こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。
前回の記事で。スマホの調子が悪く、スマホを修理に預けたら2週間は記事の更新ができないし、皆さんのブログにもしばらく訪問が出来なくなるかも、と書いた。その後、すぐにDocomoに行っていろいろ調べてもらったけど結局、原因が分からないまま帰って来た。今も調子は悪いままだけど、何とか記事が書けているし、使ってる内に名案が浮かぶかも知れないと呑気に構えている。まぁ、今までスマホに依存し過ぎていたことを反省しつつ、それほど大した問題でもないんじゃないかと思えてきた。
【架空の美術展開催に寄せて】
今回の美術展のタイトルを反芻してみよう。『女性たちの感受性が撮った写真のIMA 10×2』(IMAというのは、たまに買っている写真雑誌の誌名からの引用だ)。少し前に。女性たちのアートについての架空美術展を日本篇、海外篇に分けて開催した。その流れで今回は写真のこと。今回と次回とで10人ずつ、合計20人の女性写真家とその作品を紹介しようと思っている。
このテーマでは。今までも何度となく書いてきたので、自分自身の引き出しを整理したかったということもあるし、紹介した作品を観てもらうことで、その作品を観た人の、女性アーティストたちに対する期待値が上がれば、と思っている。
そもそも写真って何だろう
。僕なりに考えてみた。写真とはカメラという装置を使って行う表現(映画もそうだけれど、映画は監督を中心にして制作される総合芸術なので本質が違い過ぎるため、比較することはできない)。今ではデジタルで撮れるので、被写体と構図を決めてシャッターを押すタイミングさえキマれば、あとは自動である程度の写真が撮れるし、後から修正することだってできる。「誰でも簡単にある程度の写真が撮れる」、そんな時代に感謝だ。
だけど。ある程度というレベルを超えて、ほんとうに魅力的な写真を継続して撮り続けることは、そんなに簡単ではない。しかも作品に、その写真家だけのオリジナリティを表出させていくのは、(誰もが簡単に撮れるだけに)とても難しいことだと思う。
写真はさまざまなものを映し出す。目に見えるのと同じリアルさで被写体をリアルに撮ったとしても、そこには目に見えるリアルだけではなく、目に見えないさまざまなものが映し出されるのであり、受け手にとってはある意味、それが写真の魅力だと思っている
。
あくまでも僕の主観に過ぎないけれど。何を被写体にして、どのような視線で撮るのか。つまり、撮られる側の被写体(それは人間であってもモノであっても、風景であっても同じだ)と、その被写体を撮る側の視線との距離が(その距離を決めるのが、個人の感受性なのか、と)作品の個性として顕れてくるのではないだろうか。だけど。同じ写真家が毎朝、同じ場所から同じ風景を撮ったとしても、その距離感は毎回、違うので、だからこそより難しいし、面白いのだと思う。
さて。現在において。女性アーティストたちの感受性がオリジナリティという形で表出された、素晴らしい作品を観ていこう。
※今回、紹介するアーティストは、日本ではほとんど知られていないケースもあり、無理やりカタカナ名で表記したけど間違っているかも知れない。
※リアリティが感じられるように。それぞれのアーティストの作品の最後には、なるべくアーティスト自身のポートレイトを貼り付けてみた。
BGMを少しだけ。ノルウェーのJAZZボーカリスト、カーリン・クロッグ【Karin krog】の『Meaning Of Love』。
カーリン・クロッグの音楽に導かれるように。女性たちの感受性が撮った魅力的な写真展が始まる。
エレン・ファン・ミーネ【Hellen Van Meene】
オランダの写真家。観る人によって観えるものが変わるような写真。ある意味、オカルティズムを感じるさせる幽玄な世界でありながら、同時にリアリティも感じさせる作品は美しく魅力的。
同じくカーリン・クロッグの『Time To Go』。
ベラ・コタック【Bella Kotak】
花に囲まれた美しき写真。蜷川実花の作品世界に近いような気もするけど、より物語的であり、より王女様的。
📷️ベラ自身も、とても美しい女性。
ポール・サイモン『Wristband』。ほんとに才能があるな、この人は。
ナディーン・イジェウェレ【Nadine Ijewere】
今、僕が最も興味を持っている、ナイジェリアとジャマイカをバックボーンに持つ、ロンドン生まれの女性写真家。とにかくモデルの選び方とモデルたちとの距離感がボーダーレスだ。ヴィヴィアン・サッセンの次は間違いなく、この人だろう。
今回の美術展のテーマソングだと思っている、ポール・サイモンの73年の名曲『僕のコダクローム』【Kodachrome】。
マギー・スティーバー【Maggie Steber】
基本的にドキュメンタリーの写真家。その愛に溢れた眼差しが数々の人間の一瞬の「リアル」を切り取っていく。
ジェン・デイヴィス【Jen Davis】
1978年、アメリカのオハイオ生まれの女性写真家。肥満した自分を、自分自身が撮り続けたセルフ・ポートレイト集。誤解を恐れずに言えば、たまらなくSEXYな写真だと思う。
ロレッタ・ラックス【Loretta Lux】
1969年、旧東ドイツのドレスデン生まれ。現在は活動の拠点をアイルランドに置いている。最初は画家を目指していたが1999年より写真家に転身。その作品はデジタル処理され、高画質のイルフォクロームという手法でプリントされている。
📷️ギュンター・グラスの原作をフォルカー・シュレンドルフが映画化した傑作『ブリキの太鼓』からイメージされた写真。
📷️自身のイメージを撮った作品。
モナ・クーン【Mona Kuhn】
ブラジル生まれの女性の写真家。光が降り注ぐようなヌード』である。背景をぼかし、斬新な構図で写し取った陽光のエロティシズムはヌーディスト・コミュニティで撮られている。
BGMの最後はノルウェーのSSW、ラドカ・トネフ【Radka Toneff】が歌う、ボブ・ディランの名曲『Just Like A Woman』を。
エリーナ・ブロゼラス【Elina Brotherus】
自分自身を被写体に撮り続けてきた、セルフポートレイトの写真家。とても孤独感がある写真から、彼女自身の内面のイメージがまったく浮かび上がってこないところが逆に魅力的。
それにしても。最初に書いたように、今ほど写真というものが身近になった時代はない。誰もがいつでもどこでも簡単に、ある程度のクォリティをもった写真が撮れるようになったし、その写真を発表できる機会も画期的なほどに拡大している。そして、そのような時代にあって。女性たちは男性など較べものにならないほど、自由に、ますます軽やかに写真を撮っている。ほんとうに素晴らしいことだと思う。
写真の未来に愛と希望を込めて。
それでは次回へ続く。
アデュー・ロマンティーク。