『在りし日の歌』 (2019) ワン・シャオシュアイ監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

1980年代中国。同じ日に生まれた子供を持つ二つの家族は、同じ一つの家族のように、ささやかな日常を幸せに過ごしていた。しかし、ヤオジュンとリーユン夫婦の最愛のひとり息子シンシンの突然の死は全てを変えてしまう。深い悲しみを抱えた夫婦は、住み慣れた故郷を捨て、親しい友とも距離を置き、誰も自分たちのことを知らない町へと移り住む。改革解放後の中国で、一人っ子政策の犠牲となり、激動の時代を生きた夫婦の30年の物語。

 

素晴らしい作品。観終わって、3時間を越える上映時間に気づかなかったことに驚いたほど。一人っ子政策をモチーフにした秀作には『最愛の子』(2014年)があるが、凝縮感は譲るものの、スケール感はこちらの方が上。

 

時系列が前後して入れ替わる編集に少し戸惑いもあったが、その切り替わりにより大胆なストーリーの端折りが出来ていたのは面白い効果だった(例えば、シンシンを失った代わりとして里子を引き取るのだが、その経緯が全くオミットされて突然「シンシンII」が現れたり、リーユンが思い余って自殺をするのだが、病院に運び込まれるシーンで次に飛び、それより先の時間に生きていることで自殺が未遂で終わったと理解したりといったところ)。

 

そうした回収されないモチーフがいくつかあり、「あれはどうなったのだろう」と思われた中で一番気になったものの一つが回収するエンディングに至る展開は見事だと思われた。そして最後の最後に期待していなかったエピソードも加えられ、深遠なドラマの大団円としてストンと決まった感じだった(このまとまり感を蛇足とする批判はあるだろうが、それは好みの問題)。

 

観終わって素晴らしい作品だと思ったのだが、その後に「なぜこの作品が中国の検閲を通ることができたのだろうか」と余計なことを考えてしまった。一人っ子政策という子供を産む権利すら奪う非人道的な政策に批判的とも取れる作品なのだが、その犠牲者であるヤオジュンとリーユン夫婦がその制度を恨むでもなく、そして堕胎を強いる友人を恨むわけでもない、あまりにも「いい人」であること、そしてその堕胎を強いた友人は、その後ずっとそれを十字架として背負うというテーマが中国検閲をパスする理由だったのだろうかと考えた。あまり作品の裏読みをすることは面白さを削ぐことになるのだが、そうしたプロパガンダ的な臭いは中国の今日を知ればどうしてもついて回るだろう(ちなみに、日本公開のバージョンはインターナショナル・バージョンのフル・バージョンで、中国国内公開のバージョンは10分間分カットされているらしい)。

 

それでも作品は素直に観れば優れたものであり、中国映画界の「第六世代」の代表的監督としてワン・シャオシュアイの名前は高く評価されるべきであることを知らしめる作品。必見。

 

★★★★★★★★ (8/10)

 

『在りし日の歌』予告編