の血筋

川端康成全集を紐解く中、 有名な作家の血筋の不思議(驚き)が目に留まった。 

その作家は、 太宰治。 川端康成は、 太宰治に関し、 次の様に論評している。 「太宰治の『女性徒』のような作品に出合えることは、 時評家の偶然の幸運なのである。 そのために、 讃辞が或いは多少の誇張にわたるのは、 文学を愛する者の当然の心事である。 このような『偶然の幸運』に励まされて、 時評家は明日へのいのちをつないで行き、 文芸時評という仕事の徒労から辛うじて救われるのである。 一方に作家である批評家の私にはなにかの意味で、 及び難いと思わせながら、 しかも自分も小説が書きたくならせてくれる作品でなければ、 批評の心も動かぬのである。 自分も小説が書きたくなるということのうちに、 私の美学はすべて含まれている。」

上記論評は、 かなり高評価である。 

次に、 作家の血筋を思わせる「娘さんたちの活躍。」

(1)津島 佑子(つしま ゆうこ)

太宰治と津島美知子の次女。 1947年3月30日 ― 2016年2月18日)。 日本の小説家。 本名は津島里子(つしま さとこ)。

主な受賞作品:

1976年 - 『葎の母』 第16回田村俊子賞
1977年 - 『草の臥所』 第5回泉鏡花文学賞
1978年 - 『寵児』 第17回女流文学賞
1979年 - 『光の領分』 第1回野間文芸新人賞
1983年 - 「黙市」 第10回川端康成文学賞
1987年 - 『夜の光に追われて』 第38回読売文学賞
1988年 - 『真昼へ』 第17回平林たい子文学賞
1995年 - 『風よ、空駆ける風よ』 第6回伊藤整文学賞
1998年 - 『火の山―山猿記』 第34回谷崎潤一郎賞、第51回野間文芸賞
2001年 - 『笑いオオカミ』 第28回大佛次郎賞
2005年 - 『ナラ・レポート』 平成16年度芸術選奨文部科学大臣賞第15回紫式部文学賞
2012年 - 『黄金の夢の歌』 第53回毎日芸術賞

⇒ 上記文学賞受賞歴には、 息をのむ。 父・太宰治を凌駕するような迫力である。

更に、 別の娘さんが続く

(2)太田 治子(おおた はるこ)

太宰治と太田静子(妻ではなく、 文学仲間)の娘。 1947年11月12日 ― 。 日本の作家。 母は太宰治の代表作「斜陽」の主人公「かず子」のモデルとなった太田静子。

1982年11月24日、 母・静子が死去(享年69)。 1986年、 母の思い出をつづった「心映えの記」で第1回坪田譲治文学賞受賞。 同作品で、直木賞の候補にもなった。

私生活では長く独身を通していたが、 これは太田自身の出生の経緯や母・静子の肝臓癌発覚による看護・死去による。 30代後半に編集者である知人の紹介で見合い結婚をし、 1987年に女児(万里子)を出産したが2004年に離婚。 これに伴い、 現在は文筆業を中心に再び盛んに活動している

著書:

『手記(十七歳のノート)』新潮社、1967
『青春失恋記』新潮社、1979 のち文庫  
『空色のアルバム』構想社、1979 のち集英社文庫 
『ノスタルジア美術館』求竜堂 1981
『言いだしかねて 父、太宰治そして愛、家庭を語る 対談集』主婦の友社 1982
『マリちゃんの人魚姫』学校図書(学図の新しい創作シリーズ) 1982
『窓をふくエラちゃん 太田治子の童話館』講談社 1984
『母の万年筆』朝日新聞社、1984 のち文庫 
心映えの記』中央公論社、1985 のち文庫 
『私のヨーロッパ美術紀行』朝日新聞社 1985 のち文庫 
『気ままなお弁当箱』中央公論社 1989 のち文庫 
『ふたりの散歩道』PHP研究所、1990 「幸せの青いコオト」文庫 
『万里子と私の美術館』朝日新聞社、1992 のち文庫 
『ガルボ・ハット 母と娘とわたしの時間』六興出版 1992 のちPHP文庫 
『天使と悪魔』朝日新聞社、1994 「万里子の色鉛筆」文庫 
『空からの花束』中央公論社 1996
『空の上のお星さま』清流出版 1998
『絵の中の人生』新潮選書、1999
『青い絵葉書』新潮社、2001 
『花の見た夢』講談社、2002 
『星空のおくりもの』新潮社 2003
『風の見た夢』講談社 2004
『恋する手』講談社 2005
『小さな神さま』朝日新聞社 2007
『明治・大正・昭和のベストセラー』日本放送出版協会(NHKシリーズ) 2007
『石の花 林芙美子の真実』[3]筑摩書房 2008
『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』朝日新聞出版、2009 朝日文庫、2012 
『時こそ今は』筑摩書房、2011 
『夢さめみれば 近代日本洋画の父・浅井忠』朝日新聞出版、2012 
『星はらはらと 二葉亭四迷の明治』中日新聞社 2016
『湘南幻想美術館 湘南の名画から紡ぐストーリー』かまくら春秋社, 2019

共著:

『花をめぐる物語』安西篤子、尾崎左永子、小池昌代、馬場あき子、星野椿共著 かまくら春秋社 2015

朗読:
『新約・古典ギリシヤ語の読み方(<カセット+テキスト>)』蛭沼寿雄著 山本書店、1974、 付属カセットテープのギリシャ語朗読

⇒ 上記作品数は感動的である。 津島 佑子(つしま ゆうこ)と太田 治子(おおた はるこ)は共に、 太宰治の娘であり、 作家としての血筋の深さを痛感する

 

 


 

2)作家・太宰治

太宰治は1906年、 青森県の津島家に生まれ。 彼の本名は「津島修治」といい、 父は議員。 津島家は地元でも屈指の名家だった。 また、学生時代の太宰は学業も非常に優秀で、秀才ぶりを発揮していたと言う。

芥川龍之介や菊池寛、 井伏鱒二といった名作家たちに触発され、 高校生くらいの頃から自分でも文学作品を書き始める。

しかし、 太宰が18歳の時に衝撃的な事件があった。 尊敬する文豪、 芥川龍之介の※自殺(35歳の若さで)。 あまりのショックに太宰は学校での勉強をやめて、 政治活動に走る。

活動の中、 「裕福な階級」という自己の生い立ちに悩み、 自殺未遂を図ったりもしている。 なんとか一命をとりとめた太宰は、フランス文学を学ぼうと今の東大文学部に入学する

無事大学に入学できたものの、授業は難しく太宰でもついていくことができなくなった様子。 目標を変えて小説家の道を志すことにし、 井伏鱒二に弟子入りをした

まっとうな道に進んだように見えた太宰だが、 私生活は乱れていた。 バーで知り合った女性と自殺未遂を試み、 自分だけ生き残ってしまったり、 鎮痛剤の中毒になってしまったり、 就職活動に失敗してしまったり、 と言う経験を重ねた。

小説の道でも第一回芥川賞の受賞を逃してしまい、 精神的にも傷つき、 ますます鎮痛剤の中毒症状が進行し、 周囲の人から強制的に病院に入れられてしまった。

退院した後も、 心中未遂をしてしまう太宰だったが、 井伏鱒二らの助けで徐々に回復していった。 お見合いした石原美知子と結婚した後は、 作家活動も順調になり、 「女生徒」や「富嶽百景」そして「走れメロス」といった代表作を生み出した

また、 戦争が終わり出版された「斜陽」は大ベストセラーとなり、 「斜陽族」という言葉が今でいう流行語大賞になるなど、 太宰の人気はうなぎのぼりだった。

しかし、 体調は相変わらず回復せず、 最後は玉川上水で愛人の山崎富栄と入水自殺。 38歳という若さでこの世を去った。 死の直前に書かれた「人間失格」が、 太宰の遺書だとも言われている

人生については厭世的・否定的な見方をしており、 「自分には幸福になる資格がない」と考えていた節がある。 こういった考えは、 例えば、 「弱虫は、 幸福をさえおそれるものです。 綿で怪我するんです。 幸福に傷つけられる事もあるんです。」(“人間失格”より)といった名言にも見られる。

自ら人生を放棄してしまったのだから、ポーズではなくある程度は本当に思っていたことなのであろう。 尊敬していた芥川も同様に人生を苦しみととらえ、自ら命を絶ったので、 その影響を強く受けているのかも知れない

最後は、 玉川上水で山崎富栄と入水(38歳という若さで)。 時代背景は、 関東大震災や満州事変、 そして第二次世界大戦と一般の人々も戦火に巻き込まれていく時代であった。 実際、 太宰も妻の実家の甲府に疎開したり、 そこが焼けてしまってからは実家の青森に逃げたりと、 戦争の被害を受けている。 終戦の際には「ばかばかしい」という言葉を連呼していたと言う。

自殺した芥川龍之介の遺書と「末期の目」

作家の芥川龍之介が、自殺しようとする自らの心理を解剖するように分析し、解説した遺書『或旧友へ送る手記』。

この遺書には、芥川自身が自殺の道を選んだ理由として綴った「ただぼんやりした不安」という一節も登場する
 
芥川龍之介が自殺したのは、1927年(昭和2年)の7月24日。 35歳の頃のことで、自宅で服毒自殺を図った

昭和という時代が始まり、わずか半年あまりのことだった。

改元後まもなくの作家の自殺。 昭和の不安な空気感を表現したものとして、この「ただぼんやりした不安」という言葉は、今も語り継がれている。


芥川の自殺の原因は、「神経衰弱」と発表された。 遺書はいくつか残され、その一つが、久米正雄に宛てたとされる『或旧友へ送る手記』だった

以下は、遺書の冒頭部に当たる。

誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。 それは自殺者の自尊心やあるいは彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう

僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている

もっとも僕の自殺する動機は特に君に伝えずともいい。 レニエは彼の短篇の中にある自殺者を描いている。 この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知っていない。

君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、あるいはまた精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。

しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。 のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。

自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。 それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。

が、少くとも僕の場合はただぼんやりした不安である。 何か僕の将来に対するただぼんやりした不安である

君はあるいは僕の言葉を信用することは出来ないであろう。 しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。

従って僕は君を咎めない。』

出典 : 芥川龍之介『或旧友へ送る手記』

新聞の三面記事に掲載される自殺者の動機として、「生活苦」「病苦」「精神的苦痛」といった言葉を発見する。

しかし、それは自殺の動機の「全て」ではなく、むしろ動機に至る「道程」だと芥川は書く

自殺というと、目に見えるような一つの原因があり、死を選んだと思われるかもしれないが、実際は、その名付けられた原因というのも、自殺という選択をする途中のものだと言う。

芥川は、別の遺書でも、「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。 僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである」と書いている。

これも同様に、「一事件」が仮にきっかけとはなったとしても、その一つが原因というわけではなく、「総決算」のために自殺する、ということだろう。

以下、少し長くなるが、残りの文面を全文引用する。

芥川は、この文章のなかで、事細かに自分の自殺を解剖しようと試みる

僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考えつづけた。 僕のしみじみした心もちになってマインレンデルを読んだのもこの間である。 マインレンデルは抽象的な言葉に巧みに死に向う道程を描いているのに違いない。 が、僕はもっと具体的に同じことを描きたいと思っている。

家族たちに対する同情などはこう言う欲望の前には何でもない。 これもまた君には、Inhuman の言葉を与えずには措かないであろう。 けれどももし非人間的とすれば、僕は一面には非人間的である

僕は何ごとも正直に書かなければならぬ義務を持っている。(僕は僕の将来に対するぼんやりした不安も解剖した。 それは僕の「阿呆の一生」の中に大体は尽しているつもりである。 ただ僕に対する社会的条件、── 僕の上に影を投げた封建時代のことだけは故意にその中にも書かなかった。 なぜまた故意に書かなかったと言えば、我々人間は今日でも多少は封建時代の影の中にいるからである。 僕はそこにある舞台の外に背景や照明や登場人物の ── 大抵は僕の所作を書こうとした。 のみならず社会的条件などはその社会的条件の中にいる僕自身に判然とわかるかどうかも疑わない訳には行かないであろう。)── 僕の第一に考えたことはどうすれば苦まずに死ぬかと言うことだった

縊死(いし)は勿論この目的に最も合する手段である。 が、僕は僕自身の縊死している姿を想像し、贅沢にも美的嫌悪を感じた。(僕はある女人を愛した時も彼女の文字の下手だった為に急に愛を失ったのを覚えている。)

溺死もまた水泳の出来る僕には到底目的を達する筈はない。 のみならず万一成就するとしても縊死よりも苦痛は多いわけである。 轢死も僕には何よりも先に美的嫌悪を与えずにはいなかった。

ピストルやナイフを用うる死は僕の手の震える為に失敗する可能性を持っている。 ビルディングの上から飛び下りるのもやはり見苦しいのに相違ない。

僕はこれ等の事情により、薬品を用いて死ぬことにした。 薬品を用いて死ぬことは縊死することよりも苦しいであろう。 しかし縊死することよりも美的嫌悪を与えない外に蘇生する危険のない利益を持っている。 ただこの薬品を求めることは勿論僕には容易ではない。

僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品を手に入れようとした。 同時にまた毒物学の知識を得ようとした。

それから僕の考えたのは僕の自殺する場所である。

僕の家族たちは僕の死後には僕の遺産にたよらなければならぬ。 僕の遺産は百坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕の貯金二千円のあるだけである

僕は僕の自殺した為に僕の家の売れないことを苦にした。 従って別荘の一つもあるブルヂョアたちに羨ましさを感じた。

君はこう言う僕の言葉にあるいはおかしさを感じるであろう。 僕もまた今は僕自身の言葉におかしさを感じている。 が、このことを考えた時には事実上しみじみ不便を感じた。 この不便は到底避けるわけには行かない。 僕はただ家族たちの外に出来るだけ死体を見られないように自殺したいと思っている

しかし僕は手段を定めた後も半ばは生に執着していた。 従って死に飛び入る為のスプリング・ボオドを必要とした。(僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪とは思っていない。 仏陀は現に阿含経の中に彼の弟子の自殺を肯定している。 曲学阿世の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言うであろう。 しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と言うのは見す見すより悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるものではない。 誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行うのである。 その前に敢然と自殺するものはむしろ勇気に富んでいなければならぬ。)

このスプリング・ボオドの役に立つものは何と言っても女人である。 クライストは彼の自殺する前に度たび彼の友だちに(男の)道づれになることを勧誘した。 またラシイヌもモリエエルやボアロオと一緒にセエヌ河に投身しようとしている。

しかし僕は不幸にもこう言う友だちを持っていない。 ただ僕の知っている女人は僕と一緒に死のうとした。 が、それは僕等の為には出来ない相談になってしまった。

そのうちに僕はスプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じた。 それは誰も一緒に死ぬもののないことに絶望した為に起った為ではない。

むしろ次第に感傷的になった僕はたとえ死別するにもしろ、僕の妻をいたわりたいと思ったからである。 同時にまた僕一人自殺することは二人一緒に自殺するよりも容易であることを知ったからである。 そこにはまた僕の自殺する時を自由に選ぶことの出来るという便宜もあったのに違いない。

最後に僕の工夫したのは家族たちに気づかれないように巧みに自殺することである。 これは数ヶ月準備した後、とにかくある自信に到達した。(それ等の細部にわたることは僕に好意を持っている人々の為に書くわけには行かない。 もっともここに書いたにしろ、法律上の自殺幇助罪《このくらい滑稽な罪名はない。 もしこの法律を適用すれば、どの位犯罪人の数を増やすことであろう。 薬局や銃砲店や剃刀屋はたとえ「知らない」と言ったにもせよ、我々人間の言葉や表情に我々の意志の現れる限り、多少の嫌疑を受けなければならぬ。 のみならず社会や法律はそれ等自身自殺幇助罪を構成している。 最後にこの犯罪人たちは大抵は如何にもの優しい心臓を持っていることであろう。》を構成しないことは確かである。)

僕は冷やかにこの準備を終り、今はただ死と遊んでいる。 この先の僕の心もちは大抵マインレンデルの言葉に近いであろう。

我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れている。 いわゆる生活力というものは実は動物力の異名に過ぎない。 僕もまた人間獣の一匹である

しかし食色にも倦いた所を見ると、次第に動物力を失っているであろう。

僕の今住んでいるのは氷のように透み渡った、病的な神経の世界である。 僕はゆうべある売笑婦と一しょに彼女の賃金の話をし、しみじみ「生きる為に生きている」我々人間の哀れさを感じた

もしみずから甘んじて永久の眠りにはいることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違いない。 しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。

ただ自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。 君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであらう。 けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである

僕は他人よりも見、愛し、かつまた理解した。 それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である

どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずにおいてくれ給え。 僕はあるいは病死のように自殺しないとも限らないのである。

追記。

僕はエムペドクレスの伝を読み、みずから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。 僕の手記は意識している限り、みずから神としないものである

いや、みずから大凡下の一人としているものである。 君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合った二十年前を覚えているであろう。 僕はあの時代にはみずから神にしたい一人だった。 (昭和二年七月、遺稿)』 

なぜ服毒自殺を選んだのか、ということも含め、自殺に至るまでの苦悩が非常に具体的に描写されている。

自殺しようとする者として、とても珍しいほどに理性をはっきりとさせながら分析している。

この遺書のなかで、個人的に興味を惹かれる言葉が「末期まつごの目」である

氷のように透み渡った病的な神経の世界で、今にも自殺に向かおうとするときだからこそ、いっそう自然は美しく見える

それは、世界が「末期の目」に映るからだ、と芥川は書く。

死を近いものとして感じたことのある人間なら、もしかしたらこの言葉の意味することは、感覚的に理解できるかもしれない。

そして、「末期の目」に映る世界の美しさを表現することができるとすれば、それこそが芸術家と言えるのではないだろうか。

作家の川端康成は、「末期の眼」という昭和八年に書かれた随筆のなかで、この芥川の言葉について論じ、そこで「あらゆる芸術の極意は、この〈末期の眼〉であろう」と書いている。

その「目」で世界を見ることは、あるいは容易にできるかもしれない。

しかし、末期の目で世界を眺めながら、自殺しないこと。 その世界で見る美しさを、寸分の狂いもなく、この手にすくい取ること

画家にせよ、詩人にせよ、これが芸術家として存在し続けることの難しさでもある。

ちなみに、芥川龍之介に傾倒していた堀辰雄の小説風立ちぬ』では、死の病に冒されていた節子の台詞として、「あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけと仰ったことがあるでしょう」という言葉も登場する。

⇒ 今回の太宰治の物語を通して、 人生の深さを考えることが出来た。 人間、 各々独自の生き方、 人生目標を持っている。 親から授かった生命を育み、 世界平和に貢献出来る人生を送っていきたく思う

 

⇒ 更に、 一言。 自らも、 一度だけ、 「自殺」への思いが過ったことがあった。 それは、 高校時代の後半期。 通学途中の道沿いに「枝振りの良い青々とした木が聳えていた。 芥川龍之介とは違い、 縊死に美的なものを感じていた。」 更に、 『ただ自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。 君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであらう。 けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。』 この自然の美しさについても、 芥川龍之介とは違うものを感じる。 自らは、 毎朝、 「太極拳・気功、 紙飛行機飛ばしのため、 川沿いの道を辿っているのであるが、 この時感じる『自然に対する感動』は筆舌に尽くし難いものがある。 散歩道に沿って植えてある青々とした木々、 そこから聞こえてくる小鳥の囀り、 川で翼を乾かしている鵜、 遠方に見える二上山、 紙飛行機飛ばしの際見上げた空に浮かぶ雲の芸術等々」、 前向きに生きる中に、 『自然の素晴らしさ』を感じる。 コロナが終息した暁には、 人間・友とも、 親しく触れ合いたいものだ

 

 


 

今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。


〇 本日のメッセージ

爽快な 心で未来 展望す
確かな言葉 価値ある動き


爽快な心で未来の発展を確定させましょう。 壮大なるビジョンを描き、あなたの崇高な言葉で未来を確信してください。 あなたの未来の夢は現実に進んでいます。 世のため人のためにつながるお役目は確実に届いています。 具体的に言葉にして、周りのよき理解をえましょう。 明確な計画を着実に実践してゆく行動家であってください。 よくなるあなた自身の姿を想像して、崇高な言葉で確定させてください。 あなたの能力・魅力の向上も前進する力を応援します。 今日を改善日として、時間を価値ある宝に変化させてください。



Thackery

 

 


 

天の声(510=1年+145) AI二年(107) 日本国の再生(484) 光(477)

令和三年 2021年5月12日 One Team 二年

閃き!!!

震災復興 啓示四百六十七【1年+102日】(平成28年熊本地震復興第百八十四/平成30年7月豪雨復興第百二十二)/平成30年北海道胆振東部地震第百十七/令和元年長野新潟千葉福島宮城関東東北地域豪雨復興第百七)/COVID-19(第八十九)/令和二年熊本球磨川・九州北部筑後川・岐阜飛騨川・長野木曽川7月豪雨洪水復興(第七十一)/令和二年山形最上川豪雨洪水復興(第五十八)/令和二年史上最大台風10号災害復興(第三十九)』(2021年第二十二信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。 


真実を核に置き、 「この世界の矛盾」を解いていきたい。 第百五十三弾 One Team 二年


Change nonsense Democracy to Super Great one (One Team) XCVⅠ

ナンセンスな民主主義を進化させ、 崇高なものに変えよう XCVⅠ

AI(Artificial Intelligence)人間の夢物語(世界平和主義)VⅠⅠ

 

 

 

 

 


1)英語と日本語を学ぶ

外国語でも、 母国語でも、 お手本を基に学んでいく。 只、 文学のレベルに到達するには、 特殊な学習方法が必要に思える

英語に関しては、 アメリカの女流作家・Danielle Steel(彼女はアメリカで最も人気のある作家のひとり。 すべての著書がベストセラー1位となり、381週連続(7.3年間)で著書がべストセラー入りするという、ギネスブックの世界記録を持つ作家の小説を読むことにより、 学んだことを思い出す

→ 当時の状況は、 下記ブログを参照願いたく

 

 


最近では、 2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(石黒一雄)氏の小説(勿論、 英語で書かれている)を基に英語を学習しようとしている。 石黒一雄氏は両親共日本人だが、 5歳のときイギリスに移住し、 大学も含む全ての教育を現地で受けているため、 英語は100%母国語である。 友人でもある小説家・村上春樹氏よると(両氏は、お互いの小説を読み合う親しい仲、 ファン同士)、 石黒氏の小説には、 「日本人性が色濃く出ている」と言う。 村上春樹氏の次のメッセージを参照願いたく


僕とイシグロとのあいだでは当然のことのように英語が共通語になっているし、 それ以外の言葉で話をしたことはまだない。 しかし考えようによっては、 むしろそれがよかったのかもしれないと思うこともある。 僕は英語を使って彼と会話することによって、 公的には『英国人作家』である彼の中の日本人性(みたいなファクター)をより自然にそのまま理解できているような気がしなくもないからだ。 たとえば僕がイシグロと話をするとき、 普通の(というか、 一般のというか)英国人の作家と話しているときとは、 やはりひとつ違う種類の交流がそこにあるように感じられる。 もちろん現在のイシグロは英語を母国語として小説を書く英国の作家であり、 生まれが日本で、 両親が日本人であるというだけで、 安易に『日系英国人作家』みたいな言い方はできないだろう。 しかし彼の中には日本人の血が流れていることは間違いのない事実だし、 それはたぶん本人も ― どれくらい強くかはもちろんわからないけれど ― ある程度意識しているだろうし(たぶんせざるを得ないだろうし)、 更に言えば意識するという以上に、 その事実をひとつのポジティブな資産として、 その上で『英国人作家』として小説を書いているように僕には感じられるのだ。 そしてそういうプロセスをひとつくぐったカッコつきの『日本人性』みたいなものは、 英語を通した方がより自然に、 総体としてこちらに伝わってくるような気がする。」


次に、 日本語学習に関しては、 同じくノーベル文学賞受賞作家・川端康成氏の小説を基に学んでいきたく思う。 今迄の日本語学習の際、 目にしなかった数多くの漢字が作品の中に登場する。 以下、 数例を挙げてみたい。

(1)花の「おしべ、 めしべ」は、 「雄蘂」「雌蘂」。

(2)「つまずく」は、 「躓く」。

(3)「すべる」は、 「辷る」。

以上、 3例を挙げたが、 手元に「漢字源」という漢和大辞典無しでは読み進むことは出来ない。 

次に、 川端康成氏の素晴らしい感性と文章表現を示すパラグラフ(文章の一部)を紹介したい

小説『春景色』より引用: 

晴れだったが、 竹林が風に揺すぶられて、 彼がデッサンしようとする風景を亂した。 しかし、 繪具箱を閉ぢてからも、 彼は三脚を動かさうとはしなかった。 紅殼のはげた谷川の橋であった。 谷へ来る人を待つには、 橋の上ほどいいところにはない

風景では竹林が動いてゐるにかかはらず、 杉林は靜まつてゐた。 竹林には朝が早く訪れ、 杉林には夕が早く来る。 しかしその時は晝であった。 晝は竹林のものである。 竹の葉は羽ばかりのとんぼの群れのように、 日の光と樂しく戯れるものである。 その時も風と日の光とがあつた

竹の葉と冬の光との古典的でささやかな舞踏をじつと眺めてゐると、 彼は風景を亂された腹立たしさを忘れてしまつた。 竹の葉にこぼれる光が、 さらさらと透明な魚のように彼の中を流れた。 この三峽へ着くと直ぐ、 ここの風景の特色が竹林のちらりほらりであることに氣がついた。 その竹林の痩せてゐることが、 山峽の感情的な化粧であつた。」

→ 竹林の様子は、 上部に掲載の写真を参照願いたく。 竹林の描写は天下一品である。

⇒ 今後、 「英語は、 カズオ・イシグロの小説、 日本語は、 川端康成の小説を通して、 学んでいきたい。」

 

⇒ 漢字の虜になった。 鳥偏の漢字を下記する。([ふくろう]は、 木偏、 [からす]は、 “れっか”部首)

(おしどり) (おしどり) (からす) (つばめ) (がちょう) (がちょう) (だちょう) (とんび) (とび) (おおとり) (さぎ) (うぐいす) (うぐいす)  (しゃも) (はやぶさ) (つぐみ) (しぎ) (かも) (かもめ) (にわとり) (にわとり) (もず) (みそさざい) (ひよどり)


2)つつじ(躑躅)の美しさに魅せられて

今年、 初めて、 桜に負けない美しさをつつじ(躑躅)の中に見い出した。 法雲禅寺や浄水場、 水賀池公園に出かけ、 つつじ(躑躅)の美しさを満喫した。 下記掲載の写真を観賞願いたく。
 



今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。


〇 本日のメッセージ

開運の 兆(きざ)し現れ 光射す 
周りは皆師 確かな未来


ご縁を大事にする姿が開運の兆(きざ)しです。 今日のご縁を大切にして、未来の成長のための貴重なご指導をいただきます。 今日のあなたの周りは皆、人生の「師」です。 大切な情報・貴重なアドバイスは人の声・天の声と信じ素直に受け止め、改善していきましょう。 未来の運勢は今日の変化の連続で改善されていきます。 すでに強運を引き寄せています。 まじめに本業専念して、足元をかためてください。 今日が本格的な開運の始まりです。



Thackery

 

 

天の声(509=1年+144)AI二年(106)日本国の再生(483)光(476)

令和三年 2021年4月13日 One Team 二年

閃き!!!

震災復興 啓示四百六十六【1年+101日】(平成28年熊本地震復興第百八十三/平成30年7月豪雨復興第百二十一)/平成30年北海道胆振東部地震第百十六/令和元年長野新潟千葉福島宮城関東東北地域豪雨復興第百六)/COVID-19(第八十八)/令和二年熊本球磨川・九州北部筑後川・岐阜飛騨川・長野木曽川7月豪雨洪水復興(第七十)/令和二年山形最上川豪雨洪水復興(第五十七)/令和二年史上最大台風10号災害復興(第三十八)』(2021年第二十一信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。 

真実を核に置き、 「この世界の矛盾」を解いていきたい。 第百五十二弾 One Team 二年


Change nonsense Democracy to Super Great one (One Team) XCV

ナンセンスな民主主義を進化させ、 崇高なものに変えよう XCV

AI(Artificial Intelligence)人間の夢物語(世界平和主義)VⅠ



 

1)有名な歌手の人生に触れて

シンガーソングライターの宇多田ヒカルの母親で、2013年8月22日に62歳で亡くなった歌手の藤圭子さん。1969年「新宿の女」でデビュー。 高度成長期の日本の歌謡シーンに突然と現れた天才歌手は、2枚目の「女のブルース」以降、「圭子の夢は夜ひらく」、「命預けます」、「女は恋に生きてゆく」と出す曲すべてヒットし、オリコンランキング42週間連続でトップ10にランクされた

当時テレビ、ラジオ、街角、あらゆる場所で彼女の歌声が聞こえていた。 黒のベルベットスーツに白いギターを抱えたビジュアルは、強烈なインパクトを放ち、藤圭子という歌い手が持つ「凄み」に大衆は魅了された。 しかし、ある時期を境にその人気は凋落。 一時代を築いた天才歌手は、わずか10年で歌謡界から姿を消すことになる。

デビュー前の藤圭子さんを知る作家・海老名香葉子氏(初代林家三平の妻)や、当時のマネージャー・成田忠幸さんが藤圭子さんの素顔を証言。 ほかに、林家ペー・パー子、音楽ディレクターの榎本襄氏らの証言もある。 “普通の女の子”だった彼女が、なぜスターダムを駆け上り、突如世間から離れていったのか等、 BS朝日で収録されている。

⇒ 詳しくは、「夢は夜ひらく 藤圭子の真実 - YouTube」で検索し、下記の内容をチェック下さい。

夢は夜ひらく 藤圭子の真実 - YouTube

 

 

 

 

 

⇒ この話題を取り上げた理由: 藤圭子さんの演歌が好きで、 彼女の人生物語に魅惑されたため。 また、 生身の人間の素晴らしさにも感動。 更に、 藤圭子さんをプロデュースした作詞家・石坂まさを氏の凄みのある人生

⇒ 藤圭子さんの血を引き継いだ「娘・宇多田ヒカルさん」の歌も楽しんでいきたい。 演歌には、 藤圭子さんの魂が込められている。 

⇒ 藤圭子さんの演歌は、 「新宿の女」検索で、 お楽しみ下さい。


2)川端康成と藤圭子の微妙な関係

「伊豆の踊子」や「眠れる美女」に見られる女性嗜好より、 藤圭子にも強い関心を持ったのではないか、と言われている。 川端康成と藤圭子がどのようなやり取りをしたかは不明だが、 命の終わり方に於いては、 自らの手でという意味では、 同じであった。 色々な記事を読んだが、 真相はわからない。 只、 両者共に、 素晴らしい作品を残している。 今、 命ある者としては、 彼らの作品に触れ、 貴重な息吹を感じ取っていきたく思う

※『眠れる美女』は、川端康成の中編小説。 全5章から成る。 「魔界」のテーマに連なる川端の後期を代表する前衛的な趣の作品で、デカダンス文学の名作と称されている。(デカダンス: 「衰退」を意味するフランス語で,ローマ帝国の末期や江戸化政度の文化的爛熟のはての頽唐をいうが,特に 19世紀末のフランスに興った文学的傾向をさし,世紀末芸術,象徴主義と同義に使われる。) すでに男でなくなった有閑老人限定の「秘密くらぶ」の会員となった老人が、海辺の宿の一室で、意識がなく眠らされた裸形の若い娘の傍らで一夜を過ごす物語。 老いを自覚した男が、逸楽の館での「眠れる美女」のみずみずしい肉体を仔細に観察しながら、過去の恋人や自分の娘、死んだ母の断想や様々な妄念、夢想を去来させるエロティシズムとデカダンスが描かれている。 第16回(1962年度)毎日出版文化賞を受賞した。 これまで日本で2度、海外で3度(フランス、ドイツ、オーストラリア)映画化された。

 

⇒ 改めて、 『眠れる美女』の読後感想: 川端康成の藤圭子への思いが分かるような気がする。 「眠れる美女」に藤圭子のイメージがスーと入る。 また、 作家・川端康成の才能が独特の世界を描き上げている。 現実の世界では、 法律に触れる設定であり、 男性と女性との本能レベルでの交流を見事に描いている。 1972年4月16日に死亡の報に接し複雑な思いで、大事な人に会うため、電車に乗っていたのを思い出す。 

1968年(昭和43年)10月17日、 日本人として初のノーベル文学賞受賞が決定した。 その後19日に、アルムクイスト・スウェーデン大使が川端宅を訪れ、受賞通知と授賞式招待状を手渡した。 受賞理由は、「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現、世界の人々に深い感銘を与えたため:"for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence of the Japanese mind."」で、対象作品は『雪国』『千羽鶴』『古都』と、短編『水月』『ほくろの手紙』などであった。


今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。


〇 本日のメッセージ

ご縁ある 人々集い 事を成す
同じ波動で 絆強まる


絆を大事にして団結力を高めましょう。 同心円に入っている仲間たちを大事にしましょう。 あなたにご縁のある人たちは、貴い使命をもって集まっています。 同じ波動の心根で絆を強め、結束することで、大きな使命をも果たせます。 引き寄せる力は充分です。 いい言葉に出して、あなたの思いを積極的に語ってください。 人間の力を信じてください。 潜在的に与えられた天与の恵みに活かされていきます。 崇高なあなたの想念が顕在化(けんざいか)したとき、あなたの不思議な力は大きく動き始めます。


Thackery