『ウォーフェア 戦地最前線』 (2025) アレックス・ガーランド/レイ・メンドーサ監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

2006年イラク戦争(の「Battle of Ramadi」)を描いた作品。監督は『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のアレックス・ガーランドと元NAVY SEALsのレイ・メンドーサ。

 

ストーリーはほぼないに等しい、物語性を排した映画作品としては全く新しいジャンルと言えよう。前作『シビル・ウォー~』では架空のフィクションを作ったガーランド監督が、本作ではリアルな戦場の一幕をそのままスクリーンに映し出す試みをした。

 

現実をそのまま映像化するものにドキュメンタリーがあるが、ドキュメンタリーも制作者の意図が反映することで「ストーリー性」を帯びてくる。そうした作り手の意図があるドキュメンタリーに対し、相田和弘監督が提唱する観察映画は制作側の意図を全く排除しまさに素材そのものが観客の前に提示される(被写体に対するリサーチをしない、台本なし、ナレーション、説明テロップ、劇伴なし)。ドキュメンタリーではない実写映画にそうした観察映画的手法を持ち込むことが「新しいジャンル」であると思わせ、それには観察映画とは真逆に徹底的なリサーチを行っていることも興味深かった。

 

それゆえこの作品には、劇伴が全くない(BGMはオープニングシーンに使われたエリック・プライズの「Call on Me」とエンディング・クレジットで流れたLowによる「Dancing and Blood」のみ)。それが音のリアルさを際立たせていた。

 

この作品で描かれている状況は、この作品の題材となったイラク戦争に限らず、全ての戦争の一シーンであることは監督がイメージしていることであろう。それはタイトルにも表され、二勢力の対立状況を表す戦争を意味する「war」ではなく、戦闘行為・軍事行為そのものを指す「warfare」が使われている。

 

そしてそこで描かれた戦闘行為・軍事行為には「どういった作戦であり、どういったことを目的としているか」ということは作品中には描かれていない。なぜNAVY SEALsがその戦地にいて、そうした行為を取るのかの説明が一切なされずに映画は展開する。そして意味もなく建物が破壊され、人が傷つき命を落としている。そうした戦争の非人道性、無意味性は普遍的なものであるということを観客は読み取るだろう。

 

素材そのものを提示して、そこから何を感じ取るかが観客に委ねられているだけに、更に深読みをする観客もいるかもしれない。自分はその一人だった。

 

まず戦争が総じて非人道的であり、無意味であるということは言えるだろうが、ことイラク戦争においてアメリカの取った軍事行動が空虚なものだったというメタファーだと自分は捉えた。 『シビル・ウォー~』で独裁権力を市民軍が打ち倒す物語を描いた、イギリス人でアンチ・トランプのガーランド監督らしい作品とも言える。

 

それはNAVY SEALsに加わったイラク人傭兵の扱いに表れていた。作品の最後まで道路上に無残に残された彼の片足(しかも撤退する戦車に踏みつぶされるというおまけつき)が象徴的だろう。NAVY SEALsの訓練されたハイスペックな戦いぶり(実際の戦場ではそれすらパニックでうまくいかないのだが)に惑わされずに観ていると、彼らの醜怪さも分かるというものだろう。エンディング・クレジットで実際の人物の写真の顔が一部ボカされているのも意味深である。そしてその写真の最後が、全く理不尽に家を破壊された一家の集合写真というのも隠されたメッセージだろう。

 

95分はまさにあっという間だったが、個人的に面白かったかと言えばあまりそうは思えなかった。先に述べたようにリアルな音響は迫力満点だったし(なのでこの作品は配信で観ても魅力の1/10も味わえないだろう)、特に威嚇飛行は「威嚇」どころではなかった。

 

自分はもう少し物語性がある作品の方が好ましく、戦争の虚無さを訴えるのであれば先日観た、ドイツ降伏数日前に召集され無意味に一本の橋を守って命を落とした少年兵を描いたドイツ映画の『橋』(1959)のような作品の方が心に響いた。ただそれは薄口好きか濃口好きかという味覚の好みにも似た「好み」の問題であり、作品の良し悪しではないと思われる。

 

★★★★★ (5/10)

 

『ウォーフェア 戦地最前線』 予告編