『エイリアン』(1979年)は『ブレードランナー』(1982年)と並び、最も好きな作品。『エイリアン』の魅力は、H.R.ギーガーの造形に尽きる。H.R,ギーガーのファン、エイリアン・フィギュアのコレクターとしてこの作品は見逃すことはできなかった。
H.R.ギーガーのファン以外は観ないであろうドキュメンタリーだが、ファンにとってはどうであったかと言えば、かなり満足のいく出来と言ってもいいだろう。
映画は、2014年5月に74歳で死去する直前のインタビューを中心に構成されている。彼の一生を振り返る内容でありながら、2014年当時の「今」が中心に描かれ、それが彼の最々晩年ということもあり、貴重な記録となっている。
映画の中では、彼の作品がふんだんに紹介されている。彼の作品を味わうということでは申し分ないのだが、その世界観が解説されることはなく、それは観客の解釈に委ねられている。
彼の作品の特徴は、作品に触れれば一目瞭然とも言えるのだが、「生」と「死」が共存し、かつその橋渡しとして「生殖」がダイレクトに描かれていることである。あるいは、「エロス」と「タナトス」が同時に描かれていると言ってもいい。
彼がなぜそうした世界観を持ち、それを具現化しようとする衝動については(残念ながら)直接的には掘り下げられていない。そうした部分は彼の生活を映し出した映像や彼の言葉から(間接的に)想像するしかない。
彼が26歳の時に出会い、最愛の女性であった18歳の女優リーがその出会いから9年後の1975年に自殺したことが、それ以降の作品に色濃く影響していることは想像に難くない。しかし、それは彼の元々の世界観を増幅したに過ぎない。
彼の作品が映し出す世界観を、彼が生きているうちに彼自身の言葉で語らせるキュレーターとのインタビューが盛り込まれていれば、それはファンにとって最大の喜びだったろう。
彼の住む家には、何十年もの前からの作品が埋もれており、近年はマネージャー的人物(彼は人に管理されるのをとことん嫌っていたため、そうした人物は近年までいなかったとのこと)が過去の作品を掘り出し整理・管理している。映画の中で印象的な彼の言葉は、整理された家の感想として、「ブルジョア的であり、悪趣味だ」と評したこと。彼の創造性はカオスの中から生まれるということだろう。
「今」の彼の生きがいは、プライベートでは子供の頃から夢見た「幽霊列車」を自宅に作ってそれを乗り回し、またパブリックではライフワークとも言えるギーガー美術館を作ることだった。彼の自宅の庭にしつらえられた幽霊列車に乗ることはかなわないが、スイスにあるギーガー美術館には是非訪れたいと、映画を観ていて思った。
映像を見るまでは気難しい印象しかなかったが、なかなかチャーミングなところもあり、それが女性には受けるのだろう(映画には彼の元パートナーが複数人登場し、彼女たちと依然交流があることが伺える)。
H.R.ギーガー・ファンは必見の作品であることは間違いない。
★★★★★★★ (7/10)