死刑執行19年ぶりゼロ
12月29日付の毎日新聞の22面に、タイトルの表題の記事が掲載されていました。
今年は19年ぶりに死刑執行が0件の「未執行年」となりました。
法務省の統計では、今月27日の時点で、21人の死刑が新たに確定し、確定死刑囚の数は129人と、戦後最多を更新することになりました。
つまり、全国の刑務所には、現在、129人もの人が、「死刑の執行が今日かもしれない、明日かもしれない」という思いを抱きながら、「死を待っている」毎日を過ごしているということです。
江田五月前法務大臣、現職の平岡秀夫法務大臣ともに、1件の死刑執行を行いませんでした。
129人もの死刑囚がいる現在において、今年一年間で1件も死刑が執行がなされなかったことは「異常」だと思わざるを得ません。
「法務大臣は死刑が確定した6ヶ月以内に『死刑執行命令』を出す」ことになっていて(刑事訴訟法475条第1項本文)、死刑執行の最終判断者は法務大臣ということになっています。
しかし、江田五月氏、平岡秀夫氏ともに「死刑執行反対」の立場をとっており、この考え方に基づいて死刑執行を拒んでいるものと思われますが、死刑囚に対する死刑執行が職務の一つであるので、これは明らかに「職務の怠慢」と言えるでしょう。
僕は、「死刑執行反対」は一国会議員として主張するのは問題ないように思いますが、法務大臣が自分の信条に基づいて死刑の執行を拒むのは間違っているのではないかと思います。
法務大臣に就任したならば、自分の信条は横に置いておいて、「職務」として粛々と死刑の執行を行うべきだと思うのです。
「死刑執行反対」を主張する人は、「今は罪を犯したことを悔いて、仏様のような心境になっている死刑囚を、死をもって罪を償わせるのはいかがなものか?」という意見をお持ちですが、僕は、「死刑囚が仏様のような心境になったのは、死刑判決を受けたから違(ちゃ)うの?」と思います。
少なくとも、死刑囚は人を殺めている時には仏様のような心境にはなっていません。
あくまでも、人殺しをしている時は「殺人鬼」のような心境だと思います。
殺人事件の加害者の「最大の罪」は、被害者の方の「未来」を奪ってしまったことだと僕は思うのです。
愛する子ども・恋人・親・兄弟を殺害された遺族の方々についた「心の傷」は、おそらくその遺族の方が生き続ける限り決して消えないものだと思います。
また、自分の身近な人の命を奪った死刑囚がのうのうと生き延びていることに対する「悔しさ」も、おそらく消えないものでしょう。
悲しいかな、人間は「性善説」で語られるような存在ではないように僕は思います。
罰が大きくなければ、「ああ、悪いことしてええんや」と判断してしまう生き物なんです(僕自身も含めて…)。
ですから、「終身刑」などの法整備が進んでいない現状の日本で、死刑がなくなってしまえば現在よりももっと凄惨な犯罪が多発するように僕は思います。
死刑の存廃は日本にとって「永遠のテーマ」なのかもしれませんが、死刑のことをもっとよく勉強した上で、もっともっと真剣に話し合わないといけないテーマであることは間違いありません。
ちなみに、僕は「死刑執行賛成」の立場です。