『三度目の殺人』 (2017) 是枝裕和監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

デビュー作『幻の光』 (1995年)以来フォローしている、日本を代表すると言っていい映画監督の是枝裕和期待の最新作。

 

単館ロードショー向けの作風だった是枝監督が変わったなと感じたのは、2011年の『奇跡』。その前作の『空気人形』 (2009年)が自分的にはイマイチだったために、より印象的だったのかもしれない。それ以降の是枝監督は実に手堅い作品を作り続けている。前作の『海よりもまだ深く』(2016年)でも抜群の安定感を感じた。家族を描いたホームドラマは自家薬籠中の物とした是枝監督が、本格的な法廷ドラマという新しい領域にチャレンジした本作。

 

結論から言えば、個人的にはとてつもなく面白かった。しかし同時に、この作品が、刑事司法に興味が薄い一般の観客に受けるとは思えなかった(あるいは深く理解されないだろう)というのが正直なところ。

 

この作品は、刑事司法の実にディープなところを突いている。それを一口で言えば、作品の舞台となっている法廷とは、真実を明らかにする場ではなく、いかに真実らしいかの落としどころを求める場だということ。それを一番体現しているのが、弁護士の重盛朋章(福山雅治)である。

 

彼の言葉で印象的なのは、「依頼人を理解・共感する必要はない。彼らと友達になるわけではないのだから。依頼人にとっての利益を得るのが我々の仕事」というもの。

 

そうした割り切りは、実際には、弁護士各々の哲学に沿う沿わないはあるだろうし、正しい、正しくないの判断は非常に難しい。しかし是枝監督は、法廷という場で真実が必ずしも明らかになるとは言えない不可知論を理解しながらも、そうした割り切りには否定的なように感じた。それを表すように、対する検察官(市川実日子)には、「あなたみたいな弁護士が、犯罪者が罪と向き合うのを妨げている」と言わせている(この発言も、被告人を犯罪者と決めつけている時点で、かなり危険なものなのだが、この作品は刑事司法の矛盾を指摘する問題提起型の作品でないのでよしとすべきなのだろう)。

 

タイトルにある『三度目の殺人』の一度目の殺人は、役所広司演じる三隅高司が30年前に犯したもの。二人を金品目的で殺害しながら、死刑をよしとしない時代の風潮で無期懲役になっている(その判決を下した裁判官が、重盛弁護士の父親)。彼が仮釈放で出所した後に犯した二度目の殺人が、このドラマの中心のできごと。

 

そして「三度目の殺人」は、映画の中では描かれていない。それが何を意味するのかは不明なところ。素直に考えれば、三隅に下された死刑判決が「三度目の殺人」ということになろうが、死刑を殺人とするのは、死刑廃止論者でもなければ腑に落ちる解釈ではない。死刑判決が殺人であるというからには、その判決が冤罪ということになろう。三隅が二度目の殺人を犯した犯人ではないという解釈を担保する材料ではあるが、自分にはこのタイトルはミスリーディングであり、あまり優れたタイトルではないと感じた。

 

作品の冒頭に三隅が殺人を犯す映像がありながら、途中で重盛、三隅、そして殺された被害者の娘・咲江(広瀬すず)が雪合戦に興じるという現実にはあり得ない映像が挿入されていることで、映像の全てが真実ではないことを観客は知らされる。つまり、被害者を殺したのは三隅ではないという解釈もあり得るという作りになっている(とは言え、三隅が二度目の殺人の犯人であることで間違いはないと個人的には感じている)。

 

重要なテーマが「裁き」。三隅は死刑になるべき一度目の殺人が無期懲役となり、裁判官とは生殺与奪の権力を持つ存在だと理解したのだろう。彼は、重盛弁護士の父の元裁判官に近況を知らせる葉書を出しているが、なぜその葉書を出したのかと重盛弁護士に問われて、裁判官への憧れを口にしている。

 

二度目の殺人は、三隅による「裁き」であると自分は解釈した。その意味では、一度目の殺人とは全く趣旨を異にしている。それは「殺人は悪」という絶対命題に対するアンチテーゼでもあるのではないか。生殺与奪の権力の行使は、彼が飼っていたカナリアのうち5羽を殺しながら、1羽を逃がした(「逃げてしまった」と言っているが、逃がしたと解してもいいだろう)ことにも象徴的である。そして、作品の中で執拗に登場する十字架のイメージが、その「裁き」のテーマと重なっている。

 

刑事司法のかなりディープなところを扱い、例えば「無期懲役の仮釈放中なら一人殺してもアウトか(一人の殺人での「量刑相場」は無期懲役)。強殺(強盗殺人)を殺人+窃盗としたところで、判決は変わらないだろうにな」とか、「公判前整理手続をした公判での追加主張を、阿吽の呼吸でそのまま審理継続って、控訴審で正しい手続きが踏まれてないって差し戻しされるリスクを普通取らんだろ」といった突っ込みどころを楽しめるだけの本格的な法廷ドラマに仕上がっている。そこまでのこだわりがあるのであれば、死刑判決の主文は判決読み上げの最後にして欲しかった。詰め甘な感じが残念。

 

新境地にチャレンジしたということは評価はできるが(そして個人的には無茶苦茶面白かった)、「で、何が言いたいの?」「ちょっとテンポ悪くね」という批判は当然あるであろう作品。また、ダメ親父は是枝監督の得意のパターンだが、重盛弁護士の娘の万引きほかの「重盛弁護士=優秀な弁護士だがダメ親父」的エピソードはいらなかった。

 

映像的に法廷のシーンや接見室のシーンが度々出てくるが、前者は窓から差し込む光が印象的。日本の法廷は周りぐるりが壁のイメージなので、マホガニーのウッディ調のしつらえと合わせて、アメリカの法廷をイメージさせるところが面白かった。接見室のシーンは動きが単調になりやすいが、アクリル板の真横から撮って仕切りがないように見せたり、リフレクションを使って接見する方とされる方が同じ方向を向く構図にしたりと、カメラワークの工夫が見られた。

 

是枝組としては初参加の、役所広司のサイコパス的な演技はやはりさすが。福山雅治は可もなく不可もなく、彼でなくてもよかったかも(仕事では切れ者だがダメ親父という『そして父になる』でははまっていたが、この作品でそのパターンは不要だと思うゆえ)。広瀬すずは、監督がほれ込んでの『海街diary』以来の再出演なのだろうと感じさせる伸び伸びした演技だった。案外(?)よかったのは、斉藤由貴。裁かれるべき最低の母親をリアルに演じていた。

 

ということで、是枝作品のベストは『そして父になる』(2013年)であり、それに続くのが『奇跡』(2011年)、『誰も知らない』(2004年)。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『三度目の殺人』予告編