僕の架空音楽バー
『Bar Adieu Romantique』へ、ようこそ。
『Bar Adieu Romantique』 ではお越しいただいた方に毎回、ご挨拶代わりに僕の独り言【Monologue】 を書いたFree Paperをお渡ししている。
Romantique Monologue No.007
『素晴らしき哉、サイレント映画 』
小学生の頃から映画が好きだった。観るのはだいたいTVの「映画劇場」で放送されていたプログラムなので吹き替えだったけど。中学生になるとTVの深夜劇場を観るようになり、あまり有名ではないB級・C 級の作品にも触れてきたし、映画好きだった父親に新作の封切館も、2本立てや3本立ての名画座にもよく連れて行ってもらった。
そんな流れの真っただ中で。中学3年の時に大阪・梅田の紀伊国屋書店で分厚い輸入書を買った。それは映画の創世期である1900年代初め頃から1929年までの「サイレント映画」をアーカイヴした写真集だった。
3,000円近くしただろうか。少ないお小遣いだし、当時、夢中になっていたビートルズのレコードも買わなきゃいけないのに 、そんな暴挙に出たのは、(カラー映画が製作されていない時代だから当たり前だけど)モノクロの写真が厚い紙1ページ毎に30点くらい載っていて、それが300ページくらいの本になっているので(数えた訳じゃないけど)合計10,000点くらいの写真が網羅されていたから。小学校の低学年の頃から絵や写真がたくさん載っている「図鑑」が大好きだった僕にとって、それが何よりも魅力的だった(少々、偏執的だよね😛テヘ)。
もちろん当時、サイレント映画について興味はなかったし、知識もゼロ。実際にサイレント映画を観ることも、しばらくは訪れることはなかったけど、その本を毎日のように眺め続けることによって、いつしか(苦手な英語なのに)俳優や監督の名前を覚え、僕の妄想だけで構築した「サイレント映画」の世界に夢を膨らませることができた。
そう。中学3年生にして当時、周りの同世代では誰も興味を持つことがなかった(多分ね) D.W.グリフィス や、そのグリフィスが撮った映画 『國民の創生』 や 『イントレランス』 のこと、 メアリー・ピックフォード や ダグラス・フェアバンクス のことを知ったのであった(偉そうに言ってるけど、ただの「変わった奴」じゃないか )。 但し、アメリカの本なので日本人の俳優は、アメリカ映画で活躍した 早川雪州 と 上山草人 (漢字は後で知った)くらいしか載っていなかった。
その後は、映画館やビデオでいくつかの「サイレント映画」の名作、例えば娯楽映画の源泉とも言える、1902年公開の ジョルジュ・ メリエス の 『月世界旅行』 、先のグリフィスが1916年に撮った超大作 『イントレランス』 や、同じくグリフィスが リリアン・ギッシュ 主演で撮った名作 『散り行く花』 (1919)、 チャップリン の 『キッド』 (1921)や 『黄金狂時代』 (1925)、 バスター・キートン の 『探偵学入門』 、モンタージュという手法により、後の映画に大きな影響を与えた セルゲイ・エイゼンシュテイン の 『戦艦ポチョムキン』 (1925)、 ロベール・ヴィ―ネ の 『カリガリ博士』 (1921)、 F.W.ムルナウ の 『吸血鬼ノスフェラトゥ』 (1922)、 フリッツ・ラング が撮った 『ドクトル・マブゼ』 (1922)や 『メトロポリス』 (1927)などの ドイツ表現主義 の映画、 アベル・ガンス の 『ナポレオン』 (1927)、 カール・ドライヤー の 『 裁かるゝジャンヌ 』 (1928)、 映画史の中で最高の映画作家のひとりである ジャン・ルノワール の 『女優ナナ』 (1926) 、 ルネ・クレール の 『幕間』 (1924) 、 フェルナン・レジェ と マン・レイ による 『バレエ・メカニック』 (1924)、詩人の ロベール・デスノス の詩を元に、 モンパルナスのキキ を主演にして マン・レイ が撮った 『ひとで』 (1928)、 サルヴァドール・ダリ と ルイス・ブニュエル が共同で制作した 『アンダルシアの犬』 (1929) などを観ることになり、僕の妄想と過去の実体が結びついていくことになったのである。
※『イントレランス』【Intolerance】 では莫大な費用 をかけた壮大なセットが組まれた。因みに。イタリアのヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ兄弟 が1987年に撮った映画『グッド・モーニング・バビロン!』 では、この『イントレランス』のセットの建設に関わるイタリア人兄弟の物語が描かれていた。
今ならYouTubeでも割と簡単に観ることができるサイレント映画。当時、上映の際にアメリカではオーケストラによる生演奏があり、日本ではMC的に弁士が語ってくれていたらしいけど。まぁ、どこまでいっても無声映画なので、ストーリーがうまく掴めなかったり、主人公の気持ちを掬うことができなかったりするのかも、だけど、その分、イメージは限りなく拡がっていくと思うんだ 。
もしも、音楽バーで。素敵な音楽を聴きながら心地よく呑んでる時にふと店の壁の方に目をやると 「サイレント映画」が流れていたら(できればモニターじゃなく、プロジェクターでスクリーンに投影して欲しい)、その空間や時間がとても魅力的になると思うんだけどな。
「Bar Adieu Romantique」店主より
そろそろ「Bar Adieu Romantique」 のオープンの時間だ。
今回、「Bar Adieu Romantique」 がキュレーションするプチ企画展は『 Bar Adieu Romantique のサイレント映画史』 。大胆にもタイトルを『ゴダールの映画史』 から引用し、サイレント期に活躍した女優たちをポートレイトで俯瞰する。
📷️フローレンス・ローレンス【Florence Lawrence】 (1886~1938) は、1906年に映画デビューを果たし、世界で最初の女優と言われた。
📷️D.W.グリフィス が撮った歴史的作品『國民の創生』 と『イントレランス』 で主役を演じた大女優メイ・マーシュ【Mae Marsh】 (1894~1968) は、トーキー以後も数多くの作品に出演した。
📷️「アメリカの恋人」 と呼ばれた人気女優であり、プロデューサーでもあったメアリー・ピックフォード【Mary Pickford】 (1892~1979) 。
📷️ピックフォードは1919年にD.W.グリフィス(写真右) 、チャールズ・チャップリン 、大スターであり、旦那様だったダグラス・フェアバンクス と共に、自らの正当な利益を確保することを目指して映画会社ユナイテッド・アーティスツ を設立した。
📷️サイレント映画で活躍した大女優グロリア・スワンソン【Gloria Swanson】 (1899~1983) 。その暮らしぶりは週に100万ドルを稼ぎ、100万ドルを使うと言われたほど贅沢な限りを尽くした(恐らく。今のスターとは較べものにならないくらい出演料が高かったのだ)。1950年にビリー・ワイルダー が撮った映画界の内幕もの『サンセット大通り』 では、皮肉にもサイレント時代の栄光が忘れられない大女優の役を演じて高い評価を得た。
📷️「アメリカ映画のファースト・レディ」 と呼ばれた可憐な大女優リリアン・ギッシュ【Lillian Gish】 (1893~1993) 。映画デビューは1912年。トーキー後も数は少ないけれど、いくつもの映画に出演し、1987年にリンゼイ・アンダーソン が撮った『八月の鯨』 まで、長く映画界で活躍した。因みに、サイレント映画期の女優、ドロシー・ギッシュ は実の妹。
📷️1917年に『シーザーの御代』 でクレオパトラを演じた、サイレント期最初のセックス・シンボルだった、ゴージャスな大女優、セダ・バラ【Theda Bara】 。
📷️パール・ホワイト【Pearl White】 (1889~1938) は、「連続活劇」 (今で言うアクション映画)の女王だった。
📷️ブロードウェイで活躍した後、1916年に映画デビュー。踊れる女優として人気があったメイ・マレー【Mae Murray】 (1885~1965) 。
📷️アラ・ナジモヴァ【Alla Nazimova】 (1879~1945) 。圧倒的な個性と存在感でサイレント映画期最大の女優と言われた。
📷️ヴァンプ【Vamp】 (悪女)女優として、その妖艶な雰囲気で人気が高かったポーラ・ネグリ【Pola Negri】 (1897~1987) 。
📷️サイレント映画全盛期を代表するコメディエンヌ、メイベル・ノーマンド【Mabel Normand】 (1892~1979) 。いくつかの映画でチャップリンとも共演している。
📷️マリオン・デイヴィス【Marion Davies】 (1897~1961) 。もともとブロードウェイの舞台出身の女優であり、その頃に新聞王ウィリアム・ハースト と出会い、彼の愛人となった。彼はマリオンを大スターにするべく莫大なお金を投じて映画制作に首を突っ込んだけど、彼女が大きな人気を得ることはなかった。
📷️メアリー・ノーラン【Mary Nolan】 (1902~1948) は、歌もダンスもこなせるグラマラスな人気女優だった。
📷️上品な顔立ちのイヴリン・ネスビット【Evlyn Nesbit】 (1985~1967) 。
📷️マリー・ドロ【Marie Doro】 (1882~1956) は、美人でコケティッシュな魅力も併せ持った人気女優だった。
📷️その美しさで人気が高かったイギリスの女優であり、歌手でもあったリリー・エルジー【Lily Elsie】 (1886~1962) 。
📷️クララ・ボウ【Clara Bow】 (1905~1965) 。お色気コメディを得意とし、1927年に出演した作品『あれ』【it】 が大ヒット。(現在でも使われている)「It Girl」 と呼ばれるようになった。
因みに。『セッション』 (2014)、『ラ・ラ・ランド』 (2016)を撮ったデミアン・チャゼル の、現在公開中の最新作『バビロン』【Babylon】 は、サイレント期からトーキーへ移り変わる時期にあった映画界のお話。そして主演のマーゴット・ロビー が演じる主人公ネリーのイメージは、このクララ・ボウを参考にしているらしい。
📷️グレタ・ガルボ【Greta Garbo】 (1905~1990) 。サイレント映画後期からトーキー初期にかけて絶大の人気を誇ったスウェーデン出身の大女優であり、「神聖ガルボ帝国」 と呼ばれるほど、その存在感を放ったけれど、1941年の『奥様は顔が二つ』 を最後に映画界を去った。因みに。松任谷由実 が他の歌手に曲を提供する時はグレタ・ガルボをもじって「呉田軽穂」 というペンネームを使っていた。
📷️当時、最先端のフラッパー【Flapper】 だったルイーズ・ブルックス【Louise Brooks】 (1906~1985) は、そのファッションと斬新なボブ・カット で時代のシンボルになった。
📷️若い頃のマレーネ・ディートリッヒ【Marlene Dietrich】 (1901~1992) 。デビューは1921年だけど、サイレント期は人気を得ることができなかった。彼女の人気が爆発するのはトーキー直後、1930年からたて続けに出演したジョセフ・フォン・スタンバーグ の作品『嘆きの天使』 、『モロッコ』 、『間諜X27』 、『上海特急』 である。
男優も3人だけPick Upすることに。
📷️長い映画史の中でも、こんな俳優はいなかったんじゃないかな。イタリア系のルドルフ・ヴァレンティノ【Rudolph Valentino】 (1895~1926) 。まず名前がカッコいいよね。代表作は1921年の『シーク』 と1922年の『血と砂』 。エキゾチックな容姿で時代のセックス・シンボルとして絶大な人気があった。彼の映画を観に行く女性たちは、スクリーンから彼に見つめられることを想定して、映画館に出掛ける時には丹念にお化粧をしたという。
📷️サイレント期の、若きゲイリー・クーパー【Gary Cooper】 (1901~1961) 。「彼が後ろ向きに立っているだけで女性たちの心を掴む」 と映画会社「パラマウント」 に認められて1926年に映画デビュー。西部劇のスターとして人気があったけれど、トーキー後間もなく、マレーネ・ディートリッヒ と共演した『モロッコ』 でその人気を不動のものにする。
📷️一時はチャップリン 、バスター・キートン 、ハロルド・ロイド という三大喜劇スターを凌ぐ人気があったラリー・シモン【Larry Semon】 (1889~1928) 。作家の稲垣足穂【Taruho Inagaki】 は彼の映画が大好きで(足穂は1900年生まれだから、その人生の前半はサイレント映画の時代とぴったり重なる)、自らの著作の中でラリー・シモンについていくつかのオマージュを寄せている。例えば『天体嗜好症』 の中に収められている「オートマチック・ラリー」 というエッセイでは「この間神戸へ「オズの魔法使」(笑國萬歳)というのがきたので、明石から見に出かけた。僕が役者の名で出かけたのはこれが最初であるが、やはり期待にそむかぬこのコメディアンはまるでオートマチックだ。あのトリックとも現実ともつかぬ高いところへゼンマイ仕掛のようにのぼって行って、超時空的にヒューとジャズバンドの笛のうなりといっしょにまい落ちるとき、僕のうれしさはかなしみにさえ近い。 (中略) そのはかないほどの上品はロイドと比較にならず、超人情性はチャップリンよりはるかに新しい。」 と書いている。この文面からも、足穂は自分自身が描く世界とラリー・シモンの世界にどこか共通するものがあると感じていたのだ(それにしても、大正時代か昭和の始め頃に。「超時空的」 とか「超人情性」 とか「超」 を付けて形容する足穂の超 モダンなセンスには脱帽する)。
📷️稲垣足穂が明石から神戸まで観に行った『笑國萬歳』【The Wizard Of Oz】 (1925)。左からラリー・シモン 、ドロシー・ドワン 、オリヴァー・ハーディ 。
📖一冊の本を紹介しておこう。インディペンデントの映画作家
ケネス・アンガー が書いた
『ハリウッド・バビロン』【Hollywood Babylon】 。サイレント期を中心に、
「虚構」 と
「幻想」 の中で生きたスターたちの数々のスキャンダルが生々しく紹介されている。内容の事実関係は微妙らしいけど、娯楽として読む分には面白い
。
音楽は。古い映画の話をしたので、逆に新し目の曲を中心に。
現在の
AOR や
ウェスト・コースト・サウンド を代表するバンド、
ヤング・ガン・シルヴァー・フォックス【Young Gun Silver Fox】 の2015年にリリースされたデビュー・アルバム
『West End Coast』 から。爽やかなコーラスが心地いい
『You Can Feel It』 を。
オーストラリアのSSW、
Felicity Vanderveen のソロ・ユニット、
フェリヴァンド【FELIVAND】 の2022年のデビュー・アルバム
『Ties』 から
『Way Out』 を。まったくお金がかかってそうにないカヴァー写真が逆にナチュラルで新鮮。
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ワシントンを拠点に活動するSSW、
ヤヤ・ベイ【Yaya bey】 の2022年のアルバム
『Remember Your North Star』 から
『Nobody Knows』 。ソウル、レゲエ、ジャズ、アフロビート、HIP-HOPを自在に融合する才女。それにしても。このアルバムのカヴァーもまた、まったくお金がかかってなさそうだ
。
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スノー・アレグラ【Snoh Aalegra】 の、2021年にリリースされたシングル曲。
ボビー・コールドウェル の傑作ファースト・アルバム
『What You Won't Do For Me』 のタイトル曲のカヴァー
『Do 4 Love』 を。
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ファースト・アルバムを聴いた時から或いは
「重力を感じないアブストラクト・ソウル」 だと思っていた
SZA の魅力的な音楽。2022年にリリースされたセカンド・アルバム
『SOS』 は、全米チャート初登場で1位になったという。ほんと凄いね。それじゃ、そのアルバムから
『Kill Bill』 を。「
Blue 」な、あまりに「
Blue 」なアルバム・カヴァーもとても魅力的。
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でも、そうは言いながら。僕は
SZA ならやっぱりデビュー・アルバム
『CTRL』 の方が好きなんだな。そのアルバムから、今回の独り言のテーマとシンクロするような曲
『Babylon』 を。それはまるで
「月の裏側を歩く時に聴きたくなるような音楽」 だと思ったり、まったくそうは思わなかったり(どっちやねーん
)。
「月の裏側を歩く時に聴きたくなるような音楽」 を続けよう。
abra のアルバム
『Rose』 から
『Fruit』 を。
デージ・ローフ【DeJ Loaf】 の2015年のミニ・アルバム
『…And See That's The Thing』 からDeepな曲
『Back Up』ft.Big Sean 。
タイラー・ザ・クリエイター に見出だされデビューした
ファナ・フューズ【Fana Hues】 の2022年のセカンド・アルバム
『Flora + Fana』 から
『Bad Dad』 。アルバム・カヴァーの写真はまるで
ティム・ウォーカー が撮る世界のよう。
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ルーベン・ジェームズ【Reuben James】 の2019年のデビューEPから
『Adore』 を。
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コンゴ民主共和国生まれのベルギー人、
Marie-Pierra Kakoma 率いる
ルイス・アンド・ザ・ヤクザ【Lous And The Yakuza】 の、2022年のアルバム
『IOTA』 から
『Autod é fense』 。フランス語のGrooveが柔らかで心地いい。
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ヴァイオリン奏者であり、魅力的なSSWである
スーダン・アーカイヴス【Sudan Archives】 こと
ブリトニー・デニス・パークス の2022年のセカンド・アルバム
『Natural Brown Prom Queen』 から。とても柔らかなGrooveを感じる曲
『Milk Me』 を。
スンニ・コロン【Sunni Colon】 の2022年のアルバム
『JuJu & The Flowerbug』 から
『Universe 4 Two』 。
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アントニオ・ロウレイロ がプロデュースした、ブラジル・ミナスのフルート奏者&SSW、
ナラ・ピニェイロ【Nara Pinheiro】 の最新デビュー・アルバム
『Tempo de Vendaval』 から
『Amago』 。瑞々しくって、美しい音楽だと思う。アルバム・カヴァーも素敵だしな。
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今やUKジャズ界の最重要人物とも言える
シャバカ・ハッチングス 率いる
ザ ・コメット・イズ・カミング【The Comet Is Coming】 の2022年のアルバム
『Hyper Dimensional Expansion Beam』 から
『Code』 。
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ジャズ、エレクトロ、ファンクをベースにしたイスラエルのフューチャー・ソウル・バンド(何と長い形容なんだろうか)、
バターリング・トリオ【Buttering Trio】 の2022年のアルバム
『Foursome』 からフワフワGroovyな
『Desert Dream Romance』 を。
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2022年にJazzの名門
「Blue Note」 からリリースされた、
DOMi & JD Beck のアルバム
『NOT TiGHT』 から。
アンダーソン・パーク【Anderson Paak】 とのコラボレーション曲
『Take A Chance』 。
2021年結成の大阪の若いバンド、
エゴ・アパートメント【Ego Apartment】 。メンバーは
Dyna (Laptop, B) 、
PeggyDoll (g, vol)、
Zen (g, vol)。2022年にリリースされたファースト・アルバム
『1998』 から
『Next 2 U』 を。なかなか面白いGrooveがあると思うな
。
本日もそろそろ閉店の時間が近づいてきたので。
最後は、大好きな曲を。異能の人、
山本精一 率いる
羅針盤 の、1997年のファースト・アルバム
『らご』 から(もともとはインディ・レーベル
「ギューン・カセット」 から1994年にリリースされていた)。ノイジーなギターが最高に眩くカッコいいサイケデリア。なのにPOPさ全開の永遠の名曲
『永遠 (えいえん) のうた』 。いいなぁ
。好きだなぁ
。因みに、アルバムのカヴァー写真は、大阪にある水族館「海遊館」のペンギンたちだった。
じゃぁ、また。
アデュー・ロマンティーク