Adieu Romantique No.597
『ナイジェリア・ポップスに愛を込めて』
前回のブログではボブ・マーリーの命日に合わせて『One Love~ボブ・マーリーに愛を込めて』という記事を書いた。その流れで今回はボブのAfrican Bloodを引き継ぐように、同じアフリカの国、ナイジェリアの音楽をコンパイルすることに。
ところで。そもそも僕が初めてナイジェリアという国を意識したのは、僕がまだ子供の頃、ビートルズが解散した後にポール・マッカートニーが結成したウィングスの3枚目の『バンド・オン・ザ・ラン』というアルバムがナイジェリアのラゴスで録音されたという情報を知った時だった。「ナイジェリアかぁ」。「ラゴスかぁ」。「何でポールはわざわざそんな遠いところで?」というのが正直な感想だった(僕は子供の頃から何故だか「世界の地理」に興味津々だったのでナイジェリアが何処に位置するのかはちゃんと知っていた)。このナイジェリアでの録音は、直前にメンバーが脱退したり、スタジオの設備がまったく整っていないためスムーズに進まなかったらしいけれど、結果的にはウィングスを代表するアルバムになったので、それはそれで良かったのかも知れない。だけどアルバムを何度聴いても、わざわざナイジェリア録音をした意味はやっぱりよく分からないままだ。
今、とても勢いのあるアイラ・スター【Ayra Starr】(2002~)の今年リリースされたアルバム『The Year I Turned 21』から『Bad Vibes』ft.Seyi Vibez。
📷️アイラ・スターのポートレイトを。
少々、時代を遡るね。
ナイジェリアが生んだスーパー・スター、フェラ・クティ【Fela Kuti】(1938~1997)。ボブ・マーリーと同じく1960年代の前半から始まった彼の音楽活動もまた、黒人の解放のために権力と闘い続けた歴史であり、その活動はある意味、ボブ・マーリーよりも過激だったのかも(彼も権力側からの暴力に晒され負傷したこともあった)。音楽的にはナイジェリアの伝統音楽ハイライフをベースにしながら徐々にファンク色を強め、1970年には自らのバンド、フェラ・クティ&アフリカ70【Afrika70】を結成。そのリベラルさ、アグレッシヴさを体現した「アフロビート」(現在のアフロビーツとは違うよ)という音楽を確立していく。その音楽的成果のひとつ、1976年に制作・リリースされたアルバム『ゾンビ』【ZOMBIE】からタイトル曲を。
ナイジェリアを代表する民族のひとつ「ヨルバ」の伝統音楽「ジュジュ」【Juju】を世界に知らしめたキング・サニー・アデ & ヒズ・アフリカン・ビーツ【King Sunny Ade & His African Beats】。当時、ワールド・ミュージックを積極的にプロデュースしていたマルタン・メソニエから、ちょうどボブ・マーリーに代わる第3世界の新しいスターを探していた「アイランド・レコード」(ボブ・マーリーの数々のアルバムを制作・リリースした)の主宰者クリス・ブラックウェルに紹介され、「アイランド・レコード」との契約を果たし、当時、流行の兆しがあったワールド・ミュージックを牽引した。因みに1984年に来日したサニー・アデのLiveに行って来た友人は、興奮気味に「普通、どんなエネルギッシュなバンドのLIVEでも、オープニングはゆっくりと立ち上がり徐々に100%のパワーを出していくもんだけど、サニー・アデは最初から最後までずっと120%のパワーを全開し放っしだった」と熱っぽく語っていたのが忘れられない。