No.0471 秋の架空美術展『イマージュの、その先へ。シュルレアリスム・グランクリュ』開催。 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

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僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

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こんにちは。僕のブログ『アデュー・ロマンティーク』へ、ようこそ。

 

ほんの少し前まで。まだ夏の暑さが残っていたけれど、ようやく本格的に涼しく(寒く?)なってきた。ついに秋の扉が開いたのだな。そうなると今度は秋を楽しむために何をするべきかということを人は考え始める。

 

スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋…。秋の雰囲気を楽しむための旅行もいいかも知れない。どれもこれも魅力的だけど(そうは言いながら、僕のブログで食べ物のことや旅行のことを書いた覚えは一度もないけどね)、やっぱり僕のブログは僕らしく「芸術の秋」にスポットを当てようと思う。

 

過去、僕のブログではずっと単発的に書いているシリーズ記事「架空美術展」。「こんな美術展があったらいいな」程度の、僕の妄想だけでキュレーションした美術展。そして今回は僕にとってとても重要で、とてもロマンティークなものでもある「シュルレアリスム」について、今までに何度も紹介してきたアーティストやその作品を含め、今までに紹介していなかった新しいものも付加しながら、僕なりのシュルレアリスムを僕なりに集大成してみようと考えている。

 

【秋の架空美術展の開催に寄せて】

「シュルレアリスム」という、とても難しそうな芸術(或いは芸術運動)の、だけどほんとうはとても自由でダイナミックな(僕はそう思っている)芸術の、その魅力をできるだけ軽やかに紹介できたら。そんな想いから(もちろん限界はあるとしても)、こんなタイトルを付けてみた。

 

『イマージュの、その先へ。シュルレアリスム・グランクリュ【Surréalisme Grand Cru】』

 

僕がシュルレアリスムという言葉に初めて出会ったのは、確か中学校の美術の授業で、サルヴァドール・ダリが1931年に描いた有名な作品『記憶の固執』について習ったことから始まる。

 

🎨『記憶の固執』は、シュルレアリスムを学ぶための絵としては、一般的なシュルレアリスムのイメージの、最大公約数的な作品であり、その分、「初めてのシュルレアリスム」として、とても入り易い作品だと言えるかも知れないうーん

当時の僕は体育と美術だけが得意で他の科目はまったくできなかったけど、そのことについて僕自身はまったく気にしていなかった(勉強ができなかったくせに、偉そうにするなーおーっ!)。だけど、大好きな美術では、女性の先生から名字ではなく名前で呼ばれていたので余計に頑張ったし、その「シュルレアリスム」の授業では課題に挙がったシュルレアリスムの絵を描くことについて(油彩じゃなく水彩画だったけど)、あれこれとイメージを膨らませ、(先生の期待に応えたいという気持ちもあって)本気で課題に取り組んだような気がする。

 

そうして完成した絵は、荒涼とした平原に、何本もの巨大なペン🖊が地面から生えていて、そのペン先に人が突き刺さっているというような、少々、残酷で屈折したものだったし、技術的にはとても稚拙なものだったけど、自分なりのシュルレアリスム絵画として、それなりに面白いイマージュがあったような気がする。まぁ、そんな絵を先生は「子供さんがこんな絵を描くんですよ。精神的に大丈夫でしょうか」などと親に相談することもなく、「面白いね」と誉めてもらえた上に後輩たちの授業のサンプルに使われることになり、その絵は返してもらっていない(その後の絵の末路は僕には知る由もないけどねうーん)。

 

そのようなことで。僕とシュルレアリスムが出会った時から随分、年月が経ったけれど(僕の中で移り変わってきた嗜好や思考、志向のさまざまな紆余曲折を経て)、今現在においてなお、シュルレアリスムは僕にとって重要で大切な、とてもロマンティークなものであり続けているという訳だ。

 

これは僕の主観に過ぎないけれど。シュルレアリスムを理解する上で最も重要なことは、決してシュルレアリスムを理解しようと思わないことだと思う。1枚の絵に何が描かれているか、アーティストは何故、この絵を描いたのか、などというようなことを思考しないことこそが重要だと思っている。

 

もしかすると描いた本人でさえ説明がつかないかも知れないようなことを追いかけていると、逆に本質から離れ、アートはどんどん遠ざかっていくような気がする。自分の中に湧き上がるイマージュを拡げて、自身の感受性や直感に従うこと。誤解を恐れずに言えば、シュルレアリスムとは、つまりアーティストにとっても、受け手側にとっても共に「イマージュの冒険」なのだ、と。

 

先に紹介したダリの絵についてもそう。多分、美術の先生もその絵の意味をどうのこうのというよりは、自由にイマージュを拡げるように教えてくれたのだと思う。

 

もちろん。これは取っ掛かりの話であって、シュルレアリスムにどんどん興味が湧いてくるのなら、その好奇心のままにシュルレアリスムに関する本を読み漁り(僕はそうしてきたイヒ)、シュルレアリスムの作品を数多く観て、深く掘り下げていけばいい。

 

シュルレアリスム【Surréalisme】。もともとは、フランスの詩人ギョーム・アポリネールが書いた戯曲『ティレジアスの乳房』の中で使われた言葉が最初であった。日本語に訳すと「超現実主義」になるのだけど、微妙なニュアンスが違ってくるために今では日本語で発することも、書かれることもなくなり、あくまでもシュルレアリスム(或いはシュールレアリズム)と表現されている。
 
少し話が脱線するけれど。僕自身は書くときも、言葉で発するときも決して「シュールレアリズム」とは書かないし、言わない。よく訓練された犬のように必ず「シュルレアリスム」と書き、発している。何故かと言うと、シュルレアリスムがまだまだ日本では知られていない頃に、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム」を正しく日本に紹介した詩人である瀧口修造が「シュルレアリスム」としか書かなかったからである。そうして現在の日本では、「シュールレアリズム」の「シュール」という言葉だけがひとり歩きし、「この絵って、何だかシュールだよね」、或いは「昨日、シュールな夢を見たんだ」という風に使われている。まぁ、「シュルレアリスム」であれ、「シュールレアリズム」であれ、「シュール」であれ、どうだっていいのかも知れないけれど、僕とっては、そこに拘ることがとても重要だと思っている。
 
(話を本題に戻して)そうして。この極めて長く、やたら難解に響く呼称のせいで(「シュール」は別としても)、「シュルレアリスム」は一般的な価値の中でかろうじて「消費されてしまうこと」を免れ、現在に至っても独特な位置を保つことができているのかも知れない。
 

まずはシュルレアリスムの成り立ちを。シュルレアリスムは、1916年にトリスタン・ツァラ【Tristan Tzara】という詩人が煽動し、世界的な潮流となった芸術運動「DADA」(或いはDADAISM)の影響下から生まれた。「DADA」には思想的に明確なものがなく、その表現においても様式を持たないため、それぞれの個の表現として、それぞれが自由に独立した動きを形成した。

 
📖「DADA」の中心人物であったトリスタン・ツァラは『ダダ宣言1918』【Sept Manifestes Dada】により、高らかに「DADA」を宣言した。「ダダ。この一言こそが諸観念を狩猟に導く」と。

結果的に「DADA」は自らのアナーキーなエネルギーにより、自滅せざるを得ないという宿命を負っていた。けれども。その「DADA」の精神だけは、当時「DADA」と密接に繋がりながら活動していたアンドレ・ブルトンのシュルレアリスムへと引き継がれていくことになる。

 

そう。シュルレアリスムはダダの灰の中から生まれた。それがアート史に刻まれた、とてもロマンティークな言説である。
 
シュルレアリスムは、まず詩から始まった。「自動記述(オートマティスム)」【Automatisme】という、あらゆる道徳感や因習など、個人が個人の表現において規制する何ものからも解き放たれた自由な表現を目指し、思考よりも速く書く、という意識下を超えた無意識下における詩作と、ロートレアモンこと、イジドール・デュカス『マルドロールの歌』(1869)に登場する「ミシンと蝙蝠傘が解剖台の上で不意に出会ったように美しい」という詩句から想を得た、「デペイズマン」【Depaysement】と呼ばれる、何ら因果関係も持たない言葉と言葉を繋ぎ、幸福な結婚をさせる詩作から、詩におけるさまざまなイマージュの探求が進められていった。
 
🖊️アンドレ・ブルトン【André Bretonの詩を、代表作『狂気の愛』【L'amour Fou】の中から、受動的(シュルレアリスムの詩はつまり、能動的ではない)に書かれた詩の抜粋で。
 
 
『ひまわり』
 
  旅する女は夏の暮れ方に中央市場をよぎり
  爪先で歩いていた
 
  麻痺状態は湯気のように広がっていった
  煙草を吸う犬に

  農場がひとつパリの真ん中で栄えていた
  そしてその窓はどれも銀河に面していた

  不意の到来者は
  幽霊よりも献身的であることは知られている
 
  わたしはいかなる感覚の
  おもちゃでもない
 
 
🖊️愛の詩人、ポール・エリュアール【Paul Eluard】によるシュルレアリスムの詩を。
 
 
 『マックス・エルンスト』
 
  隅っこのほうでは  もつれあったふたり
  少女が侵されるのは近親相姦を見るようだ
  隅っこのほうでは あけ広がった空が
  嵐の背骨に白い玉をそそぎかける

  隅っこのほうでは 目を大きく見開いて
  魚の苦悩を見つめている人がいる
  隅っこのほうでは 野菜のような緑色の車が
  でんと構えて動かないでいる

  青春の花盛り
  ランプの光に照らされた
  少女のおっぱいには 
  赤い昆虫の死骸が見える
 
🖊️偉大なるアンドレ・ブルトンとポール・エリュアールの詩に並べるのは恥ずかしいんだけど。「デペイズマン」を分かり易くするために、僕なりの「イマージュの冒険」として書いた詩のようなものを二つも。
 
 
『ファム・ファタール』
 
  夕暮れ時
  弛緩した高速道路で
  妖精の囁きが
  彼女の子宮に追突する
 
  串刺しにされた扉から
  届けられる不穏のロマンス
 
  その色彩の輝きに
  さえも
 
  唐突に顕れた
  軟体の砂漠では
  金粉を纏った
  魚が羽ばたく
 
  五本の指先から
  溢れ出した
  繊細な指先は
  妖精の速度で
  その羽音を聞く
 
 
  ほどなくして
  私の遠い皮膚は
  彼女の鮮血と
  馬鍬い
  美しい記憶に辿り着く
 
 

『螺旋の夢』

  アゲハ蝶が舞う午後の孤独
  迷子の羊飼いが黙る
 
  大通りに面した乳房の哲学は
  処女の勤勉さで真水の情熱を宿す
 
  彼女の皿に 彼女の膝に
 

  月と星との混血の声に囁かれて
  今夜 私は卵を抱いて眠ることができない
 
  巨人宿では洗濯係が不意に気絶する
  二階建ての森では唐突な朝が青空を迎える
 

  やがて
  早熟な夢だけが

  星のように巡り

 
  彼女の唇の秘密を知る

 
アンドレ・ブルトンは詩作におけるデペイズマンという手法を絵に置き換え、視覚を拡張するために4人による共同のドローイングを行った。その制作法は、紙を4つに折り曲げ、他の3人が何を描いたか見えないように折ったまま、自分のパートのみを描く。ただし、他の部分と繋がっていないと絵としては成り立たたないので、他のパートとの「繋ぎ目」だけは見えるようにしておく。4人が描き終えた時点で、紙を広げればひとつの絵が完成するというもの。
 
ブルトンはその制作法で描いたドローイングを『優美な屍骸』【Le Cadavre Exquis】と名付けた。その名前の由来は、詩人たちが詩を書いている際に生まれた「優美な屍骸は新しい葡萄酒を飲むだろう」【Le Cadavre Exquis Boira Le Vin Nouveauという予期しない一説に(つまりは、偶然によるイマージュの拡がりに)、そこにいた詩人たちが心を奪われたことによる。
 
🎨ブルトンを中心に描かれた『優美な屍骸』には、シュルレアリスムにおける重要なエレメントである「エロティシズム」【Erotisme】が溢れている。その作品をいくつか。

 
🎨一番下の足の部分はもしかするとピカソが描いたのかな。
 
📖シュルレアリスムは。1924年にアンドレ・ブルトンが出版した著作『シュルレアリスム宣言』【Manifest du Surréalisme】において宣言され、当時、世界の中心であったパリに衝撃を与え、「運動」としてのシュルレアリスムが始まったのである。因みにこの本にはブルトンの著作『溶ける魚』【Poisson Soluble】が併収されている。
 
そうして間もなく、詩から始まったシュルレアリスムは絵画のシュルレアリスムを生み、個々のイマージュの限りを尽くして、数々のシュルレアリストたちが数々のシュルレアリスム絵画を創造してきたのである。
 
📷️1930年にマン・レイが自動シャッターで撮影したシュルレアリストたちの肖像。左からトリスタン・ツァラ(詩人)、ポール・エリュアール(詩人)、アンドレ・ブルトン(詩人)、ハンス・アルプ(彫刻家、画家)、サルヴァドール・ダリ(画家)、イヴ・タンギー(画家)、マックス・エルンスト(画家)、ルネ・クルヴェル(詩人)、マン・レイ(写真家)。

 
 👕ついで、と言ったらなんだけど。僕がデザインした「シュルレアリスム宣言 Tシャツ」も便乗してUPしておくね(30年ほど前にもエルンストが描いた眼球をレイアウトして同じようなTシャツを制作したこともある)。アンドレ・ブルトンを始め、初期のシュルレアリストの名前をずらーっと並べた。
 
アンドレ・ブルトンの宣言により始まったシュルレアリスム運動は、あらゆる規制から解き放たれた自由な表現を目指しながら、現実にはアンドレ・ブルトンという強固な規制が働いてしまった芸術運動として機能し、誰々は「シュルレアリストである」、誰々は「シュルレアリストではない」、というような、すべてがアンドレ・ブルトンの厳格な価値によって認められたり、淘汰されてゆくという(あのダリも除名された)、極めて本末転倒な運動へと変質し、ブルトンが他界する1966年にはシュルレアリスムは終焉を迎えることになった訳である。従って今現在、一般的に言うシュルレアリスムとアンドレ・ブルトンが宣言したシュルレアリスムは異質なものと言えるのかも知れない。
 

🏛️さて、と。美術館の奥へと進んでいこう。最初に飛び込んできたのは、シュルレアリスム絵画の巨人、マックス・エルンストによる眼球のドローイング。未開の眼は、常にシュルレアリスムへの入口なのだ。

音譜 展示スペースの入り口付近には、音楽が設置されている。ジョン・ケージ【John Cage】『4:33』。設置されていると書いたのは、それが「4分33秒の完全なる沈黙の音楽」だから。映像による演奏は、『4:33』を1952年に初演したデヴィッド・テュードア【David Tudor】。映像の通り、テュードアは4分33秒間、何も演奏しない。そして映像にテロップが差し込まれる。「私は何も言わない。それが私の主張だから。今、ご覧になっているテレビの音量を下げて、回りの物音に耳を傾けてみてください」と。本来ならLiveの演奏で体現すべき音楽なのだけれど。

「完全なる沈黙の音楽」。けれども「沈黙は無音ではない」とケージは言う。さらに。「沈黙」とは「意図しない音が起きている状態」であると。つまり。沈黙の中で誰かが咳払いをする。或いは誰かが何かを落とした時に音が響く。隣の人同士が小さな声でお喋りをする。そう。周囲にあるさまざまな音こそが「意図しない偶然の音楽」(チャンス・オペレーション)であり、つまりは(かなり飛躍するけど)、いくつもの「偶然」が連鎖し、無限のイマージュを喚起させるという意味において、シュルレアリスムに近いのかも知れない。

 

さて、と。長いプロローグはここまで。ここから先は(カタログ的に紹介したかったので通し番号を付けて)僕がシュルレアリスティックだと思う人の名前を挙げ、それぞれのアーティストの絵画やコラージュ、写真などを含めた、視覚に働きかけてくる作品について、音楽を混ぜながら自由かつランダムにキュレーションしていく。

 

◆Surréalisme № 001

アンドレ・ブルトン【Andrè Breton】(1896~1966)

シュルレアリスムの法王であり、絶対者。有名な心理学者であったジークムント・フロイトにもともと強い興味を持ち、友人で詩人でもあったジャック・ヴァシェの影響もあって「DADA」に参加し、その後、シュルレアリスムを規定し、「運動」としての(或いはグループとしての)シュルレアリスムを先導していく。

 📖1918年に刊行されたフィリップ・スーポー【Philippe Soupault】との共著『地場』【Les Champs Magnetiques】は、シュルレアリスム誕生の契機となった、オートマティスムによる「テキスト・シュルレアリスム」である。
 
 📖「私とは誰か?珍しく諺に頼るとしたら結局、私は誰と「付き合っている」かを知りさえすればいい」。そんな有名な書き出しから始まる、1928年刊行のシュルレアリスムの名著『ナジャ』【NADJA】。1926年にパリで運命的に出会った(実在の)若い女性ナジャの話を軸に書かれた、日記のようであり、散文のようであり、詩のようでもある美しい物語。

 📖「つまり愛が、必然的に出逢う愛に敵対するいっさいのものが、愛に固有の栄光の真っ只中で溶解されるような、そういう愛自体の詩的意識にまで。少なくとも愛は、永遠にわたしの大いなる希望になっていくだろう」。結晶のような美しい言葉によって1934年に書かれた、愛とエロティシズムの傑作『狂気の愛』【L'amour Fou】
 
🎨ブルトンは詩人だったけれど、詩人のイマージュによるコラージュやドローイングも多数、制作されている。
 
 
 

◆Surréalisme № 002 

ルイス・キャロル【Lewis Caroll】(1832~1898)

イギリスの数学者であり、ナンセンスの作家であり、詩人であり、そして写真家でもあるキャロルが書いた著作『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』、そして『スナーク狩り』には、シュルレアリスムのイマージュの源泉が湧き上がっている。

 

📷️キャロルが出入りしていたリデル家の幼い姉妹たちの写真。写真左から三女イーディス、長女ロリーナ、次女アリス。そしてキャロルは、姉妹の中で特にアリス・リデルを気に入っていた。そして彼女のイメージを膨らませて『不思議の国のアリス』を執筆するのである。

📖ルイス・キャロルの代表作であり、読む人によってファンタジーにもシュルレアリスム小説にも、どのようにでも解釈でき、イマージュを膨らませることができる永遠の物語。1865年の『不思議の国のアリス』【Alice's Adventures In Wonderland】と、その続編となる1872年の『鏡の国のアリス』【Through The Looking-Glass , And What Alice Found There】金子國義による表紙がとても可愛い文庫版は、矢川澄子の名訳による。

 

 

ルイス・キャロルの他にも。道徳的な規範から逸脱し、快楽的な自由を追求した作家マルキ・ド・サド【Marquis de Sade】(1740~1814)や、戯曲「ユビュ王」や、「超男性」などの著作で「パタフィジック」【Pataphysique】(形而上超学、或いは空想科学)という概念を生み出したアルフレッド・ジャリ【Alfred jarry】(1873~1907)など、シュルレアリスムに深い影響を与えた詩人や文学者は多いけど(1940年に刊行されたブルトンの著作『黒いユーモア選集』(上・下巻)で多数、紹介されている)、今回はビジュアル主体でキュレーションしているので、そこには触れないでおくね。

 

◆Surréalisme № 003 

 ヒエロニムス・ボス

【Hieronymus Bosch】(1450~1516)

500年も前の遥か昔に。こんなにも現代的で豊かなイマージュを持ってる人がいたのかと思うとほんと恐ろしい。シュルレアリストの中でも特にサルヴァドール・ダリに強い影響を与えてると思うな。

 
 
 
 

Surréalisme № 004

ジュゼッペ・アルチンボルト

【Giuseppe Archimboldo】(1526~1593)

果物や野菜、球根類、木の根っ子などをパズルのように組み合わせて人物を描いた、マニエリスム期の不思議な画家。

 
 
 音譜P.I.Lの1980年のアルバム『The Flowers Of Romance』から『Four Enclosed Walls』


◆Surréalisme № 005

マックス・エルンスト【Max Ernst】(1891~1976)

高度な技術と、偶然的に視覚を拡張する、デカルコマニー【Decalcomanie】フロッタージュ【Frottage】、そしてコラージュ【Collage】などの技法を駆使して縦横無尽に圧倒的なイマージュを画布に定着させた。


🎨エルンストの代表作『雨後のヨーロッパ Ⅱ 』(1942)。

 
 
 
 

 
 
 

 


🎨エルンストは『百頭女』(1929)や『カルメル修道院に入ろうとしたある少女の夢』(1930)、『慈善週間~または七大元素』(1934)というコラージュ小説で自らのイマージュを拡張した。
 
 

◆Surréalisme № 006

マン・レイ【Man Ray】(1890~1976)

写真におけるシュルレアリスムを探求し、写真表現そのものに革命をもたらした。

 
 音譜ヴェルヴェット・アンダーグラウンド & ニコ【The Velvet Underground And Nico】『宿命の女』【Femme Fatale】。1966年にアンディ・ウォーホルから「君たちはイーディ・セジウィックについての歌を書くべきだ」と言われたルー・リードは「例えばどんな?」と聞き返すと、アンディから「そうだなぁ、彼女は(イーディは)ファム・ファタールだと思わないか?」と言われ、この歌を書き、ついでにニコにあげてしまい、ニコが歌った。

 
📷️マン・レイが写真を現像している最中に偶然、発見したソラリゼーション【Solarisation】による作品。現像時に露光過多になることでモノクロ写真の白と黒が反転する効果を利用した。
 📷️女性の美しさを讃えた作品。モデルは数々のアーティストのイマージュの源泉になった、モンパルナスのキキこと、アリス・プラン【Alice Plin】
 📷️1922年に撮影されたインパクトのある作品。モデルは1920年代から30年代にかけてアーティストたちのミューズであった伯爵夫人、ルイーザ・カザーティ【Luisa Casati】
 音譜この写真を観ると、連鎖するように浮かんでくるのはP.I.Lの1979年のアルバム『Metal Box』のカヴァー・アートと、その音楽のこと。今回はアルバムの中の『Careering』を。

 
 

今回は長過ぎるイントロダクションだけで、ほぼ文字数制限に達してしまった。まぁ、今回はもともと1回の記事だけで終わらせるつもりはなかったのだけれど。何故なら、それは僕にとって大切で、とてもロマンティークな「シュルレアリスム」を集大成しようとしているのだから、いくら「軽やかに」と言っても簡単に済ますことはできない。なので。できるだけ丁寧に、しかもできるだけ密度を濃くしたかった、ということである。しばらくは断続的に続くと思うけど、みなさんには気長にお付き合いいただければと思っている。

 

それでは、次回の架空美術展『イマージュの、その先へ。シュルレアリスム・グランクリュ』をお楽しみに。


アデュー・ロマンティークニコ