No.573『Here Come The Girls』【スウィンギング・ロンドン編】 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

 

 

 

                 Adieu Romantique No.573

                      『Here Come The Girls 

               スウィンギング・ロンドン編 

                

 

「Here Come The Girls」の流れで。1960年代のロンドンから誕生した大きなムーヴメント、『スウィンギング・ロンドン』を背景に活躍した、とても魅力的な女の子たちのこと🌼。

 

『スウィンギング・ロンドン』【Swinging London】(何て魅惑的な響きだろうか。もしもタイム・マシーンがあって僕が自由に操縦できたなら。間違いなく真っ先にスリップしたい時代、場所のひとつだうーん)。ロンドンのチェルシー地区のキングスロード界隈を震源地に登場したいくつもの新しいユース・カルチャー。新しい音楽が流れ、ミニスカートを始めとしたニュールックを着こなしてストリートというランウェイをウォーキングした可愛い女の子たちが溢れた、そんな時代に憧れとロマンティークを込めて。


僕の頭の中で。スタイリッシュで鮮やかな色彩に溢れたイメージがBlow Upする。


そんなスウィンギング・ロンドンの空気を呼吸しながら。自由な生き方を象徴し、その時代を華やかに輝かせた女の子たちのポートレイトを貼って、当時の音楽やアートやなんかを挟みながら書き綴っていくことに。

 

音譜それでは、いざ。Ready Steady Go!こんな素敵なタイトルが付けられた当時のロンドンの人気TV番組の、まさにスウィンギング・ロンドンを代表するバンドのひとつ、マンフレッド・マン【Manfred Mann】によるそのテーマ曲を。

 

そして。メイン・ビジュアルはこれ。
数多くの女性ボーカルを擁し、イギリスの「モータウン」と呼ばれたレーベル「パイ・レコード」【PYE Records】の音源をコンパイルしたCDのカヴァー。1960年代から英国ポップスをリードしてきたソングライターであり、イギリスのバート・バカラックと称されたトニー・ハッチ【Tony Hatch】の曲がたくさん収録されている。
 
音譜このCDのオープニングを飾った女の子3人組のコーラス・グループ、ザ・ブレイクウェイズ【The Brakeways】の、トニー・ハッチによる曲『That's How It Goes』

 

🌼当時のスウィンギング・ロンドンの女の子たちのファッションはこんな感じ。みんなオシャレで可愛いよね。
 

🌼女の子はもちろんだけど、男の子もカッコいいよなぁ。

 

音譜ローリング・ストーンズの名曲『一人ぼっちの世界』【Get Off Of My Cloud】を。このタイトルも、チャーリー・ワッツの絶妙のドラムで始まるGrooveも、ミック・ジャガーが歌う「Whos All Dressed Up Like A Union Jack」という歌詞もすべてがスウィンギング・ロンドンそのもの。


🌼ミニスカートをストリート・カルチャーに広めたデザイナー、マリー・クワント【Mary Quant】。彼女のヘアーカットはサイレント期の女優ルイーズ・ブルックスボブ・カットを60年代に蘇らせたヴィダル・サスーン【Vidal Sassoon】

 現在でも有名なマリー・クワントのロゴ。

📷️1955年にマリー・クワントキングスロードに出したブティック「BAZAAR」

 

🌼1964年。デザイナーのバーバラ・フラニッキがロンドンのケンジントンにオープンさせ、マリー・クワントよりも高い年齢層にミニ・スカートを普及させ、ギンガムチェックのドレスなどをクリエイションしたブランド・ブティック「BIBA」


🌼カーナビー・ストリートに。真っ白な壁と鏡で埋め尽くされたマリオン・フォールサリー・タフィンのブティック「フォール&タフィン」のデザインは斬新&可愛い。

🌼ビートルズが1967年に立ち上げた(「アップル・レコード」を核とした)経営組織「Apple Corps Ltd.」の中のひとつであったショップ「アップル・ブティック」。オープン間もなく店員は酔い潰れ、店のお金は持ち出され、商品は万引きされ放題という具合にメチャクチャになり、僅か半年ほどで閉鎖されてしまった(自由にやり過ぎ、かと)。

 

📷️アップル・ブティックの外観と店内の様子。

 🎨アップル・ブティックのデザインやイメージを担当したのはオランダからやって来たグループ、ザ・フール【The Fool】。サイケデリックなイラストレーションはメンバーのひとり、マリーケ・コーガー【Marijke Koger】が描いた。因みに。彼らは1968年にグラハム・ナッシュのプロデュースでサイケデリック・フォークなアルバムもリリースしている。
 
 

🌼ビートルズの歴史的傑作『SGTペパーズ』のアート・ワークを手掛けたポップ・アーティスト、ピーター・ブレイク【Peter Blake】の作品をいくつか。いゃぁ、当時のロンドンのポップさ、華やかさと混沌を表現しているようなイマージュが実に面白い。

 

 

🌼ローリング・ストーンズを中心に、多くのロック・ミュージシャンたちのポートレイトを撮影し、スウィンギング・ロンドンを代表した写真家のひとり、マイケル・クーパー【Michael Cooper】の作品を。


『SGTペパーズ』と共にマイケル・クーパーの代表作のひとつであり、ローリング・ストーンズが僅か半年後に『SGTペパーズ』の後追いをしたアルバム『サタニック・マジェスティーズ』のためのシューティング。

📷️ストーンズの顔であり、ある意味、スウィンギング・ロンドンのシンボルでもあったブライアン・ジョーンズのポートレイト。

 

🌼さて、と。女の子だ。ツイッギー【Twiggy】(1949~)本名はレズリー・ホーンビー「小枝」と名付けられたスレンダーな体型で、マリー・クアントのミニ・スカートを着こなした彼女は、まぎれもなくスウィンギング・ロンドンが生んだミューズだった。因みに。森永製菓のチョコレート「小枝」は、1967年に彼女が来日したのをきっかけに発売されたという。70年代初頭にはケン・ラッセルが撮った『ボーイフレンド』に主演し、可愛い歌声を披露してくれている。

 

 

 

 

 

 📷️スウィンギング・ロンドンをバイクで走り回るツイッギーを2連発。ほんとオシャレでカワイイ。


🌼ビートルズの、ポールの恋人だったジェーン・アッシャー【Jane Asherは、少し下がった目がとてもやさしそうな女の子。良家のお嬢様で芸術的な環境に恵まれて育ち、新しいアートなどに詳しかったので、ポールは随分と影響を受けたはず。ポールとは婚約まで進んだけど、ポールの浮気癖により破局している。
 
 📷️当時の彼女はモッズに対抗するグループ、ロッカーズのアイドルでもあった。
 
音譜個人的には。僕はロッカーズ派じゃなく、モッズに憧れがあるので。ジョージ・フェイムにしようか迷ったけど…モッズたちのアンセム、スモール・フェイセズ【Small Faces】『Sha-La-La-La-Lee』を。


🌼スウィギング・ロンドンを駆け回っていた女性カメラマン、リンダ・イーストマンは1969年にポール・マッカートニーと結婚してリンダ・マッカートニー【Linda Louise McCartneyに。その後、70年代を通じてウィングスのメンバーとしても活躍した。

 
🌼サンディ・ショー【Sandie Shaw】はスウィンギング・ロンドンの時代に「裸足の女王」と呼ばれ人気があったシンガー。1984年には彼女に憧れ、リスペクトしたモリッシーザ・スミスの曲『Hand In Glove』で共演。80年代当時の、ネオ・アコースティックな感じが全開した素敵な曲になった。
 
 
🌼そしてもうひとり。数々のヒットを放ち、スウィンギング・ロンドンを代表した女性シンガー、ダスティ・スプリングフィールド【Dusty Springfield】の1967年にリリースされたアルバム『Where Am I Going 』のカヴァーを。先のサンディ・ショーと同じく、1986年にはペット・ショップ・ボーイズのリスペクトにより『とどかぬ想い』で共演している。
 

🌼スウィンギング・ロンドンの時代の空気をリアルに、スタイリッシュに切り取った写真家デヴィッド・ベイリー【David Bailey】。1938年、ロンドンの下町イーストエンド生まれ。 モダンジャズ好きで、一時はチェット・ベイカーに憧れてトランペット奏者を目指したこともあるらしい。 西海岸のジャズレーベル「パシフィックジャズ・レコード」のアルバムが好きで、そのカヴァーを写真撮影するような音楽マニアでもあった。もしかすると、若い頃からマイルス・デイヴィスら、数々のジャズ・ミュージシャンたちを撮り続け、「パシフィック・ジャズ・レコード」のカヴァーフォトも手掛けた写真家ウィリアム・クラクストンにどこかで憧れていたのかも知れない。テレンス・ドノヴァンブライアン・ダフィと共に「テリブル・スリー」【Terrible Three】、或いは(主にモノクロームの写真で表現するという意味で)「ブラック・トリニティ」【The Brack Trinity】と呼ばれた才能の中でも最も輝いた。

 

📷若く、才能が溢れていたベイリーのポートレイト。

🎦イタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニが1967年に撮った『欲望』【Blow Up】は、ベイリーをモデルにした作品であった。主演はデヴィッド・ヘミングスサラ・マイルズ。アルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルの著作を下敷きにして、その舞台をスウィンギング・ロンドンに置き換えた作品。

 

📷当時、スーパーモデルだったヴェルーシュカ【Veruschka】とのシューティングが『欲望』のイメージに繋がった。

 

🌼デヴィッド・ベイリーと出会い、彼からさまざまなことを学び、スインギング・ロンドンを代表する存在になったファッション・モデル、ジーン・シュリンプトン【Jean Shrimpton】少し上向き加減の鼻が彼女の気の強さ、ワガママな性格を代弁する(知らんけどぶー)。ジーン・シュリンプトンはかつてこう言った。「彼が (ベイリーが) ジーン・シュリンプトンを作ったの。私がモデルをやれているのは彼のおかげ」と。美しき女神。自由の象徴。ベイリーは彼女を愛し、彼女もまたその愛に応えた。

 

📷️デヴィッド・ベイリーが撮ったジーン・シュリンプトンを。

 

 

 

 

 

📷️1965年に。ジーン・シュリンプトンはオーストラリアで、世界中のセレブリティが集まる伝統の競馬「メルボルン・カップ」の会場にストッキングを脱ぎ捨て、ミニスカートを履いたやって来た。ツイッギーよりも早く。そのファッションは自由の象徴として、大きな話題を呼んだ。そのニュースを見たマリー・クワントはミニ・スカートを大々的に売り出すことになる。

 

 ベイリーはシュリンプトンだけではなく、もともと音楽好きなだけあってロックスターを中心に数多くのスウィンギング・ロンドンを撮っている。

 

📷️ストーンズのイギリス・オリジナルのセカンド・アルバムのカヴァー用に撮られた1枚。何やかんや言っても。ビートルズよりもストーンズの方がスウィンギング・ロンドン感があると思うんだな(ビートルズはスウィンギング・ロンドンと言うより、そことはまた違う世界に居たような気がするからかも🤔)。

📷️とてもベイリーらしい写真。スウィンギング・ロンドンの魅力が濃密に溢れ出てきている。

 

🌼ジーン・シュリンプトンの実の妹クリッシー・シュリンプトン【Chrissie Shrimpton】は、モデルだったことよりも、ミック・ジャガーのガールフレンドだったことで有名に。

 

🌼パティ・ボイド【Pattie Boyd】モデルとして活動していた64年、ビートルズが初主演した『A Hard Days Night』に出演し、ジョージ・ハリスンが一目惚れ。ジョージのガールフレンドになったと思ったら、そのままゴールイン。その後はビートルズのインドへの旅に同行するなど、60年代を軽やかに駆け抜けた。その後のエリック・クラプトンとの恋愛沙汰のことはややこしいので書かないでおくねうーん

 📷️こんなパティは珍しい。ストリートでのアクティヴなシューティング。


📷️マリー・クワントのクレープのドレス「アリス」を着たパティストーンズ全員の、ジョン・フレンチによるフォト・セッション。豪華過ぎだよね。

📷️ジョージとの仲睦まじい2ショット。二人共、オシャレでカッコいいなぁ。

 📷️共にモデルだった、妹のジェニー・ボイド【Jenny Boyd】と。

 

🌼ジェーン・バーキン【Jane Birkin】。モデルをしながら、リチャード・レスターのむちゃくちゃオシャレな映画『ナック』に出演した女の子はとても自然体なのに、ファッショナブルに輝いていた。パリでセルジュ・ゲンスブールと出会う前の、ロンドンで活躍していたモデル時代の写真をいくつか。

 
 
 

🌼1964年、ローリング・ストーンズの当時のマネージャー、アンドリュー・オールダムに「発見」され、歌手としてストーンズの曲『涙あふれて』【As Tears Go By】でデビューした、ロンドン生まれのマリアンヌ・フェイスフル【Marianna Faithfull】その後、66年にはジャン=リュック・ゴダール『メイド・イン・U.S.A』(主演はアンナ・カリーナ)に出演し、映画の中で同曲を歌っているんだけど、その歌声や佇まいはほんとうに清楚で可愛かった。

 

そして。その頃にはミック・ジャガーの恋人になり、その関係は1970年まで続いたけど、彼女はドラッグに溺れるようになりミックとも別れることに。それ以後は、あれほど可愛かった女の子は一変し、凄みさえ感じさせる歌手として、また女優として第二の人生を歩き始め、個性的な活動を続けた。

 

 📷️テレンス・ドノバンが撮ったマリアンヌ。

📷️1968年。当時、人気絶頂だったアラン・ドロンと共演したフランス映画『あの胸にもう一度』【La Motocyclette】(原作はピエール・ド・マンディアルグ)ではレザーのフルスーツでバイクに跨った。

 

🌼イギリスを代表する映画シリーズ「007」ボンド・ガールたちのことも少しだけ。1963年『007/危機一発 ロシアより愛をこめて』ダニエラ・ビアンキ、1964年『ゴールドフィンガー』オナー・ブラックマン、65年『サンダーボール作戦』クローディーヌ・オージェ、1967年『007は二度死ぬ』若林映子浜美枝もスウィンギング・ロンドンの時代に華を添えた。

 

🌼ペネロープ・トゥリー【Penelope Tree】時代の要請だったのかな。それまでには居なかったタイプのスーパー・モデル。そのファニー・フェイスと特別な個性でスウィンギング・ロンドンに輝きを放った。

 

 📷️この写真は80年代にNew Waveの流れにあったネオ・アコースティックのバンド「FELT」「Cherry Red」からの12inchシングル(曲名もそのまんま)『Penelope Tree』のレコード・カヴァーにも使われた。イギリス人にとってスウィンギング・ロンドンとは、僕らが考える以上にロマンティックなものなんじゃないかな。

 📷️デヴィッド・ベイリージーン・シュリンプトン以外にもカトリーヌ・ドヌーヴと結婚していたし、ペネロープ・トゥリーとも付き合っていた。どの時期にそうだったのか、誰かを好きになっている時に他の誰かと付き合っていたのか、僕には分からないけど。まぁ、僕は「文春」にはまったく興味がないので、そんなことはどうだっていい。

 

音譜スキャットがたまらないほど魅惑的なゾンビーズ【The Zombies】の、1968年の曲『ふたりのシーズン』【Time Of The Season】がスウィンギング・ロンドンの光と影を映し出す。


🌼ペネロープ繋がりで。僕の中では、この方も60年代のスウィンギング・ロンドンの時代を輝かせた美女のひとりだと思っている。イギリスのTV番組『サンダーバード』(国際救助隊が活躍する、日本でも人気が高かった人形劇)に登場するレディ・ペネロープこと、ペネロープ・クレイトン=ワード。運転手のパーカーが運転する、カスタムメイドされたピンクのロールスロイス「FAB-1」に乗って颯爽と登場する姿がスタイリッシュかつ可愛いかったのである。

 

あまりにも書きたいことがたくさんあり過ぎて。欲張り過ぎた分、逆に中途半端な感じになってしまったような気がするな。まぁ、いずれにしても。スウィンギング・ロンドンは僕にとってとても大切なもの。その時代を飾った可愛い女の子たちと共に、ロマンティックなまま永遠に引き出しの中にしまっておきたいと思う。

 

それじゃあ、また。
アデュー・ロマンティークニコ