こんにちは。僕のブログ『アデュー・ロマンティーク』へ、ようこそ。
ほんの少し前まで。まだ夏の暑さが残っていたけれど、ようやく本格的に涼しく(寒く?)なってきた。ついに秋の扉が開いたのだな。そうなると今度は秋を楽しむために何をするべきかということを人は考え始める。
スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋…。秋の雰囲気を楽しむための旅行もいいかも知れない。どれもこれも魅力的だけど(そうは言いながら、僕のブログで食べ物のことや旅行のことを書いた覚えは一度もないけどね)、やっぱり僕のブログは僕らしく「芸術の秋」にスポットを当てようと思う。
過去、僕のブログではずっと単発的に書いているシリーズ記事「架空美術展」。「こんな美術展があったらいいな」程度の、僕の妄想だけでキュレーションした美術展。そして今回は僕にとってとても重要で、とてもロマンティークなものでもある「シュルレアリスム」について、今までに何度も紹介してきたアーティストやその作品を含め、今までに紹介していなかった新しいものも付加しながら、僕なりのシュルレアリスムを僕なりに集大成してみようと考えている。
【秋の架空美術展の開催に寄せて】
「シュルレアリスム」という、とても難しそうな芸術(或いは芸術運動)の、だけどほんとうはとても自由でダイナミックな(僕はそう思っている)芸術の、その魅力をできるだけ軽やかに紹介できたら。そんな想いから(もちろん限界はあるとしても)、こんなタイトルを付けてみた。
『イマージュの、その先へ。シュルレアリスム・グランクリュ【Surréalisme Grand Cru】』。
僕がシュルレアリスムという言葉に初めて出会ったのは、確か中学校の美術の授業で、サルヴァドール・ダリが1931年に描いた有名な作品『記憶の固執』について習ったことから始まる。
🎨『記憶の固執』は、シュルレアリスムを学ぶための絵としては、一般的なシュルレアリスムのイメージの、最大公約数的な作品であり、その分、「初めてのシュルレアリスム」として、とても入り易い作品だと言えるかも知れない。

そうして完成した絵は、荒涼とした平原に、何本もの巨大なペン🖊が地面から生えていて、そのペン先に人が突き刺さっているというような、少々、残酷で屈折したものだったし、技術的にはとても稚拙なものだったけど、自分なりのシュルレアリスム絵画として、それなりに面白いイマージュがあったような気がする。まぁ、そんな絵を先生は「子供さんがこんな絵を描くんですよ。精神的に大丈夫でしょうか」などと親に相談することもなく、「面白いね」と誉めてもらえた上に後輩たちの授業のサンプルに使われることになり、その絵は返してもらっていない(その後の絵の末路は僕には知る由もないけどね)。
そのようなことで。僕とシュルレアリスムが出会った時から随分、年月が経ったけれど(僕の中で移り変わってきた嗜好や思考、志向のさまざまな紆余曲折を経て)、今現在においてなお、シュルレアリスムは僕にとって重要で大切な、とてもロマンティークなものであり続けているという訳だ。
これは僕の主観に過ぎないけれど。シュルレアリスムを理解する上で最も重要なことは、決してシュルレアリスムを理解しようと思わないことだと思う。1枚の絵に何が描かれているか、アーティストは何故、この絵を描いたのか、などというようなことを思考しないことこそが重要だと思っている。
もしかすると描いた本人でさえ説明がつかないかも知れないようなことを追いかけていると、逆に本質から離れ、アートはどんどん遠ざかっていくような気がする。自分の中に湧き上がるイマージュを拡げて、自身の感受性や直感に従うこと。誤解を恐れずに言えば、シュルレアリスムとは、つまりアーティストにとっても、受け手側にとっても共に「イマージュの冒険」なのだ、と。
先に紹介したダリの絵についてもそう。多分、美術の先生もその絵の意味をどうのこうのというよりは、自由にイマージュを拡げるように教えてくれたのだと思う。
もちろん。これは取っ掛かりの話であって、シュルレアリスムにどんどん興味が湧いてくるのなら、その好奇心のままにシュルレアリスムに関する本を読み漁り(僕はそうしてきた)、シュルレアリスムの作品を数多く観て、深く掘り下げていけばいい。
まずはシュルレアリスムの成り立ちを。シュルレアリスムは、1916年にトリスタン・ツァラ【Tristan Tzara】という詩人が煽動し、世界的な潮流となった芸術運動「DADA」(或いはDADAISM)の影響下から生まれた。「DADA」には思想的に明確なものがなく、その表現においても様式を持たないため、それぞれの個の表現として、それぞれが自由に独立した動きを形成した。
結果的に「DADA」は自らのアナーキーなエネルギーにより、自滅せざるを得ないという宿命を負っていた。けれども。その「DADA」の精神だけは、当時「DADA」と密接に繋がりながら活動していたアンドレ・ブルトンのシュルレアリスムへと引き継がれていくことになる。
隅っこのほうでは あけ広がった空が
嵐の背骨に白い玉をそそぎかける
隅っこのほうでは 目を大きく見開いて
魚の苦悩を見つめている人がいる
隅っこのほうでは 野菜のような緑色の車が
でんと構えて動かないでいる
青春の花盛り
ランプの光に照らされた
少女のおっぱいには
『螺旋の夢』
アゲハ蝶が舞う午後の孤独
迷子の羊飼いが黙る
大通りに面した乳房の哲学は
処女の勤勉さで真水の情熱を宿す
彼女の皿に 彼女の膝に
月と星との混血の声に囁かれて
今夜 私は卵を抱いて眠ることができない
巨人宿では洗濯係が不意に気絶する
二階建ての森では唐突な朝が青空を迎える
やがて
早熟な夢だけが
星のように巡り
彼女の唇の秘密を知る
🏛️さて、と。美術館の奥へと進んでいこう。最初に飛び込んできたのは、シュルレアリスム絵画の巨人、マックス・エルンストによる眼球のドローイング。未開の眼は、常にシュルレアリスムへの入口なのだ。
展示スペースの入り口付近には、音楽が設置されている。ジョン・ケージ【John Cage】の『4:33』。設置されていると書いたのは、それが「4分33秒の完全なる沈黙の音楽」だから。映像による演奏は、『4:33』を1952年に初演したデヴィッド・テュードア【David Tudor】。映像の通り、テュードアは4分33秒間、何も演奏しない。そして映像にテロップが差し込まれる。「私は何も言わない。それが私の主張だから。今、ご覧になっているテレビの音量を下げて、回りの物音に耳を傾けてみてください」と。本来ならLiveの演奏で体現すべき音楽なのだけれど。
さて、と。長いプロローグはここまで。ここから先は(カタログ的に紹介したかったので通し番号を付けて)僕がシュルレアリスティックだと思う人の名前を挙げ、それぞれのアーティストの絵画やコラージュ、写真などを含めた、視覚に働きかけてくる作品について、音楽を混ぜながら自由かつランダムにキュレーションしていく。
◆Surréalisme № 001
アンドレ・ブルトン【Andrè Breton】(1896~1966)
シュルレアリスムの法王であり、絶対者。有名な心理学者であったジークムント・フロイトにもともと強い興味を持ち、友人で詩人でもあったジャック・ヴァシェの影響もあって「DADA」に参加し、その後、シュルレアリスムを規定し、「運動」としての(或いはグループとしての)シュルレアリスムを先導していく。


◆Surréalisme № 002
ルイス・キャロル【Lewis Caroll】(1832~1898)
イギリスの数学者であり、ナンセンスの作家であり、詩人であり、そして写真家でもあるキャロルが書いた著作『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』、そして『スナーク狩り』には、シュルレアリスムのイマージュの源泉が湧き上がっている。
📷️キャロルが出入りしていたリデル家の幼い姉妹たちの写真。写真左から三女イーディス、長女ロリーナ、次女アリス。そしてキャロルは、姉妹の中で特にアリス・リデルを気に入っていた。そして彼女のイメージを膨らませて『不思議の国のアリス』を執筆するのである。
📖ルイス・キャロルの代表作であり、読む人によってファンタジーにもシュルレアリスム小説にも、どのようにでも解釈でき、イマージュを膨らませることができる永遠の物語。1865年の『不思議の国のアリス』【Alice's Adventures In Wonderland】と、その続編となる1872年の『鏡の国のアリス』【Through The Looking-Glass , And What Alice Found There】。金子國義による表紙がとても可愛い文庫版は、矢川澄子の名訳による。
ルイス・キャロルの他にも。道徳的な規範から逸脱し、快楽的な自由を追求した作家マルキ・ド・サド【Marquis de Sade】(1740~1814)や、戯曲「ユビュ王」や、「超男性」などの著作で「パタフィジック」【Pataphysique】(形而上超学、或いは空想科学)という概念を生み出したアルフレッド・ジャリ【Alfred jarry】(1873~1907)など、シュルレアリスムに深い影響を与えた詩人や文学者は多いけど(1940年に刊行されたブルトンの著作『黒いユーモア選集』(上・下巻)で多数、紹介されている)、今回はビジュアル主体でキュレーションしているので、そこには触れないでおくね。
◆Surréalisme № 003
ヒエロニムス・ボス
【Hieronymus Bosch】(1450~1516)
500年も前の遥か昔に。こんなにも現代的で豊かなイマージュを持ってる人がいたのかと思うとほんと恐ろしい。シュルレアリストの中でも特にサルヴァドール・ダリに強い影響を与えてると思うな。
◆Surréalisme № 004
ジュゼッペ・アルチンボルト
【Giuseppe Archimboldo】(1526~1593)
果物や野菜、球根類、木の根っ子などをパズルのように組み合わせて人物を描いた、マニエリスム期の不思議な画家。
マックス・エルンスト【Max Ernst】(1891~1976)
高度な技術と、偶然的に視覚を拡張する、デカルコマニー【Decalcomanie】やフロッタージュ【Frottage】、そしてコラージュ【Collage】などの技法を駆使して縦横無尽に圧倒的なイマージュを画布に定着させた。
🎨エルンストの代表作『雨後のヨーロッパ Ⅱ 』(1942)。

◆Surréalisme № 006
マン・レイ【Man Ray】(1890~1976)
写真におけるシュルレアリスムを探求し、写真表現そのものに革命をもたらした。





今回は長過ぎるイントロダクションだけで、ほぼ文字数制限に達してしまった。まぁ、今回はもともと1回の記事だけで終わらせるつもりはなかったのだけれど。何故なら、それは僕にとって大切で、とてもロマンティークな「シュルレアリスム」を集大成しようとしているのだから、いくら「軽やかに」と言っても簡単に済ますことはできない。なので。できるだけ丁寧に、しかもできるだけ密度を濃くしたかった、ということである。しばらくは断続的に続くと思うけど、みなさんには気長にお付き合いいただければと思っている。
それでは、次回の架空美術展『イマージュの、その先へ。シュルレアリスム・グランクリュ』をお楽しみに。
アデュー・ロマンティーク。