僕の架空音楽バー
『Bar Adieu Romantique』へ、ようこそ。
『Bar Adieu Romantique』ではお越しいただいた方に毎回、ご挨拶代わりに僕の独り言【Monologue】を書いたFree Paperをお渡ししている。
Romantique Monologue No.004
『雑誌の海を泳いで渡ってきた』
いつもながら大袈裟だな、と思う。『雑誌の海を泳いで渡ってきた』だなんて。まぁ、子供の頃から雑誌が好きで好きで。漫画雑誌を別とすれぱ、最初はアイドル雑誌『明星』から始まり、それからずーっと年齢や趣味嗜好の変化に合わせるように、都度、お小遣いや収入の範囲で適当に買って読んできただけなんだけど(いたって普通だよね)。
読み終わった雑誌はある程度まとまったら捨てて、また新しい雑誌を買って、また捨てて。そういうようなことを繰り返してきた。だけど、いつの頃からか(それは随分、後になってからの話)捨てるのがもったいないと思うようになり、捨てるのを止めた時から(それでも不必要だと思ったものは捨ててきたけど)、どんどん増え続けている(かなり古い雑誌はもうほとんど残っていない)。スマホでも簡単に読めるこの時代にさ。ミニマルを志向する時代の流れの対極にあるような暮らしぶりじゃないか。
まぁ、そうは言いながら。やっぱり昔から雑誌が好きだから、やっぱり今でも時々は買ってしまう。それは仕方がない。いつも買っている雑誌の最新号が出た時や、何気なく入った本屋さんで、たまたま雑誌の特集が自分の趣味嗜好と合致するようなものを見つけたときのワクワク感といったら。
もちろん。雑誌じゃない本も大学生の頃からは、それはそれでたくさん買ってきた。そして買っては読み、読んでは売り(普通の本は捨てなかったよ)、売ってはまた新しい本を買うという繰り返し。一時期はたくさんあり過ぎて既に持ってる本を買ってしまったことも。まぁ、言うほどにはモノに対する執着があまりないのかもしれないけど、それでもなお、僕の身勝手な視点で精査され、売られることを免れた「愛すべき本」が現在も結構な量で残っている。
あっ、そうそう。今回は「雑誌」の話だった。それじゃぁ、何でそんなに雑誌が好きなのかということについて少しマジメに考察してみよう。あくまでも「僕にとって」という注釈付きで。
【雑誌の魅力】って何だろう?思い付くまま番号を振って書いてみた。①紙の媒体であり、製本された「本」という体裁なので、そこにアナログならではの皮膚感覚のようなものを感じ取ることができるので愛着が生まれる。②何らかのテーマに沿って、たくさんの情報がページごとに美しく(或いはスタイリッシュに)デザインされ、編集されている。③起承転結で成立していないので、どこからでも読めるし、パラパラとビジュアルだけ眺めていることができる。④複数の執筆者がコラムを寄せてる場合には、「ハッ」とするような切り口や面白いものに出会える。⑤新しい雑誌には今の時代の、古い雑誌にはその時々の時代性がくっきりと反映されている。⑥自分の趣味嗜好に合った特集記事だけを買うことができる。⑦グラビア印刷の写真はとてもきれいだし、それを「モノ」として所有しているという感覚がある。⑧関係する情報が網羅されているので、知りたいことだけを点で知るのではなく「線」や「面」として、その興味を拡げていくことができる、などなど。
逆に【雑誌のデメリット】も書き並べてみた。
①とにかく場所をとる。②増えてくると重量があり、整理し難い。③掲載されている内容については、どこに何の記事が載っていたかは記憶だけが頼りなので、web上の情報のように検索することができない。④よく読み返す雑誌ほど、時間の経過と共に、破れたり、落丁したり、汚れたりと、劣化していく。⑤特に中綴じの場合、本棚に並べた時に隙間があると、一冊一冊に自立性がないせいで「ふにゃー」と滑るようにして雪崩れてくる。⑥雑誌によっては広告が多過ぎる。⑦どこの本屋さんにでも置かれている雑誌はいいとしても、そうでないマイナーな雑誌を不定期で購入するのには(Amazonがない頃には)とても苦労した。⑧(Amazonがない頃には)発売号を買いそびれてしまうと、(幸運にも古書店で見つける以外)もう二度と手に入れることができない。⑨今は雑誌が売れない時代なので、休刊したり廃刊になるケースも多く、また既存の雑誌は内容的にも面白いと思えるものが少なくなってきている、などなど。雑誌にはいいところもあれば、そうでないところもある、ということ。
そう、とにかく。僕の個人的な想いだけで言うなら、昔の雑誌は「売れる」、「売れない」ということを先に考えるよりも、編集者自身が遊び、呑み倒し、仕事と生活の境目がない中で楽しみながら「どこにもない面白い雑誌を作ってやろう」という気概のようなものがあったのだと思う。
ついでに。雑誌について語られている本が何冊か手元にあるので紹介しておこう。
📖坪内祐三の『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』。自身の人生と重ね合わせて。一般誌からマイナーな雑誌のことまで、思い入れたっぷりに書かれた本。僕が言うのも何だけど、タイトルがちょっと大袈裟だよね。
📖浜崎廣の『雑誌の死に方』。「雑誌とは何だろう?何故、突如消えてなくなるのか?」。生き物としての雑誌の「死」に焦点を当てた、その視点は面白い。
📖村上春樹も雑誌『Sports Graphic Number』に連載されたコラムを集めた『THE SCRAP 懐かしの一九八○年代』という本で、アメリカの雑誌『エスクァイア』【Esquire】や『Life』、『Newyorker』、『People』、『Rolling Stone』などのことやなんかを軽やかに書いている。
雑誌について今回は『雑誌の海を泳いで渡ってきた』というタイトルを付けたけれど。過去のブログで雑誌のことを書いた時には、『人生に必要な無駄はすべて雑誌から学んだ』というタイトルを付けた(ロバート・フルガムのベストセラー『人生で大切なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ』からの引用だけどね)。いやぁ、それにしてもうまいこと言うよね。もちろん自画自賛だけど、雑誌に対する僕の心情を的確に言い表わしていて、僕自身はとても気に入っている。
そう。だいたい雑誌から得られる情報なんて、生きていく上ではほとんど必要ではない情報ばかりのような気がするのに。雑誌という海を泳いで渡り、そこから得た多くの「無駄」から多くのことを学んできた僕にとっては、(端から見ると明らかに今の時代に逆行しているとしか思えないとしても)一般的に「無駄」だと思われるようなことが必ずしも「無駄」ではなく、逆にその「無駄」こそが「必要」なことであったと思っている。
「Bar Adieu Romantique」店主より
そろそろ『Bar Adieu Romantique』のオープンの時間だ。
スペシャルズやマッドネス、セレクターと同じく、1970年代末から80年代にかけて。「2 Tone Records」を中心に世界的に流行したブリティッシュ・スカ・バンド、ザ・ビート【The Beat】。彼らのヒット曲『Mirror In The Bathroom』は重低音が効いていてカッコいい。
ザ・クラッシュ【The Clash】。所謂、初期パンクを代表するバンドだけど、単なるパンクではなく、本格的にレゲエ/DUBを取り入れたり、その音楽性は高かった。名盤『ロンドン・コーリング』と問題作『サンディニスタ!』の間の時期に当たる1980年にリリースされた10inchミニ・アルバム『Black Market Clash』からウィリー・ウィリアムスとジャッキー・ミットゥによるレゲエの名曲『アルマゲドン・タイム』のDUBヴァージョン『Justice Tonight / Kick It Over』を。
こういう曲が実際の音楽バーでも流れたらいいな。ジャマイカのDUBバンド、レボリューショナリーズ【The Revolutionaries】の超強力DUBシングル『Disco Dub』。永遠に続いていくようなDUBの浮遊感が心地よくて。「ここではない何処か」へ連れて行かれてしまいそう。
それじゃぁ、また。
アデュー・ロマンティーク