同じくヒット曲が多いCCRことクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル【Creedence Clearwater Revival】の、1971年にリリースされたシングル『雨を見たかい』【Have You Ever Seen The Rain】。当時のアメリカではこの曲がベトナム戦争の反戦歌と捉えられ放送禁止に。にも関わらず曲は大ヒットを記録した。
デニー・ドハーティとキャス・エリオットが中心になり活動したママス&パパス【The MAMAS & The PAPAS】の、1965年にリリースされた2枚目のシングル『夢のカリフォルニア』【California Dreamin’】と3枚目の『マンデー・マンデー』【Monday , Monday】を両A面でリリースした日本オリジナルのシングル盤から。因みに『夢のカリフォルニア』は1994年にウォン・カーワァイが撮った香港映画『恋する惑星』に使用され、90年代という時代に鮮烈な再生を果たした。
アメリカのSSW、アルバート・ハモンド【Albert Hammond】の1973年の大ヒット曲『カルフォルニアの青い空』【It Never Rains In Southern California】。
そしてもう1曲、アルバート・ハモンドを。1981年のとても素敵な曲『風のララバイ』【Your World And My World】。
ジョン・レノン【John Lenon】が1974年にリリースしたアルバム『心の壁、愛の橋』【Walls And Bridges】からシングル・カットされた、とてもPOPな一曲『真夜中を突っ走れ』【Whatever Gets You Thru The Night】。因みにこのアルバムが制作されたのは、ジョンとヨーコが別居を始めた時、ヨーコの強い希望によって(「あなた彼氏がいないんだったらしばらくの間、ジョンと付き合ってちょうだい」みたいに)二人の個人秘書を務めていた中国系アメリカ人女性メイ・パンとジョンが一緒に暮らしていた(どんな希望やねーん)、「失われた週末」【The Lost Weekend】と呼ばれた時期に当たる。まぁ、ジョンにしてみればしばらくの間、ヨーコの呪縛から逃れて公然と浮気ができた訳だし、毎夜、友人のハリー・ニルソンと飲み歩いては自由気ままな時間を過ごせたし、その分、ジョンのクリエイションが高まりアルバムを量産し、デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーらとも積極的にコラボレートしたり。因みの因みにメイ・パンはその後、ボウイやT-REXのアルバムをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティと結婚し、ビジネスでも成功を納めている。
イギリスのバンド、スタックリッジ【Stackridge】の、1974年リリースのアルバム『山高帽の男』【The Man In The Bowler Hat】に収められていた『Fundamentally Yours』も、とても華やかなPOP SONG。
プログレッシブ・ロックのカンタベリー派に属する(のかな?)ニール【Neil】の、1984年リリースのアルバム『Neils Heavy Concept Album』から。プロデュースはデイヴ・スチュアート。曲はシングル・カットされたトラフィックのカヴァー『Hole In My Shoe』。ゴングやケヴィン・エアーズ、キャラヴァンなどのカンタベリー派の音楽には『Strawberry Fields Forever』なPOP感覚が根底に流れている。
ポール・マッカートニーのソング・ライティングの影響を受けたひとり、ヴァン・デューレン【Van Duren】のアルバム『Are You Serious?』から『Chemical Fire』。
イギリスやアメリカではどうだったのかは知らないけど。日本では若い女の子たちに圧倒的な人気があったベイ・シティ・ローラーズ【Bay City Rollers】はとにかマジカルなPOP SONGでヒットを連発していた。だけど当時のロック好きな男子はほぼ彼らを無視していたような気がする。まぁ、僕自身は。隠れてベイ・シティを聴いてたけどね😛。
イアン・ミッチェル脱退後のベイ・シティに短期間だけど参加し高い人気があったパット・マッグリンが結成したパット・マッグリンズ・スコッティーズ【Pat McGlynn’s Scotties】の1977年のヒット曲『あの娘はアイドル』【She’d Rather Be With Me】。正直に言うけど、この曲も隠れてよく聴いていた。