こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。
『忘れようにも思い出せない』。意味不明な日本語からタイトルを始めたけど。「天才バカボン」のパパの名言からの引用なので哲学的な文脈にあると思っていただきたい。
今回は肩の力を抜いた記事。前回、チンドン屋さんについて書いていたら、何だか自分が子供時代に影響を受けてきた昭和の子供カルチャーについて書きたくなってきたのだ。
僕にとってブログ記事は「生もの」であり、継続する「思考」や「感情」の断片なので、「いい意味」でも「悪い意味」でも、或いは「形として顕れる」、「形として顕れない」は別としても次に書く記事は、常にその前の記事に連鎖するということなんだフムフム。
それでは。「昭和」という時代に郷愁と愛を込めて。『忘れようにも思い出せない昭和の子供カルチャー・アーカイヴ』。ジャンルを問わず、思い付くまま、手当たり次第、書き散らかします。
そう。今、自分のブログではちょっとばかりカッコいいことを書いてはいるけど、小学生の頃から音楽バーに通ってキューバ音楽を聴いていた訳じゃない(当たり前だぁぁぁー)。「昭和」の時代は今とは違って、子供はたいした情報を持たず、行動や趣味嗜好の選択肢はそれほどなかった。世代が近ければだいたいは同じお菓子を食べ、同じオモチャで遊び、同じTVを見ていたので、ある程度、同じような記憶を共有しているという訳だ。
それでは。僕自身の想い出と共に。昭和の子供カルチャーをアーカイブしていく訳だけれど、まず、どの時代の「昭和」か、ということ。これについては一応、昭和40年代から50年代くらいとアバウトに設定しておきたい(若い人には「へぇー、昔はそんなものががあったんだ」程度に)。もしかしたら、僕自身もTVの回想番組で見たなどを含め、偽の記憶が混在しているかも知れないし。
そして記事を書くにあたってもうひとつ大切なことは、できる限り昭和の女の子の子供カルチャーもUpしておく必要があるということ。今の時代において、ジェンダーの視点は重要であり、外すことはできない。僕は男だから、まぁ、ある程度、昭和の男の子の子供カルチャーは知ってるけれど、女の子の子供カルチャーについてはほとんど知らないので、「できる限り」としか言えない。そこは大目に見ていただきたい。
「パルナス」というお菓子メーカーのCM。春休みとか冬休みの午前中に「東映動画」が制作したアニメ映画が放映されていた際に流れていたように思う。ワルツの旋律に乗ったメランコリックな世界に当時の子供たちは何を想ったのだろうか。
放映されていた「東映動画」(後に東映アニメーションに変わる)のラインナップから。当時の日本のアニメの集大成。全体的に日本のアニメではないような独特のスタイルになっているのは、ディズニーのアニメに追従しようとしながら、日本だけのオリジナリティを獲得しようとした結果だから。そんな気がする。因みにいくつかの作品では手塚治虫が制作に参加している。
🎦『白蛇伝』。「総天然色」というのが「昭和」のいい香りだな。
🎦『少年猿飛佐助』。とにかく絵が怖かった。なのに、僕の心の深いところを響かせたのは何故なんだろう。
🎦『少年猿飛佐助』のトレイラーを。
🎦『西遊記』。
🎦『アラビアンナイト~シンドバッドの冒険』。
🎦『わんわん忠臣蔵』。僕の一番、好きな東映動画。犬が力を合わせて、虎やライオンと戦うんだ。
そのような映画を見ながら僕は森永のココアを飲んでいたのかも知れない。『狼少年ケン』(これも東映動画のアニメ)の缶入りココア。ほとんど記憶にないけど、このココアには「狼少年ケン」のキャラクターの透明シールがオマケとして付いていて、もうシールが欲しくて、欲しくて。子供の欲望は果てしない。
子どもの時からチョコレートが好きだった(今でも好きだけど)。ウェハースの歯ブラシに小さなチューブ入りチョコを乗せて。こんなもので歯磨き(ごっこ)をするほどに。
チョコ好きにとって衝撃だったのは、森永の「ハィクラウン」。「日本で いま出ている チョコレートの中で 最高級品です」というコピー通り、めったなことでは食べられない高級チョコだった。けれど。「ハィクラウン」すらあまり食べることができないのに、しばらくすると「ハィクラウンゴールド」というさらに高級なチョコが発売されたのだった。チョコ世界のハィブランド。それにしても。「ハィクラウン」のイは小さなィだったんだ。感慨深いな。だけどいったい何て発音するんだろうか。「はぃー⤵️」(いくらちゃんか!)とか「ふぁい」とか…読めないや。
森永製菓はボリュームにこだわったチョコも発売した。「エール」【YELL】。作曲家の山本直純が声高らかに謳いあげる。「大きいことはいいことだ」と。子どもには響いた。
「エール」チョコはテンプターズ時代の、若きショーケンも勧めてくれた。
小森和子の「高原の小枝を大切に」のCMで有名な森永「小枝チョコレート」には、女優であり、アイドルであった栗田ひろみが起用された。ちょっとお洒落感を出して。女の子をターゲットにしていたような気がするな。
「チョコフレーク」は海外の俳優を使ってイメージ戦略を果たした。69年に主演した「ガラスの部屋」のイタリアの俳優レイ・ラブロックこと、レイモンド・ラブロックを起用。
新しい食文化の提案繋がりで。いきなり「オロナミンC」のCM。オロナミンCと卵を混ぜて作る新メニュー。「オロナミンセーキ」はもちろん大村崑のお薦めだ。
江崎グリコの「アーモンド・チョコレート」シリーズの広告は現・千葉県知事の森田健作を起用。「青春」と言えばとにかく森健だったのだ。
青春ドラマ「おれは男だ!」。これにはハマった。もともとは津雲むつみの少女漫画が原作。とにかく「男は男らしく」、「女は女らしく」という昭和の価値観が全開するドラマ。今だったら、間違いなく放映できないような台詞のオンパレードだ。しかも。小林弘二役の森田健作を始め、吉川操役の早瀬久美、丹下竜子役の小川ひろみ、生徒会長役の小野千春。みんな高校生には見えなかった。唯一、小林弘二の妹かおる役の松本うたかだけがフレッシュで可愛かったな。他にも小林家のお爺ちゃん役には小津組(小津安二郎)の笠智衆、海辺でひとり吹くトランペットが印象的な西条信太郎役に志垣太郎。さらにフォーリーブス、ゴールデン・ハーフ、野村真樹らがカメオ出演していた。
テーマ曲『さらば涙と言おう』。
挿入歌『男なら気にしない』。もうこのタイトルだけでNGだな。でも好きだったんだなぁ。
TVの青春ドラマはここから始まった。僕もはっきり覚えていないけれど。夏木陽介主演の、ラグビー部を舞台にした「青春とはなんだ」。もともとは石原慎太郎の原作による東宝映画のTVドラマ化。何で、ここまで遡る必要があるかと言うと、よくあるTVのアーカイブ番組では「飛び出せ青春」までしか紹介してくれないからだ。
「青春とはなんだ」に続く、竜雷太(後のTVドラマ「太陽にほえろ!」のゴリさんだ)主演の「これが青春だ」。舞台はサッカー部(シリーズではラグビー部とサッカー部が交互に展開された)テーマ曲と、挿入歌「貴様と俺」は布施明が歌った。
青春ドラマシリーズ3作目。ラグビー部の「でっかい青春」も竜雷太が主演した。
不二家のチョコレート「メロディ」。しかし。何故、カウガールな范文雀なのか。
不二家の「ハートチョコレート」。ハート形のため、男の子は自分ではなかなか買えなかった。中学生の時のバレンタインデーに女の子からこのチョコを貰った時はほんとうに嬉しかった。
明治のチョコレートのプレゼント・キャンペーンは子供たちの話題を独占した。広告コピーは「おれ、ゴリラ。おれ、景品」。よしだたくろうのバックバンドだった「猫」というグループで「雪」をヒットさせたケメこと、佐藤公彦が起用された。
同じく明治の「コーヒービート」のプレゼントは女の子向けに、アメリカンな「ビートボックス」が当たるキャンペーンだったけど、何故だかキャッシーが使われた。人気があったんだな、キャッシー。
「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ!!」。読売テレビ系列で放映されていた、大阪発(厳密には千里セルシーホールだ)のバラエティー番組。キャッシーと横山プリンがMCを務めた。番組の素人参加によるワンコーナー、「パクパクコンテスト」から松原秀樹、川崎麻世、草川祐馬がデビューした。
明治のチョコレート「alfa」の広告には、とても可愛いい加賀まりこが起用された。大企業の商品に「おもねる」ことのない自由で不思議な表情がとても魅力的だと思う。
小学生の4年の時、放課後はいつも「探偵」という遊びをやっていた(時代や地域によって呼び方は違う)。探偵と泥棒に分かれて、探偵が泥棒を追いかけるという鬼ごっこである。ある日、探偵の僕が泥棒役の、ひとりの女の子を見つけたので追いかけていった。子供の頃、足が速かったので(腐り易いという意味じゃないよ)、直線ならすぐに追いつけるだろうと思っていた。
すると女の子は校庭を走り切るのではなく、校舎の隙間を抜けて校舎の裏側に回ったので僕も方向を変えて、そっちへ走っていった。僕が校舎の裏側に回ると、ちょっとした芝生の横にその子が立っていた。辺りには誰もいない。シーンと静まりかえっていた。変な空気を感じながら、その子を摑まえることができる距離まで近づくと、その子は急に芝生に寝っ転がって、手を大きく広げた。そして僕の名前を呼んで「来て」って言ったんだ。
ただの子供でしかなかった僕には何が起きているのか分からなかったし、また、どうしていいのかも分からなかった。ほんの数十秒くらいのことだと思うけど、僕には時間が止まっているように思えた。やがて。僕はその子を摑まえるのを諦めて、皆がいる方に全速力で走り去っていったのだ。あれは、あの時間はいったい何だったのだろうか。あの時の光景や匂いや、空気感は今も鮮明に僕の中に残っている。
本題に戻ることにしよう。
いやぁ、しかし。チョコレートの話だけで、どんだけ尺を使うのか、と。
じゃぁ、ガムのこと。昭和の子供はガムも大好きだった。ロッテの「マグマ大使ガム」。そしてキャンペーンの景品「パンチマグマ人形」で遊んでるのはマグマ大使本人とガムだ。
兄貴の影響で。楳図かずおのハリス「猫目小僧ガム」で貰える立体シールに萌えた。昭和の男の子にとっては「猫目小僧」の立体シールを何枚もっているかがステイタスだったのだな。
↓↓↓「猫目小僧」の立体シール。
📖「猫目小僧」は男の子に人気があったけど、同じ楳図かずおでも「恐怖」や「怪」といった、ほんとに怖い漫画は女の子が読んでたような気がする。基本、男の子の方がビビりなのだ。
📖時々、読んでいた中岡俊哉によるリアルに怖い話。「日本怪奇ゾーン」。これを読んだ後、お風呂で頭を洗う時には後ろに誰かが居そうで目を開けたまま頭を洗っていたんだ。「こんな時にシャンプーハット」があればな。いつもそう思っていた。
今でも使われているけど。恐怖のイメージに憑かれた時でも目を開けたままで頭が洗えるシャンプーハット。でも、これは使い方が違うよね。
女の子仕様のお洒落のハリス「スィートガム」(カネボウハリス)。僕は噛んだことがないけど。こんな可愛いパッケージならコレクションしてみたいと思う。
クリスマス・ケーキはと言えばバタークリームのデコレーション・ケーキが主流だったけれど、そんな中で登場したのが雪印のアイスクリームケーキだった。初めて食べた時の、その美味しさときたら。衝撃的だった。
ただの大阪のおかんが、ごくたまに作ってくれたスイーツ、ハウス食品の「シャービック」の味も忘れない。
🍹ごくたまに。家族全員で百貨店に出掛けた。そういう時には、子どもたちはここぞとばかりに「ジュース。ジュースが飲みたーい!」とダダをこねた。するってぇーと、親が「売ってはったら買うたる」と答え、子供は「そこに売ってはる」とジュースの自動販売機を指指すのであった。お後がよろしいよーで。因みにこの親子のやり取りは上方落語の「お初天神」からの引用。
🍹何故だか。近所のお米屋さんで取り扱っていたジュース「プラッシー」。瓶の底にはいつも濃密な粕が沈殿するのであった。
「昭和」の子供カルチャー・アーカイヴということで。何の脈絡もないまま、書き散らかしたけど。今回紹介したものは、お菓子はリニューアルされながら現在でも販売されているものも多いし、映画やドラマについても今ではサブスクやDVDで観ることができるかも知れない。
しかし今回もまた、書きたいことが多過ぎた。中途半端な形で終わってしまったのが残念。気が向いたら、この続きをまた書いてみようかなと思っている。
それではアデュー・ロマンティーク。